第2章 第16話 城壁都市リベルタ
城壁都市リベルタは、近づくほど大きくなった。
丘の上からは灰色の帯にしか見えなかった城壁が、いまは空を切り分ける巨大な断崖のようにそびえている。表面には補修された跡や深い傷が残り、長い年月、この都市が魔物や外敵を退けてきたことを物語っていた。
壁の上では槍を持った兵士が巡回し、正門へ続く街道には荷馬車や旅人が長い列を作っている。
ユウトも最後尾へ並び、周囲を見回した。
人族だけではない。
頭に獣の耳を生やした者。人族より小柄だが、肩幅の広い者。フードの隙間から細長い耳を覗かせる者。
知識として存在を聞いていても、実際に異種族が行き交う光景は新鮮だった。
近くに立っていた犬系統の獣人族へ、無意識に【鑑定】を向ける。
【名前:ガッド】
【種族:獣人族・犬系統】
【年齢:二十七歳】
【職業:行商人】
【レベル:8】
【HP:38/38】
【MP:6/6】
【状態:疲労】
【スキル:嗅覚強化・荷運び・商談】
初めて見る【嗅覚強化】へ意識を向けると、追加情報が現れた。
【習得判定:一部再現可能】
【完全習得不能:人族の嗅覚器官では必要条件を満たせません】
【再現可能範囲:呼吸法・匂いへの集中・風向きの利用】
人間の身体で再現できる部分は学べても、獣人族と同じ感覚器官は得られない。
ユウトが表示を読み込んでいると、前にいた荷馬車が動いた。
「次!」
門兵の声に促され、慌てて前へ進む。
「身分証を提示しろ」
「持っていません」
門兵の表情がわずかに厳しくなった。
「出身は?」
「東にある森の近くの村です。グレンという狩人に、この町を勧められました」
「村の名は?」
「聞いていません」
村人たちは自分たちの集落を、ただ村と呼んでいた。ほかの呼び名が必要になるとは思っていなかったのだ。
ユウトは背負い袋から、村長に渡された木札を取り出した。
「これを預かっています」
木札には麦と弓を組み合わせた焼き印が刻まれていた。
門兵はそれを受け取ると、詰所脇に置かれた石板へ重ねる。淡い光が木札を包み、石板の表面へ文字が浮かび上がった。
「東森開拓集落の証明札だな。公的な村名を持たない小集落だ」
「それで分かるんですか?」
「登録された魔力印が入っている。偽造品ではない」
門兵の警戒が少しだけ緩んだ。
「身分証のない者は、仮入市証が必要だ。入市税と発行料を合わせて銅貨一枚」
鉄貨の十倍が大鉄貨。そのさらに十倍が銅貨だ。
日本円に換算すれば、およそ千円。都市へ入るための税と、七日間使える仮身分証の代金を合わせた額としては、不自然ではない。
ユウトは貨幣袋を開き、念のため硬貨へ【鑑定】を使った。
【銅貨】
【価値:大鉄貨十枚相当】
銅貨一枚を渡す。
「そこの登録石へ右手を置け」
門兵が示したのは、掌ほどの黒い石だった。
ユウトが触れると、石の内部へ白い線が走る。
【仮登録用魔道具】
【記録項目:氏名・年齢・種族・魔力波形・顔貌情報】
【照合項目:広域手配情報】
【虚偽申告検知:簡易】
「名前」
「ユウトです」
「年齢」
「十八歳」
「種族」
「人族です」
黒い石が一度だけ明滅した。
「手配情報との一致なし。犯罪歴の申告は?」
「ありません」
「虚偽反応もなし」
門兵は小さな銀色の札を魔道具へかざした。
【仮入市証】
【登録名:ユウト】
【種族:人族】
【年齢:十八歳】
【有効期限:七日】
【使用可能範囲:城壁都市リベルタ】
「七日以内に市民登録するか、冒険者ギルドか商業ギルドへ登録しろ。正式な魔導カードが発行されたら、これは返却だ」
「冒険者ギルドへ行く予定です」
「中央通りを進め。交差する剣と盾の看板が目印だ」
門兵はユウトの短弓へ目を向けた。
「町中で武器を構えるな。攻撃魔法も禁止だ。特に火属性は、許可された訓練場以外では使うな」
「分かりました」
門をくぐった瞬間、村にはなかった音と匂いが一気に押し寄せた。
石畳を鳴らす車輪。
客を呼び込む商人。
金属を打つ槌。
焼いた肉、香辛料、家畜、汗、煙。
二階建てや三階建ての建物が並び、その軒先には剣、靴、パン、薬瓶などを描いた看板が下がっている。
文字が読めない者でも、絵を見れば何を売る店か分かるようになっているらしい。
道の端には、青い石を埋め込んだ柱から水が流れていた。
【給水用魔道具】
【動力:水属性魔石】
【機能:地下水汲み上げ・簡易浄化】
【残存耐久値:68%】
別の店先には、冷気を漂わせる箱が置かれている。
【冷蔵保管箱】
【動力:氷属性魔石】
