第4章 第95話 森を侵す黒い気配
王都を離れてから数日。《アカシックレコード》は、地方都市へ向かう途中で冒険者ギルドから受けた調査依頼のため、街道を外れて森の中へ入っていた。
依頼内容は単純だった。森に隣接する村から、「最近、動物や魔物が森の外へ逃げ出してくる」という報告が相次いでいる。その原因を調べてほしいというものだ。
だが、森へ入って間もなく、ユウトは依頼書に書かれていた以上の異常を感じ始めていた。
「……静かすぎる」
足を止める。
風が葉を揺らす音はある。けれど鳥の鳴き声がない。小動物が枝を走る音も、虫の羽音さえほとんど聞こえなかった。
フィーナも白い狼耳を何度か動かし、鼻をひくつかせる。
「ユウトお兄ちゃん。やっぱり変だよ」
「何か分かる?」
「いろんな匂いがするんだけど……全部、森の外へ向かってる感じ」
フィーナはしゃがみ込み、湿った土を指でなぞった。
「鹿みたいなのと、小さい獣と……魔物もいる。みんな同じ方向へ逃げてるよ」
以前なら、フィーナは「どうする?」とユウトの判断を待っていたかもしれない。
だが今は違った。
少し考えたあと、自分から顔を上げる。
「だったら、逃げてきた方を調べればいいんだよね? フィーナ、跡を追ってみる!」
「ああ。頼む」
「任せて!」
尻尾を大きく振り、フィーナが先頭へ出た。
ユウトたちは彼女の後を追う。
森の奥へ進むほど、生き物が残した痕跡は増えていった。折れた枝。乱れた下草。柔らかい地面に重なった無数の足跡。
問題は、そのほとんどが一方向へ向かっていることだった。
「獲物を追った跡ではないな」
アイリスが地面を見ながら呟いた。
「ええ。捕食者も被捕食者も、同じ方向へ逃げています」
エリシアの表情から、いつもの眠たげな雰囲気が消えている。
「森全体から避難している、と考える方が自然でしょうね」
「森火事なら煙が見えるし、山崩れなら地響きがある」
レティシアが周囲を警戒しながら盾へ手を掛けた。
「それ以外の何かってことか」
やがて、小さな沢へ出た。
フィーナが突然足を止める。
「待って」
水辺へ駆け寄った彼女が、眉を寄せた。
「魚が……」
浅瀬に小魚が何匹も浮いていた。
ユウトは一匹へ【鑑定】を使う。
【小川魚】
【状態:死亡】
【死因:魔力循環障害】
【毒性物質:検出されず】
ユウトは沢の水にも【鑑定】を向けた。
【清流水】
【飲用適性:低下】
【異常:微量の外来魔力混入】
【人体への即時的な毒性:なし】
「毒じゃない」
「では、魔力そのものに問題があるのですか?」
セレスが水へ触れないよう注意しながら覗き込む。
「たぶん。この水に、本来ここにはない魔力が混じってる」
エリシアが杖の先を沢へ近づけ、目を閉じた。
「……確かに。極めて薄いですが、不自然ですね。水属性でも土属性でもありません。複数の属性へ溶け込むように混ざっています」
ユウトは周囲の木々へ視線を向けた。
一本だけを【鑑定】する。
【森樹】
【状態:軽度衰弱】
【原因:周辺魔力循環の乱れ】
それで十分だった。
草も苔も土も、詳細を見る必要はない。
異常は一つの生物に起きているのではない。
この場所そのものが変質し始めている。
「かなり広い範囲に影響が出てるみたいだ」
「発生源は分かりますか?」
セレスに問われ、ユウトは沢を流れる魔力の流れそのものへ意識を集中させた。
【解析上達】の補助を受けながら、混入した異質な魔力を逆方向へ辿る。
だが――。
【外来魔力】
【性質:解析中】
【発生源情報:閲覧不可】
「……まただ」
「見えないんですか?」
エリシアがユウトの横へ立つ。
「発生源だけ見えない」
さらに解析を深める。
すると表示が一度揺らぎ、別の情報が現れた。
【情報閲覧を妨害されています】
【干渉種別:神格由来の可能性】
ユウトは息を呑んだ。
以前にも、【鑑定】で完全には読み取れないものはあった。
けれど今回は違う。
分からないのではない。
見えないようにされている。
「神格由来……」
思わず漏れた声に、仲間たちの表情が変わった。
「神の力が関係しているということでござるか?」
