第2章 第40話 それぞれの道
翌朝、ユウトが宿の食堂へ下りると、アイリスはすでに席についていた。背筋を伸ばし、湯気の立つ茶を静かに飲んでいる。その前には小さな焼き菓子が一つ置かれていた。
「おはよう、アイリス」
「おはようございます、ユウト殿」
「おはよー!」
後ろからフィーナも駆けてきた。椅子へ座るなりアイリスの皿を見つけ、白い耳をぴくりと動かす。
「朝から甘いの食べてる!」
「一日の鍛錬へ備えるためでござる」
「昨日もそう言ってたよね?」
「必要なものは毎日必要でござる」
あまりにも真顔で答えるので、フィーナが声を上げて笑った。ユウトもつられて口元を緩める。
だが、アイリスが茶器を置き、改めて二人へ向き直ったことで、食卓の空気が少し変わった。
「ユウト殿。フィーナ殿。拙者は本日、この町を発つつもりでござる」
「……行っちゃうの?」
フィーナの耳が下がる。
「うむ。拙者が故郷を出たのは、武者修行のため。各地を巡り、様々な剣や戦い方を知り、己の未熟を見つけることが目的でござる」
オークとの共闘でユウトと出会い、その剣技を解析され、昨日は共にゴブリンを討った。互いに学べるものがあることも分かった。
それでも、アイリスにはもともと自分で選んだ道がある。
「次はどこへ?」
「まだ決めておりませぬ。近隣の町や村を巡り、依頼を受けながら進むつもりでござる。強者や、まだ知らぬ技と出会えればなお良し」
「そっか」
ユウトはそれ以上引き止めなかった。
「アイリスが決めたことなら、それでいいと思う」
「……やはり、そう言うのでござるな」
「え?」
「いや。何でもない」
アイリスがわずかに笑う。
「ユウト殿と剣を交えられたこと、拙者にとって大きな学びとなった。また機会があれば、ぜひ手合わせ願いたい」
「俺も。もっとアイリスの剣を見たい」
「……真正面から言われると、少々照れるでござる」
わずかに顔を逸らしたアイリスへ、フィーナが身を乗り出した。
「また会える?」
アイリスはすぐには答えなかった。
「それは分からぬ。されど、互いに冒険者であるなら、再び道が交わることもありましょう」
「じゃあ、その時はリバーシ!」
「承知いたした」
「次もフィーナが勝つからね!」
「それは承知できぬ」
即答だった。
「次こそ拙者が勝つ」
「えへへ! じゃあ約束!」
昼前、ユウトとフィーナは町の門までアイリスを見送った。
「それでは、二人とも息災で」
「アイリスも気をつけて」
「またね!」
アイリスは深く一礼すると、そのまま街道を歩き始めた。旅人たちの間へ長身の姿が混ざり、やがて見えなくなる。
「……寂しいね」
「うん」
ユウトも素直にそう思った。
前世では、親しくなった相手が自分の前からいなくなることに慣れていた。孤児院でも、仲良くなった子が養子として引き取られていくことは珍しくなかった。
だから昔なら、別れるくらいなら最初から距離を取った方が楽だと思ったかもしれない。
けれど今は、少し違う。
別れを寂しいと思えるくらい、一緒にいた時間を大切に感じられた。
「でも、アイリスが自分で決めたんだもんね」
隣でフィーナが呟く。
「フィーナも、自分でユウトお兄ちゃんと旅するって決めた。だったら、アイリスも自分で決めた方に行くのがいい」
ユウトはフィーナを見る。
何も選べなかった少女が、今は他人の選択まで尊重しようとしている。
「フィーナ、変わったね」
「え?」
「いい意味で」
少し考えてから、フィーナは照れたように笑った。
「えへへ!」
二人はそのまま冒険者ギルドへ向かった。
昨夜耳にした遺跡らしき場所について尋ねると、まだ位置と危険度を確認している段階で、正式な依頼にはなっていないという。
「低ランク冒険者へ出せる内容かも分かっていません。調査が終わるまで待ってください」
「分かりました」
未知の遺跡と聞けば【鑑定】してみたい気持ちはある。それでも、依頼にもなっていない危険な場所へ勝手に向かうつもりはなかった。
「じゃあ今日はどうする?」
フィーナが依頼板を見る。
「フィーナが選んでみる?」
「いいの?」
「もちろん」
文字をすべて読めるわけではないため、分からない部分はユウトへ聞きながら、一枚ずつ確認していく。
やがてフィーナは一枚の依頼票を指した。
「これ!」
「森で薬草を集める人の護衛だね」
【依頼:薬草採取者の護衛】
【場所:西の森外縁部】
【内容:採取作業中の周辺警戒】
【報酬:大鉄貨三枚】
【推奨ランク:F】
「これがいい?」
「うん。探すのもできそうだし、誰かを守る練習にもなるから」
「じゃあ、これにしよう」
護衛対象との合流は翌朝となった。
その日は森の情報を集め、必要な物を買い足すことにする。
保存食を選ぶ店先で、フィーナは二種類の干し肉を見比べた。
「こっちの方が安い。でも、ちょっと硬い」
「どっちにする?」
ユウトが尋ねると、フィーナはすぐには答えず、財布の中身と二つの値札を交互に見た。
「安い方にする。お金、貯めたいから」
「分かった」
自分で比べて、自分で理由を決める。
その小さな選択を、ユウトはただ見守った。
夕方には宿へ戻った。
食卓には二人分の料理が並ぶ。昨夜まであった三つ目の椅子が空いていることへ、フィーナも気付いているらしい。
けれど、何も言わなかった。
食事を終え、明日の準備をしていた時だった。
宿の扉が勢いよく開く。
一人の冒険者が肩で息をしながら飛び込んできた。
「誰か、ギルドへ知らせてくれ! 西の森の手前で荷車が襲われた!」
ユウトは立ち上がった。
「何に?」
「分からねえ! 怪我人は一人見つけたが、ほかにも森へ逃げた奴がいるらしい!」
フィーナの耳が鋭く立つ。
「ユウトお兄ちゃん」
「ああ」
二人の視線が合った。
「行こう」
「うん!」
フィーナは自分の道具袋を掴んだ。
「フィーナも行く。助けたいから」
二人は宿を飛び出す。
夕暮れの西門の向こうには、日が沈みかけた街道と、黒く沈み始めた森が広がっていた。
その奥から、かすかに風が吹いてくる。
フィーナが足を止め、鼻を動かした。
「……血の匂いがする」
白い耳が、森の奥へ向いた。
「それと――何か、戦ってる音」
ユウトは剣へ手を掛けた。
二人はそのまま、西の森へ駆け出した。
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