第4章 第90話 採掘跡に残る異変
街道を外れて山道へ入ってから、空気の匂いが少しずつ変わっていた。
湿った土と木々の香り。その中へ、鉄を削ったような独特の臭いが混じっている。
「ユウトお兄ちゃん。この先、やっぱり鉱石の匂いが強いよ」
先頭を歩いていたフィーナが振り返った。白い耳がぴんと立ち、鼻先が何度も小さく動いている。
「それだけじゃない気がする。なんていうか……変な匂いも混じってる」
「魔物か?」
「うーん……魔物の匂いはする。でも、それとは別」
フィーナ自身にも正体までは分からないらしい。
俺は足を止め、前方へ【鑑定】を意識した。
木々の向こうには、護衛対象である荷馬車が向かう予定の採掘村がある。そのさらに北側には、何年も前に閉鎖された古い採掘跡が存在すると聞いていた。
周辺の土壌、岩、草木へ順番に【鑑定】をかける。
【山岳土壌】
【状態:正常】
【含有成分:鉄分やや多】
【異常:なし】
【灰岩】
【品質:普通】
【状態:風化】
【異常:なし】
ここまでは問題ない。
だが、道端に転がっていた小さな黒い石へ視線を向けた瞬間、表示が変わった。
【鉄鉱石片】
【品質:低】
【状態:微弱な魔力付着】
【付着魔力:性質不明】
【原因:解析不能】
「またか……」
思わず呟く。
「何か見えましたか?」
隣へ来たエリシアが石を覗き込んだ。
「魔力が付着してる。ただ、どういう魔力なのか分からない」
「ユウトでもですか?」
「うん」
エリシアの眠たげな目が、わずかに鋭くなる。
彼女も石へ手をかざした。
「……確かに、薄いですね。魔力感知では存在そのものを見落としそうです。属性も判別できません」
「自然に残った魔力じゃなさそう?」
「断定はできません。ただ、鉱脈由来の魔力とは流れ方が違います」
俺は石を布へ包み、収納袋へ入れた。
調べたい。
かなり気になる。
けれど、今日は調査依頼ではない。
俺たちが受けているのは、商人と荷馬車を採掘村まで無事に届ける護衛依頼だ。
「採掘跡へ寄って調べるのはやめよう」
そう告げると、レティシアが意外そうに眉を上げた。
「おや。てっきりユウトなら、そのまま突っ込むかと思ったよ」
「俺だって依頼の優先順位くらい考えるよ」
「昔なら怪しいものを見つけた瞬間に目を輝かせてただろ?」
「今も気にはなってるけど」
否定できない。
フィーナがくすくす笑った。
だが、その直後だった。
彼女の耳がぴくりと動く。
笑顔が消えた。
「待って」
フィーナが手を上げる。
全員が即座に足を止めた。
「前から来る。大きいのが一匹。速い」
「距離は?」
「まだ遠い。でもこっちに向かってる」
俺も【気配察知】を広げる。
確かにいる。
木々の奥を、かなりの速度でこちらへ近づいてくる気配。
さらに【鑑定】を重ねた。
【アイアンボア】
【危険度:C相当】
【推定生存年数:七年】
【特徴:鉄分を多く含む植物や鉱物を摂取し、皮膚を硬質化させる魔物】
【通常危険度:D】
【状態:興奮/異常成長】
【異常成長要因:解析不能】
【弱点:腹部、眼球、関節部】
「アイアンボアだ。普通より一段階くらい強くなってる」
「原因は?」
「分からない」
「またかい」
レティシアが盾を構えた。
護衛していた商人たちの表情が強張る。
「荷馬車を下げてください!」
セレスが御者へ声を飛ばした。
俺は周囲を見渡す。
左は急斜面。右は岩壁。
荷馬車を大きく移動させる余裕はない。
「レティシア、正面。アイリスは右。エリシアは速度を落として。フィーナは左から牽制。セレスは荷馬車を頼む」
「任せな!」
「承知いたした!」
「分かりました」
「フィーナに任せて!」
俺は最後に言った。
「俺は抜けたところを潰す」
次の瞬間、木々が大きく揺れた。
枝をへし折りながら、巨大な猪が飛び出してくる。
黒灰色の体表は金属のような光沢を帯び、普通の猪より二回り以上大きい。
「来るぞ!」
地面が震えた。
レティシアが大盾を地面へ固定する。
「さあ来な!」
アイアンボアが正面から激突した。
轟音。
「ぐっ……!」
レティシアの足元が土を抉り、後方へ半歩ずれた。
盾の表面が大きくへこむ。
「レティシア!」
「問題ない! けど、こいつ本当にDランクかよ!」
「今はC相当だ!」
「それを先に実感させるな!」
さらにアイアンボアが首を振る。
レティシアごと盾を押し飛ばそうとするほどの力だった。
「拘束します」
エリシアが杖を向けた。
「アースバインド」
地面から複数の土の帯が伸び、四肢へ絡みつく。
通常のアイアンボアなら、これで十分止まるはずだった。
だが。
「ブモオオオッ!」
一本。
二本。
土の拘束が力任せに裂けた。
エリシアの目が見開かれる。
「……予想以上ですね」
俺も同意する。
