第4章 第96話 森の奥に残された傷跡
森へ入ってから、フィーナの耳は一度も休んでいなかった。
「……またいる」
先頭を歩いていたフィーナが足を止め、白い耳をぴくりと動かす。
ユウトたちも即座に歩みを止めた。
「どっち?」
「右の奥。3……ううん、4体。こっちにはまだ気付いてないよ」
「分かった。フィーナ、そのまま周囲もお願い」
「うん! フィーナに任せて!」
フィーナが茂みへ身体を沈める。
ユウトも【気配察知】を広げたが、彼女が指摘した方向を意識してから、ようやく微かな気配を捉えられた。
自分にも【探索上達】はある。
それでも白狼族の耳や鼻そのものを手に入れられるわけではない。
こういう場所では、やはりフィーナの方が早かった。
「拙者が前へ出よう」
「お願い、アイリス。ただし、すぐには倒さないで」
剣へ手をかけたアイリスが振り返る。
「生け捕りでござるか?」
「できれば1体だけ。無理なら討伐を優先していい。危険を冒してまで捕まえるつもりはないよ」
ユウトはそう答えながら、茂みの向こうへ【鑑定】を向けた。
視界に情報が浮かぶ。
【種族:ゴブリン】
【危険度:E】
【状態:魔力過剰蓄積・精神興奮】
【推定生存年数:約4年】
【進化条件充足率:異常上昇】
【放置時予測:上位種への不完全進化の可能性】
「……やっぱり」
通常のゴブリンではない。
筋肉が不自然に膨らみ、皮膚の下を濁った魔力が流れている。
これまで遭遇した魔物にも似た異常はあった。
だが今回は、はっきりと進化そのものへ影響が出ている。
「殺したら、進行中の変化を追えなくなる。原因を調べるためにも、1体は生かしておきたい」
「承知いたした」
アイリスが静かに剣を抜いた。
「では、参る」
次の瞬間、姿が消える。
いや、消えたように見えるほど速かっただけだ。
1体目のゴブリンが声を上げるより早く、剣の柄が顎を打ち抜く。
2体目には腹部への蹴り。
3体目が棍棒を振り上げたところへ、ユウトが横から踏み込んだ。
手首を掴み、重心を崩す。
以前見た格闘系スキルの身体操作を応用しただけで、ゴブリンの身体が地面へ転がった。
「ギィッ!」
最後の1体が逃げる。
「右!」
フィーナの声。
だが、その先にはすでにレティシアがいた。
「逃がすかよ!」
大盾が地面へ叩きつけられる。
行く手を塞がれたゴブリンが慌てて方向を変えたところへ、エリシアが指を向けた。
「動きを止めます」
細い風が足元へ絡みつき、ゴブリンが転倒する。
ほんの数十秒。
4体のうち3体は意識を失い、最も異常の強い1体だけが拘束された。
セレスが近づき、ゴブリンの身体を慎重に確認する。
「外傷は大丈夫です。ただ……かなり興奮していますね」
「魔力も普通じゃありません」
ユウトはもう1度【鑑定】を使う。
体内へ流れ込んだ魔力を追う。
ゴブリン自身が生み出したものではない。
食事でもない。
魔石から吸収したものとも違う。
外部から、長い時間をかけて少しずつ浴び続けている。
「この辺りに原因がある」
ユウトは周囲を見回した。
「ゴブリンだけじゃない。この森そのものが、何かの影響を受けてる」
エリシアも目を閉じた。
「……確かに。自然魔力の流れに、微かな偏りがあります」
「方向は分かる?」
「大まかになら」
エリシアが指差す。
奇しくも、フィーナが顔を向けていた方向と同じだった。
「そっち、変な匂いがするよ」
「どんな?」
「鉄みたいな……でも血じゃない。あと、ちょっと嫌な感じ」
それだけで十分だった。
拘束したゴブリンを頑丈な網へ入れ、残る3体は安全のため討伐する。
それから6人は、森のさらに奥へ進んだ。
歩くほど木々が密集していく。
鳥の声が減り、虫の音まで遠ざかっていった。
「静かすぎるな」
レティシアが眉を寄せる。
「魔物がいる静けさじゃないですね」
セレスも小さく答えた。
やがてフィーナが拳を上げる。
停止の合図だった。
「前に何かある」
枝をかき分けると、土と蔦に埋もれた石造りの構造物が現れた。
建物というより、巨大な石箱の一部だけが地上へ露出しているように見える。
表面には細かな刻印。
しかし、その多くは風化して読めない。
「遺跡……でしょうか」
エリシアが近づく。
「見たことのない形式ですね」
ユウトも石壁へ触れずに【鑑定】を使用した。
【名称:不明】
【製作年代:解析不能】
【用途:閲覧不可】
【状態:著しく劣化】
【内部魔力反応:継続中】
【一部情報への干渉を検出】
【干渉原因:神格由来の可能性あり】
