第3章 第78話 遊びを広げる方法
「……これ、前よりずっと立派になってない?」
宿屋の食堂で、ユウトは目の前の盤を見つめた。
森での護衛依頼を終えて町へ戻ってから、レティシアが作り直したものだ。
正方形の木板には均等に溝が彫られ、黒と白に塗り分けた駒も大きさが揃っている。盤は中央から折り畳めるようになっており、閉じれば中へ駒を収納できる仕組みまで付いていた。
「作り直すなら、このくらいはやるさ」
レティシアが満足そうに腕を組む。
「俺、もう少し簡単なものを想像してたんだけど」
「職人にそんなこと言うもんじゃないよ」
その隣では、エリシアが何枚かの紙を机へ並べていた。
「こちらもまとめました」
「ルール?」
「はい」
最初の駒の並べ方、相手の駒を挟めば自分の色へ変えられること、置ける場所がない場合の扱い、最後に駒が多い方が勝つこと。
説明は短く、簡単な図も添えられている。
「文章、ずいぶん少ないね」
「文字を読める人ばかりではありませんから」
エリシアは当然のように答えた。
「図を見れば、おおよその遊び方が分かるようにしました」
「なるほど」
セレスは駒を一つ手に取り、縁を指先で確かめている。
「角も丸くなっていますね」
「小さい子でも怪我しにくいようにしたよ」
「塗料は?」
「口に入れても問題のないものだ」
「それなら安心ですね」
そこへフィーナが身を乗り出す。
「もう遊んでいい?」
「確認が先ですよ」
「遊びながら確認すればいいよ!」
「それも間違ってはいませんね」
「やった!」
フィーナの耳が勢いよく立つ。
その横では、アイリスがすでに盤の前へ座っていた。
「拙者はいつでも始められるでござる」
「アイリスは確認じゃなくて勝負したいだけでしょ」
「勝負の中でこそ分かることもある!」
レティシアが笑う。
「昨日三回負けたからだろ」
「昨日の敗北は今日の糧でござる!」
結局、確認を兼ねた対戦が始まった。
フィーナとセレス。
アイリスとレティシア。
エリシアは横から説明書を見直し、分かりにくい部分を書き換えていく。
ユウトはその様子を眺めながら、前の護衛依頼を思い出していた。
戦いでもそうだった。
フィーナが探し、アイリスが前へ出て、エリシアが魔法で支援し、セレスが全体を見て、レティシアが守る。
今も、それぞれが自分にできることをしている。
一人で全部やるより、良いものになる。
「ユウトお兄ちゃん!」
フィーナの声で我に返る。
「ここ置ける?」
「そこなら――」
言いかけて、セレスの視線に気付く。
にこやかな笑顔だった。
「助言は禁止ですよ?」
「……危なかった」
「ユウトお兄ちゃん、教えてよー」
「自分で考えよう」
「むぅ」
フィーナが盤へ顔を近づける。
そのやり取りを見ていた宿泊客が、いつの間にか近くへ集まっていた。
「それ、前にやってた遊びだよな?」
「盤までできたのか」
「ちょっと見せてくれ」
一人が寄れば、もう一人。
食事を終えた冒険者まで席を移動してくる。
「ルールは?」
「相手の駒を挟めばひっくり返せるんです」
ユウトが簡単に説明すると、すぐに理解した者が盤を覗き込む。
「へえ」
「じゃあ、ここに置けば三つ取れるのか?」
「そうです」
「面白そうだな」
しばらくすると、対戦が終わった盤を宿泊客へ貸すことになった。
一組が遊ぶ。
その後ろで別の者が見る。
見ていた者が次の順番を待つ。
気付けば食堂の一角には、小さな列までできていた。
宿屋の主人も苦笑しながらやって来る。
「ユウト」
「はい?」
「これ、もう一つ作れないか?」
「盤ですか?」
「ああ。これじゃ毎晩取り合いになる」
「そんなに?」
「見れば分かるだろ」
主人が顎で示す。
確かに、順番待ちの客までいる。
「もう一個くらいなら作れるよね?」
ユウトがレティシアを見る。
「そりゃできるけど――」
「なら俺も欲しいな」
近くにいた冒険者が口を挟んだ。
「遠征の夜って暇なんだ。持ち歩けるなら一つ欲しい」
「俺も」
「うちの子に買って帰りたいな」
続けて声が上がる。
そして誰かが尋ねた。
「で、いくらなんだ?」
ユウトは止まった。
「……いくら?」
「売るんだろ?」
「いや、売るつもりで作ったわけじゃ……」
周囲の視線が集まる。
レティシアが盤を指で叩く。
「少なくとも、これを何十個もあたし一人で作る気はないよ」
「それはそうだよね」
「材料だって必要だ」
「うん」
「塗料も、木も、加工する時間もね」
そこまで聞いて、ユウトはようやく現実的な問題へ気付いた。
欲しいと言われたから作る。
一つや二つならそれでもいい。
だが、十個、百個となれば話は違う。
宿屋の主人が言う。
「興味があるなら商業ギルドへ相談してみろ。こういう話は、あそこが一番詳しい」
その日の夕方。
六人は商業ギルドを訪れた。
事情を伝えると、奥の相談席へ案内された。
対応したのは、中年の男性職員だった。
職員は盤と駒をしばらく確認し、エリシアの説明を受けながら数手だけ実際に置いてみる。
「なるほど。覚えやすいですね」
「はい」
「それで、これを売りたいのですか?」
ユウトは少し迷った。
「……まだ分からないです」
「分からない?」
「欲しいとは言われました。でも、元々はみんなで遊ぶために作っただけなので」
職員は頷く。
「では、一つ質問しましょう」
「はい」
