第2章 第32話 選ぶということ
翌朝、ユウトは約束どおり冒険者ギルドへ向かった。
受付へ声をかけると、昨日フィーナの対応をしていた職員が顔を上げる。
「ちょうどよかったです。あの子、朝食は食べられました。ただ……」
「ただ?」
「何を食べたいか聞いたら、固まってしまいまして」
ユウトは昨日のフィーナを思い出した。
自由になったからといって、すぐ何でも自分で決められるわけではない。
「まだ、選ぶのが怖いんだと思います」
「ええ。それと、昨日の服はかなり傷んでいます。着替えも必要ですね」
職員に案内され、ギルド内の面談用の小部屋へ向かう。
扉を開けると、椅子に座っていたフィーナが勢いよく顔を上げた。
「ユウト!」
伏せ気味だった白い耳が、ぴんと立つ。
「おはよう、フィーナ」
「……来た」
「約束したからね」
その言葉を聞き、フィーナは安心したように胸へ手を当てた。
昨日より顔色は良い。水分と食事を取って眠れたおかげだろう。
「体調はどう?」
「昨日より、楽」
「それならよかった」
念のため本人へ断ってから【鑑定】すると、表示された状態は軽度疲労と軽度栄養不足。隷属契約の表示は完全に消えていた。
「もう少し休めば、身体はかなり戻りそうだよ」
「うん」
フィーナは頷いた後、少し迷ってからユウトを見る。
「今日は……何をすればいいの?」
「何をしたい?」
その瞬間、耳が下がった。
ユウトはすぐに言い直す。
「ごめん。聞き方が広すぎたね」
向かいの椅子へ座る。
「まず、服を見に行くか、何か食べに行くか、ここでもう少し休むか。三つならどう?」
フィーナは指を一本ずつ見ながら考える。
「服……食べる……休む……」
「全部やってもいいよ。順番だけ決めればいい」
「全部?」
「うん」
「一つしか選んじゃ駄目じゃないの?」
「そんな決まりはないよ」
フィーナは少し驚いた顔をした。
選択とは、一つを選べば他を失うものだと思っていたのかもしれない。
「じゃあ……」
しばらく悩んだ末、尻尾が小さく揺れる。
「食べたい」
「分かった。何が食べたい?」
また固まりかけたので、ユウトはすぐ続ける。
「肉の入った料理、パンとスープ、甘いもの。この辺ならすぐ食べられると思う」
「……肉」
返事は昨日より早かった。
「肉がいい」
「じゃあ、肉料理にしよう」
ギルドを出ると、朝の通りには屋台や食堂から香ばしい匂いが流れていた。
焼いた肉の匂いが漂ってきた瞬間、フィーナの耳がそちらへ向く。
「ここ、入ってみる?」
ユウトが指差した食堂の看板には、焼いた肉を挟んだパンが描かれている。
フィーナは店とユウトを交互に見てから、自分で頷いた。
「ここがいい」
店内へ入り、空いている席へ座る。
注文を聞きに来た店員が、
「焼き肉パンと煮込み、それとも肉入りスープ?」
と尋ねる。
フィーナは一瞬だけユウトを見る。
だが、ユウトは口を挟まなかった。
白い耳が何度か揺れ、やがてフィーナは小さな声で言う。
「焼き肉パン……ください」
「はいよ」
店員が去った後、フィーナは目を丸くした。
「……できた」
「うん」
「自分で言った」
「うん」
ユウトはそれ以上褒めなかった。
正解を選んだから認められるのではなく、自分が欲しいものを選ぶ。
それが、いつか当たり前になればいい。
料理が運ばれてくると、フィーナの表情が変わった。
焼きたてのパンから肉汁が染み出し、香辛料の香りが立つ。
一口食べた瞬間、尻尾が大きく揺れた。
「……おいしい」
「よかった」
二口、三口と食べたところで、フィーナが急に手を止める。
「これ……全部食べてもいいの?」
「もちろん」
「ユウトの分、残さなくていい?」
「俺のはこっちにあるから大丈夫」
それを確認して、フィーナはようやく安心したように食べ始めた。
食事を終えると、次は服屋へ向かった。
店内には簡素な普段着から丈夫な旅装まで並んでいる。
「好きなのを選んでいいよ」
言った直後、ユウトは少し考える。
「……と言っても難しいか。動きやすい服と、暖かい服がある。色も何種類かあるよ」
フィーナは棚の前をゆっくり歩いた。
最初は値札ばかり見ていたが、やがて薄い青色の上着へ目が止まる。
「これ……」
「気になる?」
「うん。でも、高い?」
ユウトも値札を見る。
今の手持ちで無理なく払える額だった。
「大丈夫だよ」
「じゃあ……これがいい」
「分かった」
ユウトが支払おうとすると、フィーナが慌てて袖をつかむ。
「待って」
「どうしたの?」
「フィーナ、お金ない」
「今日は俺が出すよ」
フィーナの表情が曇る。
「それなら、働かないと」
「働かなくてもいい」
「でも、もらったら返さないと……」
ユウトは少し考えてから、首を横に振った。
「返さなくていいよ」
「どうして?」
「フィーナに必要だから買う。それだけ」
「でも……」
「もし、いつか誰かに何かしてあげたいって思ったら、その時は借りを返すためじゃなくて、フィーナがそうしたいからすればいい」
フィーナは青い上着を見つめる。
「したいから……?」
「うん。やりたくなければ、しなくていい」
長い沈黙の後、フィーナは上着をぎゅっと抱きしめた。
「……これがいい」
さっきより、はっきりした声だった。
服を買い終え、二人は広場の端にあるベンチへ座った。
フィーナは新しい上着の袖口を何度も触っている。
その時だった。
白い耳が急に動いた。
「ユウト」
「どうしたの?」
「後ろから、走ってくる人いる」
ユウトが振り返る。
少しして、人混みの向こうから少年が走って現れた。
まだかなり距離があった。
「よく分かったね」
「足音、聞こえたから」
フィーナ自身は大したことだと思っていないようだった。
けれどユウトは覚えておく。
白狼族の聴覚は、自分には真似できない。
しばらくして、ユウトが尋ねた。
「今日の寝るところ、どうする?」
フィーナは以前ほど怯えなかった。
「昨日と同じところでもいいし、俺の宿に空き部屋があれば、そこへ泊まることもできる。別の宿でもいい」
少し考えてから、フィーナが答える。
「ユウトと同じ宿がいい」
今度は即答ではなかった。
ちゃんと考えてから選んだ。
「分かった。空き部屋があるか聞いてみよう」
フィーナはほっとしたように笑った。
ユウトはまだ聞かなかった。
これから何をしたいのか。
どこへ行きたいのか。
自分と一緒に旅をしたいのか。
そんな大きな答えは、もっと後でいい。
まずは、何を食べるか。
何を着るか。
どこで眠るか。
そんな小さな選択を、自分で積み重ねればいい。
宿へ向かって歩き始めると、フィーナが少しだけ足を速めた。
そして、ユウトの半歩後ろではなく、初めて隣へ並ぶ。
しばらく歩いたところで、フィーナが不意に言った。
「ユウト」
「うん?」
「明日も……何か、自分で決めてもいい?」
ユウトは笑って頷いた。
「もちろん」
フィーナの白い尻尾が、今度は隠すことなく左右へ揺れた。
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