第3章 第73話 任せるということ
森へ入ってから一時間ほどが経った頃、フィーナが突然足を止めた。
白い狼耳がぴんと立ち、鼻先がわずかに動く。
「ユウトお兄ちゃん、前にいる。たぶん四……ううん、五体」
先頭を歩いていたユウトも足を止め、周囲へ意識を広げた。
気配察知にはまだ何も引っ掛かっていない。
「どのくらい先?」
「結構遠いよ。血の匂いもする」
その言葉に、全員の表情が引き締まった。
今回受けたのは、森へ薬草採取に入った冒険者二人が予定日を過ぎても戻らないため、その捜索と救助を行う依頼だった。
ここまでは彼らが残した足跡をフィーナが追ってきたが、途中から魔物の足跡も混ざっている。
「フィーナ、先に確認できる?」
「うん。行ってくる!」
「無理はしないで。見つけても戦わずに戻ってきて」
「分かった!」
フィーナの姿が木々の間へ消える。
ユウトなら自分で先行することもできた。
索敵も隠密も使えるし、【探索上達】によって技術も急速に伸びている。
それでもフィーナに任せたのは、彼女の方が適任だからだ。
白狼族の嗅覚と聴覚は、人族であるユウトには再現できない。
スキルを覚えれば何でも同じようにできるわけではない。
そのことを、六人で行動するようになってから何度も実感していた。
やがてフィーナが戻ってくる。
「いたよ! ブラッドエイプが五体! それと、冒険者が一人倒れてる! もう一人は見えなかった!」
「分かった。救助優先でいこう」
ユウトは全員を見回した。
「アイリスとレティシアは前。エリシアは樹上へ逃げる個体を止めて。フィーナはもう一人の冒険者を探して。セレスは倒れている人の治療をお願い」
「承知いたした」
「任せな!」
「分かりました」
「フィーナに任せて!」
「はい」
六人は一斉に動いた。
少し進むと、木々の間から赤黒い毛並みが見えた。
大型の猿に似た魔物が五体。
その足元には、革鎧を着た男が倒れている。
ユウトは即座に【鑑定】を使った。
【ブラッドエイプ】
【危険度:D】
【特徴:樹上移動に優れる。集団で獲物を包囲する】
【弱点:火属性、腹部】
さらに倒れている冒険者へ視線を移す。
【状態:重傷・大量出血・右大腿部裂傷】
【生命危険度:高】
【緊急処置猶予:ごく短時間】
「セレス!」
「はい!」
セレスが駆け出した瞬間、一体のブラッドエイプが倒れた男へ腕を振り下ろそうとした。
「させぬ!」
アイリスが地面を蹴る。
だが、ほぼ同時にユウトも同じ個体へ踏み込んでいた。
「っ!」
互いの進路が重なる。
ユウトは咄嗟に足を止め、アイリスがわずかに剣筋をずらした。
ほんの一瞬。
致命的な失敗ではない。
しかし、その一瞬で別のブラッドエイプがセレスへ飛び掛かった。
「危ない!」
レティシアの盾が横から滑り込み、鋭い爪を受け止める。
金属音が森へ響いた。
「ユウト! 前に出るなら声を出しな!」
「ごめん!」
「拙者も同じでござる。次から合わせる!」
アイリスがブラッドエイプの腕を切り払い、そのまま腹部へ斬撃を叩き込む。
一体が倒れた。
ユウトは小さく息を吐く。
まだ駄目だ。
個々が強くても、考えていることまで完全に分かるわけじゃない。
「改めていくよ! アイリスは右! 俺は左!」
「承知!」
今度は明確に声を掛けた。
二体が左右から迫る。
ユウトは剣で一体の攻撃を受け流し、腹部へ蹴りを叩き込む。
その隣では、アイリスが低い姿勢から一気に懐へ入り、正確な斬撃で二体目を仕留めた。
残ったブラッドエイプが木の幹へ飛びつく。
「上へ逃げます」
エリシアが杖を向けた。
「ウィンドウォール」
風の壁が枝の間へ広がり、進路を塞ぐ。
