第二章⑥【好機】
「……チッ」
ここへ来て初めて明確な舌打ちが漏れた。
無理もない。これまで彼女たちが積み重ねてきた訓練は決して生半可なものではない。惑星エリシアへ降り立つ資格を得るため、想定される原生生物との遭遇、負傷者の救助、地形を利用した戦闘、複数方向からの襲撃など、仮想シミュレーションでは数え切れないほどの状況を経験している。
しかし——これは違う。明らかに想定から外れていた。
バルクレッサー。大型哺乳類型原生生物の中でも真正面からの戦闘は極力避けるべきだとされる危険種。単独個体ですら正面から撃破できる者はマスターライセンス保持者の中でも一握りと想定されている。
それが二頭。
ただ数が増えただけではない。一頭は既にシャーロットとの戦闘を経験しその動きを学習しており、もう一頭は無傷のまま圧倒的な身体能力を惜しげもなく押し付けてくる。
更には周囲の地形まで最悪だった。
最初の戦闘で薙ぎ倒された木々が逃げ道を塞ぎ、巨体が暴れ回ったことで地面は抉れ、足場も崩れている。先ほどまで紫紺の女性が利用していた森林という戦場そのものが今では逆に彼女の動きを制限する檻へ変わっていた。
しかも厄介なのは二頭がただ本能のまま襲い掛かっているわけではないこと。
無傷の個体が獲物を追い立て、負傷した個体が逃げる先を見定める。
まるで狩人だった。
いや——。
「……そういうこと」
そこでシャーロットは気付く。
遅すぎる理解。最初に自分がやったことだった。救助対象から注意を逸らすため、わざと銃撃によって巨獣の意識をこちらへ向けた。攻撃そのものではなく、相手が何に反応し、どこへ動くのかを利用して、望んだ方向へ誘導したのだ。
そしてバルクレッサーはその後の戦闘でも彼女の行動を学び続けていた。
追えば逃げる。隙を見せれば狙う。危険が迫ればより安全な方向へ抜けようとする。
ならば——。
片方が追い立てればいい。もう片方がその先で待てばいい。
「私がやったことを……真似したってわけ?」
表情から余裕が消える。
答える者はいない。
代わりに二つの地響きが返ってくる。
——ズンッ!
前方。
——ズンッ!
背後。
完全に出し抜かれた事実を認めざるを得なかった。
紫紺の女性は自分がバルクレッサーの行動を読み切り、戦場の主導権を握ったつもりでいた。
実際一頭を相手にしている間はそれで正しかった。だがその間に相手もまた彼女を見ていたのだ。
そして二頭目が加わった瞬間、それまで蓄積された情報が牙を剥いた。
逃げ道はない。弱った個体側を突破する手も封じられた。無傷の個体は既に突進へ入っている。背後からは負傷した個体まで動き出している。
左右は崩れた地形と倒木。上へ逃げようにも今から木へ取り付く余裕などない。
シャーロットの視線が高速で周囲を走る。
それでも、ない。安全に抜けられる経路が一つも見つからない。
ならば、次善策。完全回避を捨てる。
どちらか一頭の攻撃だけでも正面から逸らし、もう片方の攻撃を可能な限り浅く受ける。戦闘スーツの防御機能を最大まで引き上げ、シックスセンスによる身体補助と再生促進を前提に、一撃を耐える。
当然無傷では済まない。骨折程度なら幸運。直撃箇所次第ではその場で戦闘不能になる可能性もある。それでも二頭の攻撃をまともに受けるよりは遥かにいい。
「(まず一撃……耐えるしかない)」
紫紺の女性は長銃を握り締める。
だが——その後は?
