第1章 第15話 新しい人生の第一歩
最初に戻ってきたのは、頭の奥を叩く鈍い痛みだった。
身体は鉛のように重く、指先をわずかに動かすだけでも息が乱れる。それでも背中にあるのは冷たい土ではなく、藁を詰めた寝台の感触だった。
薬草を煮た青臭い香りが鼻へ届く。
ユウトはゆっくりと目を開けた。
「起きたか」
寝台の脇では、グレンが椅子へ腰掛けていた。
「ここは……」
「村長の家だ。大牙虎を倒してから、丸一日近く眠っていた」
「大牙虎は?」
「死んだ。逃げてきた魔物も南へ抜けた。森は今のところ静かだ」
胸の奥に張りつめていたものが、わずかに緩んだ。
だが、身体を起こそうとした瞬間、激しい頭痛と吐き気に襲われる。
「まだ動くな」
グレンに肩を支えられ、寝台へ戻された。
ユウトは自分へ【鑑定】を使う。
【名前:ユウト】
【種族:人族】
【年齢:十八歳】
【HP:34/42】
【MP:-4/42】
【状態:魔力超過消費・疲労・頭痛・集中力低下・身体能力低下・背部裂傷・左腕打撲】
【魔法発動:不能】
【新規魔法術式構築:不能】
第十四話――ではない。戦いの最中、MPはマイナス十二まで落ちた。眠っている間に八回復したが、まだ魔法は使えない。
「俺が眠っている間、何か飲ませましたか?」
「水と薄めた薬草汁だけだ。村に魔力回復薬はない」
【推定自然回復時間:現在MPが一へ到達するまで約五時間】
【回復速度低下要因:負傷・疲労・栄養不足】
グレンが温かなスープを運ばせてくれた。
柔らかく煮た芋と野菜を少しずつ口へ入れる。身体へ熱と栄養が戻るにつれ、頭痛は残っていても、指先の震えは弱くなっていった。
外からは槌を打つ音が続いている。
村人たちが壊れた柵を直しているのだろう。
魔法を使えないまま横になっている時間は、想像以上に長かった。
もし今、再び魔物が現れたら。
ユウトには【鑑定】しか使えない。弱点が分かっても、身体が動かなければ何もできない。
「倒せたからよかったですけど……」
「何だ?」
「もし、あの後にもう一体来ていたら、俺は死んでいました」
グレンは慰めることなく頷いた。
「そうだな」
その率直な返事が、ユウトの胸へ深く残った。
「強い一撃は切り札になる。だが、使った後に立てなくなるなら、撃つ場所を間違えれば命を落とす」
「はい」
「今回は俺たちがいた。お前一人で勝ったわけじゃない」
グレンは窓の外へ視線を向ける。
「お前が弱点を見抜き、炎を撃ち込んだ。俺たちが隙を作り、最後の突進を止めた。誰か一人でも欠けていれば、村は守れなかっただろう」
ユウトは静かに頷いた。
【鑑定】で情報は得られる。
魔法を構築することもできる。
けれど、知識を持つことと、すべてを一人で解決できることは違う。
目を覚ましてから五時間ほど経った頃、表示が変わった。
【MP:1/42】
【魔法発動制限が解除されました】
【新規魔法術式の構築制限が解除されました】
身体を縛っていた重さが少し薄れる。
同時に、別の表示が現れた。
【構築魔法の術式安定を確認】
【仮称【フレイムランス】を正式名称として登録しますか?】
ユウトは一瞬迷い、承認した。
【中級火属性魔法【フレイムランス】を習得しました】
あの魔法は偶然一度だけ成功したものではない。
もう一度、同じ術式を組み上げられる。
ただし、今の最大MPでは満足に扱えない。現在MPが三十二以上なければ、安全には使えなかった。
そこへ、村の老魔導師が杖をつきながら入ってきた。
「目を覚ましたと聞いてな」
「もう大丈夫なんですか?」
「若者より先に倒れておいて、いつまでも寝てはおれん」
そう言う足取りは、まだ少し不安定だった。
「お前さんが使った炎は、中級魔法なのか?」
「はい。【ファイアボール】と【ライト】の術式を組み直して作りました」
「戦いの最中にか?」
「必要だったので」
老人はしばらく言葉を失った。
「町へ行っても、それを誰にでも話すでないぞ」
「魔法を組み立てるのは珍しいんですか?」
