第9章 第219話 あたしが打つ意味
工房の奥から聞こえた笑い声に、レティシアの表情が固まった。
「レティシア?」
俺が呼んでも返事はない。
代わりに、彼女の鼻先を熱気がかすめた。
炉はまだ消えている。
それなのに、鉄を焼いた時の匂いだけが濃くなる。
「……懐かしいね」
レティシアが小さく呟いた。
セレスがすぐに手首を取る。
「レティシアさん。聞こえますか?」
反応がない。
俺は【鑑定】を使った。
【状態:神格干渉による深度幻覚】
【身体状態:安定】
【外部神力接続:継続中】
【神力干渉への抵抗反応:あり】
【対象情報:一部取得不能】
台座に置かれた剣へ視線を移す。
【名称:――】
【耐久性:解析不能】
【劣化:――】
【製作者:レティ――】
【情報完全性:保証不能】
【警告:神格干渉を検知】
「やっぱり、表示そのものまで信用しきれない」
「レティシアお姉ちゃん……」
フィーナの耳が伏せる。
その時、レティシアの身体から力が抜けた。
セレスが支える。
「意識は完全に向こうです。無理に引き戻しません」
「任せる」
俺たちは彼女の身体を守りながら、その帰りを待つしかなかった。
◇
レティシアは、グランバルドの工房に立っていた。
炉の火は理想的。
金床には歪み一つない。
並べられた鉱石は、どれも最高品質。
「……悪くないね」
思わず笑みが浮かぶ。
目の前には、自分が作ったらしい武具が並んでいた。
剣。
盾。
鎧。
杖。
短剣。
どれも傷一つない。
壊れない。
欠けない。
歪まない。
永遠に。
「レティシア!」
ユウトが工房へ入ってくる。
「見てよ。まだ一度も刃こぼれしてない」
その後ろから、フィーナが飛び込んでくる。
「こっちも! 全然壊れないよ!」
アイリスも微笑む。
「拙者の刀も、以前のままでござる」
エリシアは杖を眺め、
「魔力伝導も低下していません」
セレスも笑った。
「これなら、装備の故障で怪我をする人はいませんね」
レティシアは皆を見る。
傷がない。
誰も怪我をしていない。
防具も無傷。
『望んでいたのだろう』
ヴォイドの声。
『守れる武具を』
「……まあね」
『ならば、これでいい』
景色が揺らぐ。
一瞬。
レティシアの前に、過去の戦場が映った。
裂けた盾。
欠けた刃。
歪んだ留め具。
血。
倒れる仲間。
『あの時、盾があと一息持っていれば』
別の光景。
『あの刃が欠けなければ』
さらに。
『お前が、もっと早く完成させていれば』
レティシアの奥歯が噛み締められる。
『誰も傷つかなかった』
「……」
『もう、同じ思いをしなくていい』
目の前へ、一振りの剣が現れる。
完璧だった。
硬度。
靱性。
重心。
魔力伝導。
どこにも欠点がない。
『一度作れば、壊れない』
『直す必要もない』
『作り直す必要もない』
『お前の失敗で、誰も傷つかない』
レティシアは剣を持ち上げた。
軽い。
重すぎない。
振りやすい。
全部、理想通り。
「……腹立つくらい、いい剣だね」
『そうだ』
「これなら、仲間を守れる」
『そうだ』
「壊れない」
『そうだ』
レティシアはしばらく剣を見つめた。
そして金床に置いた。
槌を持つ。
『何をする?』
「試すのさ」
『必要ない』
「必要かどうかは、あたしが決める」
ガァン!
全力で叩く。
剣は傷一つつかない。
音も完璧。
火の入り方も一定。
返ってくる感触まで理想的。
レティシアの顔から笑みが消えた。
「……気持ち悪いね」
『壊れないことが?』
「違う」
もう一度叩く。
ガァン!
