第2章 第47話 知るだけでは救えない
【鑑定】に浮かんだ情報を見た瞬間、ユウトの表情が変わった。
【状態:重度中毒】
【侵入経路:右前腕部の咬傷】
【毒性:複合性】
【進行:血流を介して全身へ拡散中】
【主な影響:呼吸機能低下/筋力低下/循環障害】
【危険度:高】
【推定猶予:短い】
【原因物質:複数】
【完全解毒条件:情報不足】
「毒が一種類じゃない……」
「分かるんですか?」
患者の傍らに膝をついていた若い女性が顔を上げた。
淡い茶色の髪を後ろでまとめ、額には汗が浮かんでいる。だが、手は止まっていなかった。
男の傷口はすでに水で洗われ、咬まれた右腕は心臓より低い位置に固定されている。胸元の衣服も緩められ、浅くなった呼吸を少しでも妨げないようにされていた。
助けを待っているだけではない。
彼女自身が、今できる処置を続けている。
「もう少し見ます」
ユウトは傷口へ意識を集中した。
【毒性成分A:神経伝達阻害】
【毒性成分B:筋収縮異常】
【毒性成分C:血流阻害】
【相互作用:あり】
【単一成分のみの急速中和:危険】
【必要薬効:神経毒抑制/筋収縮安定/循環維持】
【推奨薬剤:特定不能】
【適正配合:患者状態により変動】
【安全投与量:判定不能】
「必要な作用までは分かる。でも、何の薬をどれだけ使えばいいかは出ない」
女性の目が僅かに見開かれる。
「必要な作用が分かるだけでも十分です。神経毒を抑えることと、筋肉の異常を落ち着かせること、それに循環の維持ですね?」
「うん」
「なら、使える薬草は絞れます」
即答だった。
ユウトは逆に驚いた。
「解毒薬はもう使った?」
「まだです」
「どうして?」
「毒の種類が分からないまま入れる方が危険だからです」
女性は男の脈を確認しながら答える。
「効く薬でも、別の毒と作用が重なれば悪化することがあります。今は傷口を洗い、毒の吸収を少しでも遅らせていました」
落ち着いた声だった。
けれど男の唇は紫がかり、胸の上下も弱い。
「ユウトお兄ちゃん……この人、助かる?」
フィーナが不安そうに聞く。
「助けたい」
ユウトは答えた。
助ける、と言い切りたかった。
だが今、自分に見えている情報だけでは足りない。
女性が薬袋を開いた。
「神経毒なら月白草。筋肉の痙攣を抑えるなら苦根草。循環を維持するには赤葉草が使えます」
三つの薬草を取り出しかけて、手が止まる。
「……赤葉草が足りません」
「この近くにある?」
「この辺りの草地にも生えます。ただし、見た目も匂いもよく似た赤毒草があります。間違えると逆効果です」
「フィーナ」
「うん!」
名前を呼ばれた時には、もうフィーナは立ち上がっていた。
女性が乾燥させた赤葉草を一本渡す。
「この香りを覚えてください。ただ、似たものもあります。採った草は必ず私が確認します」
「分かった! フィーナに任せて!」
「拙者も行こう」
アイリスが剣へ手を置く。
「毒を持つ生物がまだ近くにいる可能性もある」
「お願い」
二人が草原へ駆けていく。
エリシアは杖を持ち直した。
「私は周囲へ簡易結界を張ります。何か近づけば分かるようにしておきます」
「ありがとうございます」
女性は短く礼を言うと、乳鉢へ月白草と苦根草を入れた。
細かく潰す。
水を数滴。
別の薬液を加え、色と粘りを確かめる。
動きは速いが、決して雑ではない。
「その調合、見てもいい?」
「構いません。ただ、今は説明する余裕がありません」
「うん」
ユウトは彼女の手元へ【鑑定】を向ける。
【調合】
【分類:既存技能】
【再現:可能】
【必要要素:薬草知識/分量調整/温度管理/患者観察】
【注意:知識不足状態での模倣は危険】
習得そのものはできる。
けれど、今ここで真似すれば同じ結果になるわけではない。
彼女は薬だけを見ているのではなく、患者の状態を見ながら手を動かしている。
「呼吸がさらに浅くなっています」
女性の声が低くなる。
ユウトも男を【鑑定】した。
【呼吸機能:低下継続】
【危険:酸素不足】
【推奨:呼吸補助】
「回復魔法は使えますか?」
「使える」
「強く治そうとしないでください」
「え?」
「今は毒が残っています。身体の一部だけ急に活性化させるより、呼吸筋の負担を軽くする程度に留めた方が安全です」
