第10章 第227話 神域の綻び
「……今の、変だったよ」
フィーナは神域の奥を見つめたまま、白い耳を立てていた。
「どこ?」
「分かんない。でもね」
鼻をひくつかせる。
「黒い匂いが、一瞬だけなくなった場所があったの」
「なくなった?」
「ううん。たぶん……黒い匂いが避けて流れてた」
俺は息を呑む。
神域全体に満ちているはずのヴォイドの気配。
その中に、一点だけ。
何も流れ込まない空白がある。
「エリシア」
「はい。私も追います」
エリシアが杖を床へ向けた。
「全部を調べる必要はありません。フィーナさんが見つけた異常だけを絞ります」
「それなら妨害されにくい」
「少なくとも、先ほどよりは」
「フィーナ!」
「任せて!」
少女が駆ける。
その進路へ、黒い神力の刃が降った。
「行かせない」
ヴォイドが手を伸ばす。
だが。
「道は拙者が開く!」
アイリスが真正面へ飛び込んだ。
神力の刃と剣が激突する。
空気が爆ぜた。
「ぐっ……!」
足元の石が砕ける。
それでも。
アイリスは踏み込んだ。
「はあああっ!」
振り抜いた剣が、黒い斬撃を真っ二つに裂く。
「行かれよ、フィーナ殿!」
「うん!」
フィーナが駆け抜ける。
俺もその後を追った。
◇
「ここ!」
フィーナが壁際で止まった。
ただの黒い壁。
見た目には何もない。
【鑑定】。
【神域構成壁】
【内部構造:――――】
【接続先:取得不能】
【情報完全性保証不能】
見えない。
だが。
【探索上達】で、これまで見てきた神域の地形と神力の流れを重ねる。
流れがない。
いや。
流れが、この一点を避けている。
「ここだけ、神域の一部なのに神力が通ってない」
「綻びですね」
エリシアが呟く。
杖先から細い解析術式を伸ばす。
黒い神力が即座に食らいついた。
「やはり」
エリシアは迷わず術式を切断した。
「触れた瞬間に妨害されます」
「なら当たりだ」
俺が壁へ手を伸ばした瞬間。
レティシアが組み直した簡易警報が震えた。
「来るよ!」
「精神干渉!」
セレスが即座に叫ぶ。
次の瞬間。
思考が白く霞んだ。
何をしていた?
どうして壁を調べていた?
「もう考えなくていい」
ヴォイドの声だけが優しく響く。
「君が選ばなくても、正しい答えは私が与える」
そうか。
なら――。
「ユウトさん!」
セレスの手が胸へ触れた。
「戻します!」
淡い光。
以前記録した俺の正常な魔力波形へ、乱された流れを重ね直していく。
「これはあなたの魔力です!」
頭の霧が揺らぐ。
「外から入ったものと、あなた自身を分けてください!」
俺は息を吸う。
今、何をしたかった。
フィーナが見つけた綻びを。
調べる。
「……戻った」
「よかった」
セレスは笑った。
「決められるなら、次を決めてください」
「ああ」
それで十分だった。
◇
「レティシア。この壁、開けられる?」
「壊すんじゃなくて、だろ?」
「うん」
「面倒な注文だねぇ!」
そう言いながら、彼女はもう壁を叩いていた。
音。
継ぎ目。
素材。
古代施設で何度も見た構造。
俺も【道具制作上達】と【武具制作上達】で、封印設備に使われていた接続方式を思い出す。
「この壁、後付けじゃない」
「元は保守区画だね」
「開閉機構が残ってる可能性がある」
「フィーナ!」
「下! 右から三つ目!」
レティシアが工具を差し込む。
黒い膜が剥がれ。
古代回路が姿を現した。
【封印中枢保守機構】
【状態:神力汚染】
【認証:破損】
【開閉機構:一部生存】
【動力経路:断線三箇所】
「三つ」
「一つはあたしが繋ぐ!」
「一つは私が」
エリシアが魔力回路を補う。
三つ目だけが壁の内側。
物理的に届かない。
俺は自分を【鑑定】する。
【現在MP:5】
封印施設に残る補給陣の余波と、セレスの回復補助で少しだけ戻っている。
それでも貴重だ。
最終的に必要になる。
だが。
今、ここを開けなければ先へ進めない。
「一だけ使う」
「ユウトさん」
「分かってる」
威力はいらない。
必要なのは接続だけ。
「【スパーク】」
細い電光が壁内部へ入り。
切断された二点を一瞬だけ繋ぐ。
【現在MP:4】
「今!」
「任せな!」
レティシアが機構を固定し。
エリシアが魔力を通す。
低い音。
