第2章 第39話 三人でできること
冒険者ギルドへ入ると、フィーナは真っ先に依頼板へ視線を向けた。
文字をすべて読めるわけではない。けれど、依頼票に描かれた簡単な印や、何度か見た単語なら少しずつ覚え始めているらしい。
「ユウトお兄ちゃん、今日はどれにする?」
「そうだな。まず見てみようか」
「拙者も異存はないでござる」
隣ではアイリスが背筋を伸ばして立っている。
三人で依頼を探すのは、これが初めてだった。
ユウトが掲示された依頼を順番に確認していく。町中の荷運び、薬草採取、畑を荒らす害獣の駆除。その中で、一枚の依頼票に目が止まった。
「これは……町の北にある林で、ゴブリンが目撃されたみたいだ。確認されているのは複数。近くで薪を集める人がいるから、討伐してほしいって」
「ゴブリン!」
フィーナの白い耳がぴんと立つ。
「フィーナ、探せると思う!」
「拙者もゴブリンであれば問題なく斬れるでござる」
アイリスも静かにうなずいた。
依頼票を受け付けへ持っていくと、職員は三人の冒険者カードを確認した。フィーナは登録したばかりのFランクだが、ユウトにはこれまでの討伐実績があり、アイリスにも単独で野外依頼をこなしてきた記録がある。
三人で受けるなら問題ないと判断され、そのまま受注が認められた。
町を出て北へ向かう。
林までは歩いてそれほどかからない。街道から外れる頃には人通りが減り、乾いた土と草の匂いが濃くなっていた。
「フィーナ、ここからお願いしてもいい?」
「うん! フィーナに任せて!」
勢いよく返事をしたフィーナだったが、すぐには走り出さなかった。
鼻をひくつかせ、耳を動かす。
前なら何かを感じた瞬間に駆け出していたかもしれない。けれど今は、地面、草、風向きまで順番に確かめている。
「……変な匂い、ある。人じゃない。獣とも違う」
フィーナは道端へしゃがみ込んだ。
「こっち。土が踏まれてる」
ユウトも視線を落とす。
【地面】
【状態:複数の足跡あり】
【特徴:裸足・幅広】
【推定対象:ゴブリン】
「当たりだね」
「えへへ!」
嬉しそうに尻尾が揺れる。
ユウトにも【探索上達】はある。だが、白狼族の鼻や耳そのものを再現できるわけではない。
フィーナが感覚で異変を拾い、ユウトが【鑑定】で確かめる。
二人だけで依頼をこなしていた時にも形になり始めていた役割だった。
そこへ今は、もう一人いる。
「この先は拙者が前へ出よう」
アイリスが腰の剣へ手を添えた。
「フィーナ殿は敵の位置を探る。ユウト殿は後方から全体を見る。それでいかがか?」
「俺もそれがいいと思う」
「フィーナも!」
三人は林へ入った。
少し進んだところで、フィーナの耳が鋭く動いた。
「待って」
三人とも足を止める。
フィーナは目を閉じた。
「音がする。右の奥」
「何匹くらい?」
「えっと……」
すぐには答えない。
耳の向きを変え、数秒待つ。
「四……」
そこで眉を寄せた。
「違う。もう一個、奥で枝を踏んだ。五匹だと思う」
ユウトは【気配察知】を使った。
確かに、木々の向こうに複数の気配がある。
「俺も五つ感じる」
「よしっ」
フィーナが小さく拳を握った。
加護が答えを教えているわけではない。
聞こえた音を分け、位置を考え、数を整理する。
失敗した時に何が違っていたのかを考えるようになったことで、フィーナ自身の感覚の使い方が急速に洗練されているのだ。
三人は慎重に近づいた。
木々の隙間から、緑色の小柄な影が見える。
五匹。
粗末な棍棒や石を手にしている。
ユウトは一体へ【鑑定】を向けた。
【ゴブリン】
【分類:魔物】
【危険度:F】
【状態:通常】
【特徴:小柄・集団行動】
【弱点:頭部・頸部】
【行動傾向:数的優位を得ると積極的に攻撃】
特別に強い個体はいない。
「普通のゴブリンだ。五匹とも大きな違いはない」
「では、正面は拙者に任せてくだされ」
アイリスが静かに剣を抜いた。
その瞬間、ゴブリンの一匹がこちらへ気付いた。
「ギャッ!」
声を上げ、残りの四匹が一斉に振り向く。
「いざ、勝負でござる」
アイリスが踏み込んだ。
速い。
だが、速さだけではない。
一匹目が棍棒を振り上げるより先に、その間合いの外から一歩踏み込み、首筋へ斬撃を通す。そのまま無理に次を狙わず、半歩ずれて二匹目の攻撃線から身体を外す。
ユウトはその動きへ意識を集中させた。
【剣術】
【既存スキル】
【習得条件:人型種族の身体構造で再現可能】
【解析対象:基本歩法・重心移動・斬撃連携】
【再現可能】
昨日見た動きと重なる。
足を置く位置。
腰の沈み方。
剣を振る前ではなく、踏み込みと同時に重心を前へ運ぶ感覚。
【鑑定】で理解した構造を、【武技上達】の助けを借りながら、自分の身体へ合わせていく。
「ユウトお兄ちゃん、左!」
