第2章 第35話 竜人族の剣士
新しく貼り出されたオーク討伐の依頼票の前へ、一人の女剣士が歩み寄った。
背が高い。
腰には長剣。旅装は飾り気が少なく、動きを邪魔しない実用本位のものだ。長い髪の隙間から覗く首筋には、光を受けてわずかに輝く細かな鱗が見えた。
何よりユウトの目を引いたのは、その立ち方だった。
何気なく立っているように見えて、重心がぶれていない。足幅も広すぎず狭すぎず、いつでも前後左右へ動ける位置に収まっている。
「竜人族……?」
ユウトが小さく呟くと、隣のフィーナが鼻を動かした。
「うん。人族とは匂いがちょっと違う」
女剣士は依頼票を読み終えると、そのまま受付へ向かった。
「このオーク討伐、拙者も参加したい」
「現在、参加者を募集中です。確認されているのは三体ですが、林の奥に追加個体がいる可能性があります。単独での受注は認められません」
「承知いたした」
その口調に、ユウトは思わず振り返った。
前世で聞いたことのある、侍を思わせる話し方だった。
受付職員がユウトたちにも気付く。
「ユウトさんも、この依頼をご覧になりますか?」
「はい。内容を確認してから決めようと思ってました」
依頼票にはこう書かれていた。
【依頼:オーク討伐】
【確認数:三体以上】
【場所:東側の林】
【目的:討伐および周辺状況の確認】
【注意:追加個体の可能性あり】
フィーナがユウトの袖を軽く引く。
「オークって強い?」
「ゴブリンよりずっと強いよ」
「……フィーナも行ける?」
以前なら、「ユウトお兄ちゃんが行くなら行く」と答えていたかもしれない。
だが今のフィーナは、危険を知った上で自分が参加できるかを尋ねている。
「前に出ないこと。危険だと思ったら、戦わず離れること。探索と警戒に集中すること。それを守れるなら一緒に行ける」
フィーナは少し考えてから頷いた。
「守る」
「分かった」
ユウトが受付へ向き直ると、先ほどの女剣士もこちらを見ていた。
「俺たちも参加します」
「では三名での臨時編成とします。こちらの方はEランクですので、今回の討伐依頼への参加条件も満たしています」
女剣士が胸元から冒険者カードを取り出した。
【冒険者ランク:E】
「アイリスと申す。竜人族の剣士でござる」
拳を胸の前で包むようにして一礼する。
「ユウトです。こっちはフィーナ」
「フィーナだよ!」
「よろしくお願い申し上げる」
ユウトは一言断ってから、アイリスへ【鑑定】を使った。
【名前:アイリス】
【種族:竜人族】
【年齢:十八歳】
【職業:剣士】
【冒険者ランク:E】
【状態:良好】
【主なスキル:【剣術】【身体強化】】
【剣術】を意識すると、さらに情報が広がる。
【剣術】
【熟練度:高】
【特徴:受け流し・踏み込み・体軸維持に優れる】
【解析可能範囲:基礎動作】
実際の技を見ていないため、今分かるのは基礎だけらしい。
それでも、訓練場で見た剣士たちより明らかに洗練されている。
「どうしたでござる?」
「いや。かなり鍛えてるんだなと思って」
「見ただけで分かるのか?」
「少しだけ」
アイリスは不思議そうにしながらも、それ以上は聞かなかった。
三人は準備を整え、東門から林へ向かった。
道中、アイリスはほとんど無駄話をしない。
足音が小さく、視線は前方だけでなく左右へも配られている。
フィーナも耳を動かしながら周囲を確認していた。
「ユウトお兄ちゃん」
「何かあった?」
「まだ。でも、獣の匂いが少ない気がする」
アイリスが振り返る。
「白狼族か。優れた嗅覚を持つと聞いている」
「えへへ! 最近、探すの上手くなってきたの!」
「それは頼もしい」
素直に褒められ、フィーナの尻尾が揺れる。
林へ入ってしばらくしたところで、その尻尾が止まった。
「……いる」
声が低くなる。
「前?」
「うん。三……違う。もっといる。匂いが重なってる」
ユウトも【気配察知】を使う。
複数の反応。
依頼票に書かれた三体より多い。
「確認してから動こう」
「拙者が先行する」
アイリスが剣の柄へ手を伸ばす。
「待って」
ユウトが止めた。
「数と位置を先に知りたい」
「敵前で時間を掛けすぎれば、逆に危険ではないか?」
「見つかってない今なら、数を把握してから戦った方が安全だよ」
アイリスは一瞬黙った。
それから頷く。
「……一理ある。任せよう」
「フィーナ、無理に近づかなくていい。見える範囲だけでいいから」
「分かった」
フィーナが姿勢を低くし、音を立てないよう前へ進む。
しばらくして戻ってきた。
「五体いた。大きいのが一体と、少し小さいのが四体。道の近く」
「よく見つけた」
「近づきすぎないようにした!」
「うん。それでいい」
ユウトは木陰から一体へ【鑑定】を使う。
【オーク】
【危険度:E】
【状態:通常】
【特徴:高筋力・高耐久】
【弱点:首・眼部・膝裏】
【行動傾向:接近戦を優先】
他の個体も同程度だった。
ユウトは次にアイリスを確認する。
身体能力、装備、【剣術】の熟練度。