黒い壁が左右へ開いた。
◇
その先には、巨大な空洞が広がっていた。
中央に黒い球体。
無数の光の糸が、そこから世界の方角へ伸びている。
【鑑定】。
【名称:――――】
【分類:神力中継中枢】
【機能:意思干渉伝達/幸福感固定補助】
【接続対象:世界各地】
【権能所有者:ヴォイド】
【破壊時:世界規模干渉速度低下】
【神格接続:あり】
【情報完全性:58%】
「……本物です」
エリシアが言う。
「少なくとも、中継機能は」
「ああ」
だから厄介だ。
偽物ではない。
壊せば意味はある。
だが。
俺は【鑑定】結果を見直す。
情報が多い。
多すぎる。
「違う」
「ユウト?」
「見えてるんじゃない」
背筋が冷える。
「見せられてる」
ヴォイドの声が響く。
「賢いね」
球体の表面に亀裂が走った。
中にはさらに細い神力回路がある。
「それを壊せば、世界への干渉は弱まる」
ヴォイドは否定しない。
「だから壊してもいいよ」
「……本命じゃない」
「それを壊して満足するなら、私は止めない」
やっぱり。
「フィーナ!」
「待って!」
フィーナが目を閉じる。
耳。
鼻。
空気。
神域全体。
「黒い匂いが……全部ここへ来てる」
球体を見る。
「でも」
顔を上げる。
「あそこだけ、何も匂わない」
指差したのは。
球体ではない。
その遥か上。
何も存在しない空間。
「何もないのに?」
「だから変なの!」
俺は【探索上達】で流れを追う。
確かに。
神力は球体を通り。
最後に。
その“空白”を避けるように歪んでいる。
「エリシア」
「術式を重ねます」
彼女が中継中枢の流れだけを反転表示する。
「流れが……空白の周囲で分岐しています」
「レティシア!」
「構造物はない!」
「セレス!」
「生命反応もありません!」
「なら」
俺は【鑑定】する。
【対象:――――】
【情報取得不能】
もう一度。
【解析上達】
中継結晶。
中継中枢。
封印構造。
神力の経路。
フィーナが見つけた匂いの空白。
ヴォイドが妨害した場所。
見せられた情報。
見せられなかった情報。
全部を重ねる。
黒く潰れていた表示の奥から。
一文字ずつ。
【分類:権能核】
【作用:自由意思干渉】
【神格接続:最深部】
【破壊条件:神格接続と同時遮断――】
そこまで。
表示が消えた。
「同時……」
「ユウトさん?」
「核だけ壊しても駄目だ」
俺は理解した。
「ヴォイドの神格と繋がってる」
エリシアの顔が変わる。
「一方だけなら再接続される?」
「たぶん」
「なら」
レティシアが武器を握り直す。
「両方まとめてやるしかないってことかい」
ヴォイドが俺たちを見つめていた。
怒ってはいない。
むしろ。
悲しそうだった。
「そこまで見つけてしまったんだね」
神域全体が震える。
「でも、それを壊せば」
世界へ伸びる無数の神力が脈打つ。
「また人々は迷う」
「失敗する」
「傷つけ合う」
「救えなかったと泣く」
ヴォイドの声が低くなる。
「君は本当に――世界へ苦しみを返すのか?」
俺は答えなかった。
まだ。
戦いは終わっていない。
そして。
答えは言葉だけで示すものじゃない。
黒い神力が爆発する。
「来る!」
アイリスが前へ。
「拙者が道を守る!」
セレスが全員の状態を確認する。
レティシアが装備を締め直す。
エリシアが術式を展開する。
フィーナは“匂いのない一点”を睨み続ける。
俺は自分の残りMPを見る。
【現在MP:4】
頭の中では。
これまで見た魔法。
習得した魔法。
改良した術式。
結界。
浄化。
切断。
封印。
魔力制御。
全部が一つへ繋がっていく。
【魔法上達】
【解析上達】
核と。
神格接続。
その両方を同時に破壊するための魔法。
まだ完成していない。
でも。
形は見えた。
「エリシア」
「はい」
「作れる」
「何をです?」
俺はヴォイドを見た。
「終わらせるための魔法を」
その瞬間。
ヴォイドの周囲に、これまでとは比べものにならない神力が集まり始めた。
「なら」
優しい声だけは。
最後まで変わらなかった。
「完成する前に、君たちを救おう」
黒い光が。
六人へ降り注いだ。
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