第6章 第177話 先回りする群れ
アルテシア王国東部へ入る頃には、ゴブリンの異常は、単なる大量発生では説明できなくなっていた。
街道沿いの宿場町では、門の外まで避難民の荷車が並んでいる。子どもを抱く母親、最低限の家財を積んだ老人、家畜を引く農夫。誰もが東の森を気にしながら、少しでも遠くへ離れようとしていた。
臨時のギルド詰所で、職員が地図を広げる。
「避難に使っていた街道が塞がれました。こちらです」
指されたのは、二つの村から宿場町へ続く最短の道だった。
「昨日までは?」
「通行できました。しかし今朝、倒木と落とし穴が見つかっています。迂回した一団も森から襲撃されました」
フィーナの耳がぴくりと動く。
「通る場所を狙ってるのかも」
「その可能性はある」
ただ見つけた人間へ襲いかかっているだけなら、ここまで避難路へ集中する理由がない。
「まだ残っている村は?」
「東に一つ。住民は六十人ほどです。護衛の冒険者もいますが、先ほどから連絡が途絶えています」
「先にそこへ行こう」
俺が言うと、フィーナはすでに地図へ顔を寄せていた。
「街道に入る前に、跡を見たい」
「頼む」
「任せて!」
◇
封鎖地点には、斥候役の冒険者が二人待っていた。
太い木が三本、街道を斜めに塞いでいる。
一見すると倒木にしか見えない。
だが、フィーナは近づく途中で足を止めた。
「この先、土を掘ってる匂いがする」
地面へしゃがみ込み、鼻を動かす。
「あと、何度も行ったり来たりしてる。今は匂いが薄いから、近くにはいないと思う」
俺は倒木の先へ【鑑定】を使った。
【対象:街道上の偽装落とし穴】
【作成状態:新しい】
【構造:簡易】
【目的:足止め・転倒】
「やっぱり罠だ」
その直後、フィーナが少し離れた茂みを指した。
「ユウトお兄ちゃん、こっちにもあるよ」
細い縄が低い位置へ張られている。
倒木で注意を引き、その先の落とし穴へ誘導する。避けようと脇へ逸れれば、今度は縄に足を取られる。
俺は配置を見回した。
「……通る人を止めるために作ってる」
「待ち伏せ用でござるな」
アイリスが静かに言う。
フィーナは街道脇の土を調べ、少しずつ森へ入った。
「足跡、分かれてる」
「どっちへ?」
「北と南。それと東へ戻った跡」
正確な数までは分からない。
けれど、街道の両側へ回り込んだ形跡がある。
俺たちがそのまま道を進めば、左右から挟まれていた可能性が高い。
「村へ行くなら、北側の森を抜けた方がいいよ」
「案内して」
「うん!」
俺たちはフィーナを先頭に、街道を外れた。
◇
森へ入ってしばらくすると、フィーナが拳を上げた。
全員が止まる。
「いる」
「どこ?」
「あっち。近いのが七匹」
俺にはまだ音すら聞こえない。
藪の間から覗くと、やがて緑色の小柄な姿が見えた。
ゴブリン。
七体。
そのうち二体は高い場所から街道を見ている。
俺は一体へ【鑑定】を使った。
【種族:ゴブリン】
【危険度:E】
【状態:警戒】
【装備:粗製弓】
【異常:魔力循環に軽度の乱れ】
上位種ではない。
だが、配置がおかしい。
木へ登った二体は街道を監視し、残りは周囲へ散っている。
「見張りっぽいね」
「同感です」
エリシアが小声で答える。
「倒せば通りやすくなるでござるが」
「今は避けよう」
俺は首を振った。
「見張りが戻らなければ、向こうに異変を知らせることになるかもしれない」
俺たちはさらに森の奥へ回り込んだ。
途中、フィーナが踏み荒らされた草を見つける。
「こっち、いっぱい通ってる」
折れた枝と泥に残る足跡。
方向はすべて、村へ向かっていた。
「急ごう」
◇
村が見えた時、最初に聞こえたのは悲鳴ではなく、剣と粗末な武器がぶつかる音だった。
「戦ってる!」
フィーナが駆ける。
外柵には十数体のゴブリンが押し寄せていた。
正門付近では冒険者たちが食い止めているが、一部が柵の端へ回り込んでいる。
「右から来る!」
フィーナの声が飛んだ。
アイリスは返事より先に地面を蹴る。
「承知いたした!」
柵を越えようとした一体の前へ滑り込み、抜刀。
一閃で倒し、そのまま二体目の武器を受け流して斬り伏せる。
左手では、エリシアが杖を上げた。
「風よ」
絞り込まれた風が地面を走り、柵へ近づいたゴブリンだけをまとめて転がす。
俺は別方向から飛んできた矢へ手を向けた。
「ウィンドウォール」
狭い範囲だけに風壁を立てる。
矢が進路を逸らされ、村の外へ落ちた。
「怪我人がいます!」
柵の内側からセレスの声がする。
すぐに淡い回復光が一度、二度と立ち上った。
「命に関わる人から診ます!」
「ここはアタシが持たせる!」
レティシアは大盾を柵の隙間へ叩き込み、ゴブリンの侵入を防ぐ。
「壊される前に塞ぐよ!」
片手で敵を押し返しながら、もう片方で外れかけた木材を固定していく。
俺は正面を見る。
ここにいる程度の数なら、まとめて倒すのは難しくない。
ただし、村人と仲間が入り乱れている。
大きな魔法は必要ない。
「アイリス、右をそのまま!」
「承知!」
俺は土魔法で柵の外側へ低い土壁を作った。
乗り越えようとしていたゴブリンの足元だけを持ち上げ、体勢を崩す。
そこへアイリスが斬り込む。
一匹、二匹。
瞬く間に数が減った。
その時だった。
森側にいたゴブリンが一斉に動きを止めた。
遠くから、低い鳴き声が響く。
「……何だ?」
次の瞬間、前へ出ていたゴブリンたちが後退した。
ばらばらに逃げたわけじゃない。
互いに距離を取りながら、森へ下がっていく。
「追撃いたすか?」
アイリスが尋ねる。
「待って」
フィーナが森の奥を見た。
「あそこ」
一体のゴブリンが木々の隙間からこちらを見ている。
俺たちの姿を確認した直後、その個体は奥へ走っていった。
「……報告役かもしれない」
俺は追わなかった。
まず村だ。
柵の内側には、まだ避難できていない住民がいる。
「フィーナ、周囲を確認。残ってる敵がいないか見て」
「うん!」
「セレスは負傷者を」
「すぐに治療しますね」
「レティシア、柵は?」
「応急なら任せな!」
エリシアは退いていく群れの方角を見つめた。
「妙ですね」
「うん」
正面から押し切れないと分かったから退いた。
それだけなら、知性のある魔物ならありえる。
だが、さっきの一体。
こちらを見てから奥へ戻った。
もし本当に報告役なら――。
森の奥から、もう一度、低く長い鳴き声が響いた。
今度は遠ざかっていく。
俺は逃げた群れではなく、その向こう側を見た。
こちらがゴブリンロードを探しているだけじゃない。
向こうも――俺たちの存在を知ったのかもしれない。
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