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春越えて、君を想えるか ~好きとか恋愛とかよくわからなくてもカラダを重ねた曖昧なボクら~  作者: 御子柴 流歌
4th Act: 学校祭本番と真夏の準…

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4-33: 夜は、まだ長い


 ――いやいや、落ち着け。まだ何も始まっていない。


 っていうか、何が始まるんだよ。


 そんな感じで自分に何度か言い聞かせてみたものの、効果のほどは甚だ怪しい。


 とりあえず、今やるべきことは明確だった。


 注文を決めること。


 それ以外は、一旦考えない。


 まずは冷たい水でも呷った方が良さそうだ。


「……すみません」


 カウンターの向こうへと声をかければ、伯父さんはすぐにこちらを見た。ちょうど他のお客さんのところへ料理を運び終えたタイミングだったらしい。


「はいはい」


 軽い感じでこちらへやってくる。が、その顔にはちょっとだけ楽しそうな気配もある。 明らかに俺をからかいたい衝動に駆られているような顔だ。マスターの顔をしている手前自重しているようだが、バイト復帰の時にはしっかりとイジろうと考えていそうだ。


「注文、大丈夫そうか?」


「うん。えっと、まずマルゲリータひとつ」


「はいよ」


「あとは……、ペンネのドリアと」


「それにパスタも――で合ってるわよね?」


 菜那が静かに補足してくれる。


「あ、うん。トマト系で――どうしようかな」


「迷ってるんだったら適当に見繕うけど」


「だったら、それでお願いしちゃおうかな」


「了解」


 伯父さんは頷いてから、菜那の方を見て、何でもないことのように言った。


「菜那ちゃんもそれで大丈夫か?」


「はい」


 即答だった。


 だが、即答できない人間もここにはひとり居る。


 ――菜那ちゃん?


