第2章 第26話 雨の日のリバーシ
激しい雨が、宿屋の窓を絶え間なく叩いていた。
夕食を終えた宿泊客たちは食堂に残っていたものの、外へ出られず、誰もが退屈そうにしている。依頼帰りの冒険者は濡れた装備を何度も確かめ、商人たちは飲み物を前に同じ話を繰り返していた。
ユウトは空いた卓へ腰を下ろし、指先で木目をなぞった。
縦横八列ずつに区切られた盤面。表と裏で色の違う六十四枚の駒。
日本で何度も遊んだリバーシが、はっきりと脳裏へ浮かんだ。
「何を描いているんだ?」
隣の卓にいた冒険者が、ユウトの指先を見て尋ねた。
「リバーシという二人用の遊びを思い出したんです」
「聞いたことがないな。盤上遊戯か?」
「はい。道具を作れば、すぐに遊べます」
アルテシアにも盤上遊戯は存在する。宿屋の棚にも、数字を刻んだ駒を決められた順番で進める古い遊びが置かれていた。
けれど、駒を挟んで裏返すリバーシとは仕組みが違う。
ユウトは宿屋の主人へ声をかけた。
「薄くて平たい木片はありませんか? 六十四枚ほど、同じ大きさにそろえたいんです」
「六十四枚も何に使う?」
「リバーシの駒です」
主人は聞き慣れない言葉に首を傾げたが、暇を持て余している客たちを見回した。
「薪置き場に、箱を作った時の端材が残っていたはずだ。使えるか見てみろ」
案内された裏の作業場には、薄い木板が何枚か束ねられていた。
【木材の端材】
【材質:軟木】
【状態:乾燥済み】
【加工適性:高】
【推奨加工:薄片・小型部品・簡易玩具】
「これなら使えそうです。切ってもいいですか?」
「端材だから構わん。ただし、食堂で木くずを出すなよ」
「ありがとうございます」
ユウトが作業を始めると、暇を持て余していた客たちが何人か裏までついてきた。
「六十四枚を一人で作るのか?」
「そのつもりでしたけど、少し時間がかかりそうです」
「早く遊び方を見たい。俺にも手伝わせろ」
木箱の補修経験がある者や、刃物を扱い慣れた冒険者が小刀を手に取る。
ユウトは細い板へ等間隔の印を付け、型として渡した。
「この幅と長さへそろえてください。全部、片面だけ黒くします」
切断は慣れた者へ任せ、ユウトは木片の角を削り、指へ刺さらないよう丸めていく。【道具制作上達】は刃の角度や力の入れ方を理解しやすくしてくれたが、実際に一枚ずつ加工するのはユウトたち自身だった。
主人も古い布を持ってくる。
「木くずはここへまとめろ。食堂へ持ち込む前に、よく払っておけよ」
「助かります」
作業を分担しても、六十四枚をそろえるには時間がかかった。
それでも、待っている客たちは退屈するどころか、何が始まるのかと作業場をのぞき込み、時折せかすような声を飛ばしてきた。
すべての木片がそろうと、片面へ炭を擦り込んだ。余分な粉を布で拭き取り、宿屋にあった少量の食用油を薄く塗って、色を木へなじませる。完全には定着しないが、指が真っ黒になることは防げそうだった。
【簡易リバーシ駒】
【数量:六十四枚】
【品質:粗悪】
【問題点:厚さの不統一・黒色面の摩耗】
【改善方法:型による成形・専用塗料・表面保護】
試作品としては十分だった。
盤には主人から借りた古い木板を使う。食堂の卓へ直接線を引けば傷が残るため、木板の上へ炭で縦横八本ずつの線を引き、六十四区画へ分けた。
食堂へ戻る頃には、雨が降り始めてからかなり時間が経っていた。
それでも、客たちのほとんどが帰らずに待っていた。
「これがリバーシです」
ユウトは盤の中央四区画へ、黒と木色の駒を交互に置いた。
「二人で黒と木色に分かれます。先手は黒です。自分の駒で相手の駒を縦、横、斜めのいずれかから挟むように置くと、その間にある駒をすべて自分の色へ裏返せます」
「相手の駒を取るんじゃないのか?」
「盤からは取り除きません。相手に挟まれれば、何度でも表裏が変わります」
「どこへでも置けるのか?」
「相手の駒を一枚以上挟める場所にしか置けません。置ける場所がない場合は手番を譲ります。二人とも置けなくなった時点で終わりです。盤がすべて埋まって終わることも多いです。最後に自分の色が多い方が勝ちです」
説明を聞いていた客たちは盤面を見つめたが、まだ完全には理解できていないようだった。
「実際に遊んだ方が早いですね。誰か対戦しませんか?」
