第二章⑧【収穫】
「自覚したら、次の予定はまた明日考えるわ」
彼女はそれまで開いていたリンクギアの表示を閉じると、今日の活動をそこで区切るように小さく息を吐いた。
「今日は互いに怪我らしい怪我もない。身体面に関しては問題なさそうだけど、初めての実戦だった以上、精神的な疲労まで無視するべきじゃないわ。明日は無理に降下せず、今日の記録を整理しながら今後について話し合う時間を多めに取りましょう」
「話し合い?」
「ええ。戦闘時の連携もそうだし、互いに何が出来て何が出来ないのかも、まだ完全には把握してないでしょう? 今後も組むならその辺りは早いうちに擦り合わせておいた方がいいわ」
「……今後も?」
何気なく使われた言葉にカナタは一瞬遅れて反応した。少なくとも今日だけの一時的な協力関係で終わらせるつもりではないらしい。
ならば——。
「それって……お眼鏡に叶ったってことでいいのか?」
「…………」
シャーロットの動きが止まった。
「ん?」
紫紺の瞳が、ほんの僅かに大きくなる。
青年としては軽い確認程度のつもりだった。最初に依頼カウンターで顔を合わせた時から、彼女の評価基準は決して甘くない。自己紹介をしても返ってきたのは素っ気ない一言で、ようやく認められたかと思えば「及第点」。そして実戦ではバルクレッサーを討伐してなお「及第点」。なら、今後も一緒に行動するという言葉くらいは多少なりとも評価された証だと考えてもいいのではないか。
ところが彼女は答えない。
僅かな沈黙。
その視線がカナタから逸れた。
「…………」
「シャーロット?」
「……調子に乗らないことね」
「え?」
次にこちらへ向き直った時にはいつものシャーロット・アッシュフォードへ戻っていた。
目付きは鋭い。口調も淡々としている。
そして、容赦がない。
「今日上手くいったからって次も同じようにいく保証なんてないでしょう? さっき救助したルーキーたちのことだって明日は我が身よ。むしろ一度成功した後の方が危ないくらいだわ」
「あ、いや、俺は別に調子に乗ったわけじゃ——」
「自分なら大丈夫だなんて思わない。常に最悪を想定して慎重に行動する。あと発言にも慎みを持ちなさい」
「あ、う……」
東小国の彼の口が止まる。
何故そこまで言われる? 単に今後も組むつもりなのか確認しただけではなかったか?
「……えぇ?」
ようやく漏れたのはそんな間の抜けた声だった。
予想していた答えと違いすぎる。もう少しこう——悪くない、程度の言葉が返ってくるものだと思っていた。
そんなカナタの困惑など気に留める様子もなく、彼女は既に背を向けていた。
紫紺の長髪がさらりと揺れる。
「明日は十時。中央居住区のラウンジで」
「え?」
「今日の記録を確認してから今後の方針を決めるわ。遅れないことね」
「あ、ああ。十時だな」
シャーロットはそれだけを確認すると今度こそ歩き出した。
数歩、青年から遠ざかっていく。
「……じゃあ、また明日」
一応声を掛けてみる。
返事はなかった。
ただ、こちらへ背を向けたまま片手だけが僅かに持ち上がった。
「…………」
カナタはその背中が人混みの向こうへ消えていくまでしばらくその場に立っていた。
結局——。
「お眼鏡には……叶ったのか?」
分からない。最後まで分からなかった。
だが——。
「まあ……明日も会うんだから、いいか」
それだけは間違いない。
ひとまず今日を無事に終え、明日へ繋げることができた。
初めて惑星エリシアへ降り立った。目的だったルミナリスを採取した。FOUが残したフロンティアベース・アルファを自分の目で見た。原生生物と遭遇した。救難信号を受けて他のAEGIS隊員を救助した。
そして、本来なら安全圏にいるはずのないバルクレッサーと戦った。
それも二頭。
振り返ればとても初任務の一言で片付けられるような一日ではない。
それでも自分はここにいる。大きな怪我もなく、依頼を達成し、助けた者たちから直接礼まで言われた。
カナタは背負った大型レールブレードへ軽く手を触れた。
