第2章 第51話 自分で選ぶということ
町へ戻る頃には、空がすっかり茜色に染まっていた。
毒に侵されていた男性は、途中で何度か苦しそうに息を乱したものの、セレスがそのたびに脈と呼吸を確かめ、薬の量を細かく調整したことで容体を崩すことなく運ぶことができた。
ユウトも隣でそれを見続けていた。
薬をどれだけ入れればいいのか。
回復魔法をどの程度使うべきなのか。
いつ薬を追加し、いつ待つべきなのか。
【鑑定】を使えば、患者の状態そのものは分かる。
毒の作用も、弱まっている症状も、まだ残っている危険も見える。
けれど――。
「今は追加しません」
セレスが薬瓶を閉じた。
「でも、まだ毒は残ってるよ?」
「残っています。だからこそです。効いている途中に追加すると、今度は薬の作用が強くなりすぎるかもしれません」
ユウトは改めて男性へ【鑑定】を使う。
【状態:中毒症状・改善中】
【呼吸機能:安定傾向】
【循環状態:安定】
【残留毒性:あり】
【薬効:継続中】
確かに、情報だけを見れば薬を追加する必要があるようにも思える。
だが、セレスは首を横に振った。
「数字や状態だけではなくて、この人自身を見ます。呼吸の深さ、顔色、汗、手足の冷たさ。薬が効く速さも、人によって違いますから」
「……なるほど」
ユウトは素直に頷いた。
これまで見てきたセレスの動きが、少しずつ自分の中でつながっていく。
薬草の扱い。
傷口の洗浄。
脈を取る指。
投薬の間隔。
回復魔法を使う場所と強さ。
【医療上達】のおかげなのだろう。見て、教えられ、実際に手伝ったことが恐ろしいほど頭へ定着していく。
それでも、分かったからといって、すぐ同じ判断ができるわけではない。
ユウトはそれをはっきり理解していた。
「セレスがいなかったら、俺だけじゃ危なかったな」
「え?」
「毒の成分は見えた。でも、どう薬を使えば一番安全なのかまでは分からなかった」
セレスが少し意外そうに目を瞬いた。
「ユウトさんなら、すぐ覚えてしまいそうですけど」
「覚えるのと、経験があるのは違うよ」
その言葉に、セレスはしばらく黙ってから、柔らかく笑った。
「そう言ってもらえると、少し安心します」
「安心?」
「いえ。何でもありません」
町の門をくぐると、男性はそのまま治療を受けられる場所へ運ばれた。
セレスも一緒に中へ入り、残っている毒への処置を続けるという。
「ここから先は大丈夫です。皆さん、本当にありがとうございました」
「フィーナもいっぱい頑張ったよ!」
「はい。フィーナさんが痕跡を見つけてくれなかったら、原因を追えませんでした」
「えへへ!」
白い耳が嬉しそうに立ち、尻尾が大きく揺れる。
アイリスも静かに頷いた。
「これ以上同じ被害が出ぬよう、ギルドへの報告も必要でござるな」
「私たちでしておきましょう」
エリシアが記録帳を持ち上げる。
「毒の特徴と、見つかった場所、それから注意すべき症状。分かる範囲はまとめてあります」
「もう書いたの?」
「忘れる前に記録するのは大切ですから」
そう言いながらも、エリシアの目の下にはうっすら疲れが見える。
「エリシア、歩きながら書いてたよね」
「問題ありません」
「さっき木にぶつかりそうになってたでござる」
「……それは記録しなくていい情報です」
フィーナが吹き出し、セレスまで小さく笑った。
ほんの少し前に出会ったばかりなのに、不思議とこうして話していることが自然に感じられた。
だが、セレスは治療院の入口で足を止める。
「それでは、私はここで」
「ああ」
ユウトは引き止めなかった。
セレスにはセレスの仕事がある。
ここで人を治すという、自分で選んだ場所がある。
「また会えたら、その時はよろしく」
「はい」
セレスは笑って頷き、患者の後を追って中へ入っていった。
扉が閉じる。
