第一章②【シャーロット・アッシュフォード】
その矢先だった。
「申し訳ございません。ただいま条件が一致する内容の依頼を提示できません」
民間企業や研究機関から寄せられた依頼を仲介する受付カウンター。
端末を操作していた受付係は申し訳なさそうな表情を浮かべながらそう告げた。
仕方あるまい。既にその行動に自身以外も移る可能性は容易に想像は出来たのだ。寧ろ焦る必要はあったのかもしれない。
こうなれば新たな依頼が発注されるのを待つか、あるいは別の手段を考えるしかない。
そうカナタが次の行動を思案しかけたその時だった。
「一つ、ご提案がございます」
穏やかな声が思考を遮る。
依頼仲介カウンターに立つ受付係の女性は手元の端末を操作しながら柔らかな笑みを浮かべた。
年齢は二十代半ばほど。落ち着いた物腰と、状況に応じて柔軟に提案を行う様子からこう言った受付業務を長く任されていることが窺えた。
「単独で受けられる依頼は現在すべて受注済みですが、複数名で受注していただく依頼でしたら、まだいくつか空きがございます」
「共同受注か」
「はい。ペア、あるいは部隊単位で受けていただく依頼です。条件さえ満たしていただければそのままエリシアへ降下することが可能です」
つまり、誰かと組みさえすれば予定どおり惑星エリシアへ降り立つことができる。
漆黒のルーキーは腕を組み、小さく考え込んだ。
本音を言えば、単独で動きたかった。誰にも気を遣わず、自分のペースでエリシアを歩き、自分の判断で調査を進める。
それが今の理想だった。
もちろん共同で行動する利点も理解している。
危険への対処。情報共有。戦力の補完。どれも探索には欠かせない。だがそれ以上に自分の行動が制限されることへの抵抗もあった。
幸いフロンティアセクター内であれば依頼を受けずとも降下自体は認められている。
そう考えるとこの提案を受けるべきか。それとも新たな依頼が発注されるまで待つべきか。
判断に迷っていた、その時だった。
「ちょっと良いかしら?」
隣のカウンターから一人の女性の声が聞こえた。
受付係は「少々お待ちください」と青年へ一礼すると隣へ視線を向ける。
カナタも何気なくその方向を見る。
そこには一人の若い女性が立っていた。
腰まで伸びる紫紺の長い髪。無駄のない姿勢。知的そうで切れ長の紺の瞳が青年に与える率直な感想はクールビューティーだ。そんな洗練された佇まいは周囲にいるAEGISとはどこか一線を画している。
そして胸元には、マスターライセンス保持者を示す認証バッジ。
「(……マスターライセンス)」
思わず目が留まる。女性は端末へ視線を向けたまま静かに口を開いた。
「現在受注可能な依頼を確認して?」
「かしこまりました」
受付係は慣れた手つきで端末を操作する。
数秒後、わずかに困ったような表情を浮かべるとカナタと女性を交互に見比べた。
「……なるほど」
二人は同時に首を傾げる。
受付係は画面を確認したまま、小さく頷いた。
「失礼ですが、お二人とも現在お一人で依頼をお探しでしょうか?」
「ええ」
「はい」
二人の返答が重なり、受付係はどこか安堵したように微笑んだ。
「でしたら、お二人にちょうどご案内できる依頼が一件ございます」
そう言うと二人の前に一つのホログラム画面を表示させる。
「こちらは二名での受注が必須条件となる共同依頼です。現在、受注枠はちょうど二名分空いております」
カナタは思わず彼女へ視線を向けた。
まさかマスターライセンス保持者と自分が同じ依頼を検討することになるとは思ってもいなかったが、カナタからすればこの提案を断る理由はどこにもなかった。
相手はマスターライセンス保持者。AEGISの中でもほんの一握りしか存在しない実力者である。ライセンス制度について詳しく知らない青年でさえ、その肩書きが持つ重みだけは理解していた。
知識、経験、判断力。そしてこの惑星エリシアで生き抜く術。そのどれを取っても自分とは比較にならないほどの差があるはずだ。
共同依頼という形にはなるが、その背中を間近で見られるだけでも十分すぎる価値がある。戦い方や索敵、状況判断、危険への対処法など、実際に同行しなければ学べないことは数え切れない。