「新しい魔法を研究する魔導師はいる。長い時間をかけ、何度も失敗しながら術式を作る者もな」
老人は深く息を吐いた。
「だが、初めて見た魔法をすぐに覚え、戦いの最中に別の術式へ組み直す者など、わしは聞いたことがない」
ユウトは自分の手を見つめた。
知識神の加護が特別であることは理解している。
だが、自分が考えていたよりも、世界の常識から大きく外れているらしい。
その後も二日間、ユウトは村で傷を癒やした。
背中の傷が塞がり、左腕の腫れが引くまでは、グレンが出発を認めなかった。
村人たちはその間も次々と見舞いに訪れた。
「家畜小屋を守ってくれてありがとう」
「うちの子が、あんたは炎を操る英雄だって騒いでる」
「旅の途中で食べてくれ」
乾燥肉、硬いパン、布、水袋。
どれも辺境の村では貴重なものだった。
「こんなにもらえません」
「村がなくなっていれば、全部失っていた」
村長は首を横へ振った。
「受け取ってくれ。それでも命を救われた礼には足りん」
岩鎧熊と大牙虎の素材は、グレンが後日、城壁都市へ運ぶことになった。
「お前が冒険者登録を済ませたら、素材代の取り分を冒険者ギルドへ預ける。登録名はユウトでいいな?」
「はい。でも、俺だけで倒したわけではありません」
「分かっている。村人と俺の取り分も分ける。そのうえで、お前が受け取るべき分だ」
働きに対する正当な対価。
それを拒むことが、必ずしも相手のためになるわけではない。
「ありがとうございます」
ユウトは素直に頭を下げた。
出発前日、グレンは一枚の地図を広げた。
「西の街道を二日歩けば、城壁都市リベルタへ着く。初日の夕方には避難小屋がある」
「冒険者ギルドもあるんですよね」
「ああ。身分証がなく、戦う力があり、魔物のことを調べたいなら、冒険者になるのが一番早い」
グレンは短い弓と矢筒を差し出した。
「これは餞別だ。魔物と戦うためではない。獣を遠ざけるか、危険を知らせる合図に使え」
ユウトは前日に試射をしていた。動かない的へなら矢を当てられるが、戦闘で自在に使えるほどではない。
「無理に戦うな。道を外れるな。夜は避難小屋を使え」
「分かりました」
「本当に分かっているか?」
「残りの魔力を確認して――」
「戦わない選択も覚えろ」
「……はい」
翌朝、村の入口には多くの村人が集まっていた。
「ユウト、また来てね!」
「今度はもっとすごい魔法を見せて!」
「危ないから、魔法は見せ物にしないよ」
そう答えると、周囲から笑いが起きた。
前世では、自分がいなくなっても誰も困らないよう、いつも遠慮していた。
この村で過ごした時間は短い。
それでも、見送ってくれる人がいる。
戻ってきてほしいと言ってくれる人がいる。
「行ってきます」
ユウトは深く頭を下げ、西へ続く街道を歩き始めた。
その日の夕方、街道沿いの避難小屋へ入り、一人で夜を明かした。
魔物の声が聞こえるたびに目を覚ましたが、グレンの言葉どおり、火を絶やさず道を外れなければ襲われることはなかった。
翌日も歩き続けた。
日が傾き始めた頃、街道が緩やかな丘の上へ続いた。
頂へ登ったユウトは、思わず足を止める。
遥か前方に、巨大な石壁が広がっていた。
何本もの旗が風にはためき、城門へ続く街道には荷馬車や旅人の列ができている。人族だけではない。長い耳を持つ者や、獣の耳と尾を持つ者の姿も小さく見えた。
城壁都市リベルタ。
知らない町。
知らない人々。
まだ見たことのない魔法とスキル。
そして、自分の【鑑定】がこの世界でどれほど特別なのかを知る場所。
ユウトは背負った荷物を直し、再び歩き始めた。
新しい人生は、ようやく始まったばかりだった。
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そして本日はここまで。
明日も5話投稿します。
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