単純に体が大きくなっただけではない。
筋力も、皮膚の硬さも、明らかに通常個体の範囲を超えている。
「フィーナ!」
「うん!」
左から飛び出したフィーナが小石を投げた。
狙いは眼球ではない。
鼻先。
「こっちだよ!」
アイアンボアが反射的に顔を向ける。
フィーナは追撃せず、すぐに木の陰へ飛び込んだ。
その判断は正しい。
真正面から相手をする必要はない。
「アイリス!」
「承知!」
視線が逸れた一瞬。
アイリスが踏み込む。
狙うのは前脚の関節。
「はあっ!」
刃が硬い皮膚の隙間へ滑り込んだ。
血が散る。
アイアンボアが大きく体勢を崩した。
俺はそこへ踏み込む。
最初は中級魔法で十分だと思っていた。
「フレイムブラスト!」
炎が腹部へ直撃する。
爆発。
普通の個体なら致命傷になる威力だった。
だが煙の中から、アイアンボアが立ち上がった。
「まだ動くのか」
皮膚の一部は焼け落ちている。
それでも倒れない。
【HP:残存】
【状態:重傷/興奮】
【硬質化:通常個体比大幅上昇】
異常だ。
なら、出し惜しみする理由はない。
「みんな、離れて!」
俺は魔力を絞る。
威力は高く。
範囲は極限まで狭く。
荷馬車にも森にも被害を出さない。
「ブルーフレア」
青白い炎が一本の槍のように走った。
アイアンボアの腹部だけを正確に貫く。
一瞬遅れて巨体が崩れ落ちた。
周囲へ炎は広がらない。
地面さえほとんど焦げていなかった。
「……相変わらず、上級魔法の使い方がおかしいですね」
エリシアが呟く。
「ちゃんと範囲は絞ったよ?」
「そこではありません」
何が問題なのだろう。
帝級は使っていない。
十分自重していると思う。
アイリスが剣を収めながら、苦笑していた。
「ユウト殿。その認識については、いずれ皆で話し合う必要がありそうでござるな」
「え?」
「あとでです」
セレスまで微笑んでいる。
納得できない。
ともかく、先に魔物を調べる。
俺は倒れたアイアンボアへ近づき、【鑑定】を使った。
【アイアンボア】
【状態:死亡】
【通常危険度:D】
【死亡時危険度:C相当】
【異常成長:確認】
【成長期間:通常推定より著しく短い】
【原因:解析不能】
やはり分からない。
体内の魔力循環も確認する。
心臓。
筋肉。
硬質化した皮膚。
胃の内容物。
そして魔石。
【アイアンボアの魔石】
【品質:中】
【状態:魔力構造に微細な乱れあり】
【異常魔力:微量】
【性質:解析不能】
先ほどの鉱石と似ている。
「同じだ」
「採掘跡で拾った石と?」
エリシアが聞く。
「かなり近い。でも、まだ同じものだとは断定できない」
「持ち帰って比較するべきですね」
「うん」
そこでフィーナが、採掘跡の方角を見た。
耳が少し伏せられている。
「ユウトお兄ちゃん」
「どうした?」
「フィーナ、あっち気になる」
「俺も」
「でも……今日は行かない方がいいと思う」
俺は少し驚いた。
フィーナは採掘跡を見つめたまま続ける。
「まだ荷馬車を村まで送ってないし、この大きい猪以外にもいるかもしれないから。調べるなら、ちゃんと準備してから来た方がいいよ」
誰かの指示ではない。
自分で状況を考え、自分で出した判断だった。
「そうだね」
俺が答えると、フィーナの耳が少しだけ立った。
「えへへ。じゃあ、まず護衛を終わらせよ!」
「うん」
俺たちは討伐証明に必要な部位と魔石を回収し、荷馬車を再び進ませた。
採掘村へ到着した頃には、空が赤く染まり始めていた。
村の入口で待っていた住民たちは、荷馬車を見るなり安堵した表情を浮かべる。
だが、アイアンボアの話をすると、その顔色が変わった。
「また出たのか……」
老人の一人が漏らした言葉を、俺は聞き逃さなかった。
「また?」
尋ねると、老人は一瞬迷ってから古い採掘跡の方角を見た。
「ここ最近なんだ。あっちの山から下りてくる魔物が、妙に大きくなってる」
「いつ頃からですか?」
「ひと月……いや、もっと前からかもしれん。最初は気のせいだと思ってた」
俺は仲間たちと顔を見合わせた。
フィーナの耳が緊張したように動く。
エリシアも何も言わず、山の方角を見ていた。
通常より早く成長した魔物。
正体の分からない微弱な魔力。
そして、閉鎖された採掘跡。
まだ材料が足りない。
何が起きているのかも分からない。
けれど一つだけ確かなことがあった。
この山では、普通の魔物被害だけでは説明できない何かが起き始めている。
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そして本日はここまで明日も5話投稿します。
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