フロンティアセクターで一人、地道に依頼をこなして経験を積む。それがカナタ・アキトの当初の予定だった。しかしこの話はその予定を大きく変えるだけの価値を持っていた。
予定外ではある。だが、決して悪い話ではない。むしろこれほど恵まれた機会はそう何度も巡ってくるものではないだろう。
自然と背筋が伸びる。
あとは相手が了承してくれることを願うだけだった。
一方で紫紺の女性は一度だけカナタへ視線を向けるとその胸元で小さく揺れる認証バッジへ目を留めた。
「……ルーキーライセンス」
小さく漏れたその呟きには僅かな迷いが滲んでいた。
共同依頼とは単に依頼を一緒にこなすことではない。危険区域では互いの背中を預け合い、ときには命さえ託す関係になる。同行者の力量一つで任務の成否も生還率も大きく変わる。経験不足の人間を連れて行けば自分が守る場面も増えるだろう。その一瞬の判断の遅れが自分だけでなく相手の命まで奪うことも珍しくない。
だからこそ同行者選びに妥協はできない。ルーキーライセンスという肩書きだけで切り捨てるなんて早見切りは早々しないだろうが、しかしそれだけで信頼するほど甘くもない。
彼女は切れ長の紺色の瞳を細め、数秒だけカナタを見つめた。
相手を睨んでいるわけではない。同行者として最低限の資質を見極めるように立ち姿や装備、視線の動きだけを静かに確認する。
ただ、それだけでは判断材料としては足りない。
やがて紫紺の女性は受付係へ向き直った。
「この人の情報を」
「はい?」
突然の申し出に受付係は目を丸くする。
「共同依頼を組む以上、最低限の確認は必要でしょう?」
感情ではなく、あくまで合理的な確認だった。
「承知いたしました」
受付係は慣れた手つきで端末を操作し、青白い画面へ映し出された登録情報へ目を通す。
「お名前はカナタ・アキト様。ルーキーライセンス保持者です」
そこまでは想定内だった。
だから彼女の表情は変わらない。
淡々と次の情報を待つ。
「シックスセンスの適性は?」
その問いが投げかけられ、受付係がその項目を確認した瞬間だった。
指先がぴたりと止まる。
画面へ向けていた視線が僅かに泳ぎ、口を開くまでに短い間が生まれた。
その不自然な沈黙に彼女は違和感を覚える。
「……ありません」
静かな返答。
だがその一言は紫紺の女性の思考を一瞬で止めるには十分だった。
「……は?」
思わず漏れた声には嘲笑も軽蔑もない。
純粋な困惑。
聞き間違いだと思った。そうでなければ自分の知る常識が根底から覆ることになる。
「今……何と?」
「シックスセンスは未所持です」
受付の女性も困ったような苦笑を浮かべる。
「ですが、ライセンス試験を正式に突破されております」
「そんなことは聞いていないわ」
即座に返す。
問題はライセンスを持っていることではない。問題はそのライセンスに至るまでの過程だった。
紺色の瞳が再びカナタに向く。
今度は先ほどとは違う。
同行者として力量を測るためではない。自分の知る常識を覆したその正体を見極めるためだった。
頭の先から足元までまるで一冊の資料を読み解くように視線を巡らせる。髪や表情、瞳の動きはもちろん、肩に入った力の具合、指先の癖、武器の使い込まれ方、装備に刻まれた細かな擦り傷、靴底の摩耗、立ち姿、重心、呼吸の間隔——どれも見逃すまいと、一つひとつ丁寧に観察していく。
しかしどれだけ観察しても印象は変わらなかった。特別な威圧感もなければ、隠し切れない実力者特有の気配もない。目の前にいるのはどこにでもいそうなごく普通の青年だった。
——シックスセンスを持たない……? そんな人間がライセンス試験を突破した? あり得ない。少なくとも、自分がこれまで学び、信じてきた常識では。
AEGISとはシックスセンスを扱える者たちの総称。それは制度であり、前提であり、疑う余地のない常識だった。
研修でも聞いたことがない。シックスセンスを持たずにAEGISとなった者など、一人として記録されていなかったはずだ。
ならば試験官たちは何を見たのか? 何を評価し、何を根拠に、この青年へライセンスを与えたのか?
