第2章 第27話 雨上がりに回るもの
リバーシを作った翌朝、雨は上がっていた。
雲の切れ間から差し込む光が、濡れた石畳を白く照らしている。軒先からはまだ雫が落ちていたが、大通りには荷車や行商人が戻り、町はいつもの活気を取り戻し始めていた。
ユウトが食堂へ下りると、昨夜作ったリバーシの盤を囲む人影があった。
「そこへ置いたら角を取られるぞ」
「分かっている。これは誘っているんだ」
「昨日までルールも知らなかっただろ」
「一晩あれば十分だ」
朝食前から対局している冒険者たちの目は真剣だった。駒の黒い面はすでに少し薄くなり、木板に引いた線も指で擦れている。それでも、誰も遊ぶのをやめようとはしない。
宿屋の主人がパンとスープを並べながら、呆れたように言った。
「夜更けまで続けていたぞ。負けた奴が眠れないと言い出してな」
「一組だけだと足りませんね」
「追加は急がなくていい。お前は冒険者の仕事を優先しろ。壊れた木箱は取っておく」
「ありがとうございます」
ユウトは席へ着き、温かいスープを口に運んだ。
自分が席を離れても、教えた遊びは残り、別の誰かへ伝わっていく。そのことが、少し不思議で、嬉しかった。
朝食後、ユウトは冒険者ギルドへ向かった。
掲示板には、屋根から落ちた瓦の回収、浸水した倉庫の片づけ、側溝へ詰まった枝葉の除去など、雨の影響を受けた依頼が並んでいた。
ユウトが選んだのは、広場近くの排水路を掃除する依頼だった。
「汚れる仕事ですが、大丈夫ですか?」
受付職員に確認され、ユウトは頷く。
「村でも水路の掃除を手伝ったことがあります」
「では、革手袋と道具を貸し出します。鉄格子は重いので、無理に一人で持ち上げないでください」
「分かりました」
現場へ着くと、広場の端に大きな水たまりが残っていた。
排水口を覆う鉄格子には、折れた枝、濡れた布、泥、木の皮が隙間なく絡みついている。近くの店の者たちが表面を掃除したものの、鉄格子の下まで詰まっていて手が届かなかったらしい。
ユウトは鉄格子へ【鑑定】を使った。
【排水路用鉄格子】
【状態:異物による閉塞】
【耐久値:正常】
【固定部:泥と小石により固着】
【推奨作業:
一、表面の異物を除去
二、固定部の泥を洗浄
三、二人以上で水平に持ち上げる
四、排水路内部を清掃
五、回収物を分別して処分】
まず、表面の枝と布を取り除く。腐った木や汚れた布は廃棄用の籠へ、乾かせば薪にできる枝は別の場所へ分けた。
固定部へ詰まった泥は、小さなへらだけでは取り切れない。
勢いよく水を流せば、周囲の店へ泥水を飛ばしてしまう。ユウトは初級水魔法の術式を思い浮かべ、放出量を慎重に絞った。
「ウォーター」
指先から糸のような水流が伸び、固定部の泥だけを洗い落としていく。
強く放つより、細い水流を維持する方が難しい。それでも、力を込めすぎた時の揺れや、水量が落ちた時の感覚を確かめながら続けるうちに、少しずつ制御が安定していった。
泥が落ちると、鉄格子がわずかに動いた。
ユウトは近くで作業していた店の者へ声をかける。
「反対側を持ってもらえますか?」
「お前一人でも持てそうだが?」
「傾けると枠を傷めるかもしれません。二人の方が安全です」
ユウトは【身体強化】を弱く発動した。
体内の魔力を循環させ、必要な分だけ身体の動きを支える。魔法のように外へ放つ力ではないため、MPは減らない。その代わり、力加減を誤れば動きが大きくなりすぎる。
「上げます。せーの」
二人で鉄格子を持ち上げる。
以前よりも出力を抑えられた。相手の動きを邪魔せず、鉄格子を水平に保ったまま、ゆっくり横へ移す。
排水路の中には、さらに大量の枝や木片が詰まっていた。
