第5章 第166話 選んできた剣
ドラグニアへ入国した翌朝、俺たちは王都へ続く山道を進んでいた。
昨日までは、俺にとってこの国は「前世の日本にどこか似ている場所」だった。
けれど王都へ近づくほど、気になったのは景色よりアイリスの方だった。
いつもなら道中でも背筋を伸ばし、隙を見つければ素振りを始める彼女が、今日は何度も街道の先へ目を向けている。
「アイリス、あの道知ってるの?」
フィーナが脇へ分かれる細道を指差した。
「ええ。あちらへ進めば、小さな集落があるでござる。幼い頃、道場の稽古で何度か走らされた道でござるな」
「走るの!?」
「山道を往復でござる」
「うわぁ……フィーナは遠慮する!」
アイリスは小さく笑った。
だが、その視線はすぐに細道へ戻った。
懐かしいのだろう、と決めつけることはできない。
ただ、その道を見送る時間が少し長かった。
昼前になると、山の斜面へ沿って築かれた王都が見えてきた。
幾重もの石垣と白い城壁。その最上部には、昨日の国境砦よりはるかに大きな城がそびえている。
俺にはどうしても日本の城郭を思わせる。
けれど、ここは日本ではない。
石垣には魔力の流れが組み込まれ、城壁の内側には結界が巡っている。
「この石組み、やっぱ面白えな」
レティシアが歩きながら目を細める。
「見た目よりずっと理にかなってる。石そのものを噛ませて、そこへ魔力補強まで通してやがる」
「ドラグニアの古い城郭は、石工と結界師が同時に造ることが多いでござる」
アイリスは答えたあと、城を見上げた。
それ以上は説明しなかった。
王都へ入ると、木造の建物が増えた。
軒の深い商家。通りへ開いた茶屋。刀を腰に差した竜人たち。
昨日ほど驚きはしなかった。
代わりに、俺は一つ一つを同じものだと決めつけないよう意識して見た。
似ている。
でも、違う。
ここにはここで積み重ねられた歴史がある。
「ユウトお兄ちゃん、見て!」
フィーナが店先へ駆け寄る。
並んでいたのは、色鮮やかな木製のコマだった。
基本の形は俺たちが広めたものと同じだ。
ただし、胴には竜の鱗を思わせる彫り模様が入り、紐にも独特の飾りが付いている。
「ドラグニアっぽくなってる!」
「そうだね」
新しい遊びを作ったわけではない。
伝わった形を、自分たちの文化へ馴染む姿に変えたのだろう。
それで十分だった。
「あとで見てもいい?」
「もちろんでござる」
アイリスが答える。
「ですが、その前に……寄らせてくだされ」
彼女は通りの奥を見る。
そこから先、アイリスの足は迷わなかった。
住宅の多い区画へ入り、いくつもの道場を通り過ぎる。
古い井戸の前。
小さな祠の角。
石段のある坂道。
アイリスは一度も道を確認しない。
身体が覚えているのだろう。
それなのに、目的地へ近づくほど口数は減っていった。
やがて、一枚板の門の前で立ち止まる。
中から木剣の打ち合う音が響いていた。
「ここが?」
「……はい」
アイリスは刀の柄へ一度だけ触れた。
「拙者が剣を学んだ道場でござる」
門をくぐる。
庭では十人ほどの竜人が稽古をしていた。
木剣を振っていた一人がこちらへ気付き、動きを止める。
「……アイリス?」
その声で、次々に視線が集まった。
奥の建物から、道場主らしい年嵩の竜人が姿を見せる。
アイリスは一歩前へ出た。
そして深く頭を下げる。
「長らくご無沙汰いたしました」
道場主は、すぐには返事をしなかった。
アイリスの顔より先に足元を見る。
立ち方。
重心。
腰の刀。
柄へ添えた手。
剣士として何が変わったのかを、一つずつ確かめているようだった。
「……随分と変わったな」
「未熟者ゆえ、なお精進の途中でござる」
「その言葉だけは昔と変わらん」
道場主の口元が、ごくわずかに緩む。
アイリスは頭を上げるまで何も言わなかった。
ただ、柄へ添えていた指だけが少し緩んだ。
客間へ通され、俺たちも簡単に紹介された。
道場主は《アカシックレコード》の名を知っていたらしい。
だが、興味を向けたのは俺たちよりアイリスだった。
「外で何を学んだ?」
アイリスは少し考えてから答える。
「多くを」
「それでは分からん」
「……そうでござるな」
彼女は真っすぐ道場主を見る。
「強い相手にも会いました。異なる武器や戦い方も見ました。拙者より遥かに早く技を理解する者にも出会いました」
一瞬だけ俺を見る。
ガルディアで、俺が見た技を短時間で再現していく姿を目の前にしても、アイリスは自分の剣を捨てなかった。
その答えを、彼女自身が持ち帰ってきたのだ。
「そして?」
「技を覚えるだけでは、剣は決まらぬと知りました」
道場主の目がわずかに細くなる。
「拙者が、どの一太刀を選ぶのか。それだけは、誰にも代われぬのでござる」
静かな言葉だった。
けれど、その場にいた誰も口を挟まなかった。
「答えを得たつもりか?」
「いいえ」
アイリスはすぐに首を振った。
「今も途中でござる。だからこそ、今の拙者の剣を見ていただきたい」
道場主が立ち上がった。
「ならば、口ではなく剣で見せろ」
「承知いたした」
稽古場へ戻る。
門下生たちが周囲を空けた。
誰と立ち合うのか。
アイリスはしばらく皆を見渡し、その中の一人へ目を止めた。
大柄な竜人の剣士。
相手も何も言わず前へ出る。
俺は反射的に【鑑定】を向けた。
【種族:竜人族】
【職業:剣士】
【状態:良好】
【主要武技:刀術】
【身体強化:使用可能】
【一部動作:竜人族固有の筋力・骨格を使用】
全部をそのまま人族へ移せるわけではない。
だが、今それを考える時ではなかった。
「ユウト殿」
アイリスが俺を見る。
「うん?」
「よく見ていてくだされ」
刀の柄へ手を掛ける。
故郷へ帰ってから初めて、彼女の表情から迷いが完全に消えた。
「拙者が旅の中で選んできた剣を、お見せいたす」
向かいの竜人も刀を抜く。
澄んだ金属音が道場へ響く。
次の瞬間、アイリスの足が静かに前へ滑った。
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