【用途:食料保存】
魔法は戦うためだけのものではない。
人々の暮らしを支える技術として、当たり前に使われていた。
目に映るものすべてを調べたくなったが、通りの真ん中で立ち止まれば人の流れを塞いでしまう。
空腹を刺激する香りに引かれ、ユウトは串焼きの屋台へ近づいた。
「角兎の串焼き、大鉄貨一枚だ!」
大鉄貨一枚なら、およそ百円ほどだ。
「一本ください」
代金を払い、熱い串を受け取る。
【角兎肉の香草焼き】
【品質:良好】
【状態:十分に加熱済み】
【効果:空腹緩和・微量の疲労回復】
一口かじると、香ばしい脂と塩気が口いっぱいに広がった。村で食べた素朴な煮込みとは違い、数種類の香草が使われている。
「おいしい……」
「だろう?」
店主が得意げに笑った。
串焼きを食べ終え、中央通りをさらに進む。
やがて、交差する剣と盾の紋章を掲げた三階建ての石造りの建物が見えてきた。
【冒険者ギルド・リベルタ支部】
【用途:冒険者登録・依頼仲介・素材買い取り・情報管理・預金・送金】
ユウトは入口脇の回収箱へ串を捨て、扉を開いた。
中は酒場を併設した広い施設だった。
正面には長い受付台。右側には紙が並ぶ依頼掲示板。左側では、武器や防具を身につけた冒険者たちが食事をしながら話している。
村でもらった服に、使い込まれていない短弓。防具もない。
中へ入ったユウトを、何人かが一瞥した。
受付の列へ並び、やがて栗色の髪をまとめた女性職員の前へ進む。
「本日はどのようなご用件でしょうか?」
「冒険者になりたいです」
「新規登録ですね。身分証を確認いたします」
ユウトは仮入市証と村の木札を渡した。
受付職員は内容を確認した後、一枚の用紙を取り出す。
「文字の読み書きはできますか?」
用紙へ目を落とす。
会話は不思議と最初から理解できたが、並んだ文字は読めなかった。村で道具の印や簡単な数字は教わったものの、文章を書くことはできない。
「すみません。名前と数字くらいしか分かりません」
「珍しいことではありません。こちらで聞き取りながら記入しますね」
受付職員は慣れた様子でペンを取った。
「お名前と年齢をお願いします」
「ユウト、十八歳です」
「出身地は東森開拓集落。扱える武器は?」
「短弓と棒です。ただ、弓は動かない的へ当てられる程度です」
「使用できる魔法はありますか?」
老魔導師の忠告を思い出す。
「詳しい魔法名まで、登録時に伝える必要がありますか?」
受付職員は顔を上げた。
「秘密にしたい魔法があるのですか?」
「村の魔導師から、不用意に話さないよう言われました」
「でしたら、属性と階級だけで構いません。具体的な術式は、能力確認を担当する教官にのみ伝えられます。記録の閲覧権限も制限します」
嘘をつかず、秘密も守れる。
「光属性の初級魔法と、火属性の初級魔法。それから、中級相当の火属性魔法を一つ使えます」
受付職員のペンが止まった。
「中級相当、ですか?」
「既存の初級術式を組み直して作った魔法なので、正式な階級は自分の【鑑定】で確認したものです」
「ご自身で構築したのですか?」
「はい」
「魔法学院や師匠の下で、術式研究を?」
「していません。村で初めて魔法を見ました」
受付職員はユウトの服装、仮入市証、記入中の用紙を順番に見た。
十八歳。
辺境の集落出身。
学院歴も、魔導師への師事経験もない。
それにもかかわらず、中級相当の魔法を自ら構築したと申告している。
近くの受付職員が、わずかにこちらを振り返った。
「……分かりました。通常の新人登録ではなく、教官立ち会いの能力確認を行います」
受付職員は声を落とした。
「構築魔法の詳細は、訓練場で担当教官へ直接お話しください。こちらでは魔法名を記録しません」
「ありがとうございます」
「確認は魔法だけではありません。基礎体力、武器の扱い、危険時の判断も見ます。無理に実力を誇示する必要はありません」
「はい」
受付台の奥にある扉が開かれた。
その向こうから、木剣が激しくぶつかる音と、教官らしい男の怒鳴り声が響いてくる。
「新規登録希望者を一名、お願いします。中級相当の火属性魔法を使用可能との申告があります」
扉の先で、木剣の音が止まった。
「……新人が?」
低い声が返ってくる。
ユウトはまだ知らなかった。
正直に控えめな申告をしたつもりでも、それだけで新人冒険者の基準から大きく外れていたことを。
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