第1章 第13話 夜明け前の群れ
岩鎧熊を倒した後も、森の奥から聞こえる物音は消えなかった。
重い足音は近づいては止まり、ときおり村の周囲を回り込むように遠ざかる。すぐに襲ってくる気配はないが、立ち去ったとも思えない。
「今のうちに塞ぐぞ!」
グレンの指示で、壊れた柵の応急修理が始まった。
横倒しになった荷車を起こす余裕はない。村人たちは岩鎧熊が折った柱の間へ丸太や廃材を重ね、縄で縛りつけていく。
ユウトも【鑑定】を使い、使えそうな材料を選別した。
【対象:乾燥した樫材】
【状態:一部腐食】
【推奨使用箇所:横木】
【注意:強い衝撃を受ける支柱には不適】
「これは横向きに使ってください。支柱には、そっちの太い丸太を」
「分かった!」
村人たちは理由を聞き返さず、ユウトの指示に従った。
農具の修理や柵の補強、岩鎧熊との戦いを通して、彼の言葉が根拠のない思いつきではないと知ったのだろう。
グレンは森へ背を向けず、村人たちへ次々に指示を出す。
「縄は二重にしろ! 正面が破られる前提で、内側にも障害物を置け!」
「村へ入られたら、どうする?」
「家の間へ誘い込むな。住民を逃がせなくなる。広場までの道を空けろ!」
ユウトは村の中を見回した。
家々の間は狭く、大型の魔物が入り込めば建物ごと壊される。だが、広場なら周囲から動きを確認できる。
「広場までの道へ角灯を置きませんか?」
グレンが振り返った。
「理由は?」
「侵入された時、暗いままだと住民が逃げる方向を判断できません。魔物にも種類によって光を嫌うものと、逆に寄ってくるものがいます。でも、動きが見えるだけでも被害を減らせます」
「分かった。家から離して置け。火を移すなよ!」
村人たちが角灯を集め、広場へ続く道の端へ並べ始める。
ユウトは【ライト】を使うべきか迷った。
現在MPは二十九。
森の奥にいる何かが襲ってくるなら、できるだけ魔力を残しておきたい。
魔法使いの老人は民家へ運ばれ、今も横になっている。村で魔法を使えるのは、実質的にユウトだけだった。
「音が消えた」
グレンの呟きに、村人たちの手が止まった。
先ほどまで森では、枝が折れる音や獣の鳴き声が絶えず続いていた。それがいつの間にか、すべて消えている。
風で木の葉が擦れる音さえ、妙に大きく聞こえた。
静かすぎる。
ユウトは目を閉じ、耳へ意識を集中した。
小動物が草を踏む音。鳥が枝を移る音。大型の獣が土を踏みしめる音。
森で聞いた音を一つずつ思い返す。
【探索上達により、周辺音の識別が補助されます】
耳だけではない。
足裏から、かすかな振動が伝わってくる。
一方向ではなかった。正面から響く振動とは別に、左右からも細かな揺れが重なっている。
「グレンさん。正面だけじゃありません」
「数は分かるか?」
「そこまでは分かりません。でも、右からも左からも近づいています」
グレンの表情が険しくなる。
「森の広い範囲から、魔物が押し出されているのか」
直後、村の東側から悲鳴が上がった。
「来たぞ!」
壊れた正面の柵ではない。
補強が間に合っていない東側へ、三体のホーンウルフが走ってきた。その後ろから、森猪が二頭続いている。
どの個体も傷つき、背後を何度も振り返っていた。
「通り過ぎるなら攻撃するな!」
グレンが叫ぶ。
「村人や家畜を狙った個体だけ止めろ!」
だが、東側の柵近くには家畜小屋がある。
血と空腹で興奮したホーンウルフの一体が、家畜の鳴き声へ反応して進路を変えた。
「家畜小屋へ向かっています!」
村人たちが槍を構える。
ユウトは右手を伸ばした。
殺さずに追い払う。
「闇を退け、我らの道を照らせ――ライト」
家畜小屋の前へ光球を生み出し、一気に明るさを強める。
【初級光魔法【ライト】】
【明度調整:成功】
【消費MP:2】
【現在MP:27/42】
暗闇の中を走っていたホーンウルフが目を細め、足を止めた。
ユウトは光球を魔物の顔へ近づける。
明度を上げたことで術式が小さく揺れ、魔力の減りも早くなっているのが分かった。
【注意:明度上昇により継続消費が増加しています】
ホーンウルフは唸りながら後退した。
「左を空けろ!」
グレンが村人たちを動かし、村の外へ抜ける道を作る。
逃げ道を見つけたホーンウルフは柵沿いに走り、森猪とともに南の畑へ抜けていった。
息をつく暇はなかった。
今度は西側で柵が軋む。
四体の森猪が、逃げ場を求めて横木へ身体を押しつけていた。
「西へ二人回れ!」
「正面からも来るぞ!」
暗闇の中で、無数の眼が光る。
ホーンウルフ。
森猪。
額に短い角を生やした兎ほどの魔物。
爪の長い猿に似た魔物。
