第10章 第224話 選ばなくなる世界
黒い神力が、封印最深部から空へ突き抜けた。
大地を貫き、見えない波となってアルテシア全土へ広がっていく。
胸元の心律晶が、激しく震えた。
「全員、意識確認!」
セレスの声が飛ぶ。
「フィーナ!」
「大丈夫!」
「アイリス!」
「問題ないでござる!」
「エリシア!」
「正常です」
「レティシア!」
「頭はあたしのもんだよ!」
「ユウト!」
「俺も大丈夫!」
俺はヴォイドへ【鑑定】を向ける。
【神域展開:継続中】
【干渉対象:アルテシア全域】
【第一段階:感情鎮静】
【第二段階:意思決定補正――開始】
【詳細:神格干渉により取得不能】
「第二段階……」
嫌な言葉だった。
ヴォイドは宙に浮かんだまま、穏やかに俺たちを見下ろしている。
「安心していい」
「何をするつもりだ」
「苦しみの原因を、一つずつなくすだけだよ」
空間が歪んだ。
黒い腕が何本も現れ、一斉にこちらへ伸びてくる。
「来るでござる!」
アイリスが踏み込んだ。
一閃。
腕が切れる。
直後、切断面から二本に増えた。
「むっ……!」
「壊すほど増えています!」
エリシアが叫ぶ。
魔法弾を放とうとした俺は、手を止めた。
【現在MP:3】
撃てる。
たとえ消費MPが三を超えても。
でも。
撃った瞬間、俺はまた魔法を失う。
「……今は使わない」
「ユウト殿?」
「俺が撃つより、みんなで崩した方がいい」
アイリスが一瞬だけ笑った。
「承知いたした!」
「エリシア、押し返すだけ! 壊さない!」
「了解です!」
「多重結界!」
幾重もの魔法陣が黒い腕を受け止める。
表面がすぐに黒く染まった。
「右側から侵食が速い!」
「見えています!」
「レティシア!」
「任せな!」
対神格干渉用に加工した盾が、結界へ食い込む。
封神銀が黒い神力の流れを遅らせた。
「三秒!」
セレスが叫ぶ。
「それ以上は持ちません!」
「十分だよ!」
フィーナが走る。
攻撃の隙間へ潜り込み、床へ手を触れた。
「こっち、流れが揺れてる!」
俺も見る。
【局所神力密度:不安定】
【原因:取得不能】
綻びじゃない。
ただの揺らぎ。
それでも。
「そこを抜ける!」
アイリスが地を蹴る。
エリシアの結界が一瞬だけ角度を変え、黒い腕を横へ流した。
アイリスがその隙間を駆け抜ける。
「せいっ!」
神力そのものではなく。
その奥にある床の術式を斬った。
黒い腕が一瞬だけ止まる。
「……なるほど」
ヴォイドが静かに呟いた。
「壊せないなら、流れを変えるのか」
「分からないもの全部を壊す必要はないからな」
「だが」
ヴォイドの声は、どこまでも優しかった。
「その判断こそが、人を苦しめる」
次の瞬間。
別の景色が、俺たちの意識へ流れ込んできた。
◇
アルテシア王国。
避難所。
「東門付近に魔物反応! 全員、地下区画へ!」
兵士が叫んでいる。
けれど。
泣いていた子どもが、ふっと笑った。
「もう怖くないよ」
母親も、その顔を見て笑う。
「そうね……きっと大丈夫」
「お母さん、逃げなくていいの?」
「……そうね。大丈夫な気がするもの」
警鐘は鳴り続けている。
なのに。
誰も立たない。
兵士自身も。
「地下へ……」
途中で表情を緩めた。
「いや。慌てなくてもいいか」
◇
ルーンベルク。
魔導学院。
「結界炉の出力が落ちています!」
学生が叫ぶ。
教師が魔導盤を見る。
危険値。
このままなら防壁が破れる。
それでも。
「大丈夫だ」
「先生?」
「不安になる必要はない」
教師は穏やかに笑った。
「失敗を恐れなければ、失敗で苦しむこともない」
◇
グランバルド。
崩れかけた防壁。
職人が亀裂を見つめる。
「交換しないと危険だ」
隣の職人が頷く。
だが、その直後。
「……まあ、いいか」
「そうだな」
二人とも笑った。
その後ろで。
崩れた石に挟まれた男が呻いている。
「た、助け……」
職人が振り返る。
そして。
優しく笑った。
「苦しまなくていい」
「すぐ楽になる」
助けるために走るのではなく。
苦痛を“気にしなくなること”を、救いだと思い始めている。
◇
「やめろ!」
景色が消える。
俺はヴォイドを睨んだ。
「何を怒っている?」
「判断を奪ってる!」
「違う」
ヴォイドは首を振る。
「恐怖によって間違う必要をなくしている」
「危険なんだぞ!」
「なら、いずれ危険そのものもなくす」
「それまでに死ぬ!」
「死を恐れなければ、死は苦しみではない」
背筋が凍った。
そこまで。
こいつはもう。
「死んでも悲しまなければいいって言うのか?」
「失った者が悲しまないなら、その痛みは生まれない」
ヴォイドは本気だった。
「悲しみを残して、何の意味がある?」
セレスが一歩前へ出る。
「意味があるから悲しむんじゃありません」
ヴォイドを見る。
「大切だったから、悲しいんです」
「なら、その大切さを失わせれば――」
「違います」
静かな。
でも、はっきりした声だった。
「治療は、その人が自分で生きられるところまで戻すためにするんです」
セレスは杖を握る。
「悲しまない人へ作り替えるためじゃありません」
その時。
神域の奥で。
何かが揺れた。
一つ。
また一つ。
異なる四つの神力。
【外部神力干渉】
【発生源:複数】
【遊――】
【物――】
【芸――】
【祝――】
声にはならない。
ただ。
断片だけが届く。
『……選……』
『……楽し……』
『……自ら……』
エリシアが目を見開く。
「四柱です」
完全復活なんてしていない。
ヴォイドを止められる力もない。
ただ。
世界中から届く喜びが。
僅かに、彼女たちを支えている。
避難所で。
誰かが隣の人へ尋ねる。
「どっちの通路から逃げる?」
子どもが答える。
「こっち。前にカルタで覚えた標識がある」
別の場所では。
「怖いから……歌ってもいい?」
「ああ。何を歌う?」
「私が好きなのを」
小さな選択。
自分で選んだ。
ただそれだけの行為が。
黒い神力へ、細い抵抗を生む。
「……また」
ヴォイドが呟いた。
怒りではない。
深い悲しみだった。
「あの時も、お前たちはそうだった」
四つの神力が震える。
「私が苦しみを消そうとした時も」
「自由を残せと」
「迷わせろと」
「失敗させろと」
「そして今も……」
ヴォイドは目を伏せた。
「まだ、迷う心を捨てられないのか」
黒い神力が。
さらに深く。
世界へ沈み始める。
俺の【鑑定】が警告を出した。
【意思決定干渉:第二段階へ移行】
【対象:判断形成領域】
【作用:選択肢の優先固定】
【警告】
【対象者は自ら選択したと認識します】
「……最悪だ」
操られているとさえ。
気付かなくなる。
ヴォイドが俺たちを見る。
怒ってはいなかった。
むしろ。
可哀想なものを見る顔だった。
「そうか」
「まだ、迷いが残っているんだね」
両手を広げる。
「なら」
「迷う心そのものを、休ませてあげよう」
心律晶が。
今までで最も激しく震えた。
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