一撃を凌いだとして。吹き飛ばされた先でまともに立ち上がれるのか。立てたとして次の攻撃を回避できるのか。
シックスセンスは万能ではない。再生力を促進できても致命傷をなかったことにはできない。身体能力を補助できても骨が砕けた脚で今と同じ動きを続けられるわけではない。
一撃目を耐える。その先に光明はあるのか。
答えは——。
「(……ないわね)」
冷静だった。冷静だからこそ分かってしまった。
ここから先の展開をどれだけ組み立てても生還へ繋がる道筋が見えない。
無傷のバルクレッサーが迫る。反対側から傷ついた個体も距離を詰める。互いの巨体が生み出す振動が重なり、大地そのものが震えていた。
逃げられない。避けられない。
ならば、せめて——。
シャーロットは迫る無傷の個体へ長銃を向けた。高出力射撃を至近距離から叩き込み、少しでも勢いを削ぐ。それしかない。
銃床を肩へ押し当てる。照準が巨獣の頭部へ重なる。
だがほんの一瞬だけ、彼女の指から力が抜けた。
「……呆気ないわね」
小さな声だった。
自嘲でも恐怖でもない。
三年間。ようやくここまで来た。なのに惑星エリシアへ降り立ってまだ何も確かめられていない。
父親がどうなったのかも。FOUに何が起きたのかも。何一つとして答えを得ていない。
それなのに最初の依頼で。こんな場所で。終わる。
「本当に……」
手にしていた長銃を構える力が僅かに緩む。
諦めたわけではない。最後まで撃つ。しかしそれが生存へ繋がらないことを理解してしまっただけだった。
地響きが迫る。もう十メートルもない。
バルクレッサーの巨大な牙が見える。
土を蹴り上げる前脚。獲物を引き裂こうと開かれた顎。
もう片方も背後から迫っている。
挟撃。シャーロットの紫紺の髪が迫る巨体が押し退けた空気に煽られた。
その時だった。
「——シャーロット!!」
「っ!?」
声。聞こえるはずのない方向からだった。
彼女が目を見開く。そして無傷のバルクレッサーが横合いから迫る新たな存在に気付いた。
だが——遅い。
森の中から一つの影が飛び出していた。
こちらは速い。疾走というよりほとんど突撃だった。
地面を蹴り抜き、倒木を飛び越え、その勢いを一切殺すことなく一直線に戦場へ飛び込んでくる。
それは、カナタ・アキトだった。
「な——」
シャーロットの声が続かない。
彼は走っている勢いをそのまま武器へ乗せた。
身体を大きく捻る。踏み込んだ足が地面へ深く食い込み、腰、肩、腕へと連動した力が武器へ伝わっていく。
狙ったのは頭でも脚でもない。今まさに紫紺の女性へ襲い掛かろうとしていた無傷のバルクレッサーの横腹。
「うぉぉぉぉッ!!」
振り抜く。
——ドゴォッ!!
銃声とはまるで違う。肉と骨、その奥にある圧倒的な質量同士が正面から衝突したような腹の底まで震わせる鈍い轟音が森へ響いた。
「グォッ——!!?」
巨体が横へ揺れる。
否、揺れたのではない。
六メートルを超える巨体が地面から僅かに浮き上がり、そのまま突進していた方向とは全く別の横方向へ弾き飛ばされた。
「……え?」
彼女の口から戦闘が始まって初めて完全に理解の追いついていない声が漏れた。
目の前を巨大なバルクレッサーが横切っていく。まるで流星にでも横から殴りつけられたようにだ。
そしてその向こう。
先ほどまで誰もいなかったはずの場所に——武器を振り抜いた姿勢のままカナタ・アキトが立っていた。
挟撃こそ崩れたものの、状況そのものが好転したわけではなかった。先ほどまでの戦闘で周囲の木々は無残に薙ぎ倒され、剥き出しになった根や折れ重なった幹が至るところで進路を塞いでいる。巨獣の突進によって地面も大きく抉られ、柔らかな土と砕けた岩が混ざった足場は少し踏み込みを誤るだけでも体勢を崩しかねない。ここから二人揃って強引に森林へ逃げ込もうとしても二頭の大型捕食者を振り切れる保証はなかった。
それでも——青年が加わったことで先ほどまで存在しなかった可能性が生まれている。
彼女は隣へ立つ彼を一瞥した。
先ほど目の前で見せた一撃。戦闘スーツとレールブレードの性能を差し引いたとしても、六メートルを超えるバルクレッサーを横から弾き飛ばすほどの膂力は尋常ではない。それを偶然の一撃として切り捨てるより、今は戦力として最大限に利用するべきだった。
そして、その力をさらに引き上げる手段を——紫紺の女性は持っている。
二頭へ視線を走らせ、瞬時に役割を組み立てる。
「カナタ。貴方は弱ったバルクレッサーにトドメを。その間に私は貴方が吹き飛ばした方を撹乱するわ」
「だ、大丈夫なのか?」
カナタが思わず振り返る。
無理もない。つい先ほどその二頭に挟み込まれていた本人が再び一頭を単独で引き受けると言っているのだから。
しかし彼女は迷わなかった。
「問題ないわ。むしろ今ならこの組み合わせが一番いい」
「組み合わせ?」
「私の動きを学習していない個体を私が引き受ける。貴方は貴方の動きを知らない個体を相手にする。さっきまでと違ってお互いに相手の手札を知らない状態へ戻せるでしょう?」
彼は二頭を見比べる。
確かに理屈は通っている。シャーロットを追い詰めるほど彼女の動きを学習した個体でも青年がどう戦うかまでは知らない。逆に新しく現れた無傷の個体はカナタの一撃を受けたとはいえ、紫紺の女性の戦い方をまだ理解していない。
何より——。
「弱っている方なら今の貴方の一撃で崩せるわ」