あの時の感触はまだ両腕に残っている気がする。
巨大な牙と刃をぶつけた衝撃。バルクレッサーの力を受け止めた時の重さ。そして最後にレール機構を解放して巨獣を断った瞬間。それらは仮想シミュレーションでは得られなかった感覚だった。
自分の力が本物のエリシアで通用した。その事実は素直に嬉しい。だが同時に勘違いしてはいけないとも思う。
自分一人で成し遂げたわけではない。最初のバルクレッサーをあそこまで追い詰めたのは紫紺の女性だ。青年が救助へ向かっている間、一人で巨獣を引き受け続けたのも彼女だった。最後に自分があれだけの力を発揮できたのもシャーロットのシックスセンスによる支援があったからこそ。
そして何より。彼女自身が目指している場所はおそらくこんなところではない。
シャーロット・アッシュフォード。
FOUに参加し、三年前から惑星エリシアで消息を絶っている父親。アッシュフォードという家名に向けられる周囲からの視線。マスターライセンスを持つ者として求められる結果。
彼女が背負っているものの全てをカナタが理解しているわけではない。むしろほとんど知らないと言った方が正しいだろう。
それでも今日一日行動を共にして僅かに見えてきたものはある。
必要以上とも思えるほど安全を重視する姿勢。決して無理に先へ進もうとしない判断。失敗を嫌いながらも、失敗しそうな相手を最初から切り捨てるのではなく、まずは信頼を勝ち取る機会を与える。
そして、自分自身にも同じ厳しさを向けている。
今日の任務程度ではきっと彼女にとって満足できる結果ではないのだろう。
行方不明になった父親へ辿り着くには遠すぎる。FOUに何が起きたのかを知るには何も分かっていないに等しい。ましてや安全圏に現れたバルクレッサーという新たな異常まで加わった。
先は長い。きっと想像している以上に。
だからこそ。
「……明日から、もっと頑張らないとな」
青年は静かに呟いた。
彼女からすれば自分はまだ物足りないのかもしれない。
知識を詰め込んできた。身体だって鍛えてきた。シックスセンスがないと分かってからもそれならそれで自分に出来ることを増やしてきたつもりだった。
それでも今日、初めて実際のエリシアへ降り立って分かった。
知っていることと、出来ることは違う。
出来ることと、生き残れることも違う。
ならば一つずつ覚えていけばいい。今日出来なかったことは次に出来るようにする。
知らなかったことは覚える。自分に足りないものがあるなら補う。そして自分にしか出来ないことがあるのなら——そこだけは誰にも負けないくらい磨けばいい。
漆黒のルーキーは歩き出す。
今日は休む。そして明日になればまたシャーロットと話し合う。その先には再び惑星エリシアが待っている。
まだ何があるのか分からない。何故あの場所を見た時、自分の胸の奥に説明できない感覚が生まれたのか。
安全圏へ現れたバルクレッサーも。消息を絶ったFOUも。何一つとして答えは出ていない。
それでもカナタ・アキトに出来ることは今のところ一つだった。
自分に出来ることを精一杯やる。誰かが危険なら手を伸ばす。自分に足りないものがあるなら身につける。そして明日もまた、今日より少しでも前へ進む。
それが今の彼に出来ること。
そして——青年がこの未知なる惑星で最初に抱いた小さな決意だった。
———
一方。そんな決意を胸に明日へ意気込むカナタの姿を背に紫紺の長髪を揺らしながら通路を歩いていくシャーロット・アッシュフォードは——いつもより僅かに足取りが速かった。
理由は今日という一日を無事に終えられた安堵だけではない。
初めてのエリシアでの依頼。振り返れば反省すべき点はいくらでもあるし、今後へ持ち越す問題も山ほど残されている。安全圏の定義すら揺らぎかねない異常事態を確認した以上、楽観視など出来るはずもない。
それなのに。
彼女の意識はその問題よりも僅かに先へ向いていた。
今日得たものを使えば明日は何が出来る? さらにその先は? どこまで行ける?
