第3章 第86話 六人で守る
谷あいの村へ続く街道は、昨夜の大雨でひどく荒れていた。
山から流れ込んだ濁流が道を削り、ところどころに泥と折れた枝が積み上がっている。さらに村の手前を流れる川では、石造りの橋の一部が崩れ、中央付近が大きく沈み込んでいた。
《アカシックレコード》が受けた依頼は、村に取り残された住民の救助と、増水によって森から追い出された魔物への対処だった。
橋の向こうには、二十人ほどの村人が集まっている。
その中には子どもや老人もいた。
「ユウトお兄ちゃん!」
先行して周囲を調べていたフィーナが戻ってくる。白い耳は忙しなく動き、濡れた尻尾には泥が付いていた。
「森の方から魔物が来る! たぶん六……ううん、七体!」
ユウトも意識を森へ向け、【鑑定】を使う。
木々の隙間を移動している反応が七つ。
フィーナの報告通りだった。
【フォレストウルフ】
【危険度:E】
【状態:興奮】
【行動傾向:水害によって縄張りを追われ、乾いた場所へ移動中】
戦えば簡単に倒せる。
だが、今はそれだけでは足りない。
橋の向こうには村人がいる。
崩れた橋がある。
負傷者もいる。
そして魔物は複数方向から近づいていた。
「フィーナ、魔物の動きを見続けて。村人に近づきそうならすぐ教えて」
「うん! フィーナに任せて!」
「アイリスは橋の向こうへ。魔物が出たら村人を守って」
「承知いたした!」
「エリシア、アイリスが渡るまで援護をお願い」
「分かりました」
「セレスは負傷者の確認を」
「はい」
「レティシアは俺と橋を見る」
「おう!」
五人が同時に動き出す。
ユウトはその背中を一瞬だけ見送り、すぐに橋へ駆けた。
以前なら、自分で魔物を倒して、自分で橋を直して、自分で負傷者まで診ようとしていただろう。
だが今は違う。
向こうは任せた。
だから自分は、目の前のことに集中できる。
「ひどいな」
レティシアが崩れた欄干へ手を置いた。
「水で土台が削られてる。見えてる場所だけ補修しても駄目だ」
ユウトも橋へ【鑑定】を使う。
【石橋】
【状態:重大損傷】
【損傷箇所:橋脚基部・中央床板・左側支持部】
【原因:増水による地盤流出】
【推奨処置:荷重軽減後、支持部を仮固定】
情報は見える。
どこが壊れているのかも分かる。
だが、レティシアは表示など見ていないのに、石の沈み方や亀裂を見ただけでほぼ同じ答えへ辿り着いていた。
「レティシア、中央を持ち上げれば――」
「駄目だ」
即座に止められる。
「今そこだけ持ち上げたら、反対側へ重さが逃げる。左の橋脚が先に逝くぞ」
ユウトはもう一度構造を見る。
言われた通りだった。
「……本当だ」
「だから鍛冶師がいるんだろ?」
レティシアがにやりと笑う。
「見えるのと、直せるのは別だ」
「うん。じゃあ、どうする?」
「まず川側から支えを入れる。あたしが形を決める。ユウトは石と土を動かしてくれ」
「分かった」
二人が作業を始めた直後、森の奥から獣の咆哮が響いた。
「来た!」
フィーナの声。
ユウトが振り返る。
川向こうの斜面から、フォレストウルフが三体飛び出してきた。
だがユウトが動くより早く、アイリスが村人たちの前へ立つ。
「拙者より先へは行かせぬ!」
一体目が跳ぶ。
アイリスは正面から受けず、半歩だけ踏み込んだ。
牙が届く直前、剣の腹で魔物の頭部を流し、その勢いを利用して地面へ転がす。
二体目が側面へ回る。
その瞬間、エリシアが杖を向けた。
「ウィンドウォール」
風の壁が斜めに立ち上がった。
狼は進路を変えようとする。
だが、その先にはアイリスがいる。
「見事な誘導でござる!」
振り抜かれた剣が、狼の肩を切り裂いた。
三体目は風壁を避け、村人の反対側へ抜けようとする。
「そっちは駄目ですよ」
エリシアが小さく杖を振る。
今度は細い風の奔流が狼の前脚だけを払った。
体勢を崩したところへアイリスが踏み込み、一撃で仕留める。