「宿屋から百個欲しいと言われたら、あなた方で作れますか?」
ユウトは即答できなかった。
レティシアを見る。
レティシアは眉をひそめる。
「百個は無理だね。冒険の合間に作る量じゃない」
「では千個なら?」
「もっと無理だよ」
職員はユウトへ視線を戻した。
「町の外から注文が来たら?」
「……俺たちが持っていくのは無理ですね」
「では、別の国からなら?」
「もっと無理です」
答えながら、ユウトは少しずつ職員の意図を理解し始めた。
職員はさらに尋ねる。
「作る人が必要ですね?」
「はい」
「材料を用意する人も」
「はい」
「遠くへ運ぶ人も」
「必要です」
「店頭で遊び方を説明する人も」
「そうですね」
職員はそこで話を止めた。
ユウトは盤を見る。
自分たちだけで遊んでいる間は、何も考える必要がなかった。
けれど、本当に多くの人へ届けようとすれば、自分たちだけではできない。
「じゃあ……職人さんに作ってもらって、商人さんに運んでもらう?」
「可能です」
「でも、それだとその人たちにも仕事として続けてもらわないと駄目ですよね」
「なぜです?」
今度は逆に聞かれた。
ユウトは少し考える。
「……お金にならなかったら、続けられないから?」
職員が微笑む。
「その通りです」
そこで初めて、ユウトの中で繋がった。
遊び方を教えるだけなら、無料でもできる。
だが、それでは自分たちが訪れた場所にしか残らない。
作る人がいる。
運ぶ人がいる。
売る人がいる。
そして、その人たちが仕事として続けられるだけの利益を得る。
そうすれば。
「俺たちが行ったことのない町にも届く……?」
ユウトが呟く。
職員が頷いた。
「届かせることはできます」
その言葉に、ユウトは盤を見つめた。
知らない町。
知らない村。
行ったこともない場所。
そこで誰かがこの盤を囲んでいる。
そう考えると、不思議な感覚があった。
「でも、俺が考えた遊びでお金を取るのは……」
まだ少し抵抗が残っていた。
職員はすぐ答えず、別の質問をした。
「この盤を作ったのは?」
「レティシアです」
「その技術に価値はありますか?」
「あります」
「説明書を書いた方の作業は?」
「エリシアの仕事です」
「安全性を確認した方は?」
「セレス」
「公平なルールを確認した方は?」
「アイリス」
フィーナが期待するように手を上げる。
職員は少し困ったようにユウトを見る。
「フィーナは、初めて遊ぶ人が分かりやすいか確認してくれています」
「フィーナも仕事した!」
「そうですね」
職員が笑う。
「なら、すでに一人だけの遊びではありませんね」
ユウトは黙った。
確かにそうだった。
自分が前世で知っていた遊びを思い出しただけでは、今目の前にある形にはなっていない。
レティシアが作り。
エリシアがまとめ。
セレスが安全性を見て。
アイリスが勝負として確かめ。
フィーナが遊ぶ側から意見を出した。
「……そっか」
知識を持っていることと。
それを形にすることは、違う。
そして形にしたものを広げることも、また別の力が必要になる。
職員が尋ねる。
「どうしますか?」
ユウトは仲間たちを見る。
「やってみてもいい?」
最初に答えたのはレティシアだった。
「やるなら、作り方はちゃんと決めるよ。粗悪品が出たら気分が悪いからね」
エリシアも頷く。
「説明書も、もう少し整理できます」
「小さい子が使う場合の注意も決めましょう」
セレスが続く。
「公式の盤面と駒の数も統一したいでござる」
アイリスはすでに勝負のことを考えているらしい。
フィーナは元気よく両手を上げた。
「フィーナはいっぱい遊ぶ!」
「それ確認係ね」
「うん!」
ユウトは笑った。
「じゃあ、やってみます」
職員へ向き直る。
「俺たちだけが得する形じゃなくて、作る人も、運ぶ人も、売る人も、みんな続けられる形にしたいです」
「それなら、まず費用を整理しましょう」
職員が紙を取り出す。
「材料費、加工賃、輸送費、販売手数料。そして考案者側の取り分です」
「考案者の取り分も必要なんですか?」
「なければ、次のものを考える余裕もなくなりますよ」
その言葉に、ユウトは少し考えた。
利益。
前世では当たり前だった言葉。
けれど今は、ただ自分がお金を増やすためだけのものには見えなかった。
誰かが作り続けるため。
誰かが運び続けるため。
誰かが次の工夫をするため。
必要なものなのかもしれない。
商業ギルドを出る頃には、空が茜色に染まっていた。
フィーナがユウトの横を歩きながら、嬉しそうに聞く。
「ねえ、ユウトお兄ちゃん」
「ん?」
「いっぱい作ったら、すごく遠い町でも遊べるの?」
「たぶんね」
「フィーナたちが行ったことない場所でも?」
「うん」
フィーナは少し考えた後、笑った。
「じゃあ、いつか知らない町の子とも一緒に遊べるね!」
ユウトも笑う。
「そうなったら面白いな」
六人はそのまま宿屋へ向かって歩いていく。
まだ、盤の値段も決まっていない。
誰に作ってもらうかも決まっていない。
名前すら正式には決めていない。
それでもユウトには、宿屋の小さな卓上で始まった遊びが、自分たちの手の届かない場所へ広がっていく光景が、ほんの少しだけ想像できるようになっていた。
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