思考を巡らせても答えは出ない。だがその答えの見えない違和感こそが、紫紺の女性の知的好奇心を静かに刺激していた。
未知。自分の知識では説明できない存在。だからこそ知りたい。この青年の中にある”何か”を、自分自身の目で確かめてみたい。
受付係もカナタも口を開かない。静かな沈黙だけがその場を支配していた。
やがて彼女はゆっくりと息を吐く。
その吐息とともに、先ほどまでの迷いは静かに消えていった。
「……いいでしょう」
短い一言。しかし、その声にはもう迷いはない。
受付係が顔を上げる。
「この共同依頼受けます」
一瞬だけ驚いたように目を見開いた受付係だったが、すぐに柔らかな笑みへ戻った。
「ありがとうございます。それでは、お二人の共同受注手続きを開始いたします」
そう言って端末の操作を再開する受付係を横目に、最後にもう一度だけ紺色の瞳で東小国の彼を見る。
その視線には期待も信頼もない。あるのは自らの常識を覆した一つの”謎”を見つめる研究者のような静かな探究心。
シックスセンスを持たずにライセンスを取得した青年。
その不可解な存在はいつの間にか彼女の興味を強く惹きつけていた。
———
そして成り行き、流れのままにカナタ・アキトとマスターライセンス所持者——シャーロット・アッシュフォードの共同依頼が受理された。
まさかマスターライセンス保持者とライセンス取得初日から共同依頼を受けることになるなんてそんな幸運が自分に巡ってくるとは思ってもいなかった。
経験を積むには願ってもない機会だ。実力者の戦い方を間近で見られるだけでも今回の依頼には十分すぎる価値がある。
そんな期待を胸に抱いていたカナタだったがその期待は依頼開始前からほんの少しだけ形を変えることになる。
共同受注の手続きを終えた受付係が二人へ依頼書を手渡す。
シャーロットは礼を述べることもなく書類へ目を落とし、一通り内容を確認すると小さく息を吐いた。
そしてそのまま隣に立つ漆黒のルーキーへ視線を向ける。
「一つ言っておくわ」
淡々とした声だった。
感情の起伏はほとんど感じられない。
カナタは自然と姿勢を正す。
「私は無駄な足止めも、無意味な気遣いも嫌いなの。足手まといになるつもりなら今のうちに辞退して」
あまりにも真っ直ぐな物言いだった。
遠回しな表現もなければ、相手への配慮もない。ただ自分の考えを事実として告げているだけ。
「……えっと」
何か返そうと口を開く。しかし適当な言葉が見つからない。初対面でここまで率直に言われるとは思っていなかったからだ。
「もちろん、そうならないよう努力します」
ようやく絞り出した返答に対し、シャーロットは小さく首を横へ振る。
「努力は評価しないわ」
その一言で会話は終わった。
評価するのは結果だけ。そう言外に告げられたような気がして彼は乾いた笑みを浮かべるしかなかった。
「(……手厳しいな)」
悪意があるわけではないし、嫌味を言いたいわけでもないのだろう。恐らくあれが彼女にとっての率直な感想なのだ。
だからこそ余計に言葉が刺さり、同時に別の違和感も頭をよぎる。
マスターライセンス保持者。
それほどの実力者でありながら依頼受付には一人で来ていた。
普通なら、同格のマスターや顔見知りと行動していても不思議ではない。にもかかわらず、共同依頼の相手を探していた。それもたまたま受付で居合わせたルーキーと組むことを選んだ。
そこにほんの少しだけ引っ掛かりを覚える。
「(もしかして……)」
頭の中で一つの仮説が浮かぶ。
実力は申し分ない。ただ人付き合いは得意ではないのかもしれない。
周囲を寄せ付けない雰囲気。必要最低限しか話さない態度。思ったことをそのまま口にする性格。本人に悪気はないのだろうが、あれでは距離を置く人間がいても不思議ではない。
実力はあってもチームプレイはあまり得意ではない。
そんなタイプなのかもしれない。
「(……いや、俺が心配することじゃないか)」
思わず心の中で苦笑する。
ライセンスを取得したばかりのルーキーがマスターライセンス保持者の心配をするなどおこがましいにも程がある。