そんな思考が自然と浮かび、知らず知らず歩調を速めていた。
「……掘り出し物だわ」
ぽつりと、人通りの少ない通路で漏れた言葉は本人も自覚している通り、あまり褒められた表現ではなかった。
だがそれ以外に今の感覚を的確に表せる言葉も思いつかない。
カナタ・アキト。
今日一日を共にしたことで彼に対するシャーロットの評価は最初とは比較にならないほど上がっていた。
最初に見た時は——ルーキー。それ以上でも、それ以下でもなかった。
シックスセンスを持たず、それでもエリシアに関する知識と身体能力には自信があるという青年。
自己申告などいくらでも誇張できる。だからこそシャーロットは実際の行動を見るまで判断を保留していた。
ところが。
「……あれをルーキーの範囲で考える方が無理ね」
独り言を漏らしながら今日の出来事を順番に思い返す。
戦闘能力だけではない。むしろ彼女が高く評価したのはそれ以外の部分だった。
「初めて降り立ったエリシアで、あれだけ冷静に対応出来る適応力……」
まず、ルミナリス。
依頼者から提供された画像だけを見ればシャーロットでさえ類似種を本物だと判断しかけた。
それを彼は止めた。資料として公開されている情報を頭へ入れていただけではない。実際の植物を前にした状態で知識と照合し、外見上の僅かな差異から別種だと判断してみせた。しかも相手がマスターライセンス保持者だからと遠慮して黙ることもなかった。
必要な時には必要な意見を出す。簡単なようで、実際の共同任務では重要な資質だ。
グレイヴ・フェンリルと遭遇した時も同じで、大型の肉食獣を目の前にして青年はすぐ武器へ手を掛けなかった。
個体の様子。周囲の状況。生態。そこから近くに子がいる可能性を考え、保護対象としての扱いまで踏まえた上で非常食の燻製肉を使って争いそのものを避けた。
怖じ気づいたから戦わなかったのではない。戦える状況で戦わない方がいいと判断した。
「それでいて——」
紫紺の女性の脳裏へ巨大な影が蘇る。
バルクレッサー。そして彼が戦場へ戻ってきた時の光景。
彼女自身あの瞬間は打開策を失いかけていた。
二頭による挟撃。荒れ果てた足場。学習された行動。そこへ——横から飛び込んできたカナタが無傷のバルクレッサーを一撃で吹き飛ばした。
「……あの力」
今思い返しても異常だった。
強化戦闘スーツの補助がある。大型レールブレードという重量級兵装の性能もある。だがそれだけでは説明し切れない。彼自身の身体能力がそもそも人間としてかなり高い水準にある。さらに自分のシックスセンスによる身体機能活性化を施した後の上昇幅。
あれはシャーロットにとっても想定外だった。
巨獣の力を真正面から受け止める。牙を断つ。最後にはレール機構を解放し、バルクレッサーそのものを斬り伏せた。
単純な力だけなら——。
「マスターの中に混ぜても、抜けている可能性がある……」
それほどだった。
もっとも、それだけなら評価はここまで上がっていない。力が強いだけの人間なら使い方を間違えた瞬間に味方まで危険へ巻き込む。
カナタ・アキトの本当の価値は——それを振るうまでの判断にあった。
救難信号を受けた時、彼は真っ先に救助対象を優先した。シャーロットがバルクレッサーの注意を引いている間、自分も戦いたいなどとは考えず、任された役割に徹して負傷者たちを安全圏まで避難させた。そして救助を終えた後に戻ってきた。
状況を見て、自分に出来ることを判断して、必要な場所へ飛び込んだ。
命令されたことしか出来ないわけではない。かといって勝手な判断で役割を放棄するわけでもない。
必要なら自分で考え、動く。
初めての実戦で尚且つ仮想シミュレーションには存在しなかった事態の連続で。
それでも青年らマスターライセンスを持つ自分の動きへ最後までついてきた。
いや。
「……ついてきた、は違うわね」
彼女は小さく訂正する。
最後は肩を並べていた。
予想通りではない。明確に——予想以上。
「彼は……他には渡せないわ」
自然とそんな言葉が出る。
今ならまだ周囲にとって青年は大勢いるルーキーの一人に過ぎないだろう。
