第2章 第46話 知識を重ねるということ
遺跡の調査を終えて町へ戻った翌朝、ユウトたちは冒険者ギルドを訪れていた。
いつものように依頼板の前へ向かうと、フィーナが一枚の依頼票を見上げ、白い耳をぴんと立てる。
「これ……ラビット、って書いてある?」
「うん。ホーンラビットだね」
「やった! 読めた!」
フィーナが嬉しそうに尻尾を振る。
依頼を受けるたび、ユウトが文字を読み上げていたからだろう。まだ長い文章は難しいが、何度も見た単語なら少しずつ分かるようになってきていた。
「場所は……まだ分かんない」
「そこは俺が読むよ」
ユウトは依頼票へ目を戻した。
【依頼:ホーンラビット討伐】
【場所:東街道沿いの草原】
【確認数:七体以上】
【目的:街道利用者の安全確保】
【推奨:Fランク複数名】
「街道の近くなんだ」
「うん。ホーンラビット自体はそれほど強くないけど、馬が驚くと荷車の事故につながるらしい」
角を持つ大型の兎型魔物。危険度そのものはFだが、街道へ飛び出せば別の危険が生まれる。
「これにしようよ、ユウトお兄ちゃん!」
フィーナが迷わず言った。
以前なら、依頼を選ぶ時にもユウトの顔色を窺うことがあった。今は自分で依頼票を見て、自分からやりたいと言える。
「アイリスとエリシアは?」
「異存なし。街道を利用する者に危険が及ぶのであれば、放置はできぬ」
「私も構いません」
エリシアは眠そうな目で答えたあと、少しだけ声を弾ませた。
「それと、討伐後に安全が確認できれば、試したい魔法があります」
「昨日話してたやつ?」
「はい」
遺跡の調査を終えたあとも、エリシアは魔法陣についてユウトと長いこと話し込んでいた。
そして話題はいつの間にか既存魔法の構造へ移り、威力だけでなく範囲や発動速度を調整できないか、という話になったのだ。
「まずは依頼を終わらせてからだね」
「もちろんです。実験のために依頼を受けるわけではありませんから」
そう言いながらも、エリシアはすでに帳面を開いていた。
「歩きながら書くのは危ないよ」
「大丈夫です」
言った直後、入口の段差につまずきかけた。
「……大丈夫ではなさそうでござるな」
アイリスの呟きに、フィーナが声を上げて笑った。
東街道までは徒歩で一刻ほどだった。
街道から少し離れた草原へ入ったところで、先頭を歩いていたフィーナの耳が動く。
「止まって」
明るかった声が一瞬で低くなる。
ユウトたちは足を止めた。
「草の向こう。たぶん八……ううん、九匹いる」
「依頼票より多いね」
「それと、一匹だけ街道のほうに近い」
フィーナが風下へ鼻を向ける。
「荷車の匂いもする。まだ遠いけど、こっちに来てるよ」
ただ倒せばいいわけではない。
街道へ逃がさず、近づいてくる荷車との接触も避ける必要がある。
ユウトは草の隙間から見えた一体へ【鑑定】を使った。
【ホーンラビット】
【危険度:F】
【特徴:高い跳躍力を持つ。危険を感じると開けた方向へ逃走する】
【主な攻撃:角による突進】
【弱点:側面からの攻撃】
「追い込む方向を間違えると街道へ逃げる」
「ならば拙者が街道側を塞ごう」
「フィーナは反対側をお願い。エリシアは中央を止められる?」
「やってみます。アースバインドを使います」
四人は静かに散った。
草を踏んだ音に気づき、ホーンラビットたちが一斉に顔を上げる。
最初に動いた一匹が街道へ向かって跳んだ。
「アイリス!」
「承知いたした!」
アイリスが踏み込み、その進路へ滑り込む。剣の腹で地面を叩くと、驚いたホーンラビットが方向を変えた。
「そっちは駄目!」
今度はフィーナが回り込み、小石を投げて逃走方向を限定する。
中央に集まった五体へ、エリシアが杖を向けた。
「アースバインド」
地面から土の帯が伸びる。
しかし捕らえたのは一体だけだった。他の四体は土の帯が伸びきる前に左右へ散る。
「予定より範囲が狭いですね」
エリシアが眉を寄せる。
「でも一匹は止めた。十分だよ」
「いいえ。五体を狙って一体なら不十分です」
その間にも魔物は動いている。
ユウトは一体を剣で仕留め、二体目の進路を風魔法でわずかに逸らす。
