第3章 第77話 任せるという強さ
「右前方、三体! でも、その奥にもいるよ!」
森の中を先行していたフィーナが、低い声で仲間たちへ告げた。
白い狼耳がぴくぴくと動き、わずかな音を拾うように左右へ向きを変える。尻尾も普段のように元気よく振られてはいない。身体を低くして茂みの向こうを睨む姿は、出会った頃の無邪気な少女とは違い、きちんと周囲を警戒する冒険者のものになっていた。
ユウトもすぐに【鑑定】を使う。
視界の先。
木々の隙間から確認できる範囲には、灰色の体毛を持つ四足の魔物が三体。
危険度はE。
一体ずつなら、今の《アカシックレコード》にとって大きな脅威ではない。
だが、ユウトの【鑑定】で直接確認できたのは三体だけだった。
「フィーナ。奥には何体くらいいる?」
「待ってね」
フィーナが目を閉じる。
耳が正面へ向いた。
鼻先を上げ、ゆっくりと息を吸う。
森の湿った土。
苔。
木々の樹液。
仲間たち。
護衛している薬師たち。
そして、その中へ混ざる獣臭を探しているのだろう。
「五……」
フィーナが小さく呟く。
少し間を置いて、首を振った。
「違う。六体いる。風上だから匂いが薄いけど、たぶん六体」
「六体か」
ユウトはもう一度【鑑定】を使ってみた。
だが、木々と起伏に遮られ、奥にいる魔物までは直接捉えられない。
当然だった。
【鑑定】は何でも知ることができる万能の未来視ではない。対象を確認できなければ、表示できる情報にも限界がある。
それでも、フィーナには分かっている。
ユウトには持つことのできない、白狼族として生まれ持った優れた嗅覚と聴覚によって。
「分かった。奥はフィーナに任せる」
「うん!」
フィーナの耳がぴんと立った。
「任された!」
嬉しそうな声だった。
ユウトはその反応に少し笑いながら、すぐに残る仲間たちへ視線を向ける。
「アイリスは正面」
「承知いたした」
アイリスが腰の刀へ手を添える。
「エリシアは左側。護衛対象から離れすぎない範囲でお願い」
「分かりました」
「セレスは後方から全体を見て。レティシアは薬師さんたちの護衛を最優先で」
「はい。怪我をした人がいたらすぐに治療します」
「任せな。こっちは一匹も通さないよ」
今回受けたのは、薬草採取へ向かう薬師たちの護衛依頼だった。
最近になって、街道から少し離れた森でも魔物の目撃数が増えている。
以前なら危険度の低かった採取地へ向かうだけでも、念のため冒険者を同行させるようになったらしい。
依頼そのものはDランク。
今の六人にとって、難易度だけを見れば決して高くない。
だからこそ、六人はこの依頼を実戦形式の連携訓練として利用していた。
《アカシックレコード》を結成してから、何度も依頼をこなしてきた。
一人ひとりの能力は高い。
それでも最初の頃は、決して上手く戦えているとは言えなかった。
ユウトが敵を倒しすぎる。
アイリスが前へ出る。
エリシアが魔法を撃とうとして射線が重なる。
レティシアが守る場所へユウトまで戻ってしまう。
セレスが治療へ向かおうとした時には、すでにユウトが回復魔法を使っている。
フィーナが見つけた敵を報告する前に、ユウトが【鑑定】して処理してしまう。
誰かが間違っているわけではない。
全員が、自分にできることをしようとしていた。
ただ、それぞれが自分の判断だけで動けば、六人でいる意味が薄くなる。
一人ずつなら強い。
六人になれば、もっと強くなれるはずだった。
だから今は、意識的に役割を分けている。
そのための訓練だった。
茂みの向こうから、枝の折れる音が響いた。
「来ます!」
セレスが声を上げる。
次の瞬間、灰色の魔物が飛び出した。
狼に似た姿をしているが、前脚は太く、口元からは長い牙が覗いている。
先頭の一体が地面を蹴った。
「参る!」
アイリスが踏み込む。
刀が抜かれた。
流れるような一閃。
先頭の魔物が地面へ倒れる。
二体目が横からアイリスへ飛び掛かる。
ユウトは反射的に右手を上げた。
魔力を集める。
魔法なら一瞬だ。
初級でも十分に倒せる。
それどころか、今のユウトなら三体まとめて吹き飛ばすことだって難しくない。
――でも。
ユウトは手を下ろした。
「ウインドバレット」
エリシアの杖先から、圧縮された風の弾丸が放たれた。
二体目の脇腹へ直撃する。
魔物が横方向へ吹き飛んだ。
その隙をアイリスは逃さない。
一歩。
さらに一歩。
