第1章 第14話 限界を超える炎
大牙虎が地面を蹴った。
その巨体が、視界から消えたように見えた。
「散れ!」
グレンの声と同時に、村人たちが左右へ飛び退く。
直後、大牙虎が壊れた柵を飛び越え、村の内側へ着地した。前脚が土を深く抉り、衝撃だけで近くの角灯が倒れる。
速すぎる。
岩鎧熊とは、力の使い方がまるで違った。
「広場へ下がれ! 家の間へ入れるな!」
グレンが矢を放つ。
大牙虎は首をわずかに傾けただけで矢を避け、そのまま家畜小屋へ顔を向けた。
【行動予測:家畜小屋への突進】
【到達予測:四秒後】
高い瞬発力を持つことは分かっていた。
正面から火球を放っても、避けられる可能性は高い。
それでも、四秒では他の手段を考える余裕がない。
「止めます!」
ユウトは【ライト】への魔力供給を切った。
光球が消える。
右手へ、覚えたばかりの炎の術式を組み上げる。
「赤き炎よ、我が敵を焼け――ファイアボール!」
火球が大牙虎の顔へ飛んだ。
しかし、大牙虎は前脚で地面を蹴り、横へ跳ぶ。炎は肩の毛を焦がしただけで通り過ぎた。
【消費MP:6】
【現在MP:20/42】
【損傷:軽微】
大牙虎が着地し、ユウトへ顔を向ける。
家畜よりも先に、炎を放つ者を危険だと判断したらしい。
【標的変更:ユウト】
「こっちへ来るぞ!」
グレンの矢が脇腹へ飛ぶ。
一本は灰色の毛皮に弾かれ、もう一本は浅く刺さった。だが、大牙虎は速度を落とさない。
ユウトは広場へ向かって走った。
背後には民家がある。横へ避ければ、そのまま建物へ突っ込まれる。
広場まで誘い出すしかない。
「こっちだ!」
足音が急速に迫る。
背後から空気を引き裂く音が聞こえた。
【探索上達により、背後からの接近音への反応が補助されます】
ユウトは横へ跳んだ。
大牙虎の爪が服の背を裂き、皮膚を浅く切り裂く。
「っ!」
焼けるような痛みが走った。
【HP:36/42】
【状態:背部裂傷・軽度出血】
地面を転がり、すぐに身体を起こす。
大牙虎はすでに振り返っていた。
爪猿の時のように、攻撃の内側へ入ることはできない。腕の長さも、速さも、体重も違いすぎる。
「正面から近づくな!」
グレンが叫んだ。
「左右から音を出せ! 注意を散らす!」
村人たちが鍋や農具を打ち鳴らす。
大牙虎の耳が左右へ動いた。
その一瞬を狙い、グレンが右眼へ矢を放つ。
だが、大牙虎は顔を伏せ、額で弾いた。
【特徴:高い反応速度】
【弱点への直接攻撃成功率:低】
弱点が分かっていても、当てられなければ意味がない。
動きを制限する必要がある。
「太い綱を!」
村人たちが荷車用の綱を運んでくる。
ユウトとグレンが両端を持ち、大牙虎の進路へ低く張った。
「跳ばせるぞ。着地点を狙う」
グレンの言葉に、ユウトは頷いた。
大牙虎が走る。
綱の直前で地面を蹴、その巨体が宙へ浮いた。
腹部が露出する。
「今だ!」
グレンの矢が腹へ飛ぶ。
しかし、大牙虎は空中で身体を捻り、矢を避けた。そのままユウトへ前脚を振り下ろす。
速い。
避けきれない。
ユウトは近くに落ちていた棒を両手で掲げた。
爪が棒へ叩きつけられる。
木が折れ、衝撃が両腕から肩へ突き抜けた。ユウトは身体ごと吹き飛ばされ、肩と背中を地面へ強く打ちつける。
肺から空気が押し出された。
【HP:24/42】
【状態:左腕打撲・背部打撲・呼吸困難】
大牙虎が牙を剥いた。
グレンの矢が口元を掠め、魔物が顔を背ける。
「立て、ユウト!」
ユウトは左腕を押さえながら、どうにか起き上がった。
初級魔法では足りない。
【ファイアボール】を当てても、致命傷には届かない。
もっと速く、細く、深く。
硬い毛皮を貫き、身体の内側へ炎を届ける必要がある。
頭の中で、二つの術式を並べる。
【ファイアボール】の火属性変換と圧縮。
【ライト】を移動させた時に使った、魔力へ進行方向を与える構造。
完全に新しい理論を生み出すわけではない。
すでに理解した二つの初級術式から必要な部分を抜き出し、つなぎ直す。
火球のように炎を広げず、細長く圧縮する。
先端へ魔力を集中し、一直線に加速させる。
【解析上達により、術式の共通部分が整理されます】
【魔法上達により、魔力圧縮および方向制御への理解が補助されます】
【新規魔法術式を構築しますか?】
「構築する」
複数の術式が頭の中で結びつく。