「可能性って表示だから断定はできない。でも普通の魔物や魔法とは違う」
レティシアが舌打ちする。
「森ひとつがおかしくなるだけでも十分厄介だってのに、神まで出てくるのかよ」
その時だった。
フィーナの耳が鋭く立った。
「……何かいる」
全員が即座に武器へ手を伸ばした。
「どこ?」
「右の奥。でも……動いてない。匂いも弱い」
フィーナが先行する。
しばらく進んだ先、木の根元に一頭のフォレストウルフが倒れていた。
襲い掛かってくる様子はない。
荒い呼吸を繰り返し、四肢を震わせている。
ユウトはすぐに【鑑定】した。
【フォレストウルフ】
【危険度:D】
【状態:重度衰弱・魔力循環障害】
【原因:異質魔力の長時間曝露】
【生命危険度:高】
「敵じゃない。かなり弱ってる」
セレスがすぐ傍へしゃがんだ。
「治療できますか?」
「普通の回復魔法だけじゃ無理そう。身体の傷じゃなくて、体内の魔力が乱れてる」
「なら、まず乱れを止めましょう」
セレスは迷わなかった。
「ユウトさん。異質な魔力の流れだけを教えてください。直接消そうとせず、正常な循環へ戻すことを優先します」
「分かった」
ユウトはフォレストウルフの体内を解析する。
異質な魔力が血流に沿うように全身へ絡みついていた。
「腹部から胸へ流れ込んでる。心臓近くで正常な魔力とぶつかってる」
「では、そこからです」
セレスが回復魔法を発動した。
淡い光がフォレストウルフを包む。
ユウトも無属性の魔力を細く送り込み、乱れた流れを押さえようとする。
瞬間。
フォレストウルフの身体が大きく跳ねた。
「っ!」
「止めてください!」
セレスの声に、ユウトは即座に魔力を切る。
狼の呼吸がさらに乱れた。
「押さえつけると反発します」
セレスは狼の胸へ手を添えたまま目を閉じた。
「追い出すのではなく、流れる方向を作りましょう。ユウトさん、ほんの少しだけ。今度は私の魔力に沿わせてください」
「了解」
再び魔力を送る。
今度は自分で制御しすぎない。
セレスの回復魔法が作る流れを【鑑定】で読み取り、それに合わせる。
絡みついていた異質な魔力が、少しずつ末端へ移動していく。
「今です」
セレスが薬液を口元へ流し込んだ。
数分後。
荒かった呼吸が落ち着き、フォレストウルフがゆっくり目を開いた。
「よかった……」
セレスが小さく息を吐く。
ユウトは素直に頭を下げた。
「助かった。俺だけだったら、最初のやり方を続けてたかもしれない」
「情報が分かっても、身体がどう反応するかまでは別ですから」
セレスは微笑んだ。
「だから一緒に治療するんです」
その言葉に、ユウトも笑った。
知るだけでは足りない。
知識をどう使うのか。
その判断には、経験を持つ仲間の力が必要だった。
やがてフォレストウルフは、ふらつきながらも立ち上がった。
そして一度だけ六人を振り返ると、森の外側へ向かって歩き始める。
フィーナがその姿を見送りながら、鼻を動かした。
「……やっぱり」
「どうした?」
「この子からついてる変な匂い、もっと奥から来てる」
ユウトは沢から続く魔力の流れへ再び意識を向けた。
今度は発生源そのものではなく、濃度だけを調べる。
【外来魔力濃度:上流方向へ増加】
【危険度判定:不能】
【既知の魔力分類との一致:なし】
表示は、そこで途切れた。
森の奥では、風もないのに木々がざわめいた。
フィーナの尻尾が下がる。
アイリスが静かに剣を抜き、レティシアが盾を構える。エリシアは杖を握り、セレスもすぐに動ける位置へ下がった。
ユウトは暗い森の奥を見据える。
何があるのかは分からない。
【鑑定】ですら、その答えを隠されている。
だからこそ――自分たちの目で確かめるしかない。
「行こう。原因は、この先だ」
六人は互いの位置を確かめ、一歩ずつ森の深部へ進み始めた。
その先で待つものが、王国内に広がり始めた異変の最初の痕跡だとは、この時のユウトたちはまだ知らなかった。
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