第2章 第55話 崩れた坑道の向こう
坑道の奥から響いた鈍い音に、全員の足が止まった。
石が擦れ、どこかで小さな欠片が落ちる。
それだけなら、この場所では珍しくない。
けれどフィーナの白い耳がぴんと立ち、すぐに前方へ向いた。
「……待って」
いつもの明るい声ではなかった。
フィーナは目を閉じ、呼吸まで浅くして耳を澄ませる。
ユウトも何も言わず待った。
「……いる」
「魔物?」
「違う。もっと小さい音。たぶん、人。石の向こうから……叩いてる」
フィーナが指差した先には、大量の岩と折れた支柱が折り重なっていた。
レティシアの表情が一変する。
「どけ!」
短い言葉と同時に、彼女は瓦礫へ駆け寄った。
ユウトもその後を追う。
まずフィーナが見つけた音の方向を絞り、その周囲の岩へ【鑑定】を使った。
【崩落瓦礫】
【状態:不安定】
【奥部:空間あり】
【空気流通:微量】
【追加崩落危険:高】
【主荷重:右上部岩盤】
【無理な除去:連鎖崩落の可能性あり】
「奥に空間がある。空気も少し通ってる。ただ、この辺を適当に外すと上が落ちる」
「見りゃ分かる」
レティシアは即答したが、その目は表示されない情報まで拾うように坑道全体を動いていた。
壁。
天井。
割れた支柱。
岩の噛み方。
足元の土。
一本の折れた支柱へ手を伸ばし、指の関節で二度叩く。
乾いた音。
次に別の木材を叩く。
わずかに濁った。
「こっちは死んでる。中まで割れてるな。使うな」
「見ただけで分かるの?」
フィーナが尋ねる。
「見ただけじゃねえ。音と手応えだ。木は割れ方で鳴り方が変わる」
レティシアは足元に転がっていた比較的無事な支柱を拾い、断面を確認した。
「繊維はまだ生きてる。こいつなら使える」
ユウトはその木材を【鑑定】する。
【坑道支柱材】
【状態:一部損傷】
【耐荷重:低下】
【短時間の補強用途:使用可能】
【長時間使用:非推奨】
結果はレティシアの判断と一致した。
けれど彼女は数字も表示も見ていない。
積み重ねた経験だけで、同じ結論へ辿り着いている。
「ユウト。どこが一番きつい?」
「右上。そこへ荷重が集中してる」
「じゃあそこを先に持たせる。ただし一本じゃ足りねえ」
レティシアは坑道の左右を見比べる。
「アイリス、そこの梁を持ち上げられるか」
「承知いたした」
アイリスが太い梁の下へ入り、両手を添える。
「全力で上げるなよ。急に動かせば噛んでる岩が外れる。指一本分ずつだ」
「なるほど。力を出すより、抑える方が難しいというわけか」
「そういうことだ」
アイリスが静かに息を吐いた。
力任せなら、梁を持ち上げるだけで済む。
だが今は、周囲を揺らさず、必要な分だけ動かさなければならない。
「……参る」
腕へ力が入る。
梁がほんのわずかに浮いた。
「そこで止めろ!」
レティシアが即座に声を飛ばす。
アイリスはぴたりと止めた。
「見事だ。そのままだ」
「承知いたした」
「フィーナ、奥の音は?」
ユウトが聞く。
「まだする! でもさっきより弱い!」
「急ごう」
レティシアは木材を斜めに差し込み、短い杭を当てた。
岩を拾って叩こうとしたところでユウトが工具袋を差し出す。
「これ使える?」
「貸せ」
受け取った小槌で、楔を打つ。
一度。
二度。
三度目の前に手を止めた。
木材の表面を指でなぞり、楔の位置をわずかにずらす。
「そこじゃ駄目なの?」
「この向きで打ち込むと繊維に沿って裂ける。少し外す」
再び槌が振られた。
今度は木材が割れず、しっかり噛み込む。
「よし。アイリス、ほんの少しだけ戻せ」
荷重が新しい支えへ移る。
ぎし、と木が鳴った。
ユウトは補強箇所を【鑑定】する。
【仮設補強】
【状態:安定】
【荷重分散:成功】
【短時間安全性:確保】
【注意:奥部除去後に再評価必要】
「持ってる」
「当たり前だ。次だ」
レティシアはもう別の場所を見ていた。
その速さにユウトは一瞬遅れそうになる。
【鑑定】なら、危険な場所そのものは見える。
けれど、どこから手を付けるべきか。
どの木材を使うか。
どれだけ動かすか。
どう支えれば周囲を崩さないか。
表示された情報を、実際の作業手順へ変えるのは別の技術だった。