三体を任せても対応できると判断する。
「俺が二体引きつける。アイリスは三体お願いできる?」
「問題ない」
即答だった。
「フィーナは後方。回り込む敵がいたら知らせて」
「うん!」
三人の役割が決まる。
ユウトが小石を拾い、少し離れた場所へ投げた。
乾いた音が林に響く。
五体のオークが一斉に顔を上げた。
こちらを見つける。
「来る!」
地面を踏み鳴らしながら、五体が突進してきた。
その正面へアイリスが踏み込む。
「参る!」
抜刀。
先頭のオークが振り下ろした棍棒を、アイリスは真正面から受けなかった。
剣を斜めに当てる。
衝撃を横へ逃がしながら身体を半歩ずらし、そのまま腰を回転させる。
一閃。
刃が首筋を深く斬り裂いた。
鮮やかだった。
ユウトの【鑑定】が反応する。
【剣術動作解析】
【受け流し】
【踏み込み:前足へ過剰に重心を乗せない】
【刃角:衝撃を正面で受けず外側へ逸らす】
【連動:腰部回転から肩・肘・手首へ力を伝達】
視覚で見た動きと、解析情報が頭の中でつながっていく。
【武技上達】と【スキル上達】が理解を助ける。
「ユウトお兄ちゃん、右!」
「ありがとう!」
一体が横から迫る。
ユウトは剣を抜いた。
アイリスの動きを思い出す。
踏み込む。
棍棒へ刃を斜めに当てる。
衝撃を外へ流す。
――できた。
ただし、アイリスほど滑らかではない。
刃へわずかに重い衝撃が残り、肩が揺れた。
形は再現できても、身体へ馴染んではいない。
「まだ違うな」
それでも十分だった。
体勢を崩したオークの膝裏へ斬撃を入れ、倒れたところで首へ剣を走らせる。
一体撃破。
もう一体が正面から突進してくる。
「ウインドカッター!」
風の刃を細く絞り、脚だけを狙う。
転倒したオークへ近づき、剣で止めを刺した。
一方のアイリスは、三体を相手にしてなお動きが乱れない。
一体の攻撃をかわし、二体目の棍棒を受け流し、その陰から踏み込んだ三体目へ蹴りを入れて距離を作る。
「アイリス、後ろ!」
フィーナの声が飛ぶ。
「承知!」
振り向かず横へ一歩。
棍棒が空を切る。
アイリスは回転の勢いを利用し、背後のオークの胴を斬り抜いた。
残った二体も、ほどなく地へ倒れる。
戦闘が終わり、林へ静けさが戻った。
アイリスは剣についた血を払い、鞘へ納める。
「見事でござった」
「アイリスも」
「いや」
アイリスの視線がユウトの剣へ向く。
「先ほどの受け流し。いつ習った?」
「さっき見て」
「……今の戦いで?」
「うん。【鑑定】で動きを見たら、形は分かったから」
アイリスの目が大きくなる。
「一度見ただけで……」
「でも、同じじゃないよ」
「何?」
「俺のは衝撃が残った。アイリスはほとんど身体を揺らしてなかった」
ユウトは自分の肩を軽く回す。
「角度も重心も、たぶんまだ甘い。真似はできても、完成度は全然違う」
アイリスは黙って聞いている。
「それに、俺はオークの動きを【鑑定】で見てから使った。アイリスは相手の動きを見て、その場で判断してた」
「……」
「だから、よかったらちゃんと教えてほしい」
「拙者が?」
「うん。見ただけじゃ分からないことがまだあるから」
アイリスはしばらくユウトを見つめた。
「自分より早く技を覚えたなら、普通は才を誇るものだ」
「でも、アイリスが何年も剣を振って身につけたことまで、一回見ただけで全部分かったとは思わないよ」
「……なるほど」
「俺が知らないこと、まだたくさんあるだろ?」
「無論」
「なら、教えてもらった方が早い」
アイリスの口元がわずかに緩んだ。
「面白い御仁でござるな」
「そうかな」
「よかろう。ただし、拙者もそなたから学ばせてもらう」
「もちろん」
「ならば対等でござる」
ユウトは頷いた。
その横で、フィーナは倒れた五体ではなく、地面へ残った足跡を見つめていた。
「ユウトお兄ちゃん」
「どうした?」
「この五体……奥から来てる」
アイリスの表情が引き締まる。
「追加個体か?」
「分かんない。でも、同じ匂いが奥まで続いてる」
ユウトも地面を見る。
足跡は確かに林の深部へ続いていた。
依頼内容は討伐だけではない。
周辺状況の確認まで含まれている。
「少しだけ進んで確認しよう。危険ならすぐ戻る」
「承知」
「フィーナ、先に行きすぎないでね」
「うん」
三人は慎重に林の奥へ進んだ。
しばらくすると、フィーナが急に足を止める。
耳がぴんと立った。
「……大きい」
「何が?」
「匂い。さっきのオークより、ずっと強い」
次の瞬間。
木々の奥から、低く重い唸り声が響いた。
枝を押し退ける音。
姿はまだ見えない。
だが、地面へ落ちた足跡だけでも分かった。
先ほど倒したオークより、明らかに大きい。
アイリスが剣へ手を添える。
「どうやら、依頼票に書かれていなかった一体がいるようでござるな」
ユウトも剣を握り直した。
暗い木々の向こうで、何かがゆっくりと立ち上がった。
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