第3章 第70話 誰かに渡せる形へ
「ユウト。少し時間をもらえますか?」
朝食を終えたところで、エリシアに呼び止められた。
宿の食堂にはまだ俺たち六人が残っている。フィーナは最後のパンをちぎり、アイリスは食後のお茶を飲み、セレスとレティシアは今日の予定について話していた。
「いいけど、どうしたの?」
「見せたいものがあります」
エリシアが机の上へ数枚の紙を広げる。
文字と図が、紙の端まで細かく書き込まれていた。
「……これ、全部エリシアが?」
「昨夜まとめました」
「寝た?」
「少しは」
セレスが静かに顔を上げる。
「エリシアさん?」
「……十分ではなかったかもしれません」
「あとで休んでくださいね」
「はい」
返事だけは素直だった。
俺は紙へ視線を戻す。
円と線を組み合わせた魔法術式らしい図。その脇には、魔力の流れや失敗例まで記されている。
「これは?」
「ユウトがこれまで行っていた魔法の調整を、他人が読める形へ整理してみたものです」
「俺がやってたこと?」
「はい」
エリシアが一枚を指差す。
「例えばファイアボールです。通常は決められた術式へ魔力を流し、一定の大きさと速度で火球を形成します」
「うん」
「ですがユウトは、必要に応じて大きさを変え、速度を落とし、威力を抑えています」
言われてみれば、普通にやっていた。
周囲を巻き込みたくない時は小さくするし、訓練なら威力を落とす。
「それって、流す魔力を減らしてるだけじゃないの?」
「そこが違います」
エリシアの目から眠そうな雰囲気が消えた。
「単純に魔力量を減らすだけなら、術式そのものが不安定になることがあります。火球が形成されなかったり、途中で崩れたりします」
「……そういえば」
最初に魔法を覚えた頃、似た失敗を何度もしていた。
「ユウトは形成、維持、推進へ使う魔力の配分まで変えているはずです」
「たぶん、そうしてる」
「たぶん、ですか」
「感覚でやってるところもあるから」
エリシアが少し笑う。
「だから記録しているんです」
紙の横へ新しい線を書き足した。
「ユウトは【鑑定】で術式の構造を見て、その意味を理解できます。そして練習すれば、それを自分の魔法へ反映できる」
「うん」
「でも、その理解は今のままではユウトの中にしかありません」
その言葉で、改めて紙を見る。
俺には術式が見える。
どこへ魔力を流すのか。
どこを変えると威力が上下するのか。
どこが不安定なのか。
けれど、それを他人が読める言葉へ直したことはほとんどない。
「記録しておきます、って前から言ってたもんね」
「はい。ようやく比べられる材料が増えてきましたので」
次の紙には、以前の遺跡で使った魔法制御がまとめられていた。
「これも完成した新魔法ではありません。既存魔法の働きを分けて、必要な部分だけ別の目的へ使った例です」
「古代魔法陣の流れを弱めた時の?」
「そうです」
エリシアの指先が図の上をなぞる。
「魔法を一つの完成した形として見るのではなく、いくつかの役割へ分けて考える」
火を生み出す部分。
形を保つ部分。
飛ばす部分。
狙った場所まで届かせる部分。
「それぞれを理解すれば、別の術式へ応用できる可能性があります」
「俺が魔法を組み替える時に考えてることに近いのかな」
「おそらく。ただし――」
エリシアが俺を見る。
「ユウトの方法を、そのまま誰にでも使えるとは考えていません」
「【鑑定】がないから?」
「はい」
俺には内部構造が見える。
他の魔導師には見えない。
「ですから、結果だけを書いても足りません」
「結果だけ?」
「『ここへ魔力を多く流せば威力が下がる』とだけ書いても、なぜそうなるのか理解できなければ、別の魔法には応用できません」
「なるほど」
「逆に、理屈だけ細かく書いても、実際に再現できないなら役に立ちません」
エリシアは紙を一枚抜き取った。
「だから試します」
「何を?」
「ユウトが【鑑定】で見つけた調整を、私が魔法理論として言葉へ直す。その説明だけで、私自身が再現できるかどうかを確かめます」
「面白そう」
「ええ。興味深いです」
声は静かだったが、完全に楽しんでいた。
俺たちはギルドの訓練場を借りた。
ほかの四人も見学についてきた。
