第3章 第84話 見つけた命
坑道の奥から、かすかな音が聞こえた。
「……待って!」
先頭を進んでいたフィーナが、ぴたりと足を止めた。
白い狼耳が前を向く。
《アカシックレコード》の五人も、すぐに立ち止まった。
岩肌に囲まれた坑道は薄暗く、壁へ取り付けられた魔道灯だけが頼りだった。少し前に発生した崩落の影響で、床には大小の石が転がり、奥へ進むほど土埃の匂いが強くなっている。
「どうした?」
ユウトが声を抑えて尋ねる。
「今……音がした」
「魔物でござるか?」
アイリスが剣へ手を掛ける。
だが、フィーナは首を振った。
「違うと思う」
耳を澄ませる。
全員が黙った。
しばらくして。
――コン。
ほんの小さな音がした。
石を何かで叩いたような音。
「こっち!」
フィーナが走り出す。
ただし、無闇には駆けない。
崩落した坑道であることを意識し、一歩ずつ足元を確認しながら進む。
ユウトも後に続いた。
やがて、一行は巨大な岩と土砂によって完全に塞がれた場所へ到着した。
「この向こう!」
フィーナが岩壁へ耳を近づける。
ユウトも【鑑定】を使った。
【崩落した坑道】
【内部空洞:あり】
【生体反応:複数】
【推定人数:3】
【状態:酸素濃度低下】
【一部構造:不安定】
三人いる。
まだ生きている。
「三人いる」
「本当ですか!」
セレスがすぐに救急用の鞄を開いた。
「状態は?」
「今すぐ命に関わる怪我は確認できない。でも空気が悪くなってる。このままじゃ危ない」
「なら掘り出すぞ!」
レティシアが大槌を担ぎ直す。
ユウトは崩落部分へ【鑑定】を重ねた。
どの岩が支えになっているか。
どこを動かせば崩れるか。
どの角度から掘れば安全か。
情報は表示される。
だが、レティシアはその表示を見ることなく岩肌へ手を当て、軽く叩いた。
「……ユウト。この上の大岩、動かすなよ」
「やっぱり?」
「ああ。こいつが今の天井を辛うじて支えてる。先に横から抜く」
ユウトの【鑑定】でも同じ結果が出ていた。
だが、レティシアは岩の細かな振動や音だけで判断している。
ユウトには構造を理解することができる。
【鑑定】があれば、破損原因も危険箇所も分かる。
それでも、今まさに崩れかけている坑道で、どこまで触れてよいかを瞬時に決める経験までは、表示された情報だけで置き換えられるものではなかった。
「どうすればいい?」
「まず支えを作る。アイリス、そこの太い坑木を三本持ってきてくれ」
「承知いたした」
アイリスは倒れていた坑木を両腕で抱え上げる。
本来なら数人掛かりで運ぶ太さだが、竜人族の膂力なら問題ない。
「ユウトはこっちを削れ。ただし一気にやるな。指一本分ずつだ」
「分かった」
「エリシアは天井を見てくれ。魔力で岩を固めるんじゃなく、動いた瞬間を教えてほしい」
「了解しました。微細な振動を拾います」
「フィーナは生存者の位置を頼む。声が聞こえたらすぐ教えな」
「うん!」
「セレスは救出した瞬間に動けるよう準備」
「任せてください」
誰一人、ユウトの指示を待っていなかった。
それでも動きはばらばらではない。
レティシアが崩落現場の作業を仕切り、ほかの五人が自然に役割へ入る。
以前なら、ユウトは自分で全部判断しようとしていただろう。
だが今は違う。
「アイリス、もう少し右!」
「ここでござるな!」
「そうだ。そのまま支えてくれ!」
坑木が岩天井へ当てられる。
レティシアが楔を打ち込み、一本ずつ固定していく。
その隣でユウトは短剣を使って岩の隙間を削った。
力任せに壊すことはできる。
魔法を使えば、大岩ごと吹き飛ばすことも可能だ。
だが、その向こうには人がいる。
「壊すだけなら力任せでもできる」
レティシアが岩へ耳を寄せたまま言う。
「けどな、中に人がいるなら話は別だ」
「うん」
