第4章 第94話 見えないものを追う
――コツン。
耐魔力保存容器の内側から響いた小さな音に、冒険者ギルドの空気が凍りついた。
「全員、離れて!」
ユウトが叫ぶより早く、アイリスが受付職員の前へ滑り込む。
「拙者の後ろへ!」
同時にレティシアが保存容器を置いた机を蹴り、周囲から人を遠ざけた。
「エリシア!」
「展開します」
淡い光が床を走る。
エリシアが瞬時に結界を構築し、保存容器ごと机を半透明の膜で覆った。
その直後。
――コツン。
もう一度。
今度は、さっきより大きい。
「魔石が動いてるの?」
フィーナの白い耳がぴたりと伏せられる。
「普通、魔石は動きませんよね……?」
「当たり前だ」
レティシアが厳しい表情で答える。
「あれは魔物の体内で形成された魔力の結晶だ。心臓じゃねえんだから、自分で跳ねるなんて聞いたこともねえ」
ユウトは容器を見据えた。
「【鑑定】」
【耐魔力保存容器】
【状態:外部から異常なし】
【内部圧力:上昇】
【内部魔力濃度:上昇】
【警告:未知の魔力反応を検出】
「中の魔力が増えてる」
「増える?」
エリシアが眉を寄せる。
「密閉した魔石からですか?」
「うん。しかも、さっきより速い」
あり得ない。
魔石は魔力を生み出す器官ではない。
蓄えられた魔力を放出することはあっても、外部から何も供給されていない状況で魔力量そのものが増加する理由がない。
ユウトは魔石そのものへ対象を切り替えた。
【灰牙狼の魔石】
【状態:異常】
【内部魔力:増大中】
【異常成分:――――】
【発生源:――――】
【詳細情報:取得不能】
そこまでは先ほどと同じ。
だが、新しい表示が加わっていた。
【推奨処置:隔離】
「壊した方がいい?」
フィーナが尋ねる。
「待って」
ユウトは即答した。
破壊すれば終わるとは限らない。
むしろ、中に閉じ込められている何かを外へ出してしまう可能性もある。
「セレス、この異常な魔力って、さっきの木こりの人から除去したものと似てる?」
「少し待ってください」
セレスは目を閉じ、結界越しに魔力の気配を探った。
治療した患者の魔力循環。
体内に混ざっていた異物。
実際に自分の魔法で取り除いたからこそ、セレスはその感覚を覚えている。
「……似ています」
やがて答えが返ってきた。
「でも、こちらの方がずっと濃いです。患者さんに入っていたものは、水で薄められたような状態だったのかもしれません」
「なら、これが水に混ざった可能性もあるってことか」
「はい。ただ……」
セレスの表情が曇る。
「これが本当に同じものなら、壊すのは怖いです」
「俺もそう思う」
情報が足りない。
ならば、今できることは何か。
ユウトは結界を【鑑定】した。
【魔力遮断結界】
【術者:エリシア】
【状態:安定】
【外部遮断性能:高】
【改善可能箇所:三】
術式が視界に展開される。
一つは結界の内外を流れる魔力の逆流防止。
一つは内部魔力の拡散抑制。
もう一つは、属性を持たない異常魔力への対応不足。
「エリシア。結界、少し触っていい?」
「もちろんです」
ユウトはすでに知っている結界術式と、魔力遮断に使われる複数の術式を頭の中で組み直した。
これはスキルではない。
解析済みの魔法理論を再構成する。
「外へ漏らさないことだけに特化させる」
「なるほど。維持効率は落ちますが、今はそちらを優先すべきですね」
「うん」
二人が同時に魔力を流す。
既存の結界術式へ、ユウトが新しい構造を組み込んでいく。
光の膜が一度縮み、次の瞬間には二重構造へ変わった。
【隔離結界】
【分類:構築魔法】
【効果:内部魔力の外部流出抑制】
【状態:安定】
「よし」
その直後。
――ガンッ!