長い鉤棒で一つずつ引き出すと、せき止められていた水が音を立てて流れ始める。広場に残っていた水たまりも、少しずつ小さくなった。
「水が動いた!」
作業を見ていた子どもたちが声を上げた。
ユウトは子どもたちを排水口から離し、内部に危険な物が残っていないか確認する。引き上げた物もすべて分別し、汚れた布と腐った木は町の廃棄場所へ運べるよう袋へまとめた。
最後に鉄格子を元へ戻し、周囲へ残った泥を洗い流す。
「助かったよ。もう一度降ったら、店まで水が来るところだった」
「大雨の後は、表面に枝がたまっていないか確認した方がよさそうです」
「そうするよ」
依頼主の確認を受け、作業は完了した。
片づけを終えたユウトが貸与道具を洗っていると、子どもたちが処分前の木片を眺めていた。
その中に、腐食が少なく、片側だけ細く削れた短い木片がある。
子どもが手を伸ばす前に、ユウトはそれを拾い上げた。
「これは汚れているから、そのまま触らない方がいいよ」
水魔法で表面の泥を十分に洗い流し、乾いた布で何度も拭う。使用済みの作業用手袋も外し、手を洗ってから木片を卓上へ置いた。
「何かに使うの?」
「この形、少し面白いと思って」
木片を指先でひねると、半回転してすぐ横へ倒れた。
「回った!」
「もう一回!」
何度試しても長くは続かない。それでも、子どもたちは倒れるまでの一瞬を目で追っていた。
ユウトは、日本で見た木製のコマを思い出した。
丸い胴体と、中心を通る軸。細い先端を支点に、姿勢を保ったまま回り続ける玩具。
「形を整えれば、もっと長く回せると思う」
「作れるの?」
「俺だけだと難しいけど、木工職人なら作れるかもしれない」
「誰のが一番長く回るか勝負したい!」
まだ完成していないのに、子どもたちは目を輝かせていた。
ユウトは洗った木片をさらに布で包み、貸与道具と一緒にギルドへ戻った。
報酬は大鉄貨二枚。
「預金残高は銅貨一枚、大鉄貨七枚です」
カードを受け取ったユウトは、そのまま木工店が並ぶ通りへ向かった。
店先では、職人が椅子の脚を削っていた。
ユウトは布の上へ木片を置き、紙の代わりに薄い木板へ形を描く。
「こういう丸い胴体の中心へ軸を通して、下の先端だけを細くしたいんです。上の軸を指でひねると、立ったまま回ります」
「この形を、お前が考えたのか?」
「以前暮らしていた場所にあった玩具です」
職人は図と木片を見比べ、小さな端材を手に取った。
「なら、まず形にしてみよう。回るかどうかはその後だ」
小刀で胴体を削り、中心へ細い軸を通す。
最初の試作品を卓上で回すと、大きく揺れてすぐ倒れた。
ユウトが【鑑定】する。
【木製のコマ・試作品】
【品質:粗悪】
【重心:中心より右へ偏り】
【軸:わずかに傾斜】
【改善方法:右側面の軽量化・軸穴の角度修正】
「右側が少し重くて、軸も傾いています」
職人は目を細め、指先で胴体を確かめた。
「見ただけで分かるのか?」
「俺の【鑑定】で確認できます」
「なら、その情報を全部言え。削るのは俺がやる」
ユウトが偏りを伝え、職人が少しずつ木を削る。何度も回しては倒れ方を確認し、軸の角度を調整した。
やがて職人が軸をひねる。
小さな木のコマは一度だけ傾き、すぐに姿勢を立て直した。
低い音を立てながら、誰の手にも触れられず、卓上で回り続ける。
「……本当に立ったまま回るのか」
職人は削りかすの付いた指を止め、目の前のコマを見つめていた。
その声には、驚きと、次はもっと長く回せるものを作りたいという職人の熱が混じっていた。
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