だがそれでも小さな不安は拭えなかった。
とはいえ、今回受けるのは救難任務のような高難度の依頼ではない。
現時点ではお互いに相手の力量も性格も分からない者同士だ。この依頼は任務をこなしながら互いを見極める時間にもなるのだろう。
そう考えながらカナタは依頼書を閉じてふと隣へ視線を向けた。
改めて見るとその横顔は驚くほど若い。年齢こそ自分より下に見えるがその表情には同年代ではまず見かけない冷静さがあった。無駄な感情を表へ出さず人との距離を一定以上縮めようとしない。どこか人を寄せ付けない空気を自然と纏っている。
そんな横顔を眺めていると不意にシャーロットが口を開いた。
「何?」
前を向いたままの短い一言。
続けてゆっくりと視線だけをこちらへ向ける。
「人の顔、ジロジロ見て」
「あ、いや……確か、シャーロット・アッシュフォード……ですよね?」
「そうだけど」
「噂には聞いていました。ただ、こんなに若い人だとは思ってなくて」
一瞬の沈黙。
シャーロットは何の感情も浮かべないまま、淡々と言葉を返した。
「実力や実績を若さで測る意味ある? そんなんだからいつまでもルーキー止まりなのよ」
「は、ははは……」
その一言だけで十分だった。
乾いた笑いしか出てこない。
悪意はなく、嫌味を言っているつもりもないのだろう。
だからこそ余計に言葉が刺さる。
「(……よくこれで俺と組む気になったな)」
思わず視線を逸らす。
初対面とは思えないほど容赦がない。しかしそれが彼女の自然体なのだろう。
シャーロット・アッシュフォード。
ルーキーの間でその名を知らない者は少ない。
理由は単純だ。惑星エリシアへ降り立つ資格を決める仮想シミュレーション試験。その総合成績において、彼女は歴代でも上位に数えられる成績を収め、若くしてマスターライセンスを取得した人物だった。
だからこそその名前は自然と広まり、多くのルーキーが一度は耳にする存在となっている。
そんな人物がなぜ共同依頼の相手を探していたのか。
しかも、その相手が自分だった。
受付で見せた迷い。そして自分を値踏みするような視線。
何か事情があるのだろうが、今の自分が軽々しく踏み込む話ではない。
深く関わるべきではないかもしれない。
そう考え、思考を切り替えようとしたその時だった。
「あなた」
不意に声を掛けられ、カナタは顔を上げる。
「はい?」
シャーロットは真っ直ぐこちらを見据えていた。
先ほどと同じ冷静な眼差し。そこに浮かぶのは感情ではなく、相手を評価する者の視線だった。
「エリシアで、あなたは何ができるの?」
一拍置き、さらに問いを重ねる。
「あなたは、何を武器に自分を示せる?」
「あ、あぁ……」
まるで面接だった。いや、それ以上かもしれない。
相手の価値を見極めようとする容赦のない質問。まさか自分より年下と思われる少女からここまで真正面に品定めされる立場になるとは思ってもいなかった。
情けないような、気恥ずかしいような気持ちになりながらも、不思議と不快ではない。
彼女は本気で自分が同行する価値のある人間かを確かめようとしている。
ならばこちらも取り繕う必要はない。見栄を張っても意味はないだろう。
青年は一つ息を整えると、自分にできること、そしてエリシアで任せてほしい役割について飾ることなく素直に語り始めた。
カナタは小さく息を吸うと飾ることなく自分について話し始めた。
「俺にはシックスセンスがありません」
その一言から始まる自己紹介は決して明るいものではなかった。
シックスセンスが発現しない。その事実を告げられたのはそこまで昔のことではない。
周囲が能力を開花させ、それぞれの適性を見出していく中、自分だけが取り残されていく感覚。
期待されそして失望される視線。何も持たない人間として見られることにはもう慣れてしまっていた。
それでも、諦めるという選択肢だけは最初からなかった。
「だから、その代わりになるものを必死に磨いてきました」
漆黒のルーキーは自分の両手へ視線を落とす。
