第5章 第167話 剣に残る時間
アイリスが踏み込んだ。
床板が鳴る。
向かいに立つ大柄な竜人は、昔から道場でも上位の使い手だったらしい。アイリスが旅へ出る前にも、何度も剣を交えた相手だという。
初太刀は速かった。
だが、相手も遅くない。
振り下ろされた刀をアイリスが受ける。
甲高い音が響いた瞬間、その身体が押し込まれた。
「っ……!」
純粋な力が違う。
竜人族同士とはいえ、体格差は大きい。
相手はそのまま刀を押し込み、足を踏み替えた。
次の一撃が来る。
俺は反射的に【鑑定】を向けた。
【使用技術:流し受け】
【分類:既存武技】
【特殊身体構造:不要】
【人族による再現:可能】
構造は分かった。
けれど、身体で試すまでは習得ではない。
今はそれより、アイリスを見る。
大柄な竜人の刀が横薙ぎに迫る。
アイリスは受け切らなかった。
刃を合わせた瞬間、半歩退きながら力を外へ流す。
それでも完全には殺し切れず、足が床を滑った。
「旅で軽くなったか?」
相手が低く笑う。
挑発というより、確かめるような声だった。
「以前の拙者なら、そう言われれば力で返したでござろうな」
アイリスが構え直す。
「今は?」
「やってみれば分かるでござる」
相手が踏み込む。
今度は床板そのものが震えた。
刀が一直線にアイリスの肩口へ迫る。
避けるには遅い。
受ければ押し切られる。
それでもアイリスは逃げなかった。
刀を斜めに合わせる。
衝突。
一瞬、二人の動きが止まった。
次の瞬間、アイリスの手首がわずかに返る。
押し返さない。
相手の力を、そのまま横へ抜いた。
「なっ――」
大柄な身体が前へ流れる。
アイリスはすでに動いていた。
一歩。
腰を沈める。
刀が最短の軌道で返る。
相手も無理やり体勢を戻し、刀を振り上げた。
速い。
だが、アイリスはその刃を見ていた。
半歩だけ軸をずらす。
相手の刀が髪の先をかすめた。
そして。
アイリスの刀が首元で止まった。
静寂。
「そこまで」
道場主の声が落ちる。
アイリスはすぐに刀を引き、一礼した。
「ありがとうございました」
相手も刀を納める。
少し悔しそうにしながら、それでも笑っていた。
「……昔より、ずっと嫌な剣になった」
「褒め言葉として受け取っておくでござる」
周囲から小さな笑いが起こった。
でも、道場主だけは笑わなかった。
アイリスをじっと見ている。
勝ったからではない。
どう勝ったのかを見ているようだった。
「アイリス」
「はい」
「昔のお前なら、二度目の打ち合いで力比べを選んだ」
「そうでござるな」
「今日は選ばなかった」
アイリスは少しだけ刀へ目を落とした。
「旅の中で、選べるものが増えたのでござる」
それだけだった。
言葉は短い。
でも、俺には十分だった。
さっきの最後の攻防。
相手が受けると分かっていたわけじゃない。
力負けするから逃げたわけでもない。
相手を見て、その瞬間に選んだ。
「アイリス」
「何でござるか?」
「最後、相手が振り返してくるって分かってた?」
「いいえ」
「じゃあ、あれは?」
「振り返してきたから、次を選んだだけでござる」
迷いのない答えだった。
俺は少し笑った。
「同じ技を覚えても、同じ剣にはならないんだな」
アイリスがこちらを見る。
「ユウト殿なら、技そのものはすぐに覚えるでしょう」
「たぶんね」
「それでも、何を選ぶかまでは同じにはならぬのでござる」
「うん」
その方が面白いと思った。
知識も技術も共有できる。
でも、使い方まで同じになる必要はない。
立ち合いが終わると、門下生たちは再び稽古へ戻っていった。
俺は道場の端を借り、先ほど見た動きを木刀で確かめる。
相手役はアイリスだ。
「もう少し角度を内側へ」
「こう?」
「今度は手首が固いでござる」
数度繰り返す。
受ける。
流す。
足を動かす。
分かっていた構造が、少しずつ身体の感覚へ変わっていく。
【既存武技《流し受け》を習得しました】
「相変わらず早いですね」
エリシアが少し離れた場所から言った。
「でも、一回じゃ無理だった」
「普通は何十回、何百回やるんだよ」
レティシアが呆れたように腕を組む。
フィーナは隣で尻尾を揺らしている。
「でもアイリスの方が格好よかった!」
「それは否定できないな」
「ユウト殿まで」
アイリスが困ったように笑った。
その時。
道場主が俺たちのところへ歩いてきた。
「アイリス」
「はい」
「剣は見た」
それだけ言って、一度言葉を切る。
「次は、家へ顔を出せ」
アイリスの笑みが止まった。
俺は、王都へ入った時のことを思い出す。
道場へ向かう途中。
一度だけ、アイリスが大通りの先にある坂道へ目を向けた。
すぐに視線を戻したから、その時は何も聞かなかった。
「……もう伝わっておりますか」
「お前が王都へ入ったことなら、とっくにな」
アイリスは小さく息を吐いた。
戦っていた時より、少しだけ緊張して見える。
それでも逃げる様子はない。
「承知いたした」
そう答えたあと、彼女は俺たちを見た。
「皆にも、付き合っていただいてよろしいでござるか?」
「もちろん」
「フィーナも行く!」
「無理は駄目ですよ。緊張してるなら、ちゃんと息してくださいね」
「家へ帰るだけでそんな顔になるとはな」
「レティシア殿は少し黙っていてくだされ」
いつものやり取りに、わずかに空気が緩む。
それでも。
道場を出る時、アイリスは一度だけ刀の柄を握り直した。
これから向かう相手は、剣で答えを出せる者ではない。
たぶん彼女にとって、その方がずっと難しいのだろう。
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