「最初はファイアボールにしましょう」
エリシアが杖を構える。
「通常より威力を落として、射程だけを保ちます」
「俺が見てもいい?」
「もちろんです」
発動された魔法へ【鑑定】を向ける。
【ファイアボール】
【属性:火】
【階級:初級】
【術式状態:正常】
【魔力配分:形成部過剰】
【推進部:不足】
【予測結果:射程低下】
「形成の方に使いすぎてる。飛ばす方が少ない」
「やはり、そこですか」
エリシアは魔法を解除した。
「感覚でも違和感はありました。ただ、何がどれほどずれているかまでは分かりません」
「俺にはそこが見える」
「では、その情報をください」
「うん」
見えた内容を伝える。
エリシアはすぐに撃たず、紙へ書き込み、自分の感覚と照らし合わせている。
しばらくして、もう一度杖を上げた。
小さな火球が生まれる。
通常より弱い。
それでも途中で崩れず、標的までまっすぐ飛んだ。
軽い音を立てて消える。
「できた!」
フィーナの尻尾が揺れる。
「成功でござるな」
「一回だけです」
エリシアはすぐ紙へ視線を戻した。
「これだけでは、偶然うまくいった可能性もあります」
もう一度。
今度は途中で火球が揺らいだ。
「あ」
「失敗ですね」
なぜか少し嬉しそうだった。
「嬉しそうだね」
「原因を比べられますから」
俺は苦笑しながら【鑑定】する。
【魔力配分:適正範囲内】
【形成維持:不安定】
【原因:発動中の魔力供給量に微細な変動あり】
「配分そのものは合ってる。でも途中で流す量がぶれてる」
「なるほど」
また書き込む。
成功。
失敗。
成功。
次は形成途中で消える。
そのたびに、俺が見えた情報を伝え、エリシアが自分の感覚との差を書き残す。
少し離れた場所で見ていたレティシアが腕を組んだ。
「鍛冶と似てんな」
「そうなの?」
「数字だけ合ってても、毎回同じように扱えなきゃ意味がねえってことだ」
「確かに」
セレスも頷いた。
「薬も同じですよ。配合だけ正しくても、患者さんや材料の状態によって調整は必要ですから」
同じ知識でも、使うには経験がいる。
俺には【鑑定】がある。
だから原因を見つけるのは速い。
でも、俺に見えたものをそのまま並べるだけでは、他の人には使えない。
エリシアはそれを、試せる言葉へ変えようとしている。
何度目かの試行。
小さな火球が標的まで飛ぶ。
もう一度。
今度もほぼ同じ軌道。
三度目も大きく崩れなかった。
「……ひとまず、この条件では再現できましたね」
「成功?」
「最初の一例としては、です」
エリシアはすぐに付け加えた。
「私と同程度の魔力を持つ魔導師だから成立した可能性があります。魔力量が違う者、魔力操作が苦手な者でも同じ方法が使えるかはまだ分かりません」
「じゃあ、まだ途中なんだ」
「ええ」
エリシアは紙へ最後の一行を書き足す。
「今分かったのは、少なくとも一人は説明をもとに再現できた、ということだけです」
俺はその紙を覗き込んだ。
そこに書かれているのは、俺にしか見えない鑑定結果じゃない。
魔力をどう分けるのか。
何に注意するのか。
どんな失敗が起きたのか。
次に何を確かめるべきなのか。
「……これなら」
「はい?」
「俺がいなくても、試せる人が出てくるのかな」
エリシアが顔を上げる。
「そのために記録しています」
眠そうな目のまま、少しだけ笑った。
「ただし、試せることと、誰にでも使えることは別です」
「そこも調べる?」
「もちろんです」
迷いがない。
「知識は、再現できて初めて次の人へ渡せますから」
その言葉に俺は頷いた。
俺が使える魔法を増やすだけなら、【鑑定】があればいい。
でも、誰かへ残せるものにするには、それだけでは足りない。
エリシアは紙を一枚めくる。
「では次です」
「まだやるの?」
「興味深くなってきましたので」
そこには、今よりずっと複雑な術式が描かれていた。
「……これ何?」
「ユウトが以前使っていた、風魔法の範囲制御です」
俺は思わず空を見上げた。
どうやら、最初の一例を得ただけで満足する研究者ではないらしい。
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