第2章 第21話 下水路の変異個体
透明な保存袋に封じられた黒い毛へ【鑑定】を使うと、昨日見た魔石とよく似た表示が浮かんだ。
【大型鼠系魔物の体毛】
【状態:魔力変質】
【異常要因:外部からの魔力干渉】
【詳細:解析不能】
「この毛にも、昨日報告した魔石と似た異常が出ています」
ユウトが伝えると、受付職員はすぐに表情を引き締めた。
「外部からの魔力干渉ですか?」
「はい。普通の害獣ではない可能性があります」
職員は掲示板から依頼書を外し、受付台へ戻った。
「この内容ではFランク向けの害獣駆除として出せません。調査依頼へ変更します」
新しい用紙へ、確認した情報が追記されていく。
「下水路入口付近の状況確認。異常個体の発見時は討伐せず、位置を記録して撤退。深部への進入は禁止。緊急信号具を携帯し、三人以上で行動すること。報酬は大鉄貨四枚です」
「俺も参加できますか?」
「ユウトさんの【鑑定】は調査に有用です。ただし、必ず同行者の判断も聞いてください」
職員は広間にいた二人のFランク冒険者へ声を掛けた。
一人は革鎧を身につけ、短めの槍を持つ人族の青年。もう一人は短剣を腰へ下げた獣人族の女性だった。二人とも登録から二か月ほど経っており、町中の依頼や下水路入口付近の害獣駆除を経験しているらしい。
「役割を決めるため、使える戦闘技能だけ【鑑定】で確認してもいいですか?」
ユウトが尋ねると、二人は顔を見合わせてから頷いた。
「全部見られるのは落ち着かないが、技能だけなら構わない」
「私もそれでいい」
意識を戦闘技能へ絞る。
槍使いの青年は【槍術】と【警戒】、獣人族の女性は【夜目】と【気配察知】を持っていた。
「槍は突きを中心にすれば、狭い通路でも距離を取れそうです。ただ、振り回すのは難しいと思います」
「分かっている。下水路では短く持つ」
「気配の確認はお願いしてもいいですか?」
「任せて」
「俺は明かりと後方、それから異常の確認を担当します」
ユウトには、害獣駆除用としてギルドから硬質木製の棍棒が貸し出された。木剣より短く、狭い場所でも扱いやすい。討伐した害獣を入れる袋には、防水と防臭の薬液が染み込ませてあった。
「死骸には素手で触れないでください。噛まれた場合は、傷が小さくても必ず治療院へ行くこと」
受付職員は三人へ簡易図、油灯、予備の火種、緊急信号具を渡した。
北西区の下水路入口は、住宅地と倉庫街の境にあった。
鉄格子の脇に設けられた作業扉を開けると、湿った冷気と腐臭が押し寄せる。石造りの通路の中央には濁った水が流れ、両側に狭い足場が続いていた。
獣人族の女性が鼻を押さえながら、耳を細かく動かす。
「水音の奥に爪の音がある。かなり遠いけど、何匹かいる」
ユウトは油灯へ初級光魔法を重ねた。遠くを照らしすぎないよう、明るさと範囲だけを抑える。
「魔法も使えるのか?」
「この場所では、初級だけにしておきます。広い魔法は仲間や通路を巻き込むので」
「それがいい」
三人は簡易図と壁の目印を確かめながら進んだ。
槍使いの青年が角の手前で足を止める。
「待て。さっきから右側の水だけ流れが乱れている」
槍の柄で水路脇を探ると、崩れた石の下から細い横穴が見つかった。
【警戒】によって、わずかな違和感を見逃さなかったらしい。
「奥へ続いているが、図にはないな」
「今回は入口周辺だけです。場所を記録しておきましょう」
ユウトは簡易図へ印を付けた。
さらに進むと、足元の石板に【鑑定】を使う。
【下水路側道】
【状態:湿潤】
【注意:前方の石板が浮いています】