「エリシア。左の壁、魔法で固められる?」
「できます。ただし全面を固めると、逆に逃げ場を失った荷重が別方向へ集中する可能性があります」
「俺もそう見える。ここだけなら?」
ユウトが亀裂の入った一角を指す。
エリシアはしばらく壁を観察し、手を当てた。
「この範囲だけなら問題ありません。少し調べてみましょう」
魔力が薄く広がる。
土属性魔法が亀裂周辺だけを固め、崩落の進行を抑えた。
「これ以上は広げません」
「十分だ」
レティシアが答える。
少しずつ瓦礫を外していく。
大きな岩はアイリス。
隙間の細かな石はユウトとフィーナ。
危険な壁はエリシアが監視する。
レティシアは全体を見ながら、一つずつ順番を指示した。
やがて、岩の隙間から人の声が聞こえた。
「……誰か……いるのか……?」
「いるよ!」
フィーナがすぐに返す。
「助けに来たよ! もうちょっとだから!」
返事はなかった。
「セレス」
「はい」
セレスが隙間へ膝をつき、中を覗く。
「意識が落ちた可能性があります。急ぎたいですが、崩したら意味がありません」
穏やかな声だが、目は真剣だった。
最後の大きな岩を外す。
その向こうには二人の男が倒れていた。
一人は脚を挟まれ、もう一人は壁にもたれて意識を失っている。
ユウトは対象を確認してから【鑑定】した。
【状態:重傷】
【右下腿:骨折】
【出血:中程度】
【圧迫時間:長】
【急激な解放:循環障害の危険あり】
「脚をすぐ抜くのは危ない」
「私が見ます」
セレスが患者の脈と呼吸を確認し、挟まれた脚の状態を見る。
「ユウトさん、圧迫はどれくらい続いていますか?」
「正確な時間は分からない。ただ、短くはない」
「分かりました。先に出血と循環を確認します。アイリスさん、岩はまだ動かさないでください」
「承知いたした」
ユウトには状態が見える。
だが、どういう順番で処置するかはセレスの方が速い。
彼女は必要な準備を終えてから、ようやく岩を動かすよう頼んだ。
「今です。ゆっくりお願いします」
アイリスが岩を持ち上げる。
セレスが脚を保護しながら引き抜いた。
「大丈夫です。そのまま……はい」
回復魔法の淡い光が傷を包む。
もう一人の男も軽い脱水と打撲はあったが、命に関わる状態ではなかった。
「二人とも助かる?」
フィーナが不安そうに聞く。
「はい。きちんと町で治療を続ければ大丈夫です」
「よかったぁ……」
フィーナの尻尾が力なく垂れたあと、ほっとしたように揺れた。
レティシアはその様子を一度見ただけで、すぐ崩落箇所へ向き直った。
「救助は終わりだ。だが、まだ出るぞ。ここは応急処置しかしてねえ」
「帰り道も同じ場所を通るから、もう少し補強した方がいいね」
「ああ。坑道は一か所持たせりゃ全部安全になるもんじゃねえ。足下も天井も見ろ」
ユウトは頷いた。
危険な場所が分かるだけでは足りない。
大事なのは、その情報を使って、どの順番で安全を作るかだ。
そこにはレティシアが積んできた経験があった。
町へ戻る頃には、外はもう夕方だった。
救助された二人は治療施設へ運ばれ、ギルドにも崩落状況が報告された。
ひと通りの手続きが終わったところで、レティシアが背負っていた大槌を床へ下ろす。
坑道で折れた武器。
柄の付け根近くには、はっきりと亀裂が走っている。
「……さて」
レティシアが腕を組んだ。
「人命の方は片付いた」
そして大槌を顎で示す。
「次はこいつだ」
ユウトも壊れた武器を見る。
「修理する?」
「当たり前だ」
「俺も見ていい?」
その問いに、レティシアはすぐ答えなかった。
数秒だけユウトを見たあと、大槌をこちらへ滑らせる。
「好きに見ろ。ただし――」
口元がわずかに吊り上がる。
「数字を並べただけで鍛冶を分かった気になるなら、叩き出すからな」
「うん。それなら、分からないところは教えてほしい」
レティシアの眉が少しだけ動いた。
「……面白え」
壊れた大槌が、二人の間に置かれた。
救助の次に待っていたのは、戦いではない。
壊れた一本の武器と、その原因だった。
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