第3章 第82話 見えない危険
村での護衛依頼を終え、《アカシックレコード》の六人が城壁都市へ戻ったのは、空が茜色に染まり始めた頃だった。
積み木を抱えて笑う子どもたちに見送られた帰路は穏やかで、途中で魔物に遭遇することもなかった。
だが、冒険者ギルドへ入った瞬間、ユウトはいつもと違う空気を感じ取った。
依頼掲示板の前には何人もの冒険者が集まり、受付では職員たちが慌ただしく書類を運んでいる。
「何かあったみたい」
フィーナの白い耳がぴくりと動いた。
六人が受付へ向かうと、顔馴染みの職員がすぐに気付く。
「《アカシックレコード》の皆さん。ちょうどよかったです」
「緊急依頼ですか?」
「まだ緊急指定ではありません。ただ、少し妙なことが起きています」
差し出されたのは、一枚の地図だった。
町から北東へ半日ほど進んだ場所にある小さな森。その一角に赤い印が付けられている。
「薬草採取へ向かった冒険者が三組、戻っていません」
「三組……全部で何人ですか?」
「三人組、四人組、二人組の計九人です。出発した日は別々ですが、全員この森周辺での薬草採取依頼を受けています」
エリシアが地図を覗き込んだ。
「最後に出発したのは?」
「三人組です。二日前の朝に出発し、昨日の夕方までには戻る予定でした。四人組はその前日、二人組はさらに前です」
「九人全員が予定を過ぎているのでござるか」
「はい」
アイリスの表情が引き締まる。
三組が別々に同じ地域で消息を絶っている。
偶然と考えるには多すぎる。
「魔物の情報は?」
「目立った変化はありません。森に生息するのも、通常ならFからE危険度程度です」
ユウトは地図を確認した。
【鑑定】によれば、地図そのものが少し古く、現在の地形と異なる可能性がある。
「この地図、現地と違っている場所があるかもしれません」
「分かるのですか?」
「はい。念のため、地形そのものにも注意した方がいいと思います」
職員は驚いた様子を見せたが、それ以上は聞かなかった。
以前ならユウトも、自分の【鑑定】なら当然分かる情報だと思っていただろう。
今は違う。
一般的な【鑑定】では、ここまで詳しい情報は得られない。
「捜索依頼、俺たちが受けます」
ユウトが言うと、五人も頷いた。
「お願いします。ただ、原因が分かっていません。異常を感じた場合は無理をしないでください」
「分かりました」
行方不明者がいる以上、時間は無駄にできない。
必要な物資を補充した六人は、その日のうちに町を出た。
途中で野営し、翌朝早くから移動を再開する。
森へ到着したのは昼前だった。
木々の間へ入ってしばらく進んだところで、先頭を歩いていたフィーナが突然片手を上げた。
「止まって」
全員が足を止める。
フィーナは地面へしゃがみ込み、鼻を小さく鳴らした。
白い耳が左右へ細かく動く。
ユウトも周囲を確認したが、目立った異常は見つからない。
「何かある?」
「人の匂い」
フィーナは土の上へ残されたわずかな跡を指差した。
「何人か通ってる。そんなに古くないよ」
ユウトが足跡だけを【鑑定】する。
およそ二日前。
人数は三人。
「最後に出発した三人組かもしれない」
「たぶん。こっちに行ってる」
フィーナが立ち上がる。
「でも変なの」
「何が?」
「匂いが途中で急に薄くなってる」
六人はフィーナを先頭に進んだ。
時折立ち止まり、地面や木の幹を確認しながら森の奥へ入っていく。
やがてフィーナが再び足を止めた。
「ここ」
土の上には、確かに複数の足跡が残っている。
だが、その先へ続いていない。
フィーナは一歩踏み出そうとして――止まった。
耳が伏せられる。
「ユウトお兄ちゃん、待って」
「どうしたの?」
「分からない。でも、この先……音が変」
フィーナは足元を見つめた。
「踏んだ時の音が違う気がする」
ユウトはすぐに地面へ【鑑定】を使った。
そして息を呑む。
「全員、下がって」
地面の下に空洞がある。