大小さまざまな魔物が、互いを押し退けながら森からあふれ出してきた。
村を襲うための群れではない。
同じ方角から逃げてきた魔物たちが、柵に阻まれて行き場を失っている。
「攻撃したら混乱します!」
ユウトは叫んだ。
「南側を開けて、村を迂回させてください!」
「柵を外したら、すぐには戻せんぞ!」
南側の外には畑が広がり、その先は街道へ続く草地になっている。家も家畜小屋もなく、魔物を逃がすなら最も被害が少ない方向だった。
「閉じ込める方が危険です! この数が一斉に暴れたら、柵ごと村へ入ってきます!」
グレンは南側と押し寄せる魔物を交互に見た。
自ら村の守りを開く決断だ。
それでも、迷っている時間はなかった。
「南の横木を外せ! 槍を並べて道を作る!」
村人たちが縄を切り、横木を外す。
その左右へ槍を持った者が並び、魔物を南側へ誘導するため声を張り上げた。
ユウトは【ライト】を低く動かし、群れの右側へ寄せる。
光を嫌った個体が左へ移動し、開けられた南側へ流れ始めた。
「そのままです! 出口を塞がないで!」
最初の一体が南側から抜けると、後ろの魔物も続いた。
柵へぶつかっていた森猪が方向を変え、ホーンウルフや角兎を押しながら畑へ走っていく。
だが、全てが素直に逃げたわけではない。
興奮した爪猿が一体、槍を持つ村人へ飛びかかった。
「村人を狙った! 迎撃しろ!」
グレンの矢が爪猿の肩へ刺さる。
爪猿は空中で体勢を崩したが、倒れずに地面へ着地した。
【種族:爪猿】
【危険度:F】
【状態:興奮・右肩負傷】
【行動傾向:近距離の対象へ反撃】
【弱点:腹部・側頭部】
ユウトは足元に落ちていた棒を拾う。
正面から振り下ろしては駄目だ。
グレンが獣と距離を取る時の足運びを思い出し、爪の届く範囲から半歩だけ外へ出る。
爪猿が腕を振った。
ユウトは横へ身体をずらしたが、爪の先が服の袖を掠めた。
布が裂ける。
怖い。
それでも、伸び切った腕の内側は無防備だった。
泥に足を取られかけながら踏み込み、棒の先端を腹部へ突き込む。衝撃で両手が痺れたが、そのまま体重をかけて爪猿を地面へ押し倒した。
【武技上達により、基本的な間合いへの理解が補助されます】
これはスキルではない。
グレンの動きを見て理解した、相手の攻撃が届く距離から外れるための技術だった。
爪猿は苦しげに鳴き、ユウトが棒を引くと村とは反対方向へ逃げていった。
「今の動き……」
近くの村人が目を見開く。
「後です! まだ来ます!」
魔物の流れは途切れない。
光で方向を変え、槍で道を作り、村人や家畜へ飛びかかった個体だけをグレンたちが追い返す。
ユウトは【ライト】を動かし続けた。
【継続消費:1】
【現在MP:26/42】
残りは二十六。
今はまだ半分以上ある。
けれど、森の奥にいるものが岩鎧熊より強ければ、この魔力で足りるのか分からない。
やがて、東の空がわずかに白み始めた。
「夜が明ける……」
誰かが安堵の声を漏らした。
その時だった。
森から逃げていた魔物たちが、一斉に鳴き声を上げた。
出口へ殺到していた個体が転び、後ろの魔物がその上へ乗り上げる。それでも止まらず、互いを踏みつけながら村から離れようとした。
森の奥から、低い咆哮が響く。
空気が震えた。
岩鎧熊の声とは違う。
聞いただけで、身体の奥から逃げろと訴えられる声だった。
木々の間に大きな影が現れる。
二本の前脚が地面へ下りた。
長い牙。
岩鎧熊を上回る巨体。
灰色の毛皮には、黒い筋のような模様が走っている。
岩鎧熊を倒したばかりの村人たちから、息を呑む音が重なった。
槍を握る手が再び震え始める。
ユウトは【鑑定】を向けた。
【種族:大牙虎】
【危険度:D】
【推定生存年数:二十三年】
【状態:異常興奮・飢餓・魔力過剰】
【特徴:高い瞬発力・鋭敏な嗅覚・強靱な顎】
【弱点:眼球・口腔内・腹部】
【注意:通常個体を大幅に上回る身体能力を確認】
【異常要因:外部からの魔力干渉】
【詳細:解析不能】
大牙虎が森を出た。
逃げる小型魔物には目も向けない。
村の中には、負傷者の血の匂いがある。家畜の鳴き声も、身を寄せ合う人間の気配も集中している。
【捕食対象選択:密集した人間および家畜を優先】
グレンが矢をつがえた。
「こいつは、逃げてきた側じゃない」
大牙虎の口から、粘ついた唾液が落ちる。
ユウトの【ライト】を見ても怯まず、前脚で地面を掻いた。
現在MPは二十六。
大牙虎を倒すために足りるかどうか、ユウトにはまだ分からない。
その視線は最初から、村全体を獲物として捉えていた。
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