第6章 第178話 森の奥の指揮者
村を襲ったゴブリンが森へ退いてから、俺たちはすぐには追跡しなかった。
まずは村の安全を確保する。
「歩ける方は広場へ。傷の深い方から診ます」
セレスが負傷者を集め、一人ずつ状態を確認していく。
俺も必要な時だけ【鑑定】を使った。
「この人、右脇腹の打撲が大きい。骨には異常なし。こっちの人は左腕に亀裂骨折がある」
「ありがとうございます。では、出血している方を先に治療しますね」
情報を聞いたセレスが、自分の目と手で改めて患者を診る。
「こちらはすぐに治療します。腕の方は固定してから回復魔法を使いましょう」
判断するのはセレスだ。
反対側では、レティシアが壊された外柵を調べていた。
「支柱は生きてる。横木を替えりゃ、今夜は持たせられるね」
「材木は足りるか?」
「村の倉庫にある分で何とかするさ。任せな!」
村人たちも彼女の指示で材木を運び始める。
アイリスは門前から森を見据えたままだ。
「先ほどの退き方……やはり、ただ逃げただけとは思えぬでござる」
「うん」
恐怖で崩れた群れなら、もっとばらばらに逃げる。
けれど、あいつらは違った。
合図を聞いて退き、森へ入るまで隊列を大きく崩さなかった。
「ユウトお兄ちゃん!」
周囲を調べていたフィーナが駆け戻ってきた。
「足跡、追えるよ!」
「どんな感じ?」
「いくつかに分かれてる。大きい集団は南だけど、少ない足跡が森の奥へ続いてるの」
「戻ってくる跡は?」
「今のところ見つからないよ」
フィーナは少し考えてから付け加えた。
「それと、逃げたっていうより……決めた道を通ってる感じ」
断定ではない。
けれど、探索を続けてきたフィーナがそう感じるなら、無視はできない。
「村の避難準備が整ったら、その少ない方を追おう」
「うん!」
◇
村人たちが宿場町へ向かう準備を始め、残った冒険者たちへ護衛を任せたあと、俺たちは森へ入った。
先頭はフィーナ。
彼女は地面だけを見るのではなく、折れた枝、草の向き、残った匂いを確かめながら進んでいく。
しばらくすると、足を止めた。
「こっち」
指したのは、大量の足跡が続く南側ではない。
「少ないけど、同じところを何回も通ってる」
「連絡に使っている道かもしれませんね」
エリシアが周囲を見回す。
「可能性はある。でも、まだ決めつけないでおこう」
さらに進んだところで、フィーナの耳が前を向いた。
「声がする」
俺たちは姿勢を低くする。
茂みの向こうに、小さな窪地があった。
そこにいたのは五体。
四体は普通のゴブリン。
残る一体は一回り大きく、粗末な革鎧を着けている。
俺はその個体だけを【鑑定】した。
【種族:ゴブリンリーダー】
【危険度:D】
【状態:良好】
【進化要因:群れの統率・戦闘経験】
【異常:魔力循環に軽度の乱れ】
リーダーへの進化自体は珍しくても、不自然ではない。
ただ、その周囲にいるゴブリンたちは、勝手に動いていなかった。
リーダーが短く声を発すると、一体が立ち上がる。
もう一度声を出すと、別の一体が森の奥を向いた。
「命令を分けているように見えますね」
エリシアが囁く。
「うん」
その時。
さらに奥から、低く響く鳴き声が聞こえた。
リーダーが即座に動きを止める。
そして、そちらへ顔を向けた。
次の瞬間、二体へ合図を送り、別方向へ走らせる。
フィーナが俺の袖を軽く引いた。
「今の声……あの大きいのも聞いて動いたよね?」
「ああ」
俺たちは顔を見合わせる。
このリーダーも、命令する側であると同時に、命令される側らしい。
「討つのでござるか?」
アイリスが低く尋ねる。
「いや。追えるところまで追おう」
ここで倒せば、その先が分からなくなる。
目的はゴブリンを一体減らすことじゃない。
群れ全体がどう動いているのかを知ることだ。
◇
やがてリーダーが動いた。
十分に距離を取って追う。
途中から、森の中に不自然な道が現れた。
枝が切られ、草が踏み固められている。
「ここ、何度も通ってる」
フィーナが小声で言った。
さらに奥へ進むと、木々の隙間から煙が見えた。
俺たちは斜面の岩陰へ身を隠す。
谷間に、ゴブリンの集落があった。
粗末な小屋がいくつも並び、木柵が巡らされている。見える範囲だけでも数え切れないほどのゴブリンがいた。
「三百どころじゃないかもしれませんね」
エリシアの声が低くなる。
正確な数はここからでは分からない。
それでも、大規模な群れなのは明らかだった。
追ってきたゴブリンリーダーが集落へ入り、中央近くで立ち止まる。
そこへ、さらに大きな個体が現れた。
鎧らしきものを身に着け、手には長柄の武器を持っている。
俺は【鑑定】を使った。
【種族:ゴブリンジェネラル】
【危険度:B】
【状態:良好】
【進化要因:多数個体の統率・戦闘経験・高密度魔力の継続吸収】
【異常:進化過程に不自然な加速痕跡あり】
胸の奥が冷える。
ゴブリンジェネラル。
それだけでも、この一帯にとって重大な脅威だ。
だが、問題は最後の一行だった。
「ユウト?」
「進化の途中に、何か不自然な加速がある」
「原因は?」
「そこまでは分からない」
俺はさらに観察する。
ジェネラルの周囲には、薄い黒い濁りが混じった魔力がまとわりついていた。
以前見た黒い異常と似ている。
けれど、まだ同一だと断定できるほどの材料はない。
その時だった。
谷のさらに奥から、重い咆哮が響いた。
空気が震え、木の葉がざわめく。
ゴブリンたちが一斉に動きを止める。
そして――。
ゴブリンジェネラルが、咆哮の聞こえた方へ身体を向けた。
頭を下げる。
「……ユウト殿」
「ああ」
アイリスが何を言いたいのか、分かった。
危険度Bのジェネラルが、従っている。
つまり。
この大規模な群れを動かしている存在は、まだ別にいる。
俺は谷の最奥へ目を向けた。
木々と岩に遮られ、その姿は見えない。
それでも、ひとつだけは確かだった。
俺たちはまだ――群れの頂点を見ていなかった。
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