第1章 第6話 この世界での居場所
本日も5話投稿いたします。
「お前は、あの森で何をしていた?」
グレンの問いに、ユウトはすぐ答えられなかった。
日本で事故に遭って死に、知識神ソフィエルと出会い、この世界へ転生した。
それが真実だ。
だが、出会ったばかりの相手へそのまま話しても、信じてもらえるとは思えない。だからといって、適当な嘘で取り繕えば、後になって説明が食い違う。
話せる範囲で、事実だけを伝えるしかなかった。
「森で目を覚ましました」
「目を覚ました?」
「はい。どうやってあの場所へ来たのかは、うまく説明できません。持ち物も何もありませんでした」
これなら嘘ではない。
異世界へ転生した経緯を、今は話さないだけだ。
グレンはユウトの顔を黙って見つめた。言葉だけではなく、目の動きや息遣いまで確かめているようだった。
「どこから来た?」
「遠い場所です。たぶん、もう戻れません」
「家族は?」
「いません」
短く答えた瞬間、前世の狭い部屋が脳裏をよぎった。
古い建物の、小さな一室。
誰にも遠慮せず眠ることができ、好きな時間に本を読めた、自分で選んだ初めての居場所。
ようやく手に入れたばかりだった。
それなのに、もう戻ることはできない。
胸の奥に鈍い痛みが広がったが、ユウトは目を伏せなかった。
「今、話せるのはそれだけです」
しばらくして、グレンが小さく息を吐いた。
「分かった」
「信じてくれるんですか?」
「全部を信じたとは言っていない」
グレンは森の方角へ目を向けた。
「だが、お前が森で死にかけていたことと、行く場所がないことは嘘ではなさそうだ。それで今は十分だ」
そう言うと、門の内側にいる村人たちへ向き直った。
「こいつはユウトだ。森でホーンウルフの群れに襲われていた。統率個体を倒すのにも手を貸している。傷の手当てと食事を頼みたい」
「群れだって?」
門番をしていた男が顔色を変えた。
「二本角の個体もいた。森の様子がおかしい。詳しい話は村長のところでする」
グレンの言葉で、村人たちの警戒はユウトより森へ向いた。
完全に信用されたわけではない。
それでも、槍を向けられることも、追い返されることもなかった。
木製の門をくぐった瞬間、ユウトの胸に小さな安堵が生まれる。
ラト村は、三十軒ほどの家が集まった小さな村だった。
道は踏み固められた土で、家の多くは木と土壁で作られている。畑には見たことのない葉野菜が並び、柵の中では短い角を持つ山羊に似た家畜が鳴いていた。
子どもたちは遠巻きにユウトを眺め、大人たちはグレンの血に汚れた装備へ不安そうな目を向けている。
異世界へ来た。
森で魔物と戦っていた時よりも、人々の暮らしを目にした今の方が、その事実を強く感じた。
ユウトは村長の家へ案内された。
出迎えたのは、白髪の混じった老人だった。グレンから森での出来事を聞くと、村長はユウトの傷と破れた服へ視線を移す。
「まずは治療だ。話はその後でよい」
村長が声を掛けると、村で薬草の扱いを任されている年配の女性が、布と木箱を持って現れた。
ユウトは椅子へ座らされ、腕へ巻いた布を解かれる。
「自分で処置したのかい?」
「はい。川で傷を洗って、布を巻きました」
「森の水を傷へ使ったのかい?」
「飲んでも問題のない水だと確かめてからです」
女性が不思議そうに眉を寄せる。
グレンも何か言いかけたが、傷の処置を優先したのか、口を閉じた。
女性は傷口を確かめ、わずかに感心したように頷いた。
「少し腫れているけど、土も残っていない。素人にしては上出来だね」
木箱から薬草の軟膏を取り出し、傷へ塗る。強い青臭さの後から、ひんやりとした感覚が広がった。
ユウトは軟膏へ意識を向ける。
【名称:青止草の軟膏】
【品質:普通】
【効果:止血・軽度の炎症抑制】
【使用上の注意:深い傷、毒、骨折には効果がありません】
回復魔法ではない。
この世界にも、薬草を使った普通の治療があるらしい。
新しい布を巻き終えると、女性は念を押した。
「今夜は濡らさないこと。熱が出たり、傷が赤く膨れたりしたら、すぐ知らせるんだよ」
「ありがとうございます」