その先にはアイリスがいた。
「はっ!」
一閃。
さらにフィーナが横から飛び出した個体を短剣で牽制し、ユウトが追撃する。
数分後。
九体のホーンラビットはすべて討伐され、街道へ出た個体は一体もいなかった。
「終わったー!」
フィーナが草の上へ座り込み、尻尾を大きく振る。
「荷車もまだ来てない。間に合ったね」
「フィーナが先に街道側の一匹へ気づいてくれたおかげだよ」
「えへへ!」
胸を張るフィーナの横で、エリシアはすでに地面へしゃがみ込んでいた。
「さっきのアースバインドですが」
「もう研究するの?」
「安全確認は終わりました」
エリシアの瞳から眠気が完全に消えている。
「術式自体は正常です。ただ、一点から土を伸ばしているため、対象が散開すると追従できません」
ユウトは先ほど発動した魔法の構造を思い返し、【鑑定】で確認する。
【アースバインド】
【属性:土】
【階級:初級】
【用途:対象の足止め】
【改善候補:術式展開起点の分散】
【注意:起点増加に比例して制御難度上昇】
「起点を増やすこと自体はできそうだね」
「ええ。ただし、単純に増やせば魔力が均等に流れません」
「じゃあ、前に見た範囲魔法の分岐部分を使って……」
ユウトは指先で地面へ簡単な術式を描く。
「最初から三方向に分ける」
「そのままでは形成速度が落ちます」
「ここで流れを細くしたら?」
「いえ。逆です」
エリシアがユウトの描いた線を書き直した。
「入口を細くするのではなく、分岐直前だけ圧縮します。そのあと一気に流せば――」
「あ、そっか」
言われてみれば理屈は分かる。
けれど、ユウト一人ではすぐには思いつかなかった。
【鑑定】は改善できる方向を示してくれる。
だが、どう形にするかまで勝手に決めてくれるわけではない。
「少し試してみましょう」
エリシアが杖を構える。
三か所へ置いた石を仮の標的にする。
「アースバインド」
今度は地面の三点から同時に土の帯が伸びた。
二つは石へ巻きつき、残る一本だけがわずかに逸れる。
「惜しい」
「ですが、さっきより良いです」
エリシアはすぐ帳面へ結果を書き込んだ。
「次は分岐後の魔力量を揃えます」
「名前は同じアースバインドでいいの?」
フィーナが首を傾げる。
「今は同じ魔法を調整しているだけですから」
「じゃあ、もっとすごく変わったら?」
「その時は新しい術式として考える必要がありますね」
「面白そう!」
フィーナは意味を全部理解しているわけではなさそうだったが、楽しそうに笑った。
その隣でアイリスも地面の術式を見つめている。
「魔法の修行も剣と似ておるな。一度できたから終わりではない」
「そうですね」
エリシアが素直に頷いた。
「失敗には理由があります。理由が分かれば、次に試せます」
ユウトも頷く。
知ることと、使えることは同じではない。
情報を得て、考えて、試して、失敗して、また直す。
その過程を誰かと一緒に考えるのは、一人で試す時とは違う面白さがあった。
帰路についた頃には、日が少し傾き始めていた。
街道を歩いていると、フィーナの耳が急に立つ。
「ユウトお兄ちゃん」
「どうした?」
「血の匂い」
次の瞬間、アイリスも表情を変えた。
街道の先に、一台の荷車が止まっている。
その脇では男が地面へ横たわり、その傍らに一人の若い女性が膝をついていた。
女性は男の腕を布で縛り、傷口を洗いながら、地面へいくつもの薬瓶を並べている。
「近づくなら気をつけてください!」
ユウトたちに気づいた女性が鋭く声を上げた。
「この方、何かに咬まれています。毒が回っていますが、種類がまだ特定できません!」
助けを待っているだけではない。
彼女自身が、今できる処置を必死に続けている。
男の唇は紫色に変わり、呼吸も浅い。
ユウトは駆け寄りながら、その傷口へ視線を向けた。
「【鑑定】」
表示された情報を見た瞬間、ユウトの表情が変わった。
これは、ただの毒ではなかった。
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