「身体能力には多少自信があります。シックスセンスがない分、基礎体力や筋力、持久力は人一倍鍛えてきました。肉体の頑丈さだけは誰にも負けないつもりです」
能力で劣るなら能力以外で補う。
それが自分の戦い方だった。
「訓練でもシックスセンスを必要とする項目以外ならそれなりの成績は残せていました」
そこで一度言葉を切り、続ける。
「それと、エリシアについて公開されている資料は一通り目を通しています」
植物。原生生物。地形。気候。環境変化。危険区域。調査記録。過去に公開された報告書や生態資料に至るまで自分が閲覧できる情報は可能な限り頭へ叩き込んだ。
能力で劣るのなら知識だけでも誰にも負けたくなかったのである。
「現地では前衛として動きながら、地形や環境に関する知識を活かしてサポートできます。まだ経験は多くありませんが、自分に任せてもらえることなら全力でやります」
一通り話し終え、カナタはシャーロットを見る。
返事を待つ。
だが——。
「そう」
「…………」
返ってきたのはそれだけだった。
それ以上の言葉はない。
質問もない。評価もない。肯定も否定もない。
「(え、それだけ……?)」
面接なら何一つ手応えを感じない。自分の答えが良かったのか、悪かったのかすら分からない。
じわりと冷や汗が背中を伝う。
果たして自分は彼女の基準を満たせたのだろうか?
受付係、カナタ、シャーロット。三人の間へ妙に長く感じる沈黙が流れる。
誰も口を開かない。受付嬢でさえ、この空気に割って入るべきか迷っているようだった。
やがて、その沈黙を破ったのはシャーロットだった。
「……一先ずは及第点ね」
短く告げる。しかしすぐに言葉を続けた。
「知識も身体能力も、それ自体は評価できる。でも、実際に現地で動けなければ意味がないわ」
「あ、ああ……そうですね」
カナタは苦笑しながら頷く。
最後まで手厳しい。それでも、否定されたわけではない。少なくとも同行者として認められたことだけは理解できたからそれで十分だった。
こうして二人は、共同で依頼を遂行する協力関係を正式に結ぶこととなる。
その後、受付嬢から依頼内容の詳細説明を受けるとともに、エリシアで依頼活動を行うために必要な各種許可申請と手続きが滞りなく進められ、一連の手続きを終えた二人は依頼書を受け取り、受付カウンターを後にするのだった。
共同依頼を正式に受理した二人はすぐにエリシアへ降下するのではなく、まず依頼内容の擦り合わせを行うことにする。
初対面同士で現地へ向かう以上、互いの認識に齟齬があってはならない。どれほど簡単な依頼であっても、事前の情報共有は欠かせない工程だった。
———
向かった先は移民艦艦内に設けられた共用ラウンジエリア。食事や休憩だけでなく、AEGISたちが任務前の打ち合わせや情報交換を行うためにも利用される開放的なスペースだ。周囲ではそれぞれのテーブルで作戦を練る者、食事を取る者、端末を操作しながら談笑する者の姿が見える。
そんな賑わいの中でも二人のテーブルだけは妙に静かな空気が流れていた。
軽食と飲み物を受け取り向かい合って腰を下ろすと紫紺の女性は早速依頼内容の確認を始める。
「依頼者は植物生態学者のエルヴィン・ローゼン博士」
そう言いながら腕に装着されたAEGIS標準支給の情報端末のホログラムディスプレイを展開する。
半透明の青白い画面には依頼書や植物資料が立体的に表示され、指先を滑らせるたびに次々と情報が切り替わっていく。
「依頼内容はエリシア原生植物の採取。研究用サンプルとして必要らしいわ」
淡々と読み上げながら画面をスクロールする。
必要素材。採取推奨区域。危険度。推定自生地。資料を一通り確認すると彼女は画面越しに青年へ視線を向けた。
「まあ、あなたみたいに現地の情報を頭へ入れている人がいるなら、思ったより手間は掛からなさそうね」
褒めているのか、それとも事実を述べているだけなのか、相変わらず感情の読めない言い方だった。その視線だけでも十分な威圧感がある。
真正面から見続けるのは妙な緊張感を覚え、カナタは軽く視線を逸らすように、自分の《リンクギア》を起動した。
こちらにも依頼資料が立体表示される。
