第9章 第217話 積み重ねた剣
「ユウト殿! 聞こえるでござるか!」
石壁の向こうから響いた声に、ユウトは息を呑んだ。
「アイリス!」
「無事でござる! こちらにはエリシア殿、セレス殿、レティシア殿もおる! ただし、三人ともまだ目を覚ましておらぬ!」
ユウトは振り返る。
こちら側にも、眠ったままのアイリスたちがいる。
いや――アイリスだけではない。
エリシアも。
セレスも。
レティシアも。
呼吸している。
体温もある。
それでも先ほどの【鑑定】は、明らかな異常を示していた。
【生命反応:あり】
【魂反応:取得不能】
【肉体構造:本人記録と一部不一致】
【詳細:神格干渉により閲覧不能】
「フィーナ」
「うん」
フィーナが眠っているアイリスへ顔を近づける。
耳を動かし、鼻をひくつかせた。
「髪とか服は同じ匂い。でも……中身が薄い感じがする」
「壁の向こうは?」
「アイリスの匂い、ちゃんとする。エリシアも、セレスも、レティシアも」
ユウトは床へ手を当て、もう一度【鑑定】を使う。
【分類:――幻影系術式】
【構成:記憶情報/魔力疑似肉体/――――】
【術式干渉源:神格存在】
【目的:閲覧不能】
また肝心なところは見えない。
「……たぶん、俺たちを別々に進ませるためだ」
「偽物と一緒に?」
「分からない。でも、少なくとも本物じゃない」
ユウトは眠る四人を見る。
ヴォイドは殺そうとしているわけではない。
むしろ、本人が幸福だと思う方向へ導こうとしている。
なら。
偽物の仲間を用意した理由も、単純な罠ではないのかもしれない。
――本物の仲間を失ったと感じさせないため?
――そのまま“幸せな方”へ連れていくため?
考える時間はなかった。
ゴゴゴゴゴ――!
床下から嫌な振動が響く。
凍らせていた駆動部が再び動き始めた。
「壁が来る!」
「ユウトお兄ちゃん!」
「分かってる!」
ユウトは迫る石壁を睨む。
【可動壁支持機構】
【左右二系統】
【魔力供給:床下導線】
【同期制御:天井部補助術式】
【中央接合部:――――】
また一部が黒く潰れる。
だが。
今回は、それでいい。
「アイリス!」
「はい!」
「壁を壊すんじゃなく、俺が弱らせたところを斬ってくれ!」
「承知いたした!」
ユウトは右側の駆動部へ氷魔法を送り込んだ。
左側は止めない。
左右で動きをずらす。
石壁がわずかに捻れた。
「今!」
「――はあっ!」
壁の向こうで斬撃音。
ズガン!
しかし。
「……駄目だ!」
亀裂は入ったが浅い。
【構造負荷:分散】
【破断可能性:低】
「力が逃げてる……!」
ユウトは壁ではなく、天井へ視線を上げた。
左右の駆動は床だけではない。
上にも補助術式がある。
「もう一回やる!」
「承知!」
今度は床下の右側を凍結。
同時に。
「ライトニング!」
細く絞った雷が天井の補助術式へ走る。
破壊しない。
一瞬だけ魔力の流れを乱す。
【同期誤差:発生】
【中央接合部:負荷集中】
「そこだ!」
ユウトが叫ぶ。
「いざ――!」
鋭い気迫。
「斬る!」
轟音。
今度は違った。
壁の中央へ一本の深い裂け目が走る。
「フィーナ、下がって!」
「うん!」
ユウトは裂け目へ圧縮した風を送り込む。
爆破ではない。
内側から押し広げる。
ギギギギギ――!
石壁が左右へずれた。
人一人分。
「開いた!」
フィーナが真っ先に飛び込む。
ユウトも続いた。
向こう側では。
アイリスが剣を構えたまま立っていた。
その後ろ。
エリシア。
セレス。
レティシア。
三人は床へ寝かされ、まだ目を閉じている。
「ユウト殿!」
「アイリス!」
ユウトはまず四人へ【鑑定】を使った。
【魂反応:正常】
【精神幻惑:継続中】
【神力干渉:軽度】
【肉体状態:安定】
アイリスだけは。
【精神幻惑:解除】
【神力残留:微量】
【自己判断力:正常】
「……本物だ」
「当然でござる」
そう答えたものの。
アイリスの右手は、ごく僅かに震えていた。
セレスが眠っている以上、本人はまだ気付いていないだろう。
フィーナは気付いた。
「アイリス……怖かった?」
「……少々」
珍しく素直だった。
アイリスは、自分の剣を見る。
「拙者が世界最強の剣士になっている夢を見たでござる」
◇
ドラグニア王城。
武術場には、数え切れないほどの剣士が並んでいた。
全員が。
アイリスへ頭を下げている。
「剣聖アイリス殿!」
「当代最強!」
「ドラグニア史上最高の剣士!」
歓声。
拍手。
その中央で、アイリスは一人立っていた。
目の前には、幼い頃から剣を教えた師。
師が頭を下げる。
「もう、私から教えられることは何もありません」
「……師匠が?」
「あなたは私を遥かに超えました」
父も。
母も。
故郷の武人たちも誇らしげに笑っている。
国王さえ玉座から立ち。
「アイリス。そなたを当代最強の剣士として認めよう」
ずっと。
欲しかったはずだった。
認められたい。
強くなりたい。
いつか。
誰にも恥じない剣士になりたい。
「……ありがたき幸せ」
