第3章 第69話 借りた技を、自分の剣に
地下から救出した九人を村へ送り届けたあと、俺たちは街へ戻り、冒険者ギルドへ報告を済ませた。
地表の崩落によって露出した人工的な地下構造。
古い通路、残された仕掛け、洞窟牙犬、内部で負傷していた人たち。
分かったことはすべて伝えたが、あの場所が正式にダンジョンと呼べるものなのかまでは、まだ判断できなかった。
ギルド側でも記録を確認し、必要なら改めて調査隊を出すらしい。
少なくとも、俺たちが受けていたのは入口付近の危険確認と救助までだ。
奥に何があるか分からないまま勝手に進む理由はない。
だから、俺たちの仕事はいったんそこで終わった。
翌朝。
朝食にはまだ少し早い時間に目が覚めると、宿の裏手から一定の音が聞こえてきた。
ざっ。
ざっ。
少し間を置いて、また同じ音。
「……アイリスかな」
外へ出る。
予想通り、アイリスが一人で剣を振っていた。
ただし、いつもの素振りとは違う。
一歩踏み込む。
剣を振る。
そのまま前へ抜けず、身体を斜めへ逃がす。
次は、足を出す幅を短くする。
剣先がわずかに届かず、止まる。
「……これでは浅いでござるな」
「何が?」
「む?」
アイリスが振り返った。
「ユウトか。起こしてしまったでござるか?」
「いや、普通に目が覚めた。何してるの?」
「少し試していたところでござる」
額の汗を拭い、もう一度構える。
「地下での戦いを思い返していた」
「洞窟牙犬の?」
「うむ」
剣先を下げ、足元を見る。
「あの狭い通路では、大きく踏み込めばレティシアの間合いへ入る。横へ広がりすぎれば、エリシアの魔法が通る場所を潰す」
「そうだね」
「一人で戦う時とは、剣を振る条件そのものが違う」
アイリスはそう言って、さっきの動きを繰り返した。
「昨日はそこを意識していたの?」
「意識はしていた。しかし、まだ身体に染みついてはいない」
それから俺を見る。
「もう一つ、確かめたいことがある」
「何?」
「ユウトの動きでござる」
思わず自分を指さす。
「俺?」
「最後に一匹が抜けようとした時、ユウトは正面から踏み込まなかった」
「ああ」
壁際を抜けようとした一匹へ入った時だ。
「身体を斜めに差し込み、相手の進路を塞いでから斬った。あれなら仲間の間合いを奪わぬ」
「狭かったからね」
「そこで真似してみたのでござるが――」
アイリスが一歩踏み出す。
俺が昨日やったのとほぼ同じ角度。
しかし剣を振ったところで、途中で止めた。
「届かぬ」
「確かに少し浅いね」
「ユウトは短い踏み込みでも間合いへ届く」
アイリスは自分の足と剣を見る。
「身体の切り返しも速い。拙者が同じ幅で入れば、斬撃が浅くなる。かといって踏み込みを深くすれば、結局ほかの者の間合いへ入りかねぬ」
「なるほど」
単純に速度の問題ではない。
身体能力も、剣を振る癖も、間合いも違う。
「もう一度、昨日の動きをやってもらえぬか?」
「いいよ」
少し離れて立つ。
仮想の敵を正面に置く。
大きく踏み込まず、斜め前へ身体を入れる。
肩を開きすぎない。
相手の進路へ身体を差し込み、短く剣を振る。
「こう」
「もう一度頼む」
「うん」
同じ動きを繰り返す。
三度目で、アイリスが手を上げた。
「分かった」
「もう?」
「何をしているかは、でござる」
首を振る。
「それを拙者が同じように使えるかは別だ」
その言葉に、少し安心する。
アイリスには【武技上達】がある。
俺にも同じ補助能力がある。
けれど、見ただけで身体が勝手に完成形へ動くわけじゃない。
理解し、試し、失敗し、直す。
その過程は残っている。
「じゃあ、アイリスならどうする?」
「それを考えていた」
今度は俺より少し腰を落とす。
踏み込みも、俺よりわずかに深い。