フィーナの声。
茂みを回り込んだゴブリンが一匹、ユウトへ飛び掛かってきた。
剣を抜く。
昨日見たアイリスの足運びを意識し、一歩だけ前へ出た。
ゴブリンの棍棒が届く直前、その外側へ身体をずらしながら斬る。
刃が胸元を通り、ゴブリンが倒れた。
「……なるほど」
以前より身体がぶれない。
力任せに踏み込まず、重心を移すことで斬撃へ自然に体重が乗っている。
「ユウト殿!」
アイリスが驚いた声を上げた。
しかし、残る敵は待ってくれない。
二匹のゴブリンが同時にアイリスへ迫る。
「右からもう一匹!」
フィーナが叫ぶ。
「承知いたした!」
アイリスは前の一匹を斬り払いながら身体を沈め、右から振り下ろされた棍棒をかわす。反転するように剣を返し、そのまま最後の一匹まで斬り伏せた。
林に静けさが戻った。
「五匹。全部だと思う」
フィーナが耳を澄ます。
「近くに動く音、もうないよ」
ユウトも【気配察知】で周囲を確認した。
「うん。終わりだね」
剣を納めると、アイリスがすぐにユウトへ向き直った。
「ユウト殿」
「はい」
「先ほどの足運び……拙者の動きを参考にされたでござるか?」
「うん。昨日見せてもらった動きを思い出して試してみた」
アイリスが固まった。
「……昨日?」
「まだ全然同じじゃないけど」
「いや、待たれよ」
アイリスが一歩近づく。
「拙者があの歩法を形にするまで、どれほど――」
そこで口を閉じた。
悔しそうというより、理解できないものを見る顔だった。
ユウトは慌てて続ける。
「動きの形は分かっても、アイリスと同じことができるわけじゃないよ」
「む?」
「さっきだって、アイリスは二匹に囲まれた時、先にどっちを斬るか一瞬で決めてた。俺は動き方を真似できても、あの判断はまだできない」
剣を振る形だけなら解析できる。
けれど、敵の位置、武器、仲間との距離、地面の状態まで見ながら最適な一手を選ぶ経験は、一度見ただけで身につくものではない。
「だから、もっと教えてほしい」
「拙者が……ユウト殿に?」
「うん。あの動き、すごく勉強になる」
アイリスは何度か瞬きをした。
やがて、真剣な顔でうなずく。
「……承知いたした」
わずかに口元が緩んだ。
「拙者も未熟者ゆえ、教えるなどとは大それたことでござるが……共に鍛錬するのであれば、喜んで」
「ありがとう」
「フィーナも教えて!」
「フィーナ殿はまず剣を持っておらぬであろう」
「じゃあ走るやつ!」
「それならば……いや、拙者よりフィーナ殿の方が速いのでは?」
「えへへ!」
三人の笑い声が林に響いた。
ギルドへ戻り、討伐を報告する。
依頼は問題なく完了として処理された。
宿へ戻る頃には日も傾き始めていた。
夕食の席には、三人分の料理が並んでいる。
フィーナは迷わず肉料理を選び、アイリスは食後に小さな焼き菓子を追加した。
「アイリスって甘いもの好きなんだ」
「……武者修行に糖分は重要でござる」
「ほんと?」
「重要でござる」
妙に力強い。
食後、フィーナが宿の隅に置かれていた盤を見つけた。
「あ、ユウトお兄ちゃん。やろう!」
以前作ったリバーシの原型だった。
宿泊客の間ではすっかり遊び方が定着し、今ではユウトがいなくても誰かしらが盤を囲んでいる。
「それは何でござる?」
アイリスが興味を示した。
「挟んだ駒を自分の色に変えて、最後に多い方が勝ち」
ユウトが簡単に説明すると、アイリスは真剣な顔で盤を見つめた。
「なるほど。敵陣を読み、先を予測する鍛錬でござるな」
「遊びだよ?」
「遊びも鍛錬になり得るでござる」
最初にフィーナと対戦した。
結果は、フィーナの勝ちだった。
「やったー!」
「……もう一度」
アイリスの声が低くなる。
「今日は一回だけにしない?」
「では明日、再戦を所望する」
「もう決まってるの?」
「当然でござる」
フィーナが楽しそうに笑った。
ユウトもつられて笑う。
ふと卓上を見る。
少し前まで、自分一人で食事をしていた。
やがてフィーナが隣へ座るようになった。
そして今、向かいには真剣な顔で盤を睨むアイリスがいる。
三人分の食器。
三人分の椅子。
盤の上には、三人で触れた駒が散らばっていた。
仲間が増えるというのは、戦える人間が一人増えるだけではないのかもしれない。
「ユウトお兄ちゃん?」
「ううん。なんでもない」
その時、宿の扉が開いた。
入ってきた冒険者たちが、店主へ何かを尋ねている。
会話の中から聞こえた一言に、ユウトは顔を上げた。
「……遺跡?」
明日の朝、冒険者ギルドへ新しい調査依頼が出るらしい。
まだ誰も知らない。
その依頼が、ユウトたちを次の出会いへ導くことを。
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