ユウトは魔法を使わなかった。
剣も抜かなかった。
それでも、村人へ傷一つ届いていない。
「ユウト!」
レティシアに呼ばれ、視線を橋へ戻す。
「向こうは任せたんだろ?」
「ああ」
「なら手ぇ止めるな!」
「分かった!」
ユウトは土魔法で川底の土を固め、レティシアが指示した位置へ石を押し込んでいく。
しばらくして、橋の沈みが止まった。
完全な修復ではない。
だが、一人ずつなら安全に渡れるところまでは戻せる。
その間にも、セレスは村人たちの傷を診ていた。
「この方は足首を痛めています。歩かせない方がいいです」
「担架が要る?」
「はい。それと、こちらの子は熱があります。雨の中に長くいたようです」
セレスは薬草を取り出しながら、次々と優先順位を決めていく。
ユウトなら【鑑定】で症状を確認できる。
だが、全員を一人ずつ見ている時間はない。
気づけば、自分が触れていない場所でも、救助は進んでいた。
「右から二体!」
フィーナが叫ぶ。
続いて少し間を置き、
「左の茂みにもいる! でも、まだこっちに気づいてない!」
「アイリス、右を!」
「承知!」
「エリシアは左を近づけないで!」
「任せてください」
ユウトは指示だけを飛ばし、橋の補強を続ける。
エリシアは火を使わなかった。
乾いた草へ燃え移る危険があるからだ。
代わりに風魔法で獣の嗅覚へ泥と水の匂いを流し込み、さらに低出力の音魔法を森の奥へ飛ばした。
狼たちは別方向へ耳を向け、そのまま遠ざかっていく。
「倒さなくてもいい相手なら、追い払うだけで十分ですね」
エリシアが眠そうな声で言った。
「うん。それが一番いい」
ユウトも頷く。
やがて仮補修が終わった。
アイリスが先頭に立ち、村人を一人ずつ橋へ誘導する。
レティシアが橋の状態を見張り、フィーナが周囲を警戒する。
セレスは足を負傷した老人に付き添い、エリシアは風で雨雲の残りを散らしながら足元を乾かしていく。
最後に、一人の少年が橋の手前で立ち止まった。
崩れた川面を見て、身体を強張らせている。
「怖い……」
ユウトが声を掛けようとした時、フィーナが先に少年の前へしゃがみ込んだ。
「怖いよね」
少年が小さく頷く。
「フィーナも、怖い時あるよ」
「……ほんと?」
「うん。でもね、一人じゃないなら歩けるよ」
フィーナが手を差し出す。
「一緒に行こ?」
少年は少し迷ったあと、その手を握った。
フィーナは引っ張らない。
急かさない。
少年が自分で一歩を出すまで待っていた。
やがて小さな足が橋へ乗る。
その姿を見ながら、ユウトは何も言わなかった。
言葉にする必要はない気がした。
全員が橋を渡り終えた頃には、空の雲も薄くなっていた。
村人たちから何度も礼を言われ、《アカシックレコード》は町へ戻った。
冒険者ギルドへ報告を終えると、受付職員が依頼書を確認しながら何度か頷いた。
「魔物討伐だけでなく、住民全員の救助、橋の応急修理、負傷者の治療まで完了……ですか」
「はい」
「しかも重傷者なし」
受付職員は六人を見回した。
その表情が、いつもより少しだけ改まる。
「今回の報告を含め、これまでの依頼達成状況は支部長へ提出します」
フィーナの耳がぴくりと動く。
「提出?」
「ええ」
受付職員が微笑んだ。
「皆さんの昇格審査が、最終段階に入ります」
「おお!」
レティシアが声を上げ、アイリスも静かに拳を握る。
「明日、六人そろってギルドへ来てください」
ユウトは仲間たちを見る。
誰か一人が突出したからではない。
六人で一つの依頼を終えた結果として、ここまで来た。
フィーナが尻尾を大きく振った。
「ユウトお兄ちゃん!」
「うん」
「明日、楽しみだね!」
ユウトは笑って頷いた。
「そうだな」
明日、《アカシックレコード》がどんな評価を受けるのか。
その答えは、もうすぐ示される。
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