体勢を立て直す前に距離を詰め、刀の峰を返すように斬撃を叩き込んだ。
三体目は仲間が倒されたのを見て、正面ではなく側面へ回り込もうとする。
護衛対象である薬師たちを狙ったのだ。
「右!」
セレスの声が飛ぶ。
「見えてるよ!」
レティシアが一歩前へ出た。
大盾を構える。
魔物が飛び掛かった。
鈍い衝撃音。
牙が盾へ突き立つ。
「軽い軽い!」
レティシアが身体ごと盾を押し返した。
魔物の前脚が地面から浮く。
その瞬間、セレスが短い補助魔法を放つ。
足元の土がわずかに軟らかくなり、着地しようとした魔物の後脚が沈んだ。
姿勢が崩れる。
「もらった!」
レティシアが盾を振り抜いた。
魔物の身体が転がり、木の幹へぶつかって動かなくなる。
戦闘は、ほんの短い時間で終わった。
ユウトは一度も攻撃していない。
それでも、何の問題もなかった。
正面はアイリス。
左側からの援護はエリシア。
後方確認と補助はセレス。
護衛対象の防衛はレティシア。
それぞれが、自分の役割を果たしていた。
「ユウトお兄ちゃん!」
茂みの奥からフィーナの声が聞こえた。
少しして、葉を肩につけたフィーナが戻ってくる。
呼吸は乱れていない。
怪我もなさそうだ。
「終わったよ!」
ユウトは周囲へ【鑑定】を使った。
近くに敵意を向けている魔物の反応はない。
「六体全部倒したの?」
「ううん」
フィーナは首を振った。
「倒したのは二体だけ」
「残りは?」
「逃げたよ」
「逃げた?」
「うん。一番大きい匂いのやつが群れの中心っぽかったから、そいつのすぐ前に矢を撃ったの」
フィーナが手振りを交えて説明する。
「それで、一体が飛び掛かってきたから倒したでしょ? もう一体も来たから倒したの。そしたら、一番大きいやつが警戒して後ろに下がったから、近くの木にも矢を撃ったら逃げていったの」
「追わなかったんだ?」
「うん」
フィーナは少しだけ考えるように首を傾げ、それからしっかり答えた。
「だって、今日は魔物を全部倒す依頼じゃないでしょ?」
ユウトは目を瞬いた。
「薬師さんたちを守って、採取場所まで連れていく依頼だから。逃げた魔物を追いかけて、みんなから離れたら駄目だと思ったの」
迷いのない言葉だった。
出会ったばかりの頃のフィーナなら、きっとユウトへ尋ねていた。
どうすればいいのか。
追いかけた方がいいのか。
倒した方がいいのか。
自分で決めても大丈夫なのか。
けれど今は違う。
自分で状況を見て。
自分で考えて。
自分で選んだ。
「うん」
ユウトは自然と笑っていた。
「すごくいい判断だったと思う」
「ほんと?」
「うん。俺も同じ状況なら追わない」
フィーナの顔が一気に明るくなる。
「えへへ!」
尻尾が大きく揺れた。
「フィーナ、ちゃんとできた!」
「うん。すごく冒険者らしくなった」
「えへへへへ」
褒められるたびに尻尾の勢いが増していく。
やがて本人も恥ずかしくなったのか、少しだけ顔を赤くして鼻先を掻いた。
「でもね」
「ん?」
「ユウトお兄ちゃんが任せてくれたからだよ」
「俺が?」
「うん」
フィーナは当たり前のように頷いた。
「フィーナが決めていいって思えたから」
その言葉が、ユウトの胸へ残った。
任せる。
これまで、あまり深く考えたことがなかった。
自分ができるなら自分がやる。
それが一番早く、一番安全だと思っていた。
実際、間違っているわけではない。
ユウトは強い。
使える魔法も増えた。
スキルも増えた。
【鑑定】によって、その場で最適な手段を選ぶこともできる。
けれど。
自分が全部やってしまえば、仲間が考える機会まで奪ってしまうことがある。
「ユウト殿」
アイリスが刀についた汚れを拭いながら近づいてきた。
「何?」
「先ほど、拙者へ飛び掛かった魔物に魔法を使おうとしたでござろう」
「……分かった?」
「当然でござる」
アイリスは少し笑った。
「だが、途中でやめた」
「うん」
「ありがたかったでござる」
ユウトは意外に思った。
「危なかった?」
「否」
アイリスは首を横へ振る。
「むしろ逆でござる」
刀を鞘へ収める。
「ユウト殿が手を出せば、拙者は楽ができる。危険も減る。だが、そればかりでは拙者はいつまで経っても、自分の剣で仲間を守れる者にはなれぬ」
「……そっか」
「無論、本当に危険な時は助けていただきたい」
「そこはもちろん」
「拙者も同じでござる」
アイリスが胸を張った。