そこで表示が途切れた。
「……まただ」
最近、黒い瘴気に関係するものを調べた時にも似た感覚があった。
情報が存在しないのではない。
見えないようにされている。
「分からない?」
アイリスが尋ねる。
「一部だけ。でも、何に使われていた施設なのかは見えない」
「ユウトの【鑑定】でも?」
「うん」
その言葉に全員の表情が引き締まった。
エリシアが石壁を調べる。
「魔法陣の1種が刻まれています。ただし欠損が多すぎますね。これだけでは目的までは判断できません」
「直せそうか?」
レティシアがしゃがみ込む。
ユウトは損傷箇所へ【鑑定】を重ねた。
【損傷部位:外周魔力回路】
【応急補修:可能】
【完全修復:不可】
【不足:原型術式・内部構造情報】
「全部は無理。でも、壊れている外側の魔力回路なら繋げられる」
「なら十分だ。やれるところからやろうぜ」
「私も手伝います」
レティシアとエリシアが同時に動いた。
レティシアが崩れた石材を削って接合面を整え、エリシアが残存術式を確認する。
ユウトは【鑑定】で亀裂の位置と魔力の流れを伝えた。
「ここ、あと指1本分だけ浅く」
「こんくらいか?」
「うん。エリシア、次の線は?」
「そちらではありません。右側です。残っている術式と繋げるなら、そちらの方が自然です」
「分かった」
ユウト1人なら、見えている破損箇所だけは直せたかもしれない。
だが古い文字も、石材を扱う職人の感覚も、自分以上の知識を持つ仲間がいる。
情報を持っていることと、正しく直せることは同じではなかった。
しばらくして、途切れていた刻印が淡く光った。
低い振動音。
地面の奥へ魔力が流れ込んでいく。
同時に、森へ漂っていた嫌な圧迫感がわずかに薄れた。
「止まった……?」
「いいえ」
エリシアが首を振る。
「流れが弱くなっただけです」
「完全には直せてないからね」
原因を消したわけではない。
ただ、悪化を遅らせることはできた。
「ユウトお兄ちゃん!」
少し離れて周囲を調べていたフィーナが呼んだ。
「ここ見て!」
6人が集まる。
石壁の裏側。
そこには古い亀裂とは明らかに違う傷があった。
鋭い道具で何度も削られた跡。
さらに根元の土から、細かな鉄粉が見つかる。
「自然に崩れた跡じゃねえな」
レティシアが指でなぞった。
「道具を使って壊してる」
その横には、小さな黒い布切れが枝へ引っ掛かっていた。
ただの布だ。
印もない。
所属を示す刺繍もない。
だがフィーナは鼻を近づけ、すぐに顔をしかめた。
「この匂い……鉄粉と同じところから来てる」
ユウトは布へ【鑑定】を使う。
【名称:黒染め布片】
【素材:麻】
【品質:低】
【付着物:土・鉄粉・微量魔力残滓】
【所有者:特定不能】
犯人は分からない。
目的も分からない。
この施設が何をしていたのかさえ、まだ断定できない。
それでも、1つだけはっきりした。
「誰かが、ここを壊した」
森が勝手に変わったのではない。
古い施設が年月で偶然壊れただけでもない。
何者かが、自分の意思で傷をつけた。
アイリスが剣の柄へ手を置く。
「まだ近くにいる可能性は?」
「今のところ、人の匂いはしないよ」
フィーナが答える。
「でも……そんなに昔じゃないと思う」
「なら、これ以上追うのは危険ですね」
セレスが拘束されたゴブリンへ視線を向けた。
「この子も好きでこうなったわけではありません。原因を調べなければ、同じような魔物がまた増えます」
「うん」
ユウトは頷いた。
今分かることだけを記録する。
布片、鉄粉、傷跡。
施設の位置。
ゴブリンの異常。
見えなかった情報も含めて、全部持ち帰る。
「町へ戻ろう。ギルドにも報告する。それから、こういう古い施設に詳しい人を探したい」
「賛成です」
エリシアが石壁を振り返る。
「これは私たちだけで結論を出すべきものではありません」
その言葉に、ユウトも同意した。
知らないなら、調べればいい。
分からないなら、知っている人の知識を借りればいい。
それが今まで何度も自分たちを助けてきたやり方だった。
6人は森を後にする。
背後では、応急補修された刻印が弱い光を放ち続けていた。
森を狂わせる流れは、確かに弱めた。
けれど――。
それを意図的に壊した何者かは、まだどこかにいる。
ユウトは黒い布片を握りしめ、振り返ることなく歩き続けた。
お読みいただきありがとうございます。
ブックマークや評価をいただけると励みになります。
よろしくお願いいたします。