「そ、そうですね」
ホログラムへ表示された植物を見ながら答える。
「この植物なら大体の自生区域は把握しています。資料通りなら場所を絞るだけで見つけること自体は難しくないと思います」
公開資料を読み込む中で何度も目にした植物だった。
生息環境も特徴も頭へ入っている。もちろん現地で予想外の事態が起こる可能性はある。それでも資料通りなら数時間もあれば依頼自体は終わる程度の内容だろう。
「ねえ」
「は、はい?」
突然名前を呼ばれて東小国の彼は反射的に顔を上げた。
シャーロットは資料から目を離さないまま、小さく口を開く。
「何で敬語なの?」
「…………え?」
予想外すぎる質問だった。
思考が一瞬止まる。
「いや、その……」
しどろもどろになりながら言葉を探す。
確かに年齢だけで言えば自分の方が上だが、相手はマスターライセンス保持者で自分はルーキー。その肩書きの差を考えれば自然と敬語になる。
それが礼儀だと思っていた。
——とはいえ。
「(……いや、違うな)」
心の中で苦笑する。
それは建前だった。本当の理由はもっと単純だ。
目の前にいるシャーロット・アッシュフォードという人物が敬語を使わずにはいられない雰囲気を纏っているから。
隙がない。近寄り難い。視線一つで空気を張り詰めさせる。身も蓋もない言い方をすれば——。
「(普通に、怖いんだよな……)」
とはいえ、その本音を正直に口にするには、相当な勇気が必要だった。
——あなた、怖いからです。
そんなことを初対面の相手へ言えるほど彼の度胸は据わっていない。
「いや、その……癖みたいなものだから」
結局、曖昧な笑みを浮かべて誤魔化すしかなかった。
しかしその返答が気に入らなかったのか、紫紺の女性はテーブル越しに僅かに身を乗り出す。
二人の距離が一気に縮まった。
「あんまり変に気を遣わないで頂戴」
逃がさないと言わんばかりの視線。その瞳は真っ直ぐカナタを射抜いていた。
「いざという時そんな関係のままだと、味方を頼る判断まで躊躇してしまうわ」
「……」
その言葉にカナタは思わず黙り込んだ。
予想していた理由とは違う。てっきり、自分が敬語を使うことを鬱陶しく思っているだけだと思っていた。
しかし彼女が気にしていたのはそこではなかった。
これは彼女なりの方針なのだろう。あるいは互いに生き残るための最低限の考え方。背中を預ける以上、必要以上の上下関係は不要。互いに遠慮して判断が遅れるくらいなら、最初から対等な立場で意見を言い合える関係でいたい。そんな考えがその短い言葉には込められていた。
確かにルーキーとマスターというライセンスの違いはある。だがそれは資格の違いであって、上下関係を意味するものではない。まして今回はエリシアへ降下するという意味では二人とも同じ新人だ。
誰も実際の惑星エリシアを経験していない。そう考えれば必要以上に肩肘を張る理由もないのかもしれなかった。
「あ、ああ……分かった。じゃあこれからはなるべく普通に話すよ」
青年は少し苦笑しながら頷き、シャーロットも小さく頷くだけでそれ以上は何も言わなかった。
どうやらそれで十分らしい。
カナタは一度依頼資料へ視線を落とし、ふと思っていた疑問を口にする。
「で、どうするんだ?」
シャーロットが顔を上げる。
「どうする——とは?」
「依頼内容の植物を回収してはい終わり。そんな依頼にするつもりじゃないんだろ?」
彼の疑問に一瞬だけシャーロットの口元が僅かに緩んだ。
「へえ」
感心したように呟く。
「案外、理解してるじゃない」
その一言だけでも先ほどまでより少し空気が柔らかくなった気がした。
「そうよ。私は最短で依頼を終わらせるつもりはないわ」
《リンクギア》に映る依頼資料を操作しながら続ける。
「もちろん依頼の達成は最優先。でも、それだけで帰るのは勿体ない」
ホログラム上に表示されるエリシアの地図。未踏査区域。FOUが活動していた記録。現在判明している調査範囲。それらを見回しながら語る。
「今のエリシアが仮想シミュレーションとどれだけ違っているのか。その変化を、自分の目で確認しておきたい」