「何も変わらないことがだよ」
『変わる必要はない。完成している』
「完成?」
レティシアが鼻で笑う。
「誰が決めたんだい」
『私は、お前が望む最高を与えた』
「だから、それが気に入らないのさ」
『なぜ』
「失敗がありがたいから?」
レティシアは槌を肩へ担ぐ。
「馬鹿言うな」
吐き捨てるように言った。
「しないで済むなら、その方がいいに決まってるだろ」
炉の火が揺らぐ。
「武器は壊れない方がいい」
「盾は割れない方がいい」
「仲間が怪我しないなら、そっちの方が何倍もいい」
『ならば受け取れ』
「でもね」
レティシアは剣を指差した。
「これを作ったのは、あたしじゃない」
『お前の手で作られた』
「違うね」
即答。
「あんたが決めた完成品を、あたしの腕で出しただけだ」
工房へ亀裂が走る。
「素材を見て」
「火を見て」
「使う奴の癖を見て」
「何が足りないか考えて」
「どう直すか決める」
「そこまでやって、あたしの仕事なんだよ」
『考える必要はない』
「それを決めるのも、あたしだ!」
幻の剣を掴む。
『壊れる武器を望むのか』
「望むわけないだろ!」
レティシアが吠えた。
「壊れないように作るんだよ!」
「それでも壊れたら――その時どう直すかくらい、あたしに決めさせろ!」
亀裂が一気に広がる。
「誰に何を持たせるか」
「どう改良するか」
「まだ使うか、作り直すか」
槌を振り上げる。
「完成を決めるのは――あたしだ!」
振り下ろした。
完璧な剣が砕け散った。
◇
「――っ!」
レティシアが大きく息を吸った。
「戻りました!」
セレスがすぐに彼女の瞳孔を確認する。
「名前は?」
「レティシア」
「ここは?」
「地上最深部の封印迷宮」
「私たちの目的は?」
「ヴォイドの封印中枢まで行くこと」
セレスが頷く。
「大丈夫そうです。ですが、手が震えています」
「……あ?」
レティシアが自分の右手を見る。
わずかに震えていた。
「精神干渉後の魔力波形も乱れています。すぐ作業するなら、先に整えます」
「休めって?」
「治してから働いてください」
「……分かったよ」
珍しく素直に座る。
セレスは彼女の手を包み、弱い回復魔法と精神安定魔法を重ねた。
俺は台座を見る。
先ほどまでの剣は崩れ、黒い塵になっている。
【神格干渉による疑似物質】
【製作者情報:偽装】
【状態:崩壊】
「やっぱり偽物だった」
「当然だろ」
レティシアが鼻を鳴らす。
「あたしなら、もっとマシに打つ」
フィーナが笑う。
「そこなんだ!」
「そこだよ」
空気が少しだけ緩む。
俺は工房全体へ【鑑定】を広げた。
【古代封印整備工房】
【用途:封印守護装備の製造・補修】
【設備:一部稼働可能】
【神力汚染:中】
【保管素材:残存】
【次区画接続:設備正常化により解放可能】
「ここ、本物の整備工房だ」
レティシアの目が変わる。
「素材は?」
「ある」
奥の保管庫を開く。
黒銀色の鉱石。
砕けた淡金色の結晶。
【名称:封神銀】
【状態:軽度劣化】
【性質:神力伝導阻害/魔力伝導高】
【加工難度:極高】
隣の結晶は半分以上が割れている。
【名称:心律晶】
【状態:破損】
【性質:所有者の魔力波形へ共鳴】
【用途:外部精神干渉の早期検知補助】
【注意:精神支配を無効化しない】
「全部は使えない」
俺が言う。
「ああ」
レティシアが封神銀を手に取る。
「量も少ない。心律晶は砕けてる」
「それでも使える?」
「違うね」
口元が上がる。
「使えるようにするんだよ」
俺は笑った。
「どうする?」
「丸ごと作り直さない。要所だけに入れる」
アイリスの刀。
「鍔と握り」
フィーナの短剣と鉤縄。
「手元と接続部」
エリシアとセレスの杖。
「魔力の流入口」
俺の装備。
「術式制御部」
自分の盾。
「こいつは広めに補強」
「拙者は?」
アイリスが尋ねる。
「入口警戒!」
「承知いたした!」
フィーナが手を上げる。
「フィーナは?」
「材料探し!」
「任せて!」
エリシアは砕けた心律晶を覗き込む。
「破片でも波形記録用には使えそうですね」
セレスも加わる。
「先に全員の正常時の魔力波形を取ります。基準がなければ、異常を知らせても意味がありません」
「なるほど」
俺が頷く。
「完全防御じゃない」
「はい」
セレスははっきり言った。
「気付くための道具です。判断する時間を少し増やすだけ」
「十分だよ」
レティシアが炉へ火を入れる。
「その少しを、あたしたちが使う」
そこからは全員で動いた。
俺が【鑑定】で加工温度と劣化箇所を伝える。
レティシアが採用する情報を選ぶ。
エリシアが魔力回路を補助。
セレスが魔力波形を記録。
フィーナが劣化の少ない素材を嗅ぎ分ける。
アイリスは入口を警戒する。
少量しかない素材を、必要な場所へだけ。
完璧ではない。
だが。
今の俺たちには、それでいい。
最後の封神銀が装備へ組み込まれた瞬間。
【複合対神格干渉補助装備】
【効果:外部神力侵入の遅延】
【効果:精神干渉兆候の検知補助】
【効果:魔力波形異常の警告】
【注意:神格直接干渉を完全防御できません】
「完成」
レティシアが槌を置いた。
「いや」
一度だけ装備を見る。
「今は、これでいく」
その言い方が、ひどく彼女らしかった。
直後。
工房全体が震える。
封印設備の古い魔法陣に光が戻る。
【設備正常化】
【次区画封鎖解除】
奥の巨大扉が、重々しく開き始めた。
その向こうから。
これまでとは比べものにならない濃さの黒い神力が流れ込む。
同時に。
セレスの胸元へ取り付けたばかりの心律晶が、鋭く震えた。
「……っ!」
「セレス?」
彼女は胸を押さえた。
顔から血の気が引いていく。
俺はすぐ【鑑定】を使う。
【精神干渉兆候:検知】
【対象:セレス】
【神力侵入:進行中】
【幻覚形成:開始】
セレスの視線が。
開いた扉の向こうへ吸い寄せられる。
「……誰も」
彼女の唇が震えた。
「誰も、怪我をしていない……」
その顔に浮かんだのは。
喜びだった。
だからこそ。
俺は背筋が冷えた。
お読みいただきありがとうございます。
ブックマークや評価をいただけると励みになります。
よろしくお願いいたします。