「俺がやる」
最初に声をかけてきた冒険者が向かいへ座った。
先手は黒と決まっているため、どちらが黒を使うかを駒当てで決める。ユウトは背中へ回した片手に駒を隠した。
「入っている方を当てたら黒です」
冒険者は右手を選び、見事に当てた。
「俺が黒だな」
「では、俺は木色です」
ユウトは最初に置ける四か所を示した。
冒険者が黒い駒を置くと、挟まれた木色の駒を裏返す。
「これで黒が増えるのか」
「はい。次は俺です」
ユウトが置けば、今度は黒い駒が木色へ変わる。
「今、裏返したばかりだぞ」
「また挟まれれば戻ります」
数手進むと、冒険者は自分で置ける場所を探し始めた。
「ここなら縦と斜めを同時に挟めるな」
「そうです。その場合は両方とも裏返せます」
三枚の駒が一度に黒へ変わり、周囲からどよめきが起きた。
「一方向だけじゃないのか!」
「置く場所によっては、もっと多く変えられます」
冒険者は目の前の駒を増やすことへ集中し、ユウトは盤の外側へ駒を残していく。
「一枚しか変わらない場所へ置いて、意味があるのか?」
「盤の外側からは挟まれないので、中央の駒より残りやすいんです」
数手後、その駒を起点に長い列が木色へ変わった。
「そこまで考えるのか……」
「途中で多くても、最後まで残るとは限りません」
ただし、ユウトも盤面の展開をすべて覚えているわけではない。相手へ説明しながら打っていたこともあり、終盤で黒が置ける場所を一つ見落とした。
「ここなら三方向だ!」
黒い駒が一度に九枚増える。
「あ……そこがありましたね」
「教えている本人が見落とすのか?」
「久しぶりなので」
ユウトが苦笑すると、周囲にも笑いが広がった。
やがて盤が埋まり、二人で駒を数える。
「黒が三十四枚。木色が三十枚です」
「俺の勝ちだ!」
冒険者が拳を上げ、見物人たちから歓声が起きた。
ユウトも悔しさより、相手が自分で良い手を見つけたことを嬉しく感じていた。
「もう一度だ。今度は見落とすなよ」
「次は本気でやります」
「待て、次は俺だ!」
「駒作りを手伝ったんだから、俺が先だろ!」
希望者が一斉に声を上げる。
主人は空の椀へ人数分の小さな木札を入れた。
「印のある札を引いた者から順番だ。勝手に割り込んだ奴には貸さないぞ」
客たちは文句を言いながらも、素直に札を引き始めた。
待ち切れない者は別の卓へ線を引き、表に紋章、裏に数字の刻まれた硬貨を並べて真似しようとしている。
「硬貨は大きさが違うから、きれいには並ばないぞ」
「勝負できれば十分だ!」
先ほどまで退屈そうだった食堂は、一つの遊びを中心に笑い声と悔しがる声で満たされていた。
雨音は変わらず激しい。
それでも、もう誰も窓の外を気にしていない。
ユウトは胸の奥が少し温かくなるのを感じた。
前世では、一人暮らしの部屋で誰にも遠慮せず過ごせることが嬉しかった。本やゲームがあれば、一人でも時間を楽しめた。
けれど、一つの盤を誰かと囲み、勝ち負けに笑う時間も悪くない。
「これ、本当に以前暮らしていた場所で遊んでいたものなのか?」
主人に尋ねられ、ユウトは頷く。
「はい。そこで知った遊びです」
「面白いものを知っているんだな」
主人は、二度目の対局へ夢中になっている客たちを見回した。
「これだけ客が楽しむなら、雨の日に宿へ置いておく価値はありそうだ。だが、一組では足りんな」
「駒の形も不ぞろいですし、黒い面も使い続ければ薄くなると思います」
「なら、もう少しまともなものを作れないか?」
ユウトは食堂の隅に積まれた、側板の割れた古い木箱へ目を向けた。
「あの木箱は、もう使わないものですか?」
「あれか? 底が抜けているから、薪にするつもりだった」
「使える板を盤と駒にしてもいいですか?」
主人は対局を待つ客たちの列を見て、すぐに頷いた。
「好きに使え。ただし、今夜中に全部作ろうとするな。明日も依頼があるんだろう」
「はい。今日はここまでにします」
追加の盤作りは、雨がやんでからでも遅くない。
ユウトが片づけを始めても、食堂ではまだ駒を裏返す音と歓声が続いていた。
試しに作った一組のリバーシは、その夜のうちに宿屋の遊びとして受け入れられていた。
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