ブラッドエイプは空中で姿勢を崩した。
「落ちるよ!」
フィーナが地面を蹴り、幹を駆け上がる。
枝へ着地した瞬間、短剣の柄で魔物の腕を打った。
しがみつく力を失ったブラッドエイプが地面へ落ちる。
「いざ!」
待っていたアイリスが一閃する。
これで四体。
最後の一体が咆哮を上げ、倒れている冒険者へ走った。
「火属性が弱点ですが、ここでは使わない方がいいですね」
エリシアが言う。
周囲は乾いた落ち葉と木々に囲まれている。
火魔法なら簡単に倒せる。
だが、森を燃やす必要はない。
「うん。弱点だからって、必ず使わないといけないわけじゃない」
ユウトは前へ出た。
ブラッドエイプが腕を振り上げる。
動きはもう見切っている。
肩の回転。
腰の捻り。
踏み込み。
【鑑定】で得た情報と、これまで覚えた武技が頭の中で重なる。
半歩だけ横へずれる。
爪が空を切った。
そのまま懐へ入り、剣の柄を腹部へ叩き込む。
魔物が折れ曲がったところへ、レティシアが盾を構えたまま突進した。
「吹っ飛びな!」
重い衝撃。
ブラッドエイプは木へ叩きつけられ、そのまま動かなくなった。
「終わり!」
フィーナが周囲を見回す。
ユウトは剣を収め、すぐにセレスのもとへ向かった。
「どう?」
「出血は止めました。傷は深いですが、命は助かります」
セレスは迷いなく傷口を処置し、回復魔法を必要な部分だけへ使っていた。
ユウトは冒険者へ【鑑定】を使う。
【状態:重傷】
【生命危険度:低下】
【容体:安定】
「よかった……」
「このまま町まで運べば大丈夫です」
ユウトは治療跡を見る。
どこを圧迫し、どの順番で処置し、どの程度まで回復魔法を使うべきか。
自分なら【鑑定】で情報を確認してから考えただろう。
けれどセレスは、自分で判断して正しい処置を行っていた。
「セレス」
「はい?」
「任せてよかった」
セレスは一瞬目を丸くした後、柔らかく笑った。
「当然です。私は治療役ですから」
その言葉が妙に心へ残った。
ユウトは何でもできるようになっている。
剣も、魔法も、探索も、治療も。
けれど、何でもできることと、何でも自分ですることは違う。
誰かに任せれば、自分は別のことができる。
その分だけ救える人が増える。
「ユウトお兄ちゃん!」
少し離れた場所からフィーナの声が飛んできた。
「もう一人の匂い、見つけた!」
「生きてる?」
「分かんない。でも血の匂いは新しい!」
「行こう!」
レティシアが負傷者を背負い、六人はさらに森の奥へ進んだ。
フィーナが匂いを追う。
だが数分も進まないうちに、その足が止まった。
「……変」
耳が伏せられる。
「どうしたの?」
「血の匂いがいっぱいする」
「いっぱい?」
「一人じゃない。それに……すごく大きいのがいる」
直後。
森の奥から、低い唸り声が響いた。
地面が震える。
鳥たちが一斉に飛び立った。
木々の向こうで、巨大な影がゆっくりと立ち上がる。
さっきまで戦っていたブラッドエイプより、明らかに大きい。
ユウトは反射的に【鑑定】を発動した。
【???】
【種族:ブラッドエイプ変異個体】
【危険度:C】
【状態:異常成長】
【推定生存年数:通常個体の範囲内】
【警告:現在の成長段階は、本来の生存期間と一致しません】
「……え?」
ユウトは表示された文字を見つめた。
長く生きた個体ではない。
それなのに、明らかに通常のブラッドエイプを超えている。
そして巨大な魔物の足元には――。
壊れた剣と、引きずられた血の跡が続いていた。
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