その背中を見送ってから、フィーナが小さく首を傾げた。
「セレス、一緒に来ないの?」
「今は治療院に戻るって言ってたからな」
「そっか」
フィーナはそれ以上何も言わなかった。
ユウトも同じだった。
一緒に来るかどうかは、セレスが決めることだ。
必要だから連れていくのではない。
役に立つから仲間にするのでもない。
自分で選んで、一緒に歩きたいと思った時に初めて、その道は同じになる。
以前、フィーナへそう伝えた。
その考えは今も変わっていなかった。
「……ユウト」
不意に、エリシアが声をかけてきた。
「ん?」
「少し、お話があります」
普段の眠そうな声とは少し違っていた。
フィーナもアイリスも足を止める。
エリシアは記録帳を閉じた。
「私は、遺跡の調査が終わった後も、研究を続けたいという理由で皆さんへ同行しました」
「ああ」
「最初は、本当にそれだけでした」
エリシアは自分の言葉を確かめるように、ゆっくり続ける。
「未知の魔法が見られる。ユウトと一緒なら、自分一人では分からないことも調べられる。だから、しばらく同行してみたいと思いました」
そこで一度、フィーナとアイリスを見る。
「でも、今日分かりました。私は研究だけをしていたいわけではないようです」
ユウトは黙って聞いた。
「フィーナが危険を見つけて、アイリスが皆を守る。ユウトが分かったことを伝えて、セレスがそれを人を救う技術へ変える」
エリシアはわずかに微笑んだ。
「そういうものを、もっと見たいと思いました。それに――私も、その中にいたいです」
それは研究対象へ向ける目ではなかった。
自分がどこへ進みたいのかを決めた人の目だった。
「ですから」
エリシアはまっすぐユウトを見る。
「期間限定ではなく、皆さんの仲間として同行させてもらえませんか?」
「もちろん!」
ユウトが答えるより早く、フィーナが両手を上げた。
「フィーナは賛成!」
「拙者も異論はない」
アイリスも笑う。
「ユウトは?」
「俺も賛成だよ」
ユウトは少しだけ考えてから付け加えた。
「ただ、エリシアが自分でそう決めたなら、だけど」
「はい」
エリシアは迷わなかった。
「私が決めました」
その瞬間、何かが光ったわけではなかった。
風も吹かなかったし、神の声も聞こえなかった。
けれど何となく気になって、ユウトはエリシアへ【鑑定】を使う。
表示された情報の中に、以前はなかった一行が増えていた。
【加護:知識神ソフィエルの小加護】
【補助能力:魔法上達】
「……やっぱり」
「どうしました?」
「いや、なんでもない」
フィーナの時も、アイリスの時もそうだった。
本人が選んだ後に、加護は与えられた。
加護が選ばせたのではない。
まず本人の意思があったのだ。
「じゃあ改めて、よろしく。エリシア」
「はい。よろしくお願いします」
「これで四人だね!」
フィーナが嬉しそうに笑う。
エリシアも、いつもの落ち着いた顔のまま、ほんの少しだけ嬉しそうだった。
一方その頃。
治療院では、セレスが患者の寝台脇で呼吸を確認していた。
「……安定しましたね」
ようやく肩から力を抜く。
処置は成功した。
命も助かった。
なら、今日はそれで終わりのはずだった。
それなのに。
脳裏へ浮かんだのは、毒を見抜いたユウトの顔でも、その異常な【鑑定】でもなかった。
『次の人が咬まれるかもしれないから』
依頼でもないのに、原因を調べるため戻ったこと。
報酬の話を一度もしなかったこと。
誰が何をするべきか命令するのではなく、それぞれができることを自然に出し合っていたこと。
「……変な人たち」
セレスは小さく笑った。
そして、その笑みが消えた後も。
なぜか彼らと別れたことだけが、少し心に残っていた。
お読みいただきありがとうございます。
ブックマークや評価をいただけると励みになります。
よろしくお願いいたします