地下水によって土が長い時間をかけて流され、表面だけが残っている状態だった。
「この辺り、下が空洞になってる。崩れるかもしれない」
全員が慎重に後退する。
その直後だった。
べきっ。
乾いた音が響く。
ユウトの足元が沈んだ。
「ユウトお兄ちゃん、下がって!」
フィーナが叫ぶ。
ユウトが後ろへ跳ぶのとほぼ同時に、フィーナも獣人族特有の脚力で地面を蹴った。
次の瞬間。
地面が大きく陥没した。
大量の土が崩れ落ち、森の中へ轟音が響く。
舞い上がった土煙が視界を覆った。
「みんな!」
「問題ないでござる!」
「こちらも無事です」
「大丈夫ですよ!」
「ったく、危ない地面だね!」
全員の声を聞き、ユウトは胸を撫で下ろした。
そして陥没した穴へ近づく。
「待って」
フィーナが先にユウトの服を掴んだ。
「まだ崩れるかもしれないよ」
「……そうだね」
ユウトは穴から少し距離を取り、【鑑定】で安全な位置を確認してから中を覗いた。
深さは七メートルほど。
底に人影がある。
「人がいる!」
セレスが声を上げた。
三人。
一人が岩壁にもたれ、二人が横たわっている。
「生きてる」
ユウトが状態を確認する。
骨折、打撲、脱水、衰弱。
重傷ではあるが、三人とも命はある。
「最後に出発した三人組で間違いなさそうですね」
セレスがすぐに救急道具を取り出す。
「降ります」
「拙者も行こう」
アイリスも前へ出た。
ユウトは穴の周囲を確認する。
「じゃあ俺が土魔法で壁を――」
「全部固めるなよ」
レティシアが即座に止めた。
「え?」
レティシアは穴の壁面を睨んでいる。
「地下水で土が流されたんだろ? 水の通り道まで固めたら、行き場をなくした水が別の場所へ流れる」
ユウトは地下の状態を詳しく確認した。
水の流れ。
土の密度。
空洞の広がり。
確かに、何も考えず全面を固めれば、別の場所へ負荷が集中する可能性がある。
「……本当だ」
「土を扱えるからって、全部固めりゃいいってもんじゃないさ」
「ありがとう。危なかった」
「分かればいい」
レティシアは穴を見ながら指差した。
「あそこ。それから右側の岩の下。その二か所を支えれば、しばらくは持つと思う」
「分かった」
「私も結界を張ります」
エリシアが杖を構える。
「地盤そのものは支えられませんが、落下する土砂なら防げます」
「では拙者が下へ」
「私も行きます。下で治療しますね」
アイリスとセレスが準備を始める。
フィーナは周囲を見回した。
「じゃあフィーナは、ほかに危ない場所がないか調べる!」
ユウトが指示するより早かった。
「それと、残りの人たちの匂いも探してみる!」
ユウトは一瞬だけ目を見開き、それから頷く。
「お願い」
「任せて!」
フィーナが森の中へ走り出した。
ユウトは残る四人を見る。
少し前の自分なら、全部自分でやろうとしたかもしれない。
土魔法で補強して、自分で穴へ降り、負傷者を治療して、身体強化で運び出す。
できるかどうかだけなら、できる。
けれど、それでは遅い。
今は六人いる。
「分担しよう」
ユウトは穴の近くへ簡単な図を描いた。
「レティシアは地盤を見て補強場所を指示して。俺が土魔法で固める」
「任せな」
「エリシアは結界を維持」
「分かりました」
「アイリスとセレスは下で救助。状態が悪い人から上げよう」
「承知いたした」
「はい」
作業が始まった。
「そこじゃない! もう少し左だ!」
「ここ?」
「そう! その岩盤へ繋げる感じだ!」
レティシアの指示に従い、ユウトが必要な部分だけを土魔法で補強する。
エリシアの結界が穴の上部を覆う。
固定したロープを使い、アイリスが先に降りた。
続いてセレスが下りる。
「意識を確認します!」
セレスが最も状態の悪い冒険者へ駆け寄った。
「右脚骨折。頭部にも傷があります。でも意識はあります」
「……助け……」
「大丈夫です。助けに来ましたよ」
セレスの穏やかな声に、冒険者の表情からわずかに力が抜けた。
アイリスが救助用の布とロープで身体を固定する。
