第4章 第89話 森に残された異変
Dランクへ昇格してから初めて受けた遠方への護衛依頼は、これまでとは少し違っていた。
守るのは商人一人ではない。三台の荷馬車と、それに乗る商人や御者たちを、二日かけて隣の地方都市まで送り届ける仕事だ。
街道そのものは整備されているが、途中には深い森を抜ける区間がある。
そのため《アカシックレコード》の六人は、荷馬車を囲むように配置を決めて進んでいた。
「今のところ問題なし! 前にも変な匂いはないよ!」
先頭寄りを歩くフィーナが、白い耳をぴんと立てたまま振り返る。
「ありがとう。何か気になったらすぐ教えて」
「うん! フィーナに任せて!」
元気に答えたフィーナの尻尾が左右へ揺れた。
ユウト自身も【気配察知】や【索敵】を使える。
それでも、フィーナの嗅覚や聴覚は別物だった。
人間の肉体では再現できない白狼族固有の感覚。
以前なら、自分でもできるのだからと同時に確認していたかもしれない。
今は違う。
フィーナが前方を見ているなら、自分は別の場所を見る。
それが六人で行動する意味だと、ユウトは理解していた。
「左右の森も今のところ静かでござる」
アイリスが木々へ視線を巡らせながら告げる。
「……静かすぎる気もしますね」
後方の荷馬車近くを歩いていたエリシアが、眠そうな目を細めた。
「魔力の流れ自体に大きな乱れはありません。ただ、鳥の声が少ないです」
その言葉に、ユウトも周囲へ意識を向けた。
確かに静かだった。
風が枝葉を揺らす音はする。
荷馬車の車輪が土を踏む音も響いている。
だが、鳥のさえずりがほとんど聞こえない。
「小動物も少ないね」
ユウトが呟くと、フィーナが足を止めた。
「ユウトお兄ちゃん」
先ほどまでの明るい声とは違う。
「血の匂いがする」
一行に緊張が走った。
「場所は?」
「街道の右側。そんなに遠くない。でも、人じゃないと思う」
ユウトは商隊の責任者へ視線を向けた。
相手も異変に気付いたらしく、不安そうにこちらを見ている。
「街道から大きく離れません。短時間で確認してきます」
「頼む。ただし、無理はしないでくれ」
「分かりました」
護衛対象を放置するわけにはいかない。
そこでレティシアとセレスを荷馬車側へ残し、ユウト、フィーナ、アイリス、エリシアの四人で森の浅い場所だけを確認することにした。
十数歩も進まないうちに、原因は見つかった。
「……狼?」
地面に横たわっていたのは、灰色の大きな魔物だった。
ユウトはすぐに【鑑定】を使う。
【フォレストウルフ】
【危険度:E】
【状態:死亡】
【死因:頸部圧壊、複数箇所の骨折】
【推定死亡時刻:半日以内】
傷は明らかに異常だった。
鋭い牙や爪で裂かれたのではない。
強い力で押さえ込まれ、そのまま骨ごと潰されている。
「食べられていないでござるな」
アイリスが死骸を確認する。
「うん。殺しただけみたいだ」
フィーナは鼻をひくつかせながら周囲を探った。
「血の匂いはこれ。でも……別の匂いもある」
「どっち?」
「あっち」
フィーナが少し離れた地面を指差す。
草が大きく倒れ、土が抉れていた。
そこには巨大な足跡が残っている。
ユウトはしゃがみ込んだ。
【大型魔物の足跡】
【既知情報との一致率:低】
【推定体格:大型】
【特徴:強い踏圧】
【詳細判定:対象情報不足】
「かなり重いな」
隣まで来たアイリスも地面を見る。
「これほど深く沈むのであれば、相当な重量でござろう」
「しかも走ってない」
ユウトは足跡の縁へ指を近付ける。
「普通に歩いただけでここまで沈んでる」
エリシアが少し先の木を見る。
「こちらにも擦れた跡がありますね」