シックスセンスを持たない。マスターでもない。目立った肩書もない。今日の出来事を知らなければわざわざ彼を優先して組ませようと考える者も多くはないはずだ。
だが、いずれ変わる。今日のような結果を積み重ねていけば嫌でも周囲が気付く。
カナタ・アキトは——ただのルーキーではないと。
シャーロットには確信に近いものがあった。そうなれば当然声を掛ける者も増える。今日助けたルーキーたちの反応だけを見ても分かる。
そして彼の性格なら。
「頼まれたら断れなさそうなのよね……」
少し困ったように眉を寄せる。
誰かが困っている。手伝ってほしい。そんなことを言われればあの男はあちらこちらへ奔走しかねない。
それは——紫紺の女性にとって都合が悪い。
今のうちにしっかりとした協力関係を築く。互いの得意分野を把握し、連携を完成させる。カナタ自身にも自分と組むことの利点を理解してもらう。
そうすれば。
「彼がいれば……FOUの捜索も安定する」
足取りがさらに速くなった。
「足りないのは、彼みたいに現地で確実に動ける人材の数。そこさえ満たせれば、すぐにでも——」
父のところへ。
「————」
そこで、シャーロットはぴたりと足を止めた。
アステリアの白い通路。人工照明の下で紫紺の髪が遅れて肩へ落ちる。
「…………」
数秒後、ゆっくりと首を横へ振った。
「駄目ね」
今のは焦りだ。
漆黒のルーキーという予想以上の戦力を見つけたことで一気に先へ進めるような錯覚を抱いた。
今日、自分は何を経験した?
安全圏に存在するはずのないバルクレッサー。それも二頭。
たった一度の降下でこれだ。さらに先へ進めば何が待っているかなど分からない。
彼が強いから。自分がマスターだから。そんな理由で安全が保証されるわけではない。自分自身が今日身をもって思い知らされたばかりではないか。
急いではいけない。
一歩ずつ、確実に、使える情報を増やし、信頼出来る人間を増やし、生きて帰れる可能性を限界まで高めてから進む。それが父を探し出すための、最も遠回りに見えて——最も確実な道だ。
「……でも」
再び歩き出したシャーロットの口元がほんの僅かに緩んだ。
焦りを自覚してなお、今日の成果に対する高揚感までは消えなかった。
カナタ・アキト。
予想以上の人材だった。それだけは間違いない。
「結構伝えたつもりなんだけど……」
そこで別の問題を思い出す。
先ほどの会話だ。
『それって……お眼鏡に叶ったってことでいいのか?』
あの時の青年の顔。本気で分かっていなかったように見えた。
「……あまり響いてなさそうなのが不安ね」
彼女は首を傾げる。
「鈍感な人なのかしら?」
もちろんその直後に「調子に乗るな」「明日は我が身と思え」「発言には慎みを持て」と畳み掛けた本人に自分の伝え方が悪かったという発想はない。
明日も会う。今後も組む。それを自分から提案した。シャーロットとしてはそれだけで十分に高く評価していることを示したつもりだった。
伝わっていないとは夢にも思っていない。
「まあ、いいわ」
難しく考えるのをやめた。
「明日から、ゆっくり詰めていけばいいでしょう」
今日だけで全てを決める必要はない。
カナタのことも、自分たちの連携も、今後どこまでエリシアを進むのかも。
そして——FOUを追う道筋も。
一日ずつ確実に前へ進めばいい。
紫紺の女性は再び軽い足取りで通路を進み、AEGIS隊員へ割り当てられた居住ブロックへ入っていく。
やがて自分に割り当てられた個室の前へ辿り着くと認証を済ませ、扉が静かに左右へ開いた。
その向こうへ足を踏み入れる直前、シャーロットは一度だけ立ち止まり、今日という一日を振り返るように小さく息を吐いた。
「……悪くない初日だったわね」
誰に聞かせるでもなく呟いて今度こそ彼女は自室へ入り、静かに扉を閉じた。
初めての惑星降下を終えたその日。カナタ・アキトが自分の力をまだ正しく理解していなかったのと同じようにシャーロット・アッシュフォードもまた、今日見つけた『掘り出し物』がこの先のエリシアで自分にとってどれほど大きな存在とな