「ユウト殿が危険なら、拙者が前へ出る。それが仲間というものでござろう」
「背中を預けるってこと?」
「その通り」
アイリスは満足そうに頷いた。
「六人でいるのでござる。一人ですべてを背負う必要はない」
「……耳が痛いなあ」
「私は以前からそう思っていました」
エリシアが眠たげな顔で言った。
「え?」
「ユウトは何でも自分でやろうとしますから」
「そんなに?」
「魔法を使えます」
「うん」
「剣も使えます」
「まあ」
「弓も使えます」
「覚えたからね」
「薬も作ろうとします」
「まだ勉強中だけど」
「壊れた道具も直します」
「簡単なものなら」
「装備まで作ろうとします」
「レティシアに教えてもらってるだけだよ」
エリシアがじっとユウトを見る。
「十分です」
「そうかな……」
「そうですよ」
今度はセレスだった。
にこやかな笑顔なのに、なぜか逃げられない雰囲気がある。
「ユウトさんは、人を頼る練習をしてください」
「頼ってるつもりなんだけど」
「つもり、ですね」
「うっ」
「もっと頼っていいんですよ」
セレスはそう言ってから、少しだけ表情を柔らかくした。
「頼ってもらえるのは、嬉しいものですから」
レティシアも豪快に笑う。
「そういうことだ! 武器が壊れたらあたしに持ってきな!」
「でも、原因くらいなら【鑑定】で――」
「そういうところだよ!」
全員から突っ込まれた。
ユウトは思わず肩を縮める。
「……気をつけます」
「よろしい」
セレスが満足そうに頷いた。
フィーナが横からユウトの袖を引く。
「フィーナにも頼っていいからね!」
「うん」
「いっぱい頼って!」
「分かった」
「でも、お肉を探すのは特に得意だよ!」
「それは頼む場面あるかな……」
「あるよ!」
「あるんだ……」
仲間たちの笑い声が森へ広がった。
緊張していた薬師たちまで、つられたように笑っている。
その後は大きな襲撃もなく、予定していた採取場所へ無事に到着した。
薬師たちが薬草を集めている間、六人は周囲を警戒しつつ休憩を取る。
平らな岩の近くで、フィーナが干し肉を幸せそうに噛んでいた。
セレスは全員へ水筒を配り、エリシアは木陰に座るとすぐに目を閉じる。
「寝ないでね」
「寝ていません」
「目を閉じてるよ」
「魔力を休ませています」
「それ寝る前に言うやつじゃない?」
「違います」
そんな会話をしている横で、レティシアが荷物から平たい木板を取り出した。
「あ」
ユウトにはすぐ分かった。
宿屋で遊ぶために作った盤だ。
線が引かれ、その上へ表裏を黒と白に塗り分けた木片を置いて遊ぶ。
最初は宿屋の卓上へ直接線を引いていたが、それでは外で遊べない。
そこでレティシアが、持ち運べるよう簡単な盤を作ってくれたのだ。
「アイリス」
「受けて立つでござる」
呼ばれる前からアイリスが向かいに座った。
「今日は負けぬ」
「昨日もそう言ってたね」
「昨日の拙者と今日の拙者は違うでござる」
「一晩で何が変わったんだい?」
「精神でござる」
「精神で盤が強くなるなら苦労しないよ」
勝負が始まる。
フィーナも干し肉を持ったまま横へ移動した。
「フィーナ、次!」
「順番だよ」
「じゃあユウトお兄ちゃんの次!」
「俺も入ってるの?」
「もちろん!」
何となく盤を囲んでいると、採取をしていた薬師の一人が興味深そうに近づいてきた。
「それは、何をしているんですか?」
「遊びです」
ユウトが答える。
「この黒と白の木片を置いて、相手の木片を挟むと自分の色に変えられるんです」
「へえ……」
説明している間にも、別の薬師が近づいてきた。
さらに一人。
いつの間にか、小さな人だかりができる。
「そこに置けば白を二つ取れますよ」
「あっ、本当だ」
「駄目でござる、教えては!」
「アイリスが困ってる」
「勝負中の助言は反則だよ!」
レティシアが笑う。
見ている薬師たちも楽しそうだった。
少し前まで魔物の襲撃を警戒して表情を強張らせていた人たちが、今は盤上の勝負に夢中になっている。
ユウトは、その様子を眺めた。
宿屋でも同じだった。
最初は自分たちだけで遊んでいた。
けれど、一人が興味を持つ。
説明すると参加する。
すると、それを見た別の人もやりたがる。
何度も同じ光景を見た。
「レティシア」
「ん?」
「これ、もう少し遊びやすくできないかな」
「遊びやすく?」
ユウトは盤を指差した。
「今のだと木片の大きさが微妙に違うし、盤の線もちょっと歪んでるから」
