第1章 第5話 森を知る狩人
地面へ下りると、ユウトの膝はしばらく震えたままだった。
狩人の男はそれを見ても何も言わず、倒れたツインホーンウルフへ近づいた。首へ刺さった矢を抜き、矢尻の曲がりを確かめてから、腰の革袋へ別にしまう。
「その矢、また使うんですか?」
「鏃が無事ならな。矢は勝手に生えてこない」
当然のように返され、ユウトは自分が何も持っていないことを思い出した。
武器もない。
金もない。
着ている服はホーンウルフの爪で裂け、泥と血で汚れている。
生き返った喜びへ浸る余裕など、異世界には用意されていないらしい。
「歩けるか?」
「たぶん」
「さっきも聞いた答えだな」
「今度は落ちません」
「森では転ぶだけでも死ぬことがある。できるか、できないかで答えろ」
厳しい言葉だったが、男の声音に苛立ちはなかった。
ユウトは傷ついた腕と両脚の感覚を確かめる。身体は疲れているものの、立って歩くことはできそうだ。
「歩けます」
「なら、先に魔石を回収する。血の臭いが広がる前に離れるぞ」
狩人は短剣を抜き、ツインホーンウルフの胸元へ刃を入れた。
ユウトは目を逸らしかけた。
先ほどまで自分を殺そうとしていた魔物とはいえ、刃が肉へ沈む光景は生々しい。血の臭いが濃くなり、胃の奥が重くなる。
それでも、男の手元へ【鑑定可能】の表示が浮かんだ。
知りたい。
その気持ちが嫌悪感をわずかに上回った。
「見てもいいですか?」
狩人の手が止まる。
「今度は先に聞けたな」
「はい」
「解体を鑑定するのか、俺を鑑定するのか、どっちだ?」
「両方は駄目ですか?」
「正直なのは悪くない」
男は小さく笑い、短剣を動かし始めた。
「俺はグレン。この近くのラト村で狩人をしている。鑑定して構わん。ただし、見えたことを他人へ言いふらすな。それが最低限の礼儀だ」
「分かりました。俺はユウトです」
「名字は?」
「ありません」
日本では名字もあったはずなのに、なぜか口から出たのは名前だけだった。
ソフィエルが転生の際に整えたのかもしれない。
今は深く考える余裕がない。
ユウトは許可を得て、グレンへ【鑑定】を使った。
【名前:グレン】
【種族:人族】
【年齢:三十八歳】
【職業:狩人】
【レベル:18】
【HP:84/91】
【MP:27/31】
【状態:軽度疲労】
【スキル】
【弓術】
【短剣術】
【索敵】
【気配察知】
【魔力感知】
【採取】
【解体】
【登攀】
ユウトは思わず表示を二度見した。
名前や年齢だけではない。体力や魔力、疲労の状態、持っているスキルまで見えている。
「どうした?」
「いえ……ずいぶん細かく分かるんだなと思って」
「鑑定士でもないのに、人間へ使える時点で珍しいがな」
「そうなんですか?」
グレンの短剣が止まった。
「お前の【鑑定】は、人間の能力まで分かるのか?」
ユウトは答えかけ、口を閉じた。
見えたことを不用意に話すなと、たった今教わったばかりだ。
「詳しいことは、まだ自分でも分かってません」
「それでいい。知らない相手へ能力を全部話すものではない」
グレンは追及せず、再び刃を動かした。
ユウトは内心で首を傾げる。
知識神の加護で多少強化されているとは思っていたが、人物を鑑定できること自体が珍しいらしい。
それでも、神から授かった【鑑定】なのだから、このくらいは特別でも不思議ではない。
ユウトは解体作業へ意識を向けた。
【スキル:解体】
【対象:ツインホーンウルフ】
【目的:魔石、角、牙、毛皮の回収】
【手順:胸骨脇から刃を入れ、臓器を傷つけないよう切開。魔石周辺の魔力組織を切り離す】
【注意:角狼種の魔石は心臓の後方に存在します】
【習得判定:再現可能】
情報が表示されると同時に、グレンの動きが細かく見えるようになった。
短剣を入れる角度。
毛皮を傷つけない刃の向き。
片手で肉を押さえ、もう片方の手で魔石の位置を探る動作。
やがてグレンは、血に濡れた暗赤色の石を取り出した。
親指の先ほどの大きさだった。
「これが魔石ですか?」
「初めて見るのか?」
「はい」
「魔物なら、大抵は体内に持っている。魔道具の動力になるから、町へ持っていけば買い取ってもらえる」
ユウトは魔石へ【鑑定】を使った。
【名称:ツインホーンウルフの魔石】
【品質:普通】
【内包魔力:32】
【用途:魔道具の動力、錬金素材】
【状態:良好】
「内包している魔力まで分かるんだ……」
「何が分かる?」
「魔道具に使えることです」
嘘ではない。
だが、すべてを口にする必要もない。
グレンから教わったばかりの警戒を、さっそく実践する。
「飲み込みは早いようだな」
グレンは魔石を布で拭き、革袋へ入れた。
残りの死骸から角と牙だけを回収し、毛皮には手をつけない。