炎の槍。
そう呼ぶのが最も分かりやすい形だった。
【仮称:フレイムランス】
【属性:火】
【推定階級:中級】
【必要MP:32】
【効果:細長く圧縮した炎を高速で射出し、命中箇所を貫通・燃焼させます】
【警告:現在MPが不足しています】
【現在MP:20/42】
【発動後予測:-12/42】
必要MPは三十二。
今のユウトには二十しかない。
普通なら発動できない。
それでも表示は、使用不能ではなかった。
【発動条件:現在MPが1以上】
【不足分はマイナスMPとして記録されます】
使える。
ただし、発動後に何が起こるのかは分からない。
大牙虎が村人の一人へ向きを変えた。
逃げ遅れた村人は地面へ転び、腰が抜けたように動けずにいる。
迷っている時間はなかった。
「グレンさん! 一度だけ動きを止めてください!」
「何秒だ!」
「一秒で十分です!」
「全員、左から音を出せ!」
村人たちが一斉に鍋や農具を打ち鳴らす。
大牙虎の耳と視線が左へ動く。
同時に、グレンが右側から矢を放った。
狙いは眼ではない。
前脚の着地点だ。
矢を避けた大牙虎が身体を左へ捻る。
胸から脇腹にかけての柔らかい部分が、ユウトの正面へ向いた。
【弱点露出】
【推奨攻撃部位:左胸部】
【推定有効時間:一・二秒】
ユウトは右手を突き出した。
胸の奥に残る魔力を全て引き出す。
火へ変える。
細く伸ばす。
先端へ集中させる。
揺れる術式を押さえ込み、狙いを左胸へ固定した。
「貫け――フレイムランス!」
赤い炎の槍が放たれた。
火球とは比べものにならない速度で広場を走り、大牙虎の左胸へ突き刺さる。
灰色の毛皮が焼けた。
皮膚を貫く。
圧縮された炎が肉の奥深くへ入り込み、心臓へ到達した瞬間、一気に膨れ上がった。
大牙虎の身体が大きく跳ねる。
【構築魔法【フレイムランス】の発動に成功しました】
【消費MP:32】
【現在MP:-12/42】
【命中部位:左胸部】
【損傷:胸部貫通・心臓損傷・内部熱傷】
大牙虎は倒れなかった。
口から血を吐きながら、数歩だけ前へ進む。
しかし、その踏み込みは先ほどの半分にも届いていない。前脚が震え、身体を支えられなくなっている。
それでも、残った力を振り絞り、ユウトへ飛びかかった。
「ファイアボール!」
ユウトは反射的に右手を向けた。
だが、魔力が集まらない。
術式の最初の形すら作れなかった。
【発動不能:現在MPが1未満です】
【新規魔法術式の構築も行えません】
身体に力が入らない。
視界が傾き、頭の奥へ杭を打ち込まれたような痛みが走る。
【状態:魔力超過消費】
【強い倦怠感】
【頭痛】
【集中力低下】
【身体能力低下】
【反応速度低下】
逃げなければならない。
分かっているのに、脚が動かない。
魔法も使えない。
自分が完全に無防備になったことを、ユウトは初めて理解した。
「ユウト!」
グレンが前へ飛び込んだ。
動きの鈍った大牙虎の爪を身を低くして避け、胸に開いた炎の傷へ矢を深く突き立てる。
「倒れろ!」
大牙虎の巨体が横へ崩れた。
地面が大きく揺れる。
長い牙がユウトの足元すれすれで止まり、前脚が数度痙攣した後、完全に動かなくなった。
【種族:大牙虎】
【状態:死亡】
【死因:心臓損傷】
誰も、すぐには声を上げなかった。
村人たちは武器を構えたまま、倒れた大牙虎を見つめている。
「倒した……」
一人が呟いた。
「本当に、倒したぞ!」
次の瞬間、村中から歓声が上がった。
泣きながら抱き合う者。
その場へ座り込む者。
震える手で武器を掲げる者。
東の空から差し込んだ朝日が、倒れた大牙虎と、膝をつくユウトを照らした。
村は守られた。
その光景を見届けた瞬間、張りつめていた意識が途切れる。
「ユウト!」
倒れかけた身体を、グレンが支えた。
呼吸をするだけで苦しい。
全身が鉛へ変わったように重く、指一本まともに動かせない。
「魔力を……使いすぎました……」
「分かっている。もう話すな」
グレンの声が遠ざかっていく。
強力な魔法を放つことはできた。
だが、その後に戦いが続いていれば、自分は何もできずに死んでいた。
その事実を胸へ刻みながら、ユウトは静かに意識を失った。
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