第2章 第36話 剣士と解析者
木々の奥から現れたオークは、先ほど倒した五体より明らかに大きかった。
二メートルを優に超える巨体。肩幅は人族の倍近くあり、手には刃こぼれした大斧を握っている。身体のあちこちには古い傷跡が走り、濁った目には若い個体にはなかった警戒心が宿っていた。
ユウトはすぐに【鑑定】する。
【オーク】
【危険度:D】
【推定生存年数:長期】
【状態:興奮】
【特徴:高筋力・高耐久】
【行動傾向:警戒心が強く、単純な誘導へ反応しにくい】
【弱点:眼部・喉部・膝裏】
「D……」
ユウトの声に、アイリスの目が細くなる。
「通常のオークではないのか?」
「種類は同じだよ。でも、この個体はかなり長く生きてる」
魔物の危険度は、種族名だけで決まるわけではない。同じオークでも、生きた年月や経験、蓄えた魔力によって脅威は変わる。
先ほどの五体より、この一体の方が明らかに強い。
フィーナが鼻をひくつかせ、白い耳を伏せた。
「血の匂いがする」
「怪我してる?」
「違う。こいつについてる匂い。オークだけじゃない。獣も……人も少し」
この個体は長くこの林で生き、何度も何かと戦ってきたのだろう。
「フィーナは少し下がって」
「でも――」
「戦わなくていい。その代わり、周りを見ててほしい。他のオークが来たら一番先に教えて」
役目を示すと、フィーナは迷った末に頷いた。
「分かった。フィーナ、ちゃんと見る」
「頼んだ」
ユウトは剣を抜く。
隣でアイリスも静かに構えた。
「どうする?」
「拙者が前へ出よう」
「一人で?」
「そなたは敵を見抜けるのであろう?」
アイリスは巨大なオークから目を離さない。
「ならば、拙者が剣を交える。その間に相手の癖を見てもらいたい」
初めて組んだ相手へ背中を預けるには大胆な判断だった。
だが、無謀ではない。
アイリスは自分が前衛として何をできるか理解している。そして、ユウトが何をできるかも、短い共闘の中で見始めていた。
「分かった。でも危なくなったら俺も入る」
「承知いたした」
オークが咆哮する。
「グオオオオッ!」
巨体が踏み込んだ。
振り上げられた大斧が、アイリス目掛けて落ちる。
速い。
体格から想像するよりはるかに。
だが、アイリスは受けなかった。
一歩だけ横へずれる。
大斧が地面を叩き割った瞬間、剣がオークの脇腹を走った。
浅い。
ユウトは傷口へ意識を向ける。
【損傷:軽度】
厚い筋肉に阻まれ、致命傷には届いていない。
オークが腕を横薙ぎに振る。
アイリスは身を沈める。
巨大な腕が頭上を通過し、そのまま懐へ踏み込む。
膝を狙った斬撃。
だが、オークが足を引いた。
「むっ!」
代わりに大斧の柄が突き出される。
アイリスは剣で受け流したが、完全には衝撃を逃がせない。
身体が数歩後ろへ滑る。
「アイリス!」
「問題ない!」
すぐに構え直す。
単純な力なら、オークが上。
それでもアイリスは、力比べを避け、技術で差を埋めている。
ユウトはその動きを追い続けた。
足。
腰。
肩。
剣の角度。
相手の攻撃をどこまで待ち、どの瞬間に反撃へ移るのか。
【鑑定】で構造を確認しながら、実際の動きと結びつけていく。
【剣術動作解析】
【対象:回避後の反撃】
【特徴:攻撃軌道から外れた時点で反撃へ移行】
【改善可能点:受け流し時の接触時間を短縮】
情報を得るだけでは意味がない。
なぜそう動くのかを理解する。
そのための見本が、目の前にある。
「アイリス! 次に振り下ろしたら左へ!」
「承知!」
オークが大斧を掲げた。
振り下ろす。
アイリスが左へ抜ける。
大斧が土へめり込んだ。
「膝裏!」
剣が走る。
今度は深い。
「グオッ!」
巨体が片膝をつく。
だが、まだ倒れない。
片腕がアイリスへ伸びた。
「まだだ!」
ユウトが踏み込む。
先ほど見たアイリスの歩法を、自分の身体で再現する。
一歩目で前へ倒れ込まない。
次の動きへ移れる余裕を残したまま、速度だけを乗せる。
以前より身体が滑らかに前へ出た。