「毛皮は取らないんですか?」
「時間がかかる。今は血の臭いに別の魔物が寄る方が危険だ」
「価値があっても、全部取ればいいわけじゃないんですね」
「命より高い素材はない」
その言葉には、長く森で生きてきた者の重みがあった。
知識だけなら、【鑑定】で毛皮の価値も回収方法も分かる。
だが、今その作業をすべきかどうかは、表示された情報だけでは決められない。
経験が必要なのだ。
グレンは周囲を見回し、地面へしゃがみ込んだ。
落ち葉へ触れ、折れた小枝を拾い、指先で泥の状態を確かめる。
「どうしたんですか?」
「逃げた二匹の進路を見ている。村へ向かっていないか確認する」
ユウトが意識を向ける。
【スキル:追跡】
先ほどの鑑定結果にはなかった名称だ。
もう一度詳しく見ると、表示が更新された。
【使用技術:索敵および気配察知を応用した追跡技術】
【独立したスキルではありません】
【確認対象:足跡、折れた枝、体毛、血痕、臭気】
複数のスキルと経験を組み合わせた技術らしい。
世界に存在しない新しいスキルを作っているわけではない。
既存の能力を使い、目的に合わせて応用している。
グレンは土へ残った足跡を指した。
「腹を負傷した個体は北へ逃げた。もう一匹は東だ。村は南東にあるが、この足跡ならすぐには近づかん」
「どうして東へ行ったって分かるんですか?」
「爪の向きと土の盛り上がりを見ろ」
言われた場所へ目を凝らす。
確かに、四本の爪痕の先だけ土が深く削れている。
「蹴り出した方向に土が飛ぶ。枝の折れ方も同じだ」
グレンは近くの茂みへ手を伸ばし、灰色の毛を一本つまんだ。
「見るだけでは覚えられん。次の跡はお前が探せ」
「俺が?」
「村までの道で教える。使える目を持っているなら、森で死なないために使い方を覚えろ」
グレンは歩き始めた。
ユウトも慌てて後を追う。
森には道らしい道がなかった。
それでもグレンは迷わない。苔のつき方、木々の間隔、地面の傾き、風の流れを確かめながら進んでいく。
ユウトは一つ一つの動作を観察した。
グレンが足を止める。
「この先に何がある?」
「何が、ですか?」
「目だけで探すな。音と臭いも使え」
ユウトは息を潜めた。
風が葉を揺らす音。
遠くを流れる水。
鳥の鳴き声。
その中に、小さく枝の折れる音が混ざった。
右前方の茂み。
意識を向けると、情報が浮かぶ。
【周辺情報:小型生物の移動反応】
「右前です。たぶん、小さい動物がいます」
茂みから兎に似た生き物が飛び出し、森の奥へ逃げていった。
グレンが眉を上げる。
「音を聞き分けたのか?」
「少しだけ」
「少しで分かる距離ではなかったがな」
ユウト自身も驚いていた。
【探索上達】が、聞いた音と周囲の状況を整理してくれたのだろう。
だが、何も聞かなければ情報は得られない。
意識を向け、考えたからこそ分かった。
【探索上達により、周辺把握への理解が深まりました】
表示が浮かぶ。
すぐに新しいスキルを習得したわけではない。
それでも、先ほどより森の音が区別しやすくなっている。
しばらく歩いたところで、グレンは腰の水筒を差し出した。
「飲め」
「ありがとうございます」
水はわずかに革の臭いがしたが、喉へ流れ込む冷たさが心地よかった。
空腹も強くなっている。
肉体を得たという実感は、喜びより先に要求ばかり伝えてくる。
「村に着いたら、食事は出してもらえますか?」
「働けるならな」
「働きます」
即答すると、グレンが笑った。
「そこは迷わないんだな」
「お腹が空いてるので」
「正直でよろしい」
木々の隙間から、細い煙が見えた。
森のものではない。
人が火を使っている煙だ。
さらに進むと、木を削った杭が並ぶ低い柵が姿を現した。その向こうには畑が広がり、土と藁で作られた家々から夕餉の煙が上がっている。
誰かの笑い声。
家畜の鳴き声。
薪を割る乾いた音。
アルテシアで初めて見る、人の暮らしだった。
「ラト村だ」
グレンが告げる。
柵の内側にいた村人たちが、こちらへ気づいた。
安堵した顔で手を振りかけ、グレンの後ろにいるユウトを見て動きを止める。
泥と血に汚れ、破れた服を着た見知らぬ少年。
警戒されても仕方がない姿だった。
グレンは門の前で振り返った。
「ユウト。村へ入る前に一つだけ聞く」
先ほどまでより低い声だった。
「お前は、あの森で何をしていた?」
ユウトは答えに詰まった。
真実を話すべきか。
それとも、信じてもらえそうな嘘を考えるべきか。
自分で選んだ最初の言葉が、この世界での居場所を決めるかもしれなかった。
お読みいただきありがとうございます。
ブックマークや評価をいただけると励みになります。
そして本日はここまで明日も5話投稿します。
よろしくお願いいたします。




