第3章 第68話 フィーナが先に走った
暗い通路の向こうから、足音が近づいてくる。
石床を爪が叩く、乾いた音。それがいくつも重なっていた。
「前から七匹!」
フィーナが耳を立てたまま叫ぶ。
「その後ろにもう一匹! 全部で八匹!」
「見えた!」
曲がり角から、低い影が飛び出した。
姿を確認したところで【鑑定】する。
【洞窟牙犬】
【危険度:E】
【特徴:暗所に適応した群生魔物】
【主な攻撃:噛みつき/飛び掛かり】
【行動傾向:弱った獲物を優先して狙う】
【弱点:腹部/首部】
弱った獲物。
俺たちの後ろには、自力で満足に動けない負傷者が九人いる。
「来るぞ!」
「拙者が左を受ける!」
「右はあたしだ!」
アイリスとレティシアが前へ出た。
二人とも通路を完全には塞がない。武器を振る空間と、後ろへ下がる余地を残して立つ。
最初の二匹が飛び掛かった。
「はっ!」
アイリスの剣が一匹の首元を斬り、レティシアの大型打撃武器がもう一匹を正面から叩き落とす。
「後ろの三匹、まとめて来ます」
エリシアが杖を向ける。
「《アースバインド》」
石床が盛り上がり、三匹の脚へ絡みついた。
その横を一匹が抜けようとする。
「右、一匹!」
フィーナの声。
「任せな!」
レティシアが半歩だけずれ、抜け道を塞いだ。
俺は剣を抜いたまま中央に立つ。
前へ出る必要はない。
アイリスが倒せる。
レティシアが止められる。
エリシアが動きを抑えている。
なら、そこは任せる。
「ユウト!」
セレスの声に振り返る。
運ばれていた重傷者の一人が苦しそうに胸を押さえていた。
「呼吸が乱れています!」
すぐに【鑑定】する。
【状態:重傷】
【呼吸:不安定】
【胸部損傷:悪化なし】
【出血:増加なし】
【原因候補:疼痛/緊張/体勢】
「傷は悪化してない。出血も増えてない」
「ありがとうございます。体勢を調整します」
セレスが患者の背を支える。
俺は周囲を確認する。
前方では戦闘。
中央ではセレスが治療。
残る負傷者も壁際に寄せられている。
その時だった。
「……待って!」
フィーナの耳が大きく動いた。
前ではなく、足元へ向く。
「どうした?」
「変な音!」
フィーナが床を見回す。
「下から……違う。床の中で何か鳴ってる!」
俺には聞こえない。
だがフィーナは迷わず走った。
「そこの人、止まって!」
歩ける負傷者の一人が、仲間を支えながら数歩進んでいた。
その足元へフィーナが滑り込む。
「こっち!」
「え?」
腕をつかみ、横へ引く。
次の瞬間。
べきっ。
負傷者が踏み出そうとしていた石床の一部が沈んだ。
「うわっ!」
石が崩れ、下に黒い空洞が開く。
深くはない。
けれど、怪我をした身体で落ちれば無事では済まなかったはずだ。
「フィーナ!」
「大丈夫!」
フィーナは負傷者を支えたまま、崩れた床から距離を取った。
俺は空いた穴へ【鑑定】する。
【劣化床面】
【状態:崩落】
【原因:内部支持材の腐食/継続荷重】
【周辺床面:一部劣化あり】
【魔法的異常:なし】
「罠じゃない。古くなって床の内側が傷んでたんだ」
「さっき、ぎしって鳴ったの」
フィーナが崩れた場所を見る。
「それで、この人がそこに乗ろうとしたから……」
「よく止めた」
思わずそう言うと、フィーナが俺を見た。
「……勝手に動いちゃったけど、よかった?」
ほんの少し不安そうな顔。
「よかったよ」
「本当?」
「俺には聞こえなかった。フィーナが動かなかったら、間に合わなかったかもしれない」
白い耳がぴんと立つ。
「えへへ!」
でも喜んだのは一瞬だった。
すぐにフィーナは周囲の床へ鼻を近づけ、耳を澄ませ始める。
「他にも危ないところがあるかもしれない。フィーナ、先を調べる!」
「頼む」
今度は俺の顔色を確かめなかった。
自分で必要だと思ったことを、そのまま行動へ移している。
「ユウト、前方はあと二匹!」
アイリスの声。
振り返る。
エリシアの拘束を破った二匹が前へ出ようとしていた。
アイリスは一匹。
レティシアも一匹。
担当は埋まっている。
そのさらに奥――最後の一匹が壁際を回り込み、狭い隙間から抜けようとしていた。
そこだけが空いている。
俺は走った。
洞窟牙犬が跳ぶ。
踏み込みと同時に剣を振り抜き、その身体を石床へ落とした。
「これで八匹目!」
フィーナがすぐに耳を澄ませる。
数秒。
「……もう来ない! 前も後ろも足音なし!」
「確認した。先へ進もう」
長引かせる必要はない。
倒した魔物を回収するのも後だ。
今の目的は九人を地上へ帰すことだった。
「床の右側は危ないよ!」
フィーナが先へ走る。
「左側は音、大丈夫!」
「承知いたした。では拙者はこちらを通ろう」
アイリスが重傷者を抱えたまま進路を変える。
「レティシア、その人の足が石に当たりそうです」
「おっと。助かる、セレス」
「エリシア、この先は?」
「魔力反応に異常はありません。ですが床の状態まではフィーナに任せた方がよさそうですね」
「そうだね」
俺は最後尾近くへ下がり、全員を見る。
前ではフィーナが安全な場所を探している。
アイリスとレティシアが重傷者を運ぶ。
エリシアは周囲の魔力を警戒し、セレスは搬送中も患者を見ている。
俺の前に、歩ける負傷者の一人がいた。
さっき足を止めたせいで隊列が少し乱れている。
「肩、貸します」
「す、すまない」
腕を肩へ回してもらう。
今、空いていたのはここだった。
それでいい。
しばらく進むと、前方に白い光が見え始めた。
「出口!」
フィーナの声が弾む。
洞窟を抜けた途端、冷たい地下の空気が途切れた。
村の者たちがこちらへ駆け寄ってくる。
「いたぞ!」
「みんな戻ってきた!」
セレスがすぐ声を上げる。
「重傷の方がいます! 横になれる場所を作ってください!」
村人たちが動く。
俺たちも九人を一人ずつ安全な場所へ運んだ。
最後の一人を下ろしてから、フィーナが指を折る。
「一、二、三……九人!」
「全員いるな」
「うん!」
誰も増えていない。
誰も減っていない。
地下で見つけた九人を、九人全員連れて戻れた。
それからフィーナは、少し離れたところで自分の手を見た。
「フィーナね」
「うん?」
「床が壊れるって分かった時、ユウトお兄ちゃんに聞こうって思ったの」
耳が小さく動く。
「でも、聞いてたら遅いって思ったから、先に動いた」
「うん」
「……それでよかったんだよね?」
「よかった」
今度は迷わず答えた。
「俺の指示より、フィーナが見つけた危険の方が早かったんだから」
フィーナはしばらく俺を見たあと、笑った。
「じゃあ次も、危ないって思ったら動く!」
「ただし、自分まで危なくならないようにな」
「うん! そこもフィーナが考える!」
その返事を聞いて、少しだけ笑う。
誰かに決めてもらうんじゃなく、自分で見つけて、自分で考えて、自分で動く。
たぶん今日一番成長したのは、戦い方じゃない。
フィーナはもう、俺の後ろを歩くだけの少女ではなかった。
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