 注文がすべて通ったところで、伯父さんは「少し待っててな」と厨房側へ引っ込んでいく。


 その背中を見送ってから、俺はそっと菜那に視線を向けた。


「……なぁ」


「何?」


「今のもそうだし、そういえばさっきここに来たときもそうだけど」


「うん?」


「『菜那ちゃん』って」


 訊きながらも、自分で妙なところが気になっている自覚はある。


 あるのだが、気になってしまった以上は仕方ない。


 菜那は一瞬だけ目を丸くしてから、ああ、と小さく息を吐いた。


「そのことね」


「うん」


「何回か来させてもらってる内に、いつの間にか」


「……それだけ?」


「それだけ」


 あっさりと返される。思わず拍子抜け。


 それで終わりにしてしまうには、ちょっとだけこちらの胸の内がざわつく。


 ただ、それ以上でもそれ以下でも無さそうなことは、アタマのどこかが冷静に理解しているのだけれど。


「……何よ」


「いや」


「何か言いたそうね」


「言いたそうっていうか」


 言い淀んでしまう。


 だって、変に言葉にしたら、変に意識していたことがバレそうだからだ。


「いつの間にかこの店に馴染んでる感じ、するなって」


「そう?」


「うん」


 俺の居場所のひとつに、菜那がすでに自然に溶け込んでいる感じ。


 それが何となく嬉しいと思ってしまうのは、たぶん俺だけの勝手な感傷なのだろうけど。


「……貴方のお店だからかしら」


「俺のではないけど」


「文字通りではなくて」


 菜那はそこで言葉を切った。


 少しだけ迷ったような顔をする。


「蓮の、大事な場所なんでしょう?」


「……まぁ、そうだな」


 否定を一切する気が起きない言い方をしてくれた。


 ここは俺の仕事場で、ある意味では隠れ家のようで、生活の一部でもある。


 そんな話をしているうちに、先にドリンクが届いた。


 菜那のカフェオレ、そして俺の――結局同じように調整されたコーヒー。


「お待たせ」


「ありがと」


「ありがとうございます」


 グラスを傾ける。


 ひと口含んだだけで、今日一日の乾きがほどけていく感じがした。


「……おいしい」


「うん」


 菜那の呟きに、俺も短く頷く。


 変に感想を言い合わなくても、それで充分だった。


 少しして、マルゲリータが運ばれてくる。


 相変わらず、見た目からして強い。


 焼き上がった生地の香ばしさに、あのトマトソースの匂いが混ざると、もうそれだけで腹が鳴りそうになる。


「うわ」


「……やっぱり、これ好き」


 菜那が、わりと素直にそう言った。


 その言い方が、妙に嬉しい。


「だろ?」


「ええ」


 頷くあたり、冗談抜きで気に入ってくれているらしい。


 取り皿に分けながら、ふと思う。


 こうして同じものをつつく、という行為自体が、俺にとっては思っていたよりも破壊力が高いらしい。


 たかがピザを分けるだけでいちいち緊張するな、と思うのだが、仕方ないものは仕方ない。


「熱いから気をつけろよ」


「うん」


 菜那は言われた通り少しだけ慎重に一口齧って、それからごく小さく目を細めた。


「……やっぱり、コレね」


「トマトソース?」


「そう」


「そこまで言われると伯父さんが調子に乗るなぁ」


「イイじゃない」


 もちろん、悪いことではない。ただ、菜那が退店した後にドヤ顔をされるのが俺だけというところにだけ目を瞑らないといけない。


 続いてパスタとドリアも来たので、それぞれ少しずつ取り分ける。


 菜那は自分から多く取ることはしない。だから俺が気持ち多めに皿へ移すのだが、今日はとくにそれを嫌がる感じもなかった。


 拒まれないことが、こんなにも静かに嬉しいとは思っていなかった。


「……今日、そっちはどうだった?」


 料理を口に運びながら、何となく今日の一般公開での話を訊いてみる。


 すると菜那は少しだけ考えるみたいに視線を泳がせた。


「大変ではあったけれど、……想像してたよりは、嫌じゃなかった」


「へぇ」


「咲妃がほとんど空気を作ってくれてたし」


「それは何となく解る」


 あいつはそういうところがある。


 やたらとうるさいし面倒だし人を巻き込むけれど、そのくせ必要なところでは妙に場を回してくるから厄介なのだ。


「蓮は?」


「俺?」


「ええ。写真、いっぱい撮られてたし」


「……見てたのかよ」


「少しは」


 少しか。


 あれを少しで済ませるのはなかなか無理があるような気もするが、菜那がそう言うならそうなのだろう。


「正直、途中から訳わからなかった」


「そうでしょうね」


「でも、まぁ」


 一度言葉を切る。


 あまりにも疲れた一日だった。だけどそれを最悪の一言で片付けるのも違う気がする。


「終わってみると、悪くなかったよ」


「うん」


 菜那は短く頷く。


「私も、そう思う」


 それだけで、何だか今日という一日が少しだけ報われた気がした。


 皿はゆっくりと空になっていく。


 会話は続いたり途切れたりを繰り返すけれど、それが苦にならない。むしろ、このテンポが心地良い。


 学校祭の話を少し。咲妃の話を少し。浄明寺の占いの話を少し。


 そのどれもが、今となってはもう熱の残り香みたいなものだった。


 食べ終わった頃合いを見計らっていたらしい伯父さんが、最後に小さな皿をふたつ運んできた。


 ティラミスだった。


「今日はご褒美」


「え」


「サービス」


「いいの?」


「いいの」


 問答無用らしい。


「ありがとうございます」


 菜那がきちんと頭を下げる。


 伯父さんは「どういたしまして」とだけ言って、また余計なことは何も言わずに戻っていった。


 ああいう距離感は、本当にありがたい。


 ティラミスは軽いのにちゃんと甘い。


 今日みたいな疲れた日には、やけに沁みる味だった。


「……ねぇ」


「ん?」


 菜那がスプーンを置いて、少しだけ視線を伏せた。


「もう、帰る?」


 その訊き方に、俺は一瞬だけ答えを失う。


 時間だけを考えれば、たしかにそうだ。


 もう充分遅い。


 ここから彼女を家まで送るとして、それで今日は終わり。


 本来なら、そうなるはずだ。


 なのに。


「……帰るべき、なんだろうけど」


「うん」


「正直、まだ」


 言葉が喉に引っかかる。


 でも、ここで飲み込んだら、きっと後悔する気がした。


「まだ、離れたくない」


 言ってしまった。


 やけに静かだった。


 店内のBGMも、グラスの触れ合う音も、全部が一段だけ遠くなる。


 菜那は目を見開いて、俺のことを見ていた。


 驚いたような、でもどこか、それを待っていたような顔。


「……そう」


 少しだけ間を置いて、菜那はそう言った。


 それから、ほんのわずかに頬をゆるめる。


「私も」


 短い。


 だけど、それで充分すぎた。


 胸の奥のどこかが、熱くなる。


 恥ずかしさもある。気まずさもある。けれど、それ以上に安心感みたいなものがあった。


「じゃあ……」


「うん」


「もう少し、ゆっくり帰るか」


「そうね」


 会計を済ませて立ち上がる。かなりの金額をサービスしてもらっているので、これは夏休みにはきっちりとこき使ってもらう必要があるかもしれない。


 それにしても。


 さっきまでよりも、席を離れるのが少しだけ名残惜しい。


 でも、それはきっと同じだった。


「ごちそうさまでした」


「ありがと、ごちそうさま」


「ぜひまたどうぞ」


 扉を開ける前、伯父さんがちらりとこちらを見る。


 何も言わない。ただ、小さく頷いただけ。


 それが、妙に心強かった。


 カラン、とベルが鳴る。


 夜の空気が、再び俺たちを包み込んだ。



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