保存容器が大きく跳ねた。
「きゃっ!」
受付職員が息を呑む。
結界の内側で、金属容器が横倒しになった。
蓋の隙間から、黒い煙のようなものが一瞬だけ漏れる。
だが、黒い何かは結界へ触れた途端に行き場を失い、内側へ押し戻された。
「今の……」
アイリスが刀を抜いたまま呟く。
「瘴気、でしょうか」
「分からない」
ユウトは即座に【鑑定】する。
【未知の魔力現象】
【性質:情報取得不能】
【危険性:不明】
【神格干渉:検出】
【発生源情報:閲覧不可】
まただ。
見えない。
いや。
正確には――隠されている。
「ユウト?」
フィーナが心配そうに顔を覗き込む。
「大丈夫。何もされてないよ」
ユウトは一度目を閉じた。
分からないことがあると、知りたくなる。
全部見たい。
全部理解したい。
けれど、分からないからと無理に触れるのは違う。
知識を得ることと、無謀になることは同じではない。
「このまま封鎖しよう」
ユウトは顔を上げた。
「ギルドに、誰も近づけない地下保管庫みたいな場所はありますか?」
「あります」
受付職員がすぐに答える。
「呪物や危険な魔道具を一時保管する隔離倉庫が地下にあります」
「そこまで、この結界ごと運びたいです」
「分かりました。責任者を呼びます」
受付職員が走り去る。
「ユウトお兄ちゃん」
「うん?」
「フィーナ、思ったんだけど」
フィーナは結界の中を睨んだまま言った。
「この黒いの、さっき森で見つけた時より嫌な匂いが強くなってる」
「増えてるってこと?」
「うん。でも……それだけじゃないかも」
フィーナは鼻をひくつかせた。
「どこかから来てる匂いと、ちょっと違う気がする」
ユウトは目を細めた。
「どう違う?」
「うーん……」
フィーナが言葉を探す。
「最初のは、泥がついてる感じ。でも今のは、泥そのものって感じ」
独特な表現だった。
だが、意味は伝わる。
森で見つけた時点では、灰牙狼の魔石へ異常な何かが付着していた。
今は、その異常そのものが表へ出ようとしている。
「つまり、この魔石が原因そのものじゃない」
エリシアが静かに言った。
「どこか別の場所で異常の影響を受けた結果、変質した可能性が高いということですね」
「俺もそう思う」
レティシアが顎を撫でる。
「なら魔石をいくら調べても、元を見つけなきゃ終わらねえな」
「そうだね」
ユウトは受付に置かれた二枚の報告書を見る。
王国南西部。
王都北東部。
そして、自分たちが訪れた森。
三か所とも離れている。
共通しているのは、魔物の魔石に黒い異常が現れたこと。
けれど、それだけではないかもしれない。
「フィーナ」
「なに?」
「森で灰牙狼を追った時、群れの足跡って覚えてる?」
「もちろん!」
「普通に餌を探して移動してる感じだった?」
フィーナは少し考える。
そして、表情を変えた。
「違う」
「やっぱり?」
「うん。あの子たち、狩りをしながら歩いてなかった。途中で何度も進む向きを変えてたし……何かから離れようとしてた」
以前から見えていた異常な魔物の移動。
黒い魔石。
汚染された水。
別地域から届いた同様の報告。
点だったものが、まだ細いながらも線になり始めている。
「原因は、魔物じゃない」
ユウトは呟いた。
「魔物たちも、何かの影響を受けてる側なんだ」
「では、次に調べるべきものは明確ですね」
エリシアが言う。
「黒くなった魔石そのものではなく、その魔物がどこから来たのか」
「うん」
「追跡なら!」
フィーナの耳がぴんと立つ。
「フィーナに任せて!」
さっきまで不安そうだった尻尾まで勢いよく上がった。
「臭いも足跡も覚えてるよ。森に戻れば、灰牙狼が来た方向をもっと詳しく探せる!」
「頼りにしてる」
「えへへ!」
嬉しそうに胸を張るフィーナを見て、ユウトは小さく笑った。
自分の【鑑定】でも見えないものがある。
けれど、だから進めなくなるわけではない。
見えないなら、別の方法で探せばいい。
フィーナの鼻。
アイリスの戦闘感覚。
エリシアの魔法知識。
セレスの医療経験。
レティシアの素材を見る目。
そして、自分がこれまで得てきた知識。
一人の目で見えないものでも。
六人なら、追える。
やがてギルドの責任者が到着し、黒い魔石は結界ごと地下の隔離倉庫へ運ばれることになった。
「明日、森へ戻ろう」
ユウトの言葉に、五人が頷く。
その夜。
王国南西部の冒険者ギルドから、追加の緊急報告が届いた。
黒く変色した魔石を持っていた魔物について、足取りを逆に辿った結果――。
群れが、本来の生息域を捨てて逃げていたことが確認されたという。
そして報告書の最後には、たった一行。
新たな情報が加えられていた。
――魔物が逃げてきた森では、現在、鳥の声が一切確認されていない。
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