【剣術の熟練度が上昇しました】
視界の端に表示が流れる。
ユウトは伸びてきた腕をかわした。
だが、首を剣だけで断つ必要はない。
「ウインドカッター!」
細く絞った風の刃を放つ。
狙いは喉。
風刃が走った。
「――ッ!」
咆哮が途切れる。
その瞬間、アイリスが踏み込んだ。
「はあっ!」
剣先が眼部へ突き込まれる。
巨体が大きく震え、そのまま地面へ倒れた。
アイリスはすぐに剣を抜き、距離を取る。
ユウトも倒れたオークへ【鑑定】する。
【状態:死亡】
「終わった」
その言葉を待っていたように、木陰からフィーナが駆けてきた。
「ユウトお兄ちゃん! アイリス!」
「周りは?」
「大丈夫! 近くに他の匂いはないよ!」
「ありがとう」
耳が嬉しそうに持ち上がる。
アイリスも剣の血を払いながら振り返った。
「見事な警戒でござった。おかげで拙者は目の前の敵へ集中できた」
「えへへ!」
白い尻尾が大きく揺れる。
ユウトは倒れたオークを見る。
一人でも勝てたかもしれない。
だが、フィーナが周囲を見ていたから背後を気にせず戦えた。アイリスが前で引きつけたから、敵の動きを落ち着いて解析できた。
一人で倒すことと、三人で安全に倒すことは同じではない。
「ユウト」
「うん?」
「先ほどの踏み込み」
アイリスがこちらを見る。
「また拙者の動きを使ったな?」
「うん」
「今度は先ほどより自然であった」
「一回やって違和感があったから。何が違うのか見直した」
「……戦いの最中にか?」
「うん」
アイリスが黙る。
「変だった?」
「普通は、一度の失敗からそこまで直せぬ」
「でも、アイリスの動きが見本にあったから」
「それでも、でござる」
ユウトは少し考え、それから素直に言った。
「だから、もっと見せてほしい」
「何を?」
「剣を」
アイリスの目がわずかに見開かれる。
「俺は動きを【鑑定】で見られる。でも、どうしてその瞬間にその技を選んだのかまでは全部分からない。今日だって、アイリスが前で戦ってくれたから分かったことが多かった」
「……」
「また一緒になることがあったら、教えてほしい」
「そなたほどの者が、拙者に教えを請うのか」
「強い人から教えてもらうのは普通だと思うけど」
一拍置いて、アイリスが笑った。
初めて会った時から崩れなかった凛とした表情が、少しだけ柔らかくなる。
「承知いたした。縁があれば、また剣を交えよう」
三人は周囲を確認し、討伐証明を確保して町へ戻った。
ギルドでは、想定を超える六体のオークと危険度D相当の個体がいたことで、すぐに追加調査が決まった。
報告を終え、外へ出る。
夕暮れの通りで、アイリスが足を止めた。
「拙者は明日、別の依頼を探す」
「一緒には来ないの?」
フィーナが首を傾げる。
「うむ。拙者は武者修行の途中でござる。一つの場所、一つの相手だけに留まるつもりはない」
「そっか……」
フィーナの耳が少し下がった。
ユウトは引き止めなかった。
「じゃあ、また会えたら」
「それだけでよいのか?」
「アイリスが決めたことだろ?」
アイリスが目を瞬かせる。
やがて静かに頷いた。
「……ああ。拙者が決めたことだ」
「なら、それでいいと思う」
「そうか」
アイリスは少しだけ笑った。
「では、ユウト。フィーナ。さらばでござる」
「またね!」
「また」
アイリスは背を向け、夕暮れの人波へ歩いていった。
その姿が見えなくなるまで、フィーナはじっと見送っていた。
「また会えるかな?」
「分からない」
「会いたい?」
「うん。また剣を見せてほしい」
「剣だけ?」
「え?」
「なんでもない!」
フィーナは楽しそうに笑い、先へ駆け出した。
「ほら、ユウトお兄ちゃん! ご飯!」
「待ってって」
ユウトもその後を追う。
アイリスとの最初の共闘は、そこで終わった。
けれど、三人の縁まで終わったわけではなかった。
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