自然に言葉が出た。
その日の午後。
アイリスはいつものように稽古場へ向かった。
「何をなさるのです?」
師が不思議そうに尋ねる。
「素振りを」
「必要ありません」
「……は?」
「もう完成されております」
別の剣士が笑う。
「今日は茶でも楽しまれてはいかがでしょう」
「されど、身体を鈍らせるわけには」
「誰もあなたには勝てません」
「ならばなおさら――」
「もう十分です」
皆が。
同じように笑っていた。
翌朝。
それでもアイリスは剣を握った。
一振り。
二振り。
三振り。
寸分違わない。
完璧な軌道。
汗ひとつ出ない。
息も乱れない。
足も滑らない。
「…………」
試しに型を崩してみる。
勝手に身体が正される。
踏み込みも。
重心も。
刃筋も。
すべて最初から最適だった。
「妙でござる」
『何が?』
どこからともなく声がする。
「昨日より……何も変わらぬ」
『完成しているのだから当然だ』
「完成?」
『望んだ強さを得た』
確かに。
勝てる。
誰と戦っても。
きっと。
負けない。
「……師匠」
「はい」
「拙者は、いつ師匠を超えたのでござる?」
師は微笑む。
「最初からです」
「最初から?」
「あなたは誰よりも優れていた」
「では、この構えは?」
「あなたのものです」
「この足運びは?」
「あなたのものです」
「この刃筋は?」
「あなたのものです」
アイリスは黙った。
何ひとつ。
覚えがない。
「では――」
剣を見る。
「この剣は、誰の剣でござる?」
『お前の剣だ』
「違う」
すぐに分かった。
強い。
完璧。
でも。
手に馴染まない。
幼い頃。
木刀を振りすぎて手の皮が破れた。
師へ何度挑んでも一本取れなかった。
重心を崩され。
足運びを直され。
何度も。
何度も。
自分で試した。
ユウトと出会ってからもそうだ。
ユウトは一度見ただけで剣技の一部を再現した。
悔しかった。
驚いた。
それでも。
ユウトは長年の修行を軽く扱わなかった。
だからアイリスも、ユウトから学んだ技をそのまま真似るのではなく。
自分の剣へ取り込んだ。
「負けることが尊いなどとは申さぬ」
アイリスは静かに言った。
「勝てるなら勝ちたい。無駄に傷つく必要もない。苦しまず強くなれる方法があるなら、拙者は喜んで学ぶ」
『ならば何が不満だ?』
「これは、学んだ剣ではない」
柄を握る。
「与えられた完成品でござる」
『結果は同じだ』
「同じではない」
一歩踏み出す。
「強くなる方法を選ぶ」
もう一歩。
「教えを請う相手を選ぶ」
「その技を取り入れるか、自分には合わぬと捨てるかを選ぶ」
剣先を上げる。
「それを積み重ねた先にあるから――拙者の剣なのでござる」
目の前へ。
もう一人のアイリスが現れた。
完全無欠の剣士。
一度も敗北したことのない。
初めから最強だった存在。
その剣が振り下ろされる。
完璧な軌道。
アイリスは受ける。
重い。
速い。
寸分の狂いもない。
それでも。
「……やはり」
アイリスは笑った。
「この剣は嫌いでござる」
完璧すぎて。
生きていない。
相手がどう動いたから。
自分が何を感じたから。
どう変えるのか。
そこがない。
「拙者の剣は――」
一撃を流す。
踏み込む。
「まだ途中でよい!」
一閃。
完全無欠の自分を。
今のアイリスが斬り裂いた。
◇
「……最強と呼ばれた時より」
現実へ戻ったアイリスが、ぽつりと言った。
「自分で振った最後の一太刀の方が、ずっと手に馴染んだでござる」
少しの沈黙。
フィーナが、ようやく笑った。
「やっぱりアイリスらしい!」
「そ、そうでござるか?」
「うん!」
レティシアが眠ったままなので、いつもの茶化しはない。
代わりにユウトが苦笑した。
「帰ったらまた修行するんだろ?」
「当然でござる!」
「そこは迷わないんだな」
「迷う理由がござらん!」
少しだけ空気が緩んだ。
その時。
「……ん」
床に横たわるエリシアの指が動いた。
だが。
目は開かない。
眉間に皺が寄っている。
ユウトが【鑑定】する。
【精神幻惑:進行中】
【神力干渉:軽度→中度】
「エリシアの干渉が強くなってる」
「何か見つけたのでござろうか」
「たぶん」
ユウトは周囲を見る。
すると。
さっきまで何もなかった通路の先で。
カチン。
音がした。
石扉がゆっくり開いていく。
その向こう。
巨大な地下書庫。
天井まで続く本棚。
数え切れない魔導書。
古代文字。
失われた術式。
だが。
全てが幻というわけではない。
ユウトが【鑑定】する。
【古代封印記録庫】
【状態:一部実在】
【神力干渉:重複】
【記録物:実物と幻影が混在】
【判別:――――】
「……最悪だ」
嘘だけなら。
捨てればいい。
だが。
本物の知識が混ざっている。
フィーナが不安そうにエリシアを見る。
眠ったままの彼女は。
ほんの僅かに。
嬉しそうに笑っていた。
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