第1章 第9話 初めて見る魔法
森の奥から響く足音は、しばらく途切れなかった。
枝が折れ、低い唸り声と甲高い鳴き声が暗闇の中を行き交っている。何か一体が村を目指しているというより、森の奥にいた複数の生き物が、互いに押し出されるように浅い場所へ移動しているらしい。
「ここを離れるぞ」
グレンは倒したホーンウルフを一瞥すると、男の子へ向き直った。
「立てるか?」
男の子は涙を拭い、小さく頷いた。腕の中では、角山羊の子が怯えた声を漏らしている。
「ユウト、その子を連れて村へ戻れ」
「グレンさんは?」
「少しだけ周囲の跡を確認する。どの方向から魔物が来ているのか分からなければ、村の守りを固める場所も決められん」
「一人で残るんですか?」
「長くは残らない。それに、三人で固まって動けば、見つかった時に逃げにくい」
グレンは森ではなく、村へ続く畑の外周を指した。
「俺も同じ道をすぐ戻る。村へ着いたら門を閉め、見張りに俺が戻ることを伝えろ。異変があれば、俺を待たずに完全に閉じろ」
「分かりました」
ユウトは男の子の手を取り、村へ向かった。
全力で走れば、子どもが転ぶかもしれない。遅すぎれば、別の魔物に追いつかれる。角灯を低く掲げ、足元と進行方向を交互に照らしながら、できるだけ速く歩いた。
草が擦れる音がするたび、心臓が強く脈打つ。
風に揺れたのか。
小動物が逃げたのか。
それとも、自分たちを追う魔物がいるのか。
ユウトは立ち止まり、耳を澄ませた。
【探索上達により、周辺確認への理解が補助されます】
聞こえる音を、近いものと遠いものへ分ける。
角山羊の荒い呼吸。男の子が土を踏む音。自分の服が擦れる音。その向こうに、森から続く複数の足音。
何も見つけられないことと、何もいないことは同じではない。
そう理解したうえで再び歩き出すと、やがて村の門が見えた。
「誰だ!」
柵の内側から鋭い声が飛ぶ。
「ユウトです! 子どもを連れ戻しました!」
門脇の通用口がわずかに開き、槍を持った村人が顔を出した。男の子の姿を確認すると、すぐに二人を中へ招き入れる。
待っていた女性が駆け寄り、男の子を強く抱き締めた。
「どこへ行っていたの! どれだけ心配したと思ってるの!」
「ごめんなさい……」
女性は泣きながら子どもの肩を叩き、そのまま離すまいとするように抱き締め直した。
その姿を見て、ユウトの胸がわずかに痛んだ。
自分には、帰りを待って泣いてくれる家族はいなかった。
けれど、羨ましさより先に、この親子が無事に再会できてよかったと思えた。
「ユウト、グレンはどうした?」
村長が近づいてくる。
「魔物が来た方向を調べています。すぐ戻ると言っていました。ただ、異変があれば待たずに門を閉じるようにと」
「分かった。見張りを二人、通用口へ残せ。それ以外は門と柵を固めるんじゃ」
村人たちは太い横木を門へ渡し、柵の内側へ荷車や木箱を運び始めた。
しかし、外周を囲む柵は高くない。家畜が逃げるのを防ぎ、小型の魔物を遠ざける程度のものに見えた。
ユウトは近くの柱へ意識を向けた。
【名称:ラト村外周柵】
【用途:家畜の逸走防止・小型魔物への防壁】
【状態:一部劣化・固定不足】
【耐久評価:低】
【注意:大型魔物の突進には耐えられません】
視線を動かすと、根元が腐った柱や、縄が緩んだ横木がいくつも見つかった。
「村長さん。あの辺りが特に弱っています」
「分かるのか?」
「柱の根元が腐っています。横木も外れかけています。完全には直せませんが、内側から支えを入れれば少しは持つはずです」
村長は迷わず縄と廃材を運ばせた。
ユウトは先ほど覚えたばかりの鋸引きを思い出し、長い木材を切った。柱へ斜めに当てるところまでは分かるが、どこへ固定すれば最も力を受けられるのかは経験がない。
木材を仮に置き、柵へ【鑑定】を使う。
【補強案:固定位置不適切】
【問題:突進時に支柱下部が滑る可能性があります】
答えが表示されても、作業そのものを代わってくれるわけではない。