ユウトは削る速度を落とした。
やがて、岩の間へ拳一つ分ほどの穴が開いた。
フィーナがすぐに顔を寄せる。
「聞こえる!?」
少し間があった。
『……だ、誰か……』
弱い声。
「いる!」
フィーナの尻尾が大きく振れた。
「助けに来たよ! 三人いるんだよね!?」
『……ああ……三人……』
声はかすれている。
ユウトは穴へ手をかざした。
内部の空気がかなり淀んでいる。
「まず空気を送る」
「強く吹かせるのは駄目ですよ」
エリシアが言った。
「内部の埃を巻き上げます」
「分かってる」
ユウトは既存の風魔法の術式を調整する。
威力を落とし、細く、一定量だけ空気を送り込む。
「ウィンド」
弱い風が穴を通り抜けた。
『……空気が……』
「これで少しは楽になるはず」
フィーナが穴越しに声を掛け続ける。
「もうちょっとだから! 寝ちゃ駄目だよ!」
『……分かった……』
「水も渡せますか?」
セレスが水を含ませた布を用意する。
フィーナが細い棒へ巻き付け、穴から慎重に差し入れた。
その間にも、レティシアは崩落部を削る順番を考えている。
「次は下だ。上じゃない」
「下から?」
「ああ。人が通れる隙間を作る。無理に大穴を開ける必要はねえ」
ユウトは頷いた。
その判断も【鑑定】結果と一致している。
だが、不思議と悔しくはなかった。
むしろ心強かった。
全部自分で分かる必要はない。
仲間が分かるなら、それを信じればいい。
作業は少しずつ進んだ。
ようやく、人一人が這って通れそうな隙間ができる。
「フィーナ」
レティシアが振り返った。
「一番小さいのはあんただ。行けるか?」
「行く!」
返事に迷いはなかった。
「待って」
ユウトはフィーナの腰へ命綱を結ぶ。
「中で変な音がしたら、すぐ戻って」
「うん」
「無理そうなら――」
「ユウトお兄ちゃん」
フィーナが笑った。
「フィーナに任せて!」
その言葉に、ユウトも笑い返した。
「分かった。任せる」
フィーナは狭い隙間へ身体を滑り込ませた。
白い尻尾が暗闇へ消えていく。
数十秒後。
「見つけた!」
奥から声が響いた。
「三人ともいる! 一人、足を怪我してる!」
「意識は?」
セレスが叫ぶ。
「全員ある!」
「なら動かせます。怪我した方を最後にしてください!」
「分かった!」
まず一人目。
ロープを身体へ結び、外からアイリスとレティシアが慎重に引く。
土に汚れた男が隙間から這い出してきた。
「大丈夫ですか?」
セレスがすぐに診察を始める。
「軽い脱水と擦り傷です。命に別状はありません」
二人目も同じように救出する。
そして最後の一人。
足を怪我しているため、自力では這えない。
「板を使う!」
フィーナが奥から叫んだ。
「壊れた板がある! その上に乗せる!」
「いい判断です!」
セレスが答える。
フィーナは倒れていた坑木の板を簡易担架代わりにし、負傷者を固定した。
「引いていいよ!」
「ゆっくりだ!」
レティシアの号令で、ロープが引かれる。
板が少しずつ隙間へ近づいてくる。
その時だった。
ミシッ。
乾いた音が響いた。
「止めて!」
エリシアの声が飛ぶ。
全員が停止する。
直後。
上部の岩が、わずかに沈んだ。
「支柱がずれた!」
レティシアが叫ぶ。
一本の坑木が横へ傾き始めている。
「拙者が支える!」
アイリスが飛び込み、両肩で坑木を押さえた。
ギギギ、と木が軋む。
「ぐっ……!」
「アイリス!」
「問題ない! 早く直すでござる!」
レティシアが楔へ飛びつく。
ユウトも隣へ入った。
【鑑定】。
【支柱固定不足】
【原因:地盤沈下による角度変化】
【推奨処置:右側基部を3センチ補正】
「右を少し上げる!」
「分かった!」
ユウトが基部を持ち上げる。
レティシアが新しい楔を叩き込む。
一打。
二打。
三打。
ガンッ!
「よし!」
支柱が止まった。
「アイリス、離れていい!」
ゆっくり腕を外す。
岩は動かない。
アイリスが息を吐いた。
「さすがに少々重かったでござるな」
「少々で済ませる重さじゃねえよ」
レティシアが苦笑する。
緊張が少しだけ和らいだ。
「フィーナ!」
ユウトが奥へ呼び掛ける。
「大丈夫!」
すぐ返事があった。
「この人も大丈夫!」
「続けよう」
今度はさらに慎重に引く。
板が隙間を抜ける。
負傷者が外へ出た瞬間、セレスが治療を開始した。
「骨折です。でも血流は保たれています。治療できます」
淡い回復魔法の光が男の脚を包む。
フィーナも最後に隙間から這い出してきた。
顔も服も土埃まみれだった。
それでも、満面の笑みを浮かべている。
「全員、助かった!」
救出された男の一人がフィーナを見る。
「君が……見つけてくれたのか」
「うん!」
一瞬だけ、フィーナの表情が止まる。
そして胸を張った。
「フィーナが見つけた!」
尻尾が大きく揺れた。
以前なら、自分が役に立てたかどうかをユウトへ尋ねていたかもしれない。
褒めてもらえるか。
必要としてもらえるか。
そんなことを確かめるように。
けれど今のフィーナは違う。
自分で音を聞いた。
自分で足を止めた。
自分で助けたいと思った。
そして、自分の力で三人の命へたどり着いた。
「ありがとう」
男が言った。
フィーナは少し照れたように鼻の下を擦る。
「えへへ!」
ユウトはその横顔を見ていた。
助けたのはフィーナだ。
もちろん六人全員が力を使った。
けれど、フィーナが最初の音を拾わなければ、この三人を発見すること自体が遅れていた。
「フィーナ」
「なに?」
「よく見つけたね」
「うん!」
今度は「役に立った?」とは聞かなかった。
そのことが、ユウトには何より嬉しかった。
「さあ、これで終わり……と言いたいところですが」
エリシアが坑道の奥を見る。
「少し気になりますね」
「何が?」
「崩落の原因です」
ユウトも表情を引き締める。
今回の崩落は、老朽化だけではない。
【鑑定】。
【崩落原因】
【地盤振動】
【発生源:坑道深部】
【推定原因:大型生物の集団移動】
「大型生物?」
ユウトはさらに情報を追う。
坑道の岩肌に、爪痕が残っていた。
レティシアが眉を寄せる。
「採掘用の道じゃねえな」
フィーナも鼻を動かす。
「魔物の匂い……いっぱいする」
「この坑道の奥に巣があるのか?」
アイリスが剣へ手を掛ける。
「違う」
フィーナが首を振った。
「匂いが奥から外に向かってる」
ユウトも足跡を確認した。
複数種。
しかも、互いに争った形跡がほとんどない。
普段なら縄張りを争う魔物まで、同じ方向へ走っている。
何かに追われるように。
ユウトは暗い坑道の奥へ目を向けた。
「俺たちを襲おうとしてたんじゃない」
「では、なぜ移動したのでござる?」
ユウトは答えず、奥から吹いてくる冷たい風を感じた。
フィーナの耳も、ゆっくり伏せられる。
「何かから……逃げてたんだ」
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