「おい」
レティシアの眉が動く。
「それを作ったのは誰だと思ってるんだい?」
「レティシア」
「分かってて言ったね?」
「でも、急いで作った試作品でしょ?」
「まあ、そうだけどさ」
レティシアは盤を持ち上げ、改めて眺めた。
「確かに、もっときっちり作ることはできる。板ももう少し薄くできるし、駒の厚さも統一できる」
「箱みたいにして、駒を中に入れられたら持ち運びやすそう」
「それもできるね」
フィーナがすぐに手を上げる。
「フィーナ、駒をなくさないやつがいい!」
「それはお前さんがなくさないよう気をつけるんだよ」
「えへへ」
「褒めてないよ」
エリシアも目を開けた。
「ルールは文章にしておいた方がいいかもしれませんね」
「文章?」
「初めて見る人へ毎回説明しなければならないのは面倒です」
「確かに」
「簡単な図もあると分かりやすいですね」
セレスも盤を見ながら言う。
「小さな子が使うなら、木片の角は丸くした方が安全かもしれません」
「なるほど」
アイリスは盤上の木片を見つめる。
「盤の大きさと木片の数は、毎回同じである方がよいでござるな」
「どうして?」
「同じ条件でなければ勝負の公平さが変わるでござる」
「確かにそうだね」
話が次々と広がっていく。
けれど、誰もまだ商売の話はしていない。
どこで売る。
いくらにする。
誰に作ってもらう。
そんなことまでは考えていなかった。
ただ、もっと遊びやすくしたい。
次に遊ぶ人が困らないようにしたい。
持ち歩いて、旅先でも使えるようにしたい。
その程度だった。
ユウトも、それで十分だと思っていた。
「じゃあ、町に戻ったら一個ちゃんと作ってみようか」
「一個?」
レティシアがにやりと笑う。
「作るからには、今のよりずっといいものにしてやるよ」
「ほどほどでいいよ?」
「職人にほどほどなんて言葉を使うんじゃない」
「ごめんなさい」
「説明もまとめておきます」
エリシアが言う。
「じゃあ、フィーナが初めて遊ぶ人の役!」
「もうルール知ってるじゃないですか」
セレスに突っ込まれる。
「じゃあ忘れる!」
「無理でしょ」
「フィーナならできそうでござる」
「アイリスまで!?」
また笑いが起こった。
ユウトはその輪の中で、ふと先ほどの戦いを思い出した。
フィーナが敵を探す。
アイリスが斬る。
エリシアが魔法を使う。
セレスが全体を見る。
レティシアが守る。
そしてユウトは、必要なところへ手を伸ばす。
今も似ている。
レティシアが盤を考える。
エリシアが説明をまとめる。
セレスが安全を考える。
アイリスが勝負としての公平さを見る。
フィーナが遊ぶ側の感覚を伝える。
一人で作るより、きっと良いものになる。
何でもできることは強さだと思っていた。
今でも、そう思っている。
けれど。
何でも自分でやらなければならないわけではない。
自分にできることを増やすこと。
仲間に任せられることを増やすこと。
その両方が、強くなるということなのかもしれない。
「ユウト殿」
「ん?」
アイリスが盤を指差した。
「次はユウト殿でござる」
「え?」
「拙者は負けた」
「早くない?」
「レティシアが強すぎるのでござる!」
「負けた側が何言ってんだい」
「仇を取ってほしいでござる」
「遊びで仇って……」
「ユウトお兄ちゃん、頑張って!」
フィーナまで拳を握る。
セレスも楽しそうに笑っている。
エリシアはすでに盤面を記録し始めていた。
仕方なくユウトはアイリスと場所を入れ替え、レティシアの正面へ座る。
「手加減してくれる?」
「すると思うかい?」
「思わない」
「なら始めるよ」
黒と白の小さな木片が、盤の上へ一枚ずつ置かれていく。
その日、森の片隅で囲まれていたのは、まだ名前さえ正式には決まっていない、ただの手作りの遊び道具だった。
それがどこまで広がっていくのか。
誰の手へ渡り、どんな場所で遊ばれることになるのか。
この時の六人は、まだ何も知らない。
ただ、自分たちが面白いと思ったものを、もう少し遊びやすくしてみようと考えただけだった。
そして、人の目には決して映らない遥か遠い場所で。
長い間ほとんど変化のなかった何かに、ほんの小さな揺らぎが生まれていた。
お読みいただきありがとうございます。
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