第2章 第37話 再会は助けを求める声とともに
アイリスと別れてから二日後。
ユウトとフィーナは朝から冒険者ギルドの掲示板を眺めていた。
「今日はどれにする?」
フィーナは以前のようにユウトの答えを待つだけではなく、自分でも依頼票を一枚ずつ確認している。文字はまだ全部読めない。それでも分かる単語を拾い、分からない部分だけをユウトに聞くようになった。
「これは?」
「薬草採取。町から近い場所だね」
「こっちは?」
「北側の畑を荒らす魔物の調査」
「じゃあ……こっち!」
フィーナが指差したのは、町の南にある林道の巡回依頼だった。
【依頼:南林道の安全確認】
【内容:林道周辺で魔物の目撃報告が増加。通行可能か確認し、危険があれば報告すること】
【推奨ランク:F以上】
【報酬:大鉄貨三枚】
「これがいい理由は?」
「歩きながら探す練習ができそうだから!」
「いいと思う」
「えへへ!」
二人で依頼を受け、南門から町を出た。
林道は荷車二台がすれ違えるほどの幅があり、町に近い区間では人の往来も多い。道沿いには背の低い草、その向こうには疎らな林が続いている。
フィーナは道の端を歩きながら、耳と鼻を忙しく動かしていた。
「人の匂い、いっぱい」
「よく使われてる道なんだろうね」
「古い匂いと、新しい匂いが混ざってる」
「違いが分かる?」
「なんとなく。新しい方が強いし、残り方も違う気がする」
【探索上達】が答えを与えているわけではない。
けれど、経験したことを以前より整理しやすくなり、自分の感覚を少しずつ言葉にできるようになっている。
その成長は、ユウトが横から教え込んだものではない。
フィーナ自身が見て、嗅いで、考えた結果だった。
しばらく進んだところで、白い耳が急に前を向く。
「……音」
「何?」
「誰か走ってる。あと、叫んでる」
ユウトにはまだ聞こえない。
「どっち?」
「あっち!」
フィーナが林道の先を指した。
ユウトも【気配察知】へ意識を集中する。
複数の気配。
一つは人。
その後方に、さらにいくつか。
「行こう」
「うん!」
二人が走り出す。
やがて木々の向こうから一人の男が飛び出してきた。服は土で汚れ、片腕から血が流れている。
「た、助けてくれ!」
男の背後で枝が折れた。
三体のゴブリンが姿を現す。
さらに奥にも気配があった。
ユウトは先頭へ【鑑定】を使う。
【ゴブリン】
【危険度:F】
【状態:興奮】
【武器:粗製短剣】
普通のゴブリンだ。
「フィーナ、その人を道の後ろへ!」
「分かった!」
ユウトが剣を抜こうとした、その瞬間。
「はあっ!」
横手の茂みから一人の剣士が飛び出した。
一閃。
先頭のゴブリンが倒れる。
長い髪。
首筋の細かな鱗。
「アイリス!」
「ユウトか!」
驚いたのは一瞬だった。
残る二体が同時に襲いかかる。
「話は後!」
「承知!」
ユウトが右の一体へ踏み込む。
振り下ろされた短剣を受け流す。以前アイリスから学んだ時より、肩へ残る衝撃は明らかに小さい。
そのまま斬り倒す。
左の一体はアイリスが仕留めた。
「奥にまだいる!」
フィーナの声が飛ぶ。
「四……五! こっちに来る!」
「怪我人を守ってて!」
「うん!」
ユウトとアイリスが並ぶ。
林の奥から五体のゴブリンが現れた。
「今度は五体か」
「拙者が三体」
「じゃあ俺が二体」
「前とは逆でござるな」
「問題ある?」
「ない!」
二人が同時に踏み込む。
ゴブリン相手なら苦戦するほどではない。
ユウトは一体の短剣をかわし、腹へ柄を叩き込む。そのまま二体目の足を払った。
人を襲っている以上、ためらっている余裕はない。
それでも、必要以上の魔法は使わなかった。
すぐ後ろには負傷者がいる。道の周囲には木々も多い。
範囲魔法を使えば早いが、巻き添えや飛散物まで考えれば剣で終わらせる方が安全だった。
アイリスも無駄のない斬撃で三体を倒す。
最後の一体が背を向け、林へ逃げ込もうとした。
「待って!」
ユウトが追おうとした、その時。
「ユウトお兄ちゃん! この人、血が止まらない!」
フィーナの声が響いた。
ユウトの足が止まる。
逃げるゴブリンを見る。
負傷した男を見る。
迷ったのは一瞬だった。
「そっちを優先する!」
「逃がすのでござるか?」
「今は人が先!」
ユウトは男のもとへ駆け寄り、しゃがみ込む。
傷へ【鑑定】を使った。
【状態:裂傷・出血】
【生命危険:現時点では低】
【注意:出血継続】
【推奨処置:圧迫止血・洗浄】
すぐ命に関わる傷ではない。
だからといって、放置していいわけでもない。
「フィーナ、清潔な布を出して」
「はい!」
布を傷へ当て、圧迫する。
「痛いと思うけど我慢してください」
「あ、ああ……」
水で周囲の汚れを落とし、必要最低限の処置を施す。
アイリスは林の方へ身体を向けたまま、周辺を警戒していた。
「追わなくてよかったのか?」
「後で痕跡を確認する。今はこの人を安全にする方が先」
「だが、逃げた一体が群れへ戻れば」
「その可能性はある」
ユウトは頷いた。
「だから、あとでフィーナに匂いを追ってもらう。でも、この人を置いて今すぐ追う必要はない」