ユウトは頷いた。
既に知っている回復魔法の術式を思い返し、出力を絞る。
「ヒール」
淡い光が男の胸元を包む。
呼吸が、ほんの少し深くなった。
「そこまでで」
女性が止める。
「今はこれ以上必要ありません」
治せるから強く治すのではない。
必要な分だけ使う。
魔法でも薬でも同じなのかもしれない。
「持ってきたよ!」
フィーナの声が響いた。
戻ってきた両手には、赤い葉が二種類握られている。
「こっちは同じ匂い。でも、ちょっと苦い匂いもする」
女性は二種類を見比べ、一方だけを受け取った。
「こちらが赤葉草です。もう片方は赤毒草ですね」
「やっぱり違った!」
「よく気づきましたね。乾燥させるとさらに見分けにくくなります」
フィーナの耳が嬉しそうに動いた。
女性はすぐ赤葉草を刻み、乳鉢へ加える。
三種類を合わせた薬液を作りながら、患者の瞳、脈、体温を確認する。
「これで飲ませればいいの?」
ユウトが聞く。
「まだです」
女性は首を振った。
「この方の体格なら通常量はもっと多いですが、今は呼吸が弱っています。最初から入れすぎると循環が変わりすぎます」
「どうやって量を決めるの?」
「年齢、体格、毒が入ってからの時間、体温、脈、呼吸。それから元々の体力です」
ユウトには数字が見えている。
けれど彼女は、触れ、見て、経験から判断している。
薬液をほんの少し男へ飲ませる。
待つ。
脈を確認する。
「……もう少し」
二度目。
また待つ。
「セレスさん……」
少し離れていた荷車の持ち主が、不安そうに声を掛けた。
そこで初めて、ユウトは女性の名前を知った。
「大丈夫です」
セレスは患者から目を離さない。
「効き始めています」
ユウトもすぐ【鑑定】する。
【毒性成分A:減少開始】
【毒性成分B:減少開始】
【循環状態:安定傾向】
【呼吸機能:改善傾向】
「本当だ」
「まだ安心はできません。残っている毒へ合わせて、少しずつ調整します」
三度目の投薬。
時間を置く。
男の紫がかっていた唇に、僅かに色が戻ってきた。
やがてセレスが小さく息を吐く。
「……山は越えました」
「助かったの!?」
フィーナの耳が跳ねる。
「はい。ただし完全に毒が抜けたわけではありません。町へ戻ったら、しばらく治療が必要です」
ユウトも胸を撫で下ろした。
自分に見えた情報だけでは、この人は救えなかった。
知識があっても、それを身体へどう使うかを知らなければ足りない。
その時、ユウトの視線が男の咬傷へ戻った。
二本の牙痕の周囲に、緑色の細い繊維が残っている。
「これ……なんだろう」
傷口へ【鑑定】する。
【付着物:湿地性植物の繊維】
【状態:毒液付着】
【混入状況:咬傷形成時に押し込まれた可能性が高い】
【推定:原因生物の口部または体表に付着していた】
【生育環境:湿潤地】
【種類:特定不能】
ユウトは慎重に繊維を摘み取った。
「植物?」
セレスも覗き込む。
「傷に刺さったというより、咬んだ何かに付いていたみたい」
「湿地の植物ですか?」
「たぶん」
セレスが周囲を見る。
見渡す限り、乾いた草原と街道しかない。
「この近くに湿地はありません」
「この人が湿地から来た可能性は?」
荷車の持ち主が首を振る。
「今日は西の村から街道を来ただけだ。湿地なんか通ってない」
エリシアが目を細めた。
「では、原因生物の方が湿地から移動してきた可能性がありますね」
ユウトは男の傷口をもう一度見る。
毒を治せても、咬んだ何かが残っているなら終わりではない。
「原因を探した方がいい」
セレスが少し驚いた顔をする。
「それは依頼ではありませんよね?」
「でも、放っておいたら次の人が咬まれるかもしれない」
フィーナもすぐ頷いた。
「フィーナも探す!」
「拙者も異存なし」
アイリスが続き、エリシアも静かに杖を肩へ戻した。
「原因が分からないままというのは、私も気になります」
セレスは四人を見回した。
やがて、柔らかく笑う。
「……では、この方を町へ送り届けたあと、私も調べます」
その目には、治療中と同じ強さが残っていた。
「毒は、治して終わりではありませんから」
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