ユウトは地面の硬さと柱の傾きを確認し、支えの下端を浅く土へ埋めた。さらに横木との接点へ縄を巻き、村人に締め方を教わりながら固定する。
【補強状態:暫定使用可能】
【耐久評価:低から低中へ改善】
「これで絶対に防げるわけではありません。でも、何もないよりは持つと思います」
「十分だ。次はどこだ?」
鍬を直した男が尋ねた。
「向こうの角です。柱を押さえる人と、縄を締める人が必要です」
村人たちはすぐに動いた。
鍬を修理したからだけではない。行方不明だった子どもを連れ帰り、今も村を守ろうとしている。その事実が、ユウトへの警戒を少しずつ薄れさせていた。
数本目の支えを固定していると、家の間から杖をついた小柄な老人が現れた。
「村長、遅くなった」
「足は大丈夫なのか?」
「走れんだけじゃ。魔法を使う分には問題ない」
腰は曲がっていたが、老人の目は暗い門の向こうを鋭く見据えている。
「ユウト、この村で魔法を使える者じゃ。昔は町で働いておった」
村長の説明を聞いた瞬間、ユウトの意識が老人へ集中した。
ソフィエルから魔法が存在すると教わり、魔石で動く照明も見た。しかし、人が自ら魔法を発動するところは、まだ見たことがない。
老人は門の外を見て顔をしかめた。
「角灯だけでは畑の端まで見えん。何が来ても、気づいた時には柵の前じゃ」
杖を胸元へ引き寄せ、静かに息を吸う。
その身体の内側から、何かが流れ始めた。
目には見えないはずの力が、老人の胸から腕を通り、杖へ集まっていく。【鑑定】を意識すると、その流れが淡い線のように浮かび上がった。
【鑑定可能】
「闇を退け、我らの道を照らせ――ライト」
杖の先から、白い光球が生まれた。
光球は門を越えて浮かび上がり、畑の上へ進んでいく。角灯よりも強い光が作物と水路を照らし、夜の闇を円形に押し退けた。
ユウトは瞬きも忘れて見つめた。
【魔法名:ライト】
【属性:光】
【階級:初級】
【消費MP:2】
【効果:指定位置へ光球を生成し、周囲を照らします】
【発動条件:魔力操作・術式形成・発動意思】
【詠唱効果:術式形成の補助・発動安定性の向上】
【習得判定:再現可能】
続いて、老人の魔力がどの順番で動いたのかが表示される。
体内の魔力を集める。
杖を通して流れを整える。
光を生み出す術式の形へ組み上げる。
詠唱によって術式を安定させ、指定した場所へ放つ。
【解析上達により、魔法術式への理解が補助されます】
【魔法上達により、魔力操作への理解が補助されます】
構造は見えた。
だが、見えただけで使えるわけではない。自分の魔力を感じ、同じ流れを実際に作らなければならない。
ユウトは胸元へ手を当てた。
老人のものと同じ力が、自分の中にも存在している。
意識を向けると、温かい何かが胸の奥でかすかに動いた。
「何をしておる?」
老人が怪訝そうに尋ねる。
「今の魔法を覚えられるか、試していました」
「一度見ただけでか?」
「まだ使えません。でも、魔力の動かし方が少し分かった気がします」
老人は呆れたように眉を寄せた。
「魔法は、見ただけで使えるほど簡単なものでは――」
その言葉を遮るように、畑の作物が大きく揺れた。
光球の外側から、低い唸り声が重なる。
一つではない。
光の境界に、幾つもの目が浮かび上がった。
村人たちが武器を構える。
その時、通用口の外から三度、短く扉を叩く音がした。
「俺だ! グレンだ、開けろ!」
見張りが扉を開くと、グレンが滑り込むように村へ入った。すぐに通用口が閉じられ、横木が掛けられる。
「森から魔物が流れてきている!」
グレンは息を整える暇もなく叫んだ。
「ホーンウルフが五体。森猪が三体。その後ろにも、まだ何かいる!」
光の中へ、一本角を持つ灰色の獣が踏み込んだ。
さらにその後ろから、作物を押し倒しながら複数の影が現れる。
ユウトは迫る魔物へ【鑑定】を向けた。
そして老人が生み出した光の下で、自分の内側にある魔力を初めて強く意識した。
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