第2章 第50話 自分で選んだ仲間
宿へ戻ったあとも、エリシアはいつも通りだった。
夕食が運ばれてくるまでのわずかな時間にも手帳を開き、昼間に確認した魔法の制御について何かを書き込んでいる。
「エリシア、ご飯きたよ!」
フィーナが身を乗り出して声を掛けると、エリシアは顔を上げた。
「忘れてはいません」
「でも、まだ一口も食べてないよ?」
「まだ食べていないだけです」
「それを忘れてるって言うんじゃないかなあ」
フィーナが首を傾げ、白い耳まで同じ角度に傾く。
向かいでは、アイリスが静かに息を吐いた。
「研究へ熱中する姿勢は立派でござるが、身体を壊しては元も子もないでござる」
「承知しています」
そう答えながらも、エリシアの視線はもう一度手帳へ落ちかけている。
ユウトは苦笑しながら、その手帳の上へそっと木の匙を置いた。
「続きは食べてからにしよう」
エリシアは匙を見つめ、それからユウトを見る。
「……分かりました」
ようやく手帳を閉じた。
その様子を見て、フィーナが満足そうに尻尾を揺らす。
こういうやり取りも、いつの間にか自然になっていた。
遺跡で出会った時のエリシアは、あくまで臨時の協力者だった。古代魔法陣を調べるために行動を共にし、その後も研究目的で期間限定の同行を続けているだけ。
少なくとも、これまではそうだった。
食事が半ばまで進んだ頃、不意にエリシアが匙を置いた。
「ユウト」
「ん?」
「少し、話してもいいですか?」
声は普段と変わらない。
けれど、手帳へ伸びかけていた指が止まっていることにユウトは気付いた。
「もちろん」
エリシアは少しだけ考えるように目を伏せた。
「私は最初、古代魔法陣の調査が終わるまで皆さんと行動するつもりでした。その後も、ユウトの魔法解析に興味があったので、しばらく同行させてもらいました」
「うん」
「実際、とても興味深かったです」
「そこは迷わないんだ」
「事実ですから」
即答だった。
フィーナが小さく笑い、アイリスの口元もわずかに緩む。
エリシアは二人へ視線を向けた。
「フィーナは、私が気付かないものを見つけます。魔力では分からない匂いや音まで拾えるので、何度も助けられました」
「えへへ!」
褒められたフィーナの耳がぴんと立つ。
「アイリスが前を守ってくれるから、私は安心して術式へ集中できます。あれほど迷いなく前へ出てくれる人は、研究者として非常にありがたいです」
「仲間を守るのは当然でござる」
アイリスはそう答えながら、どこか照れたように視線を逸らした。
最後に、エリシアはユウトを見る。
「ユウトといると、知らないことが増えます」
「減るんじゃなくて?」
「知れば知るほど、まだ知らないことに気付くからです」
エリシアらしい答えだった。
「私一人なら、古代文字は読めても魔法陣内部の損傷までは分かりませんでした。ユウト一人なら、構造は見えても文章の意味までは分からなかった。フィーナが隠されたものを見つけ、アイリスが戦ってくれたから調査に集中できました」
そこで言葉を切る。
いつもなら理屈だけで結論まで進む彼女が、珍しく少しだけ迷っているように見えた。
「それに……」
「それに?」
「皆さんと一緒にいる時間を、私は気に入っています」
フィーナの尻尾が大きく揺れた。
「ほんと!?」
「はい」
「じゃあ、ずっと一緒にいる?」
あまりにも真っ直ぐな問いに、エリシアは一瞬だけ目を丸くする。
それから、穏やかに答えた。
「その話をしようと思っていました」
ユウトの胸がわずかに高鳴った。
エリシアは姿勢を正す。
「研究が終わるまで同行したいのではありません」
静かな声だった。
「これからも、一緒に旅をしたいと思っています」
誰かに勧められたわけではない。
引き止められたわけでもない。
エリシア自身が考え、決めて口にした言葉だった。
だからこそ、ユウトもすぐには答えなかった。
その決意を軽く扱いたくなかった。
「エリシア」
「はい」
「俺たちと一緒に来てくれるなら、俺は嬉しい」
エリシアの目が少しだけ柔らかくなる。
「でも、一つだけ」
「何でしょう」