「……なるほど」
アイリスの声に、わずかな考え込む響きが混じる。
負傷者の呼吸が落ち着いたところで事情を聞いた。
「荷車で町へ戻る途中だった。少し先でゴブリンが道を塞いでて……逃げたら追われた」
「荷車は?」
「置いてきた。連れが一人いる。俺を逃がすために残った」
その言葉で空気が変わった。
「もう一人?」
「頼む……助けてくれ」
「行きます」
ユウトは即答した。
アイリスがこちらを見る。
「拙者も行こう」
「いいの?」
「人を助けるのに理由がいるか?」
ユウトは少し笑った。
「じゃあお願い」
「承知いたした」
負傷者を林道脇へ移す。
町側へ少し戻った場所で、道幅が広く、木々との距離もある。遠目に荷車の往来も見える。
ユウトは周囲を確認してからフィーナを見る。
「フィーナ」
「うん?」
「この人とここに残れる?」
白い耳が動く。
一瞬だけ不安そうな顔をした。
「この人を守る役?」
「そう。でも戦わなくていい」
ユウトは町側の道を示す。
「フィーナなら、近づいてくるものを俺より早く聞ける。危ないと思ったら、この人を連れて町の方へ逃げて。ここなら道も開けてるし、助けを呼びやすい」
フィーナは周囲を見た。
林。
町へ続く道。
座っている負傷者。
少し考えてから、自分で頷く。
「……分かった。フィーナが見る」
「無理だと思ったら逃げていいからね」
「うん。二人も無茶しないで!」
「分かった」
役目を押し付けたわけではない。
選択肢と危険を伝え、そのうえでフィーナが引き受けた。
ユウトとアイリスは林道を走る。
しばらく進むと、倒れかけた荷車が見えた。
その脇で、一人の男が木の棒を構え、二体のゴブリンと対峙している。
「もう少しで――!」
ユウトが駆け出す。
その横をアイリスが抜いた。
「拙者が前へ!」
一体の攻撃を弾き、もう一体との間へ身体を入れる。
「今だ!」
ユウトは即座に意図を理解した。
アイリスが二体の注意をまとめて引き受けている。
なら、自分は最短で一体を落とす。
「ウインドカッター!」
細く絞った風刃が一体の脚を裂く。
体勢を崩したところへ踏み込み、一撃。
残る一体もアイリスが斬り伏せた。
「大丈夫ですか!」
「あ、ああ……助かった……」
男はその場へ座り込んだ。
傷は浅い。
ユウトは歩けることだけ確認し、無理に治療へ踏み込まない。
「戻れますか?」
「ああ。なんとか」
三人で負傷者のもとへ戻る。
遠くから白い耳が立った。
「ユウトお兄ちゃん!」
「何もなかった?」
「うん! 遠くで音はしたけど、こっちには来なかった!」
「よかった」
負傷者二人が互いの無事を確認し、肩を叩き合う。
その様子を見て、ユウトもようやく息を吐いた。
町へ戻る途中、アイリスが不意に口を開く。
「そなたなら、最初から全てのゴブリンを倒せたのではないか?」
「たぶん」
「ならば、なぜ逃げた一体を追わなかった?」
「怪我してる人がいたから」
「それだけか?」
「それ以上に何か必要?」
アイリスが黙る。
「魔物を一体多く倒すことより、目の前の人を助ける方が先だと思っただけだよ」
ユウトにとっては特別な判断ではなかった。
強さを証明したいわけでもない。
討伐数を競いたいわけでもない。
必要な場所で、必要な力を使う。
ただそれだけだった。
「……そなたは、妙なところで迷わぬのだな」
「そう?」
「うむ」
アイリスは前を向いたまま、ほんの少し笑った。
「剣の強さとは違うものを、また一つ見た気がする」
ギルドへ戻ると、巡回依頼はそのまま周辺調査へ切り替えられた。
負傷者二人の証言と、逃げたゴブリンの存在から、別の冒険者たちが追加確認へ向かうことになる。
報告を終え、三人で外へ出る。
夕暮れの通りで、アイリスが足を止めた。
「また偶然でござったな」
「二回目だね」
「次も偶然なら、少々出来すぎでござる」
「じゃあ次は約束する?」
冗談半分で言うと、アイリスは一瞬目を丸くした。
それから腕を組む。
「……それも悪くない」
フィーナの尻尾が楽しそうに揺れた。
だがアイリスは、そのまま歩き出さなかった。
人の流れを眺めながら、どこか考えるように黙っている。
一人で剣を振り、一人で各地を巡る。
それが武者修行なのだと、これまで疑ったことはなかった。
けれど今日、ユウトは自分にできることを全部抱え込もうとはしなかった。
前へ出る者へ任せ、探せる者へ任せ、負傷者を優先し、それぞれの力を使って全員を連れ帰った。
強さとは、一人で何でもできることだけなのか。
そんな疑問が、初めてアイリスの中に残った。
「アイリス?」
フィーナに呼ばれ、アイリスが顔を上げる。
「いや。少し考え事をしていただけでござる」
「お腹空いた?」
「なぜそうなる」
「フィーナは空いた!」
「それは知ってる」
ユウトが笑う。
アイリスも、つられるように口元を緩めた。
三人はそのまま、夕暮れの通りを並んで歩き出した。
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