高い位置の樹皮が剥がれていた。
大型の何かが通った証拠だ。
だが足跡は森の奥へ続いている。
ユウトは一瞬だけ追跡を考えた。
未知の魔物。
通常のフォレストウルフを簡単に殺せる力。
気にならないと言えば嘘になる。
それでも、すぐに立ち上がった。
「戻ろう」
フィーナが耳を動かす。
「追わないの?」
「今は護衛依頼の途中だからね」
森の奥を見ながら続ける。
「村や街を襲ってるって決まったわけでもない。まず商隊を安全に目的地まで運ぶ。それが先だよ」
「うん!」
フィーナが素直に頷いた。
四人は街道へ戻り、確認した内容を商隊の責任者へ伝えた。
「大型の魔物……か」
「正体までは分かりません。ただ、街道へ近付いている可能性があります。今日は警戒を強めます」
「頼む」
その後は何事もなく進み、夕方には予定していた村へ到着した。
商隊は翌朝までこの村で休息する予定になっている。
宿と馬の手配を終えたところで、村人の一人が商隊へ近付いてきた。
「冒険者さんたちか?」
「はい」
ユウトが答えると、男は周囲を気にするように声を落とした。
「森で何か見なかったか?」
六人の視線が集まる。
「どうしてです?」
「ここ数日、家畜がやられてる」
「魔物に?」
「たぶんな。でも妙なんだ」
男は顔をしかめる。
「羊も山羊も、ほとんど食われてねえ。潰されて死んでるだけなんだよ」
ユウトとアイリスが顔を見合わせた。
森で見たフォレストウルフと同じだった。
「他に何か変わったことは?」
今度はフィーナが尋ねる。
村人は少し考えた後、森の奥を指差した。
「昔使ってた採掘跡の近くで、夜になると変な音がするって話もある」
「採掘跡?」
レティシアが反応した。
「ああ。ずっと前に閉じた場所だ。もう誰も入っちゃいない」
「何を掘ってた?」
「魔石じゃねえ。たしか鉄と、少し珍しい鉱石だったはずだ」
レティシアの目が細くなる。
「詳しい場所、分かるか?」
「村の北東だよ。ただ、今は危ないかもしれねえ」
ユウトは少し考えた。
護衛依頼はまだ終わっていない。
商隊は明朝、この村を出る。
今から勝手に別件へ向かうわけにはいかない。
「まず商隊の責任者に相談しよう」
「そうですね」
セレスが頷く。
「村の人たちが危険なら放ってはおけません。でも、今受けている依頼も大切です」
「同感でござる」
相談の結果、夜間は村と商隊を同時に警戒し、異変が起きなければ翌朝予定通り出発することになった。
村の問題については、帰路またはギルドへ報告したうえで正式に調査する。
その方針を決めた直後だった。
「ユウトお兄ちゃん」
フィーナが地面を見ていた。
「どうした?」
「これ」
村の外れ。
荷馬車の車輪跡のそばに、黒っぽい粉が薄く落ちている。
ユウトは指先へ少量を取った。
【鉱物粉】
【由来:地下性岩石】
【付着魔力:微弱な異質反応】
【既知の魔力属性との一致:なし】
【詳細解析:対象情報不足】
「地下……」
レティシアが黒い粉を見つめる。
「採掘跡から来た何かが、ここまで来たってことか?」
「可能性はある」
ユウトは【鑑定】の表示をもう一度見た。
情報そのものが見えないわけではない。
ただ、今まで見たどの魔力とも一致しない。
そして判断するには、情報が足りない。
「決めつけるのは早い」
ユウトは指先の粉を落とした。
「まず何が起きてるのか確かめよう」
森の向こうには、夕闇が広がり始めていた。
その奥にある閉鎖された採掘跡。
そこで何が動いているのかは、まだ誰にも分からなかった。
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