治療が終わる頃には、空腹で腹が鳴った。
静かな室内へ、情けないほど大きな音が響く。
「……すみません」
「謝る必要はない」
村長がわずかに笑い、食事を用意させてくれた。
出されたのは、黒っぽいパン、豆と野菜を煮たスープ、薄く切られた燻製肉だった。
豪華な料理ではない。
それでも、湯気と香りを前にした途端、口の中へ唾液が溢れた。
「いただきます」
ユウトはスープを口へ運ぶ。
柔らかく煮込まれた豆の甘みと、肉から出た塩気が舌へ広がった。
温かい。
ただそれだけで、泣きそうになった。
白い空間には空腹も味覚もなかった。
森では、生き残ることだけで精一杯だった。
誰かが用意してくれた温かな食事を味わうことで、ようやく自分が本当に生きているのだと実感できた。
「急いで食べると喉へ詰まらせるぞ」
向かいに座ったグレンに言われ、ユウトは慌てて速度を落とした。
「おいしいです」
「村の食事が珍しいのか?」
「こういう温かい料理は、久しぶりなので」
前世でも、誰かが自分のために料理を用意してくれることはほとんどなかった。
孤児院を出てからは、安いパンや簡単な食事ばかりだった。
食べ終えると、村長が机の上へ小さな金属片を置いた。
「グレンから聞いた。金も持っておらんそうだな」
「はい」
「これは鉄貨だ。安いパンなら鉄貨数枚で買える」
黒ずんだ硬貨には、麦の穂に似た模様が刻まれている。
ユウトが【鑑定】すると、情報が表示された。
【名称:アルテシア王国鉄貨】
【用途:貨幣】
【基準価値:最下位貨幣】
【換算:鉄貨十枚で大鉄貨一枚】
今は、これだけ覚えれば十分だ。
「食事と治療のお金は……」
「今は必要ない」
「でも、何も返せません」
「返せない者から無理に取るつもりはない。ただし、元気になっても何もしないなら話は別だ」
村長は穏やかな口調で続けた。
「村には仕事がある。薪運び、畑仕事、家畜の世話。働けるなら、その分の食事と寝床は用意しよう」
「働きます」
ユウトは迷わず答えた。
施しだけを受け続けるのは落ち着かない。
働けば、少なくともここにいてよい理由を作れる。
「それなら、今夜は空いている納屋を使うとよい」
村長が壁際へ視線を向けた。
室内はすでに薄暗くなっている。窓から入る夕日の光だけでは、相手の顔も見えにくい。
村長は卓上に置かれた透明な石へ触れた。
「灯れ」
石の内側へ淡い光が生まれ、室内を柔らかく照らす。
ユウトは思わず身を乗り出した。
「今のは魔法ですか?」
「いや。照明の魔道具だ」
村長はユウトの反応を不思議そうに眺める。
「町なら珍しくもない。村では魔石が高いから、夜の短い時間しか使わんがな」
ユウトは魔道具へ意識を向けた。
【名称:簡易照明具】
【動力:魔石】
【状態:正常】
【残存魔力:少量】
詳しい術式までは理解できない。
だが、森で回収した魔石が、人々の暮らしを支える動力になっていることは分かった。
知識が、初めて生活とつながった。
その時、外から何かが倒れる大きな音が響いた。
続いて、男の怒鳴り声が聞こえる。
「また柄が折れたぞ! これじゃ明日の畑を耕せん!」
村長が深いため息をついた。
「最近は農具の修理ばかりだ。町の職人へ頼むにも、運ぶだけで日数がかかる」
ユウトが窓の外を見ると、鍬らしき道具を抱えた村人が困り果てていた。
遠目では、折れていることしか分からない。
だが、実物を近くで確認すれば、破損した理由や直し方が分かるかもしれない。
自分には【鑑定】がある。
それだけではない。
知識神から授かった力の中には、【道具制作上達】もあった。
「その農具、見せてもらってもいいですか?」
村長がユウトを見る。
「直せるのか?」
「まだ分かりません」
ユウトは正直に答えた。
「でも、見れば何か分かるかもしれません」
食事と治療を受けた。
今夜眠る場所まで与えてもらえる。
それを当然だと思いたくなかった。
ユウトは椅子から立ち上がる。
この世界で、自分が役に立てる最初の機会だった。
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