「いや、流石にそこまで簡単に——」
「出来るわ。これで——」
彼女の左手が伸びた。掌が青年の背中へ軽く触れる。
「——っ?」
その瞬間だった。
身体の奥で、何かが脈打った。
「これは——」
熱い。いや、熱とは少し違う。血液が一気に全身へ巡り始めたような感覚。心臓が力強く鼓動し、それに呼応するように筋肉の一本一本が目覚めていく。
疲労が消えたわけではない。先ほどレールブレードを振り抜いた際に両腕へ残った痺れも森林を全力で駆け抜けた疲れも確かに残っている。
だが——身体が軽い。
指を握る。それだけで普段以上の力が返ってくる。脚へ力を込めれば地面を蹴る前から自分の身体がどれほど動くのか感覚的に理解できた。人工筋肉系インナースーツによる機械的な補助とは明らかに違う。外側から身体を動かされているのではなく、自分自身の筋肉が本来以上に応えてくる。
シャーロット・アッシュフォードのシックスセンス。
身体機能活性化による支援だった。
筋力。反射。持久力。それらを対象者が本来持っている水準からさらに押し上げる。
当然ながら能力には限界がある。誰に使っても無尽蔵の力を与えられるわけではなく、元々存在しない身体能力を一から生み出すこともできない。
だからこそ——その性質はカナタと恐ろしく噛み合っていた。
元となる身体能力が高ければ高いほど、活性化によって押し上げられる幅も大きくなる。シャーロットが自身へ使用した時でさえ、あれほどの機動力と継戦能力を発揮した力。その対象が元々シックスセンス抜きで巨獣を吹き飛ばした男へ変わればどうなるのか。
漆黒のルーキーが大型レールブレードを握り直す。
途端に。
——ヴゥン。
長大な兵装から低い駆動音が漏れた。
先ほどまでと同じ武器のはずなのに妙に軽く感じる。
「……なんか、凄いんだけど」
「でしょうね」
彼女はさも当然のように答えたが、その視線は青年の全身を注意深く観察していた。
予想以上だった。自身へ使用する時とは明らかに反応が違う。きっと本人の身体能力が高すぎるのだ。
「まあ、流石にないとは思うけど——」
シャーロットは僅かに目を細める。
「レールブレードを壊さない程度にしなさい」
「ま、まさか……冗談ですよね?」
「試してきなさいって言ってるのよ」
「いやいやいや、試すって——」
トンッ。
背中を押された。
「どわっ!?」
突然前へ押し出され、カナタがたたらを踏む。
「ちょっ、シャーロット!?」
「時間ないんだから早く!」
抗議している場合ではなかった。
「グルルルルル……」
正面から低い唸り声が響く。
青年の表情から僅かに残っていた困惑が消えた。
十数メートル先。そこには最初から彼女と戦い続けていたバルクレッサーがいる。
近くで改めて向き合えばやはり巨大だった。人間など簡単に押し潰せるほどの巨体。太い四肢から伸びる爪も、口元を覆う牙も、一つひとつが人間を殺傷するには十分すぎる凶器である。
だが無傷ではない。シャーロットが積み重ねてきた銃撃によって分厚い体毛の各所には傷が刻まれていた。前脚の付け根から血が滲み、後肢にも明らかな負傷がある。呼吸は荒く、最初に見た時ほど四肢へ力が入っていない。
それでも逃げようとはしなかった。
バルクレッサーの眼がカナタを捉える。
そこには怒りだけではなく警戒がある。目の前に現れた新しい敵が何をするのか。どこから攻めてくるのか。自分にとってどれほど危険なのか。慎重に見定めようとしている。
そして同時に——追い詰められていることを理解している眼でもあった。
「……油断は出来ないな」
青年はレールブレードを両手で構える。
追い詰められた獣ほど危険なものはない。ましてや相手はシャーロットの戦い方を短時間で学習し、二頭になった途端、それを利用して彼女を逆に追い込んだほどの生物だ。
弱っている。だから簡単に倒せる。そんな考えで近づけば次に地面へ転がるのは自分になる。
「カナタ!」
背後から彼女の声が飛ぶ。
「長くは保たないから!」
「分かってるよ!」
思わず声を返してから、カナタは僅かに頬を引き攣らせた。
言い方を変えれば——早く倒せ。
初めて大型原生生物と本格的な近接戦闘をするルーキーへ要求する内容としては随分と無茶な注文である。
だが仕方ない。
視線が一瞬だけ背後へ向いた。
紫紺の女性は既にこちらから離れ始めていた。
もう一頭のバルクレッサーへ銃撃を浴びせ、自分へ注意を引き付けようとしている。再び一人で巨大な原生生物を引き受けるつもりだ。
「…………」
ここまで追い詰めたのは彼女なのだ。
傷の一つひとつ。鈍った脚。荒くなった呼吸。その全てを——シャーロット・アッシュフォードは一人で作り上げた。
まだ二十一歳。自分より若い少女が、 たった一人でこんな怪物を相手に立ち回り、負傷者が避難する時間を稼ぎ、挟撃される寸前まで戦い続けた。
ならばその最後だけを任された自分がしくじるわけにはいかない。
カナタは一度だけ深く息を吸った。
身体の奥では彼女から与えられた力が今も脈打っている。
両手で握る大型レールブレード。青白い発光ラインが徐々に強くなり、内部の加速機構が低く唸り始める。
対する巨獣も姿勢を低くした。
互いに相手の出方を知らない。
カナタにとってもこれが初めての実戦。
それでも——。
「……失敗は出来ないな」
その呟きと共にカナタ・アキトは二メートル近い巨大な刃を構えた。