「そうだな。植物だけじゃなく、原生生物や周囲の環境にも何か変化が起きている可能性はある。そういう情報は今後もエリシアへ降下するなら重要になるはずだ」
「ええ」
シャーロットもその意見には異論はないようだった。
「とはいえ、時間を掛けすぎるわけにもいかない。今回確認したいのは仮想シミュレーションと現実との齟齬。実際に降下した際の身体への影響。そしてシックスセンスが未知の環境でも問題なく機能するか。その辺りが優先事項ね」
彼女はホログラムを閉じる。
母なる星と惑星エリシアは環境が非常に近いとされている。故に人類は移住候補としてこの星を選んだが、それはあくまで事前調査の結果に過ぎない。実際に人が長時間活動した場合、予期せぬ影響が現れる可能性は十分にある。
ましてや先行調査隊であるFOUは消息を絶った。その事実だけでこの惑星には机上のデータだけでは測れない危険が潜んでいることを物語っている。
だからこそ、焦る必要はない。安全を確認し、一つずつ情報を積み重ねながら進む。石橋を叩いて渡るような慎重さこそが、この未知の惑星では何より重要になるのかもしれなかった。
依頼の方向性が固まるとシャーロットは改めてホログラムディスプレイを展開し、細かな行動方針を整理し始めた。
「今回の依頼に充てる時間は最大で六時間。それを超えるようなら一度切り上げて帰投するわ」
依頼達成だけを目的とするならそこまで時間は掛からない。しかし今回は現地調査も兼ねている。ある程度の余裕を持たせた時間設定と言えるものだった。
「もちろん、 不測の事態が起きた場合は別。天候の急変や原生生物との遭遇、その他予期しない事象が発生したら、その場の状況を優先して判断する」
淡々と話しながら各項目を一つずつ整理していく。
「戦闘になった場合は、あなたが前線、私は後方から援護する」
迷いなくカナタを指差して指定する。
その後ホログラム上には簡単な隊形図が表示された。
「狙撃とシックスセンスによる支援は私が担当。あなたは敵の注意を引きつけながら前衛を維持して」
「分かった」
「移動中も基本は同じ」
シャーロットはさらに続ける。
「先頭はあなた」
「俺がずっと前で良いのか?」
「ええ、あなたの身体能力を活かすならその方が効率がいい。私は後方から周囲の警戒と地形の確認を行う。何か異変があればすぐ指示を出すわ」
ただただ合理的だった。
互いの長所を最大限活かす配置。
無理も無駄もなく、カナタも特に異論はなかった。
「了解」
「それと独断行動は禁止。気になるものを見つけても、必ず一声掛けて」
「もちろん」
「危険と判断した場合は依頼より生還を優先」
「そこも賛成だ」
短い会話を重ねながら細かなルールが次々と決まっていく。
どれも派手な内容ではない。しかし未知の惑星で活動する以上、こうした事前の取り決めが生死を分けることもある。
一通り確認を終えると紫紺の女性は今度こそホログラムを閉じた。
「これで問題ないわね」
「ああ」
東小国の彼も頷く。
互いの役割。行動指針。非常時の対応。最低限の共通認識は共有できた。
シャーロットはゆっくりと席を立つ。
「降下予定時刻は約四十分後。降下デッキ前で合流しましょう」
「分かった」
それぞれエリシア降りる為に万全な用意をする必要がある。打ち合わせはそこで一区切りとなった。
遅れて青年も席を立ち、その場を後にしようとする。
——その瞬間だった。
「おやおや? まさかそんなルーキーと組んで動くのかい?」
どこか人を小馬鹿にするような声が背後から響く。
二人が同時に振り返る。
そこには一人の男が腕を組みながら立っていた。
しかし、ただの男ではない。
胸元には紫紺の女性と同じマスターライセンスの認証バッジを付けていた。そして気付けばその背後には数人のAEGIS隊員が立っており、どこか面白そうにこちらを眺めている。
何が何やらよく分からない状況の中、男はゆっくりと口角を吊り上げる。
「シャーロット・アッシュフォード」
その呼び掛けには明らかな挑発の色が滲んでいた。




