第4章 第91話 見えない異変
《アカシックレコード》が次に訪れたのは、山間部にある小さな鉱山村だった。
かつては鉄鉱石の採掘で栄えていたものの、質の良い鉱脈を掘り尽くした現在は、山羊の放牧と細々とした採掘で生計を立てているらしい。
「依頼内容は、村の周辺に出る魔物の調査と討伐だったよね?」
村へ続く坂道を歩きながらユウトが確認すると、フィーナが冒険者カードに記録された依頼内容を見返した。
「うん! 灰牙狼が増えてるみたい。あと、山羊も何匹か襲われてるって!」
「灰牙狼ですか。この辺りなら珍しい魔物ではありませんね」
エリシアが眠そうな目を山へ向ける。
灰牙狼は群れで行動する狼型の魔物で、危険度は通常E。
Dランクとなった《アカシックレコード》にとって、それだけなら難しい依頼ではない。
だが、村へ到着すると、事情は少し違っていた。
「昨日も山羊が一頭やられましてな」
村長は六人を村外れの柵へ案内した。
柵の一部が外側からへし折られ、地面には乾いた血が残っている。
「以前は森から出てくることなど、ほとんどなかったんです。ところが二か月ほど前から、夜になると村のすぐ近くまで来るようになりまして……」
ユウトは折れた柵へ触れた。
【鑑定】
【木製柵】
【状態:破損】
【破損原因:外部からの強い衝撃】
【推定衝撃力:通常の灰牙狼を大幅に上回る】
「……灰牙狼に壊されたとしたら、かなり力が強い」
「そいつだけなら変異個体って可能性もあるけどな」
レティシアが折れた木材を拾い、断面を眺める。
「けど、この折れ方は一発だ。相当でかいぞ」
「匂い、残ってるよ」
フィーナがしゃがみ込み、鼻をひくつかせた。
やがて耳がぴくりと動く。
「灰牙狼の匂い。でも……なんか変。森の匂いに混じって、石みたいな、焦げたみたいな匂いがする」
「石?」
ユウトが尋ねると、フィーナは少し考えてから首を傾げた。
「うまく言えない。でも、普通の魔物の匂いじゃないよ」
ユウトはすぐに答えを出さず、周囲を見渡した。
「どっちから来たか分かる?」
「うん。山の方」
フィーナが指した先を見て、村長の表情が曇った。
「そちらには昔の採掘跡があります。ただ、もう長く使っておりません」
その言葉にレティシアが反応した。
「坑道はまだ残ってるのか?」
「入口は残っています。ただ、奥は危険なので誰も近づきません」
六人はまず、襲撃跡を調べてから採掘跡へ向かうことにした。
山へ入ってしばらくすると、フィーナが突然立ち止まった。
「待って」
耳が真っ直ぐ前を向く。
「右前。三……違う、四匹いる。こっちに来る!」
「全員、戦闘準備」
ユウトの声と同時にアイリスが剣を抜き、レティシアが盾を構える。
直後、茂みを突き破って四匹の灰牙狼が飛び出した。
だが、その姿はユウトの知っている灰牙狼より明らかに大きい。
【灰牙狼】
【危険度:D相当】
【通常危険度:E】
【身体能力:異常上昇】
【魔力蓄積量:通常個体の約二・四倍】
【異常要因:解析中】
「やっぱりおかしい!」
一匹が地面を蹴った。
速い。
通常個体ならあり得ない加速で、レティシアの横を抜けようとする。
「させぬ!」
アイリスが踏み込み、一閃。
狼の進路を正確に断ち切った。
だが別の一匹が木を蹴り、側面から飛びかかる。
「ユウトお兄ちゃん、上!」
「分かってる!」
フィーナの声と同時にユウトは身を沈め、狼の腹部へ拳を叩き込んだ。
【格闘術】と【身体強化】。
衝撃を受けた灰牙狼が地面を転がる。
「エリシア!」
「はい」
短い返事とともに風が走り、残る二匹の足元を払った。
そこへアイリスとレティシアが踏み込み、戦闘は数十秒で終わった。
セレスが周囲を確認し、誰にも怪我がないことを確かめる。
「皆さん無事ですね」
「うん。でも……」
フィーナは倒れた灰牙狼へ近づかず、鼻を押さえた。
「さっきの変な匂い、もっと強い」
ユウトも一匹を詳しく【鑑定】する。
【筋組織:異常発達】
【骨密度:上昇】
【体内魔力:過剰蓄積】
【外部魔力による継続的影響あり】
【影響源:特定不能】
「進化したわけじゃない」
「どういうことです?」
セレスが尋ねる。
「長く生きたとか、たくさん獲物を食べたとかじゃない。外から何かの影響を受けて、身体能力だけが底上げされてる」
エリシアが魔物の近くへ手をかざした。
「……確かに妙ですね。魔力そのものが不自然です。本人の魔力と、別の魔力が混ざっているような……」
「坑道、見た方がよさそうだな」
レティシアの言葉にユウトは頷いた。
ただし、村人を案内役として連れていく案には、フィーナが真っ先に反対した。
「危ないよ。村の人は連れていかない方がいい」
以前ならユウトの判断を待っていたかもしれない。
今のフィーナは、自分で状況を見て、自分の意見を口にしている。
「理由は?」
「匂いがどんどん強くなってる。奥にもっと強いのがいるかもしれないから」
「僕も賛成だ」
ユウトは迷わず頷いた。
村へ戻って事情を説明し、坑道の場所だけ教えてもらう。
日が傾く前に六人だけで採掘跡へ向かった。
坑道の入口は、山肌に開いた黒い穴だった。
周囲には崩れた木枠と古い採掘道具が残っている。
「中はかなり古いな」
レティシアが入口を調べる。
「支柱も傷んでる。戦闘になって暴れすぎたら崩れるぞ」
「なら大きな魔法は控えます」
エリシアが答える。
「フィーナ、どう?」
「奥から灰牙狼の匂い。いっぱいじゃないけど……いる。それと、変な匂いも」
ユウトは坑道脇の岩へ視線を向けた。
黒ずんだ鉱石が、岩肌からわずかに露出している。
【鑑定】
【名称:鉄鉱石】
【品質:低】
【状態:魔力変質】
【付着魔力:未知】
【周辺生物への影響:身体能力・魔力蓄積量の増加】
【発生源:解析不能】
【関連情報:閲覧制限】
「……え?」
ユウトは眉を寄せた。
もう一度【鑑定】する。
結果は変わらない。
【発生源:解析不能】
【関連情報:閲覧制限】
【原因:上位権限による秘匿】
これまでにも、理解できない情報はあった。
だがこれは違う。
分からないのではない。
意図的に、見えなくされている。
「ユウト?」
アイリスが顔を覗き込む。
「何か分かったのでござるか?」
「……分からないことが分かった」
「それ、ユウトお兄ちゃんが言うとすごく怖いんだけど……」
フィーナの尻尾が下がる。
ユウト自身も同じ気持ちだった。
【鑑定】は万能ではない。
それは知っている。
けれど、情報そのものを誰かに隠されたのは、ほとんど初めてだった。
暗い坑道の奥から、低い唸り声が響いた。
一つではない。
さらに奥からも、別の唸り声が重なる。
ユウトは静かに剣へ手を掛けた。
「今日は入口だけ調べて帰る予定だったけど――」
暗闇の中で、いくつもの赤い目が開いた。
「そうもいかないみたいだ」
坑道の奥にいる何かは、六人が立ち去るのを待ってはくれなかった。
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