「仲間になったからって、エリシアのやりたいことを縛りたくない」
ユウトはゆっくり言葉を選んだ。
「途中で別の場所を調べたくなったなら、そっちへ行ってもいい。いつか別の道を選びたくなったなら、それもエリシアが決めればいい」
フィーナと出会った時から、そこだけは変えたくなかった。
一緒にいることを選ぶ自由があるなら、離れることを選ぶ自由もなければならない。
「それでも今、俺たちと旅をしたいって思ってくれてるなら」
ユウトは笑った。
「よろしく、エリシア」
ほんの一瞬、エリシアは黙った。
それから小さく頷く。
「はい。よろしくお願いします」
そして、少し考えてから付け加えた。
「興味深い旅になりそうですね」
「そこはやっぱり研究基準なんだ」
「追加されただけです」
「何に?」
「旅を続けたい理由に」
ユウトは思わず笑った。
「それなら十分かな」
「エリシア、仲間ー!」
フィーナが立ち上がりかけ、テーブルへ膝をぶつけた。
「いたっ!」
「フィーナ、落ち着くでござる」
「だって嬉しいんだもん!」
アイリスは苦笑し、それからエリシアへ向き直る。
「改めて、よろしく頼むでござる」
「はい。よろしくお願いします、アイリス」
何か特別な光が降り注いだわけではなかった。
神の声が響いたわけでもない。
それでも昨日までの臨時同行者は、今日から自分の意思で同じ道を歩く仲間になった。
ユウトはそこで、ふと以前のことを思い出した。
フィーナが自分の意思で同行を決めた時。
アイリスが旅を共にすると選んだ時。
二人には、その直後に変化があった。
「エリシア」
「はい?」
「仲間になったことで何か変化がないか、【鑑定】してもいい?」
「構いません」
本人の許可を得てから、ユウトは【鑑定】を使う。
見慣れた情報が視界へ浮かび、その中の一項目に目が止まった。
【加護:知識神ソフィエルの小加護】
【小加護能力:【魔法上達】】
やっぱりだ。
エリシアが仲間になると決めた、その後に加護が加わっている。
「何かありましたか?」
エリシアが尋ねる。
「うん。少しだけ」
ユウトは表示を見つめたまま考える。
フィーナも、アイリスも、エリシアも同じだった。
加護が先に与えられたわけではない。
本人が選び、そのあとで与えられている。
与えられたから選んだのではない。
選んだから、与えられた。
その順番だけは、なぜかとても大切なことのように思えた。
「悪い変化ではないよ」
「そうですか」
エリシアはそれ以上追及しなかった。
代わりに手帳を開きかけ――フィーナにじっと見られて、また閉じる。
「食べ終わってからにします」
「うん!」
フィーナが満足そうに笑う。
その夜、四人で囲んだ食卓は、昨日までと大きく変わったようには見えなかった。
それでもユウトには分かっていた。
同じ席に座っていても、意味はもう違う。
翌朝。
冒険者ギルドの依頼板の前で、フィーナが一枚の依頼票を指差した。
「これ、くすり……草?」
「薬草採取だね」
「えへへ、合ってた!」
「よく読めたでござるな」
「この前も見た文字だから!」
嬉しそうに胸を張ったあと、フィーナはすぐに首を傾げた。
「でも、この続きは?」
ユウトは依頼票へ目を通す。
【依頼:薬草採取および周辺調査】
【場所:南方の林】
【備考:採取地付近で原因不明の体調不良者を複数確認】
「薬草を集めるだけじゃないみたいだ」
アイリスの表情が引き締まる。
「体調不良者、でござるか」
エリシアも依頼票を覗き込んだ。
「原因不明なら、現地の環境も確認した方がよさそうですね」
ユウトはもう一度、最後の一文を見る。
ただの採取依頼にしては、妙に気になる。
「これにしよう」
そう言った時だった。
少し離れた受付で、職員が慌ただしく誰かと話している。
「……また一人ですか?」
「はい。今朝、同じ林から戻った冒険者が急に倒れて――」
ユウトは依頼票から顔を上げた。
どうやら、思っていたより急いだ方がよさそうだった。
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