ただし真正面ではない。
相手の横へ回り込むように足を置き、剣は身体の近くへ残す。
そして、一拍遅らせて振る。
「おお」
俺とは違う。
でも、狙っていることは同じだ。
仲間の位置を潰さず、自分の間合いだけを作る。
「これなら?」
「さっきより安定してる」
「拙者もそう感じる」
もう一度。
今度は剣の戻りを小さくする。
次は足の向きを変える。
その次は踏み込みを少し削る。
動きが少しずつ変わっていく。
速い。
普通ならもっと時間がかかるはずだ。
けれど最初からできているわけではない。
考えたことが、練習した分だけ確実に残っていく。
「ユウト」
「ん?」
「もう一度、相手をしてもらえるか?」
「もちろん」
俺たちは向かい合う。
今度は素振りではなく、軽い打ち合いだ。
俺が正面から一歩出る。
アイリスが斜めへ動く。
剣が交わる直前、彼女の足が一瞬止まった。
俺の剣先が肩口へ触れる寸前で止める。
「今のは?」
「踏み込みを意識しすぎた」
「じゃあもう一回」
「承知いたした」
繰り返す。
二度目は止まらない。
でも剣の角度が浅い。
三度目は届く。
代わりに身体が流れる。
「くっ」
「今のはちょっと前に出すぎたね」
「分かっている。もう一度!」
何度も続ける。
動きは少しずつ変わっていった。
俺の形に近づくのではなく、むしろ離れていく。
それなのに、最初よりずっと使いやすそうだった。
しばらくして、アイリスが剣を下げる。
「……少し分かってきた」
「何が?」
「借りるのは形ではないのでござるな」
「形じゃない?」
「何のためにその動きをしたのか。そこを借りればよい」
アイリスは自分の足元を見る。
「ユウトの身体と、拙者の身体は違う。剣の癖も、間合いも違う。なら、同じ動きにする必要はない」
「うん」
「仲間の場所を奪わず、敵の進路へ入る。その考えだけをもらえばよい」
そう言って、もう一度構える。
「拙者の剣は、拙者が作る」
その言葉が、妙に嬉しかった。
「アイリス」
「何でござる?」
「前に俺の技を見た時、嫌じゃなかった?」
アイリスが少し目を細める。
「嫌、というより……恐ろしくはあった」
「やっぱり」
「当然でござろう」
苦笑する。
「長く修練して身につけた動きを、ユウトは人より遥かに早く理解し、身につけていく」
胸の奥が少し重くなる。
「でも今は?」
「今も驚いてはいる」
即答だった。
「ただ、それで拙者が剣を振ってきた時間まで消えるわけではない」
アイリスは剣を握り直す。
「長く振ってきたからこそ、どこを変えれば自分に合うか分かる。何を残すべきかも分かる」
「……そっか」
「ユウトの技を見れば、拙者がまだ知らぬ考え方を知れる」
少し笑う。
「なら、恐れるより利用した方がよい」
「利用って言い方する?」
「使えるものは使う。それも修行でござる」
「それならいいけど」
俺も笑った。
そうしてまた向かい合う。
朝食の匂いが宿から漂ってくるまで、何度も打ち合った。
最後の一度。
俺が正面から踏み込む。
アイリスは斜めへ動いた。
さっきより深く。
でも前へ流れない。
俺の剣を外しながら、自分の剣を振れる位置だけを取る。
刃を止める。
俺の脇腹の少し手前。
「今のは?」
「かなりいい」
「かなり、でござるか」
「まだ完成じゃないでしょ?」
アイリスが少し驚いたあと、笑った。
「その通りでござる」
剣を収める。
「では、もっと磨くとしよう」
俺が見せた動きは、もうそのままでは残っていなかった。
けれど、それでいい。
借りた考え方が、少しずつアイリス自身の剣になり始めていた。
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