第2章 第33話 自分で決めた道
翌朝、ユウトが宿の食堂へ下りると、フィーナはすでに席についていた。
昨日買った薄青色の上着を着ている。少し長かった袖は手首の辺りで折り返され、白い耳の間から跳ねた髪には寝癖が残っていた。
「おはよう、フィーナ」
「おはよう、ユウト!」
昨日までより声が明るい。
ユウトが向かいへ座ると、フィーナは卓上の朝食を見て、少し得意そうに胸を張った。
「今日は、自分で選んだ」
「何にしたの?」
「肉入りスープとパン。あと、これ」
指差した先には、小さな焼き菓子が一つ置かれている。
「甘いものも?」
「うん。昨日、食べてみたかったから」
尻尾が椅子の横で揺れた。
昨日までは選択肢を示されてから考えていた。それが今は、自分が何を食べたいと思ったのかを覚え、次の行動へつなげている。
「いいと思う」
「えへへ!」
フィーナは焼き菓子を半分に割った。
「ユウトも食べる?」
「フィーナが食べたくて頼んだんだろ?」
「うん。でも、半分あげたい」
ユウトは少しだけ驚いてから受け取った。
「じゃあ、もらうよ。ありがとう」
「うん!」
昨日までの「もらったから返さなければならない」とは違う。
フィーナが自分から分けたいと思って差し出したものだった。
食事を終えると、ユウトは冒険者ギルドへ向かった。
「今日は依頼を受けるの?」
「そのつもりだよ。フィーナはどうする?」
白い耳がぴくりと動く。
「……一緒に行ってもいい?」
「町の中で危なくない依頼ならね」
「行きたい」
「じゃあ、一緒に探そう」
ギルドの掲示板には、荷運び、清掃、薬草の仕分け、倉庫整理など、Fランク向けの依頼が並んでいた。
その中の一枚へユウトの目が止まる。
【依頼:迷子の飼育獣捜索】
【内容:昨日夕方から行方不明となった小型飼育獣の捜索】
【特徴:灰色の毛・小柄・首輪あり】
【報酬:大鉄貨一枚】
【推奨ランク:F】
「これにしようかな」
「いなくなった子を探すの?」
「うん」
受付で依頼を受けると、依頼主である年配の女性から話を聞くことになった。
「普段は遠くへ行かない子なんです。昨日の夕方までは家の近くにいたんですけどねえ」
ユウトは最後に目撃された場所や普段の行動範囲を確認する。
その途中、飼育獣が寝床で使っていたという布を渡された。
隣にいたフィーナの鼻が小さく動く。
「これ、この子の匂い?」
「ええ。いつもこの上で寝ていました」
フィーナが布へ顔を近づけた。
「……覚えられると思う」
ユウトはフィーナを見る。
「追えそう?」
「分からない。でも、やってみたい」
迷いはあっても、その声に怯えはなかった。
「じゃあ、お願いしていい?」
「うん!」
二人は飼育獣が最後に目撃された裏通りへ向かった。
フィーナは何度も鼻を動かし、空気や地面の匂いを確かめる。
ユウトも【気配察知】を使った。
だが町中には人や動物の気配が多く、小さな飼育獣一匹だけを探し出すのは簡単ではない。
「……こっち」
フィーナが細い路地を指差した。
「分かる?」
「少しだけ。同じ匂いがする」
二人で路地へ入る。
しかし途中で、フィーナの足が止まった。
「消えた……」
白い耳が下がる。
「間違えたのかな」
「まだそうとは限らないよ」
ユウトは周囲を見る。
石畳には荷車の車輪跡。壁際には積み上げられた木箱。路地の先には人通りの多い道が続いている。
その時、フィーナの耳が鋭く立った。
「待って」
目を閉じる。
「……鳴いてる」
ユウトには聞こえない。
「どっち?」
「向こう。でも……下から」
フィーナが小走りで進み、物置の裏へ回り込んだ。
そこには雨水を流すための細い排水溝がある。
「この中」
ユウトが蓋の隙間から覗くと、しばらくして微かな鳴き声が聞こえた。
「本当だ」
暗がりに見えた小さな姿へ【鑑定】を使う。
【小型飼育獣】
【状態:軽度衰弱・右前脚捻挫】
【生命危険:低】
【移動能力:低下】
落ちた拍子に脚を痛め、奥へ入り込んでしまったらしい。
「生きてる。右前脚を痛めてるけど、命に危険はないよ」
「助けられる?」
「うん。ただ、怖がらせたくない」
排水溝の蓋は持ち上げられるが、中は狭い。無理に手を入れれば、さらに奥へ逃げるかもしれない。
「フィーナ、声をかけてみてくれる?」
「フィーナが?」
「匂いを追って見つけたのはフィーナだから」
フィーナは少し驚いた後、排水溝の前へしゃがんだ。