「次の石板は踏まないでください」
槍の柄で押すと、石板が傾き、下から汚水が噴き上がった。
「見た目だけでは分からなかったな」
「表面の沈み方が少し違いました」
自分の【鑑定】の詳細は不用意に広めない。だが、危険を伝えることまでためらう必要はなかった。
獣人族の女性が拳を上げる。
「止まって。前に四匹いる」
彼女は目を閉じ、呼吸を浅く整えた。耳だけでなく、空気の流れや床へ伝わる振動にも意識を向けている。
【スキル:気配察知】
【習得条件:周辺感覚への集中・不要刺激の遮断・複数方向への注意分配】
【人族による再現:可能】
【状態:未習得】
今は練習する場面ではない。
ユウトは情報を記憶し、棍棒を構えた。
暗がりに赤い目が四つ並ぶ。姿を現したのは、犬ほどの大きさを持つ灰色の鼠だった。
【ジャイアントラット】
【危険度:F】
【推定生存年数:2年】
【特徴:集団行動・暗所適応・強い繁殖力】
【弱点:頭部・火・強い光】
【状態:興奮】
【異常な魔力変質:なし】
「四匹です。異常個体ではありません」
一匹目が飛び出す。
槍使いは槍を短く持ち、狭い通路でも穂先が壁へ当たらないよう真っすぐ突いた。肩を貫かれた鼠がよろめく。
二匹目が脇を抜けようとしたため、ユウトは棍棒で頭部を打つ。
鈍い衝撃が腕へ返った。一撃では倒れない。
火魔法なら早い。しかし、目の前には同行者がいる。壁や汚れに引火すれば、退路まで塞ぎかねない。
使えることと、使うべきことは違う。
獣人族の女性が三匹目を短剣の腹で受け流し、壁へぶつけた。槍使いが最初の一匹を仕留め、続けて二匹目の動きを止める。
ユウトも倒れた鼠の頭部へ、棍棒をもう一度振り下ろした。
最後の一匹は逃走しようとしたが、獣人族の女性が先回りして進路を塞ぐ。
短い戦闘が終わった。
誰も傷ついていない。
「初めての討伐依頼にしては落ち着いているな」
「村で魔物とは戦いました。でも、仲間と狭い場所で戦うのは初めてです」
「勝手に魔法を撃たなかったのは助かった」
死骸は手袋を使って薬液処理済みの袋へ入れた。四匹とも灰色で、黒い変色は見られない。
獣人族の女性が通路の奥へ顔を向けた。
「別の音がする。もっと重い。石を削りながら近づいてくる」
槍使いも槍を握り直した。
「床の振動が強くなっている。こっちへ来るぞ」
油灯の光が届く境目に、巨大な影が現れた。
子牛に近い体格。黒く変色した体毛。背中は不自然に盛り上がり、肥大した前歯には濁った魔力がまとわりついている。
【変異ジャイアントラット】
【危険度:D相当】
【推定生存年数:1年未満】
【状態:異常成長・凶暴化・魔力過剰】
【身体変異:筋力増大・骨格肥大・皮膚硬化・痛覚鈍化】
【異常要因:外部からの魔力干渉】
【弱点:頭部・腹部】
【一般推奨対応:Fランクパーティーは交戦を避け、直ちに撤退】
依頼条件どおりだった。
「撤退します。場所は確認できました」
「だが、町の中へ出たらどうする?」
「ここで三人とも倒れたら、ギルドへ情報すら届きません」
槍使いはすぐに頷いた。
「その通りだ。ゆっくり下がるぞ」
三人は怪物へ背を向けず、来た道を戻り始めた。
その時、【鑑定】に新しい表示が加わる。
【行動予測:突進】
【後肢への筋力集中を確認】
【攻撃開始まで:間もなく】
「来ます!」
ユウトが叫んだ瞬間、変異した大鼠は石床を砕く勢いで後肢を蹴った。
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