第4章 第93話 黒い魔石
灰牙狼の群れを討伐したあと、ユウトたちは森の中で解体作業を進めていた。
その途中で見つかった一つの魔石を前に、六人の手が止まっている。
倒した灰牙狼から取り出した魔石。その表面には、本来なら存在しないはずの黒い筋が、細い血管のように何本も走っていた。
「やっぱり変だよね、これ」
ユウトは布の上へ置いた魔石を見下ろし、【鑑定】を発動する。
【灰牙狼の魔石】
【品質:中】
【魔力残量:六十二パーセント】
【状態:異常】
【異常成分:不明】
【詳細情報:取得不能】
【警告:未知の神格干渉を検知】
【これ以上の解析は推奨されません】
「……神格?」
思わず、その言葉が口から漏れた。
「どうしたのでござる?」
周囲を警戒していたアイリスが振り返る。
「この黒い部分だけ、詳しい情報が見えない。それに……神格干渉って表示されてる」
「神格干渉……ですか」
エリシアの眠たげな目が、わずかに鋭くなる。
「それは少々、穏やかではありませんね」
「うん」
ユウトはもう一度表示を確認した。
灰牙狼そのものの情報は読める。
魔石の品質も、残存魔力量も分かる。
なのに、黒い筋について調べようとした途端、情報が途切れてしまう。
これまで【鑑定】を使ってきて、分からないものがなかったわけではない。
人間の肉体では再現できない能力もあったし、対象自身が決めていない未来や、人の本心を見ることもできない。
けれど、それらには理由が表示された。
今回のように、何かによって意図的に情報を隠されているような感覚は珍しい。
「もう一度調べてみる?」
フィーナが心配そうにユウトを見る。
白い耳が少し伏せられていた。
「いや、やめておく」
「珍しいですね」
セレスが少し驚いた顔をする。
「ユウトさんなら、分からないと余計に調べたくなると思いました」
「ものすごく調べたいよ」
「やっぱり」
セレスが苦笑する。
「でも、【鑑定】自身がやめた方がいいって教えてくれてるからね。警告を無視してまで調べるのは、知識の正しい使い方じゃないと思う」
知りたい。
その気持ちは強かった。
だが、知識神ソフィエルから授かった力だからこそ、表示された警告を軽視するべきではない。
それに今は一人ではない。
自分の好奇心のために仲間まで危険へ巻き込むつもりはなかった。
「賢明な判断かと」
エリシアはそう言うと、魔石へ直接触れない距離から魔力を探る。
「私にも黒い部分の正体までは分かりません。ただ、灰牙狼自身の魔力とは明らかに性質が違います」
「外から入ったってこと?」
「可能性は高いですね」
エリシアが細い指を魔石へ向ける。
「通常、異なる魔力が長期間同じ場所へ存在すれば、多少は混ざり合います。ですが、この黒いものは灰牙狼の魔力へ溶け込まず、内部へ食い込んでいるように感じます」
「寄生してるみたいだな」
レティシアが腕を組んだ。
「近い表現かもしれません」
「なら、素手で触らない方がいいですね」
セレスが即座に告げる。
「生き物へどんな影響を与えるか分かりません」
「それなら任せな」
レティシアが荷物の中から、小型の金属容器を取り出した。
「魔力を帯びた鉱石や素材を一時的に保管するための容器だ。完全に遮断できるような代物じゃないが、むき出しで持ち歩くよりはマシだろ」
ユウトが容器へ【鑑定】を使う。
【耐魔力保存容器】
【品質:良】
【状態:良好】
【外部魔力遮断率:八十七パーセント】
【用途:魔力を帯びた素材の一時保管】
「うん。今ある物なら、これが一番安全だと思う」
「決まりだな」
レティシアは厚手の革手袋を着け、さらに金属製の火挟みに似た道具で魔石をつまむ。
黒い筋の入った魔石が容器へ落ちた。
蓋を閉じた、その直後だった。
「……待って」
フィーナの耳がぴくりと動いた。
「どうした?」
「変な匂いがする」
フィーナは鼻を動かし、ゆっくりと森の奥へ顔を向ける。
「魔石から?」
「違うよ。魔石の匂いは今のでかなり薄くなった。でも……あっちからも似たような匂いがする」
フィーナが指差した先には、木々が密集している。
「どのくらい遠い?」
「そんなに遠くないと思う。でも、すごく薄い」
ユウトは立ち上がった。
「確認だけしよう。危険そうなら、すぐに戻る」
「承知いたした」
アイリスが刀へ手を添える。
「フィーナ殿、拙者が後ろにつく。先導を頼めるか?」
「うん! フィーナに任せて!」
伏せられていた耳が勢いよく立つ。
六人はフィーナを先頭に森を進んだ。
ユウトにも【探索上達】がある。
索敵や追跡の技術も以前より遥かに高くなっていた。
それでも、白狼族であるフィーナの嗅覚や聴覚そのものを再現できるわけではない。
「こっち」
フィーナは迷わず進んでいく。
やがて地面が緩やかに下り始め、水の流れる音が聞こえてきた。
木々の間に細い沢が現れる。
「ここ」
フィーナが水辺の手前で立ち止まった。
「この水からするよ」
「水?」
ユウトは沢へ近づき、流れる水へ【鑑定】を発動する。
【森林湧水】
【水質:飲用注意】
【混入物:微量魔力成分】
【状態:異常】
【異常成分:検出】
【詳細情報:取得不能】
「こっちもだ」
「先ほどの魔石と同じですか?」
「完全に同じかどうかまでは分からない。でも、異常成分だけ情報が取れない」
エリシアが沢のそばへしゃがみ、直接触れないよう手をかざす。
「確かに、自然の水としては不自然な魔力を感じますね」
「飲まない方がよさそうだな」
レティシアが顔をしかめる。
「念のため、下流にも知らせた方がいいですね」
セレスが沢の流れる方向を見る。
「この水を生活用水として使っている人がいるかもしれません」
「そうだね。少しだけ上流を――」
確認しよう。
そう言おうとした瞬間だった。
フィーナの耳が大きく動く。
「待って!」
全員が止まる。
フィーナは上流へ顔を向けた。
「人の声がする!」
「何人?」
「一人だと思う。すごく弱い声」
「行こう!」
六人は沢沿いを走り出した。
枝を避け、岩場を越え、上流へ向かう。
フィーナが先行し、アイリスがその直後につく。
「いた!」
大木の根元に、一人の男が座り込んでいた。
服装からして木こりらしい。
斧が近くへ落ちている。
「大丈夫ですか!」
セレスが駆け寄った。
「み、水を……」
男は苦しそうに腹を押さえていた。
「水を飲んだら……急に、身体が……」
ユウトはすぐに【鑑定】を使う。
【種族:人族】
【状態:軽度魔力汚染】
【症状:倦怠感・吐き気・魔力循環低下】
【生命危険度:低】
【推奨処置:魔力浄化・安静・適切な水分補給】
【原因:異常魔力成分の体内侵入】
【異常魔力成分:詳細情報取得不能】
「セレス。命に別状はない。でも、体内に異常な魔力が入ってる」
「分かりました。治療します」
セレスは男の手首を取り、脈を確かめる。
呼吸、顔色、瞳孔、発汗。
一つずつ状態を確認してから、掌へ淡い光を集めた。
「少し身体が温かく感じるかもしれません。苦しくなったら、すぐに教えてくださいね」
「わ、分かった……」
淡い光が男の身体へ流れ込んでいく。
ユウトはセレスの使う魔法へ【鑑定】を発動した。
【浄化】
【属性:光】
【階級:中級】
【効果:体内へ侵入した異常魔力・軽度呪毒・魔力汚染の除去】
【現在出力:三十一パーセント】
【調整目的:患者の魔力循環への負担軽減】
ユウトも同じ魔法を習得している。
構造も分かる。
もっと高い出力で使うことだってできる。
けれど、今の患者へどれほどの出力で、どのくらいの時間使うべきなのか。
そこには【鑑定】で得た情報だけでは足りない部分がある。
セレスがこれまで学び、経験し、実際に患者と向き合って身につけた判断が必要だった。
知識があれば何でもできるわけではない。
知識をどう使うか。
そこまで含めて初めて、人の役に立つ。
「……よし」
しばらくして、セレスが魔法を止めた。
男の顔色は先ほどより明らかに良くなっている。
「気分はどうですか?」
「だいぶ……楽になった」
「まだ立たないでください。少し休みましょう」
「助かった……ありがとう」
男の話では、昼前に仕事へ入り、いつものように沢の水を飲んだ直後から気分が悪くなったらしい。
「昨日までは?」
「平気だった。この辺じゃ、昔からこの水を飲んでる」
「最近、森で何か変わったことはありませんでしたか?」
ユウトが尋ねる。
男はしばらく考え、首を振りかけた。
だが、途中で動きを止める。
「そういや……」
「何か?」
「獣が減った」
「獣?」
「ああ。鹿も野兎も、最近は妙に少ない。魔物もそうだ。仕事仲間とは、どっかにでかい魔物でも出たんじゃねえかって話してた」
ユウトたちは顔を見合わせる。
村の周辺でも、魔物の動きに異常があった。
そして今度は、黒い筋の入った魔石。
異常な成分を含んだ沢。
「上流を調べれば、何か分かるかもしれませんね」
エリシアが呟く。
「うん。でも今日は戻ろう」
ユウトは迷わず答えた。
「この人を町まで連れていく。それに、この水が危険なら下流にも知らせないと」
「賛成です」
セレスが頷く。
「原因調査は準備を整えてからでもできます」
「拙者も異論はない」
アイリスが周囲を見回す。
「未知の異常を追うのであれば、なおさら万全を期すべきでござろう」
「じゃあ帰ろ!」
フィーナが木こりの荷物を持ち上げる。
「おじさんはフィーナたちがちゃんと町まで連れていくからね!」
「お、おう……悪いな」
木こりを交代で支えながら、六人は森を離れた。
城壁都市へ戻る頃には、空が夕焼けに染まり始めていた。
そのまま冒険者ギルドへ向かい、沢の水を飲まないよう周辺へ注意を出してもらう。
続いて、耐魔力保存容器に入れた魔石について報告した。
「黒い筋、ですか?」
受付職員が聞き返す。
「はい。普通の灰牙狼の魔石なんですけど、黒い部分だけ【鑑定】でも詳しい情報が取れませんでした」
「沢の水にも似た異常が?」
「ありました。水を飲んだ木こりの人には、軽い魔力汚染が出ています」
受付職員の表情が変わる。
「少々お待ちください」
そう言い残し、奥へ駆けていった。
「何か知ってるのかな?」
フィーナが首を傾げる。
「分からない。でも、あの反応は気になるね」
しばらくして受付職員が戻ってきた。
その手には、数枚の報告書が握られている。
「確認させてください」
「はい」
「魔石に確認された異常は、完全な黒色でしたか?」
「黒でした。細い筋みたいに、魔石の中へ入り込んでいます」
「紫や赤ではなく?」
「はい」
受付職員は報告書へ視線を落とした。
「……一致しています」
「一致?」
「三日前、王国南西部にある村から、こちらとよく似た報告が届いています」
六人の間に緊張が走った。
「ここ以外でも見つかってるんですか?」
「はい。ただし、現時点では同じ現象だと断定されていません」
受付職員が一枚の報告書を机へ置く。
「森で討伐された魔物から、通常とは異なる魔石が発見されたそうです」
ユウトは報告書へ目を落とす。
そこには簡潔な文章が記されていた。
討伐対象となった魔物の魔石内部に、原因不明の黒色変質を確認。
魔石そのものの魔力性質とは一致せず。
現在、原因調査中。
「南西部……」
ここからかなり離れている。
同じ森でもなければ、同じ水源でもない。
偶然だろうか。
そう考えた直後、受付職員が次の紙を取り出した。
「そして、もう一件あります」
「え?」
「今朝届いたばかりの報告です。王都より北東にある地方都市の冒険者ギルドから」
机の上へ二枚目の報告書が置かれる。
そこにも、同じ言葉があった。
黒い変色。
魔物の魔石。
原因不明。
ユウトは無意識に、レティシアが持つ保存容器へ視線を向けた。
一つなら偶然かもしれない。
二つなら、まだ判断できない。
けれど三か所。
互いに遠く離れた場所で、同じような異常が起きている。
「ユウトお兄ちゃん……」
フィーナの声が小さくなる。
「これって……この森だけの問題じゃないの?」
ユウトはすぐには答えられなかった。
答えるための知識が、まだ足りない。
だからこそ、調べなければならない。
「分からない」
ユウトは正直に答えた。
「でも、分からないままにはしないよ」
その言葉と同時に、ユウトの視界の端で【鑑定】の表示が一瞬だけ揺れた。
対象は、保存容器の中にある黒い魔石。
ユウトは【鑑定】を発動していない。
それなのに――。
【警告】
たった二文字が浮かび、すぐに消えた。
「……え?」
ユウトが目を見開く。
次の瞬間。
保存容器の中から。
――コツン。
何かが、内側から蓋を叩いた。
お読みいただきありがとうございます。
ブックマークや評価をいただけると励みになります。
よろしくお願いいたします。