「大丈夫だよ。怖くないよ」
声を落とし、手を差し出す。
「こっちにおいで」
しばらくすると、暗闇の中で小さな影が動いた。
「来た」
ユウトが蓋を持ち上げる。
フィーナは急いで掴もうとせず、手を伸ばしたまま待った。
灰色の小さな飼育獣が鼻を動かし、やがてその手へ身体を寄せる。
「よしよし……」
フィーナがそっと抱き上げる。
「見つけた!」
「ああ。フィーナが見つけたんだ」
「ユウトもいたよ?」
「俺だけだったら、もっと時間がかかったと思う」
白狼族の嗅覚と聴覚。
それは【鑑定】で仕組みを知ったとしても、人族であるユウトには持てないものだった。
ギルドへ戻ると、飼育獣を見た女性は目に涙を浮かべて抱きしめた。
「よかった……本当によかった」
依頼完了の処理を終え、ユウトは受け取った大鉄貨一枚をフィーナへ差し出した。
「はい」
「……何?」
「今回の報酬」
「ユウトが受けた依頼だよ?」
「でも、見つけたのはフィーナだ」
フィーナは大鉄貨とユウトを交互に見る。
「もらっていいの?」
「これは恩返しでも、お小遣いでもないよ。フィーナが手伝って働いた分」
「フィーナが……働いた?」
「うん」
フィーナの手がゆっくり伸びる。
大鉄貨を受け取ると、掌の上で何度も眺めた。
「……初めて」
「何が?」
「自分で働いてもらった、お金」
その声は小さかったが、貨幣を握る指には力がこもっていた。
「何に使う?」
ユウトが聞くと、フィーナは少し考える。
「まだ使わない」
「そっか」
「欲しいものができてから、自分で決める」
「うん。それでいいと思う」
「えへへ!」
ギルドを出てしばらく歩いたところで、フィーナが立ち止まった。
「ユウト」
「どうした?」
「聞いてほしいことがある」
昨日までのように、答えを教えてもらうための目ではなかった。
白い耳を真っすぐ立て、ユウトを見つめている。
「フィーナ、考えたの」
小さく息を吸う。
「一人で暮らす場所を探してもいいって、ギルドの人に教えてもらった。獣人族が多い町へ行くこともできるって」
「うん」
「この町で仕事を探すこともできる」
「うん」
「でも……」
フィーナは胸元を握った。
「ユウトといると、知らないものをいっぱい見られる気がする」
自分で選んだ料理。
自分で決めた服。
初めて働いて得た貨幣。
どれも、ユウトに命じられて選んだものではない。
「だから、フィーナは……ユウトと旅したい」
ユウトはすぐには頷かなかった。
「恩を返すため?」
フィーナは首を横に振る。
「違う」
「助けてもらったから?」
「助けてもらったのは嬉しい。でも、それだけじゃない」
手の中の大鉄貨をぎゅっと握る。
「フィーナが、そうしたいから」
その瞬間、ユウトの視界に淡い光が走った。
「……?」
何かが変わった。
フィーナへ断ってから【鑑定】を使う。
【名前:フィーナ】
【種族:獣人族・白狼族】
【年齢:十五歳】
【職業:シーフ】
【加護:知識神ソフィエルの小加護】
【小加護能力:【探索上達】】
ユウトは目を見開いた。
昨日まで存在しなかった表示だ。
そして、加護が現れたのはフィーナが自分の意思を口にした、その後だった。
ソフィエルが何かを強制したわけではない。
フィーナが選んだ道を、後からそっと支えたのだろう。
「ユウト?」
「ああ、ごめん」
今すぐ加護について説明するべきかは分からない。
けれど、一つだけ確かなことがあった。
「分かった」
ユウトは手を差し出す。
「じゃあ、一緒に行こう」
フィーナの目が大きくなる。
次の瞬間、その手を両手で握った。
「うん!」
尻尾が勢いよく揺れる。
「ユウトお兄ちゃん!」
「……お兄ちゃん?」
思わず聞き返すと、フィーナの耳が少し下がった。
「ユウト、十八歳でしょ? フィーナより三つ上だから……駄目?」
「駄目じゃないよ」
「ほんと?」
「うん」
「えへへ!」
フィーナは嬉しそうに笑った。
命令されたからではない。
恩を返すためでもない。
誰かに決めてもらった道でもない。
フィーナは自分で行き先を考え、自分でユウトとの旅を選んだ。
握られた手は小さい。
けれど、その手はもう、誰かに引かれるだけのものではなかった。
自分で選んだ道を歩くために、ユウトの手を握っていた。
お読みいただきありがとうございます。
ブックマークや評価をいただけると励みになります。
よろしくお願いいたします。