「まずこの者を上げるでござる!」
「分かった!」
ユウトとレティシアがロープを引く。
エリシアは結界を維持しながら、崩れそうな場所を監視する。
一人。
二人。
三人。
全員を地上へ引き上げるまでには時間がかかった。
だが、二次被害は起きなかった。
最後にセレスとアイリスも穴から上がってくる。
そこへ、フィーナが駆け戻ってきた。
「ユウトお兄ちゃん!」
「何か見つけた?」
「うん。別の人の匂いがある」
「残りの六人?」
「そこまでは分からない。でも、こっちよりもっと奥に続いてる」
救助した冒険者の一人が、その言葉に反応した。
「……ほかにも……いるのか……?」
セレスが水を少しずつ飲ませる。
「あなたたちは三人で来たんですよね?」
「ああ……俺たちは三人組だ……昨日、ここに落ちた……」
これで九人のうち三人を発見したことになる。
残る行方不明者は六人。
「落ちたあと……声がしたんだ」
冒険者が続けた。
「どこから?」
「森の……奥……俺たちじゃない……誰かが、助けを……」
フィーナの耳が勢いよく立った。
「待って」
目を閉じる。
全員が黙る。
風が葉を揺らす。
鳥の声。
遠くを流れる水の音。
フィーナの耳だけが、小刻みに向きを変えていく。
やがて目を開いた。
「聞こえる」
「本当?」
「うん。すごく小さいけど……人の声」
フィーナが森の奥を指差す。
「助けを呼んでる」
ユウトには何も聞こえなかった。
【鑑定】でも、離れた場所にいる人間までは見つけられない。
それでも疑う理由はなかった。
「行こう!」
フィーナがすぐに駆け出そうとする。
だが、二歩進んだところで自分から止まった。
振り返り、地面に寝かされた三人を見る。
「……でも、この人たちを置いていけない」
ユウトは少し驚いた。
以前のフィーナなら、助けを求める声を聞いた瞬間、そのまま走り出していたかもしれない。
今は違う。
自分で周囲を見て、考えた。
「うん。まずこの三人を安全な場所まで運ぼう」
「間に合うかな……」
フィーナの耳が不安そうに伏せられる。
「間に合わせる。そのために急ごう」
「うん!」
六人は救助した三人を簡易担架へ乗せた。
森の入口近くまで戻れば、途中に巡回用の小さな休憩所がある。
そこなら負傷者を安全に待機させられる。
担架を持ち上げる直前、ユウトは崩落した穴へ目を向けた。
穴の底。
崩れた土の隙間から、平らな石が露出している。
自然の岩とは違う。
表面には人工的な溝が刻まれていた。
ユウトが軽く【鑑定】する。
【旧排水路跡】
【状態:大部分が崩壊】
【推定用途:地下水の排出】
どうやら、昔この森で使われていた排水設備らしい。
長い年月で壊れたことで地下水の流れが変わり、周囲の土を少しずつ削っていたようだ。
「なるほど……」
大きな遺跡や未知の施設というわけではない。
今回の崩落にも説明がつく。
「何か分かったのですか?」
エリシアが尋ねる。
「昔の排水路みたい。壊れて地下水の流れが変わったのが、地盤が崩れた原因だと思う」
「では、魔物によるものではないのですね」
「少なくとも、この穴はね」
ユウトはそう答え、森の奥を見た。
ならば、残る六人も同じような事故に遭ったのだろうか。
フィーナだけが聞き取った声。
それがまだ続いているなら、急がなければならない。
「行こう」
六人で負傷者を運び始める。
しばらく進んだところで、先頭近くを歩いていたフィーナが突然止まった。
白い耳が森の奥へ向く。
「フィーナ?」
返事がない。
耳を澄ませている。
やがて、フィーナの表情から血の気が引いた。
「……聞こえない」
「え?」
「さっきまで聞こえてたのに」
もう一度、必死に耳を動かす。
右。
左。
森の奥。
何度も向きを変える。
それでも。
フィーナは小さく首を振った。
「助